・ n.1 アルボルノス要塞 ・ スポレート

早くも12月! そう聞くだけでも何か心せわしなくなりますが、 ・・と言いつつ、
いつも世間とかけ離れたブログ内容で、ひと時をごゆっくりお寛ぎくださいね。
今日のご案内は、ウンブリアはスポレート・Spoletoの一番高所に位置する
アルボルノス要塞・Rocca Alborzianaを。

要塞というと、何やら中世の暗い遺跡遺物を想像されると思いますが、
この要塞は堅固ながらも、教皇さまや貴人たちの快適な住居空間をも考慮して
造られた物で、優雅なフレスコ画で飾られた部屋もあるという物。

写真は3年前の春に行った時の国鉄駅前からの物で、右中程にドゥオーモと
その鐘楼が見え、この秋は修復中で、一番上に威容を誇るのがこの要塞。

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歩くとかなりの距離になりますが、町内巡回バスもあり、今年からエスカレーターも
動き出したようなので、また後ほどその様子を。



3年前のスポレート訪問では、要塞のこの最初の門はくぐったものの、
時間外で中は見物できず心残りでした。

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その後cucciolaさんの「ルネッサンスのセレブたち」で要塞に名を冠されている
アルボルノス・Albornozなる人物像を知り、尚の事興味が増し、見物のチャンスを
待っていましたが、この秋漸くに内部と充実した博物館を見る事が出来た次第。

cucciolaさんのアルボルノスの記事はこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764917.html
       


親切丁寧な説明、良く分かる押しつけがましい程のたくさんの写真、あはは、が
モットーの当ブログでは、やはりしっかりご案内したく、撮った写真を大幅に
省いたものの、それでもかなりの数になったので、モットーに従いつつ、まだ言ってる、
2回に分けてご覧頂こうと思います。 お覚悟願いま~す!
 
写真は2つ目の門。      

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2つ目の門をくぐり、角を曲がると長い坂道に続く塀越しに角ばった要塞が見えます。

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こちらは坂道から振り返った門の辺り。 彼らはドイツからの学生グループらしく、
ドイツ語での丁寧な説明を受けておりました。



一旦建物の中を通りすぎ、要塞の外側に出て、中程に見える入り口から入ります。

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要塞の造りが良く分かる写真がガイドブックにありましたので、ご覧下さい。
最初の門は左下に切れており、右下角の2番目の門を潜り、長い坂道に。

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一番奥上まで上り、塔の下あたりを潜り抜け、上の写真、一旦要塞外に出て
入り口に。 この写真で言うと、一番上辺東側に入り口です。

全体が長方形で、2つの中庭があり、下の広い内庭が、軍中庭・
Cortile delle Armi、上に見える屋根のロッジャに囲まれたのが、貴人用中庭・
Cortile d'Onoreで、 こちらが居住、治世関係部門に。



で現在は要塞の建物訪問と、内部の国立スポレート公国博物館見物との
2種の料金、時間割に仕分けられていて、
要塞の建物だけだと、月曜も11時~17:45迄オープン
博物館も要塞もは、火曜~日曜 9~17:45時まで、
料金も少しお高くなるという、細かく行き届いた配慮。

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14世紀に出来た要塞の歴史については後にし、
国立スポレート公国博物館の「スポレート公国」という言葉ですが、
何度かどこかで行き会いながら今迄疑問に思わず、今回漸くに検索。

6世紀に北からドイツ系民族のロンゴバルド族がイタリアに侵入、東ローマ帝国が
ペルシャとの戦いで手が回らない隙をついてローマ以外殆ど南イタリアに
至るまでを占領、568年にロンゴバルド王国(首都パヴィア)を建国。

その元で570年にスポレートを首都としたスポレート公国・Ducato di Spoleto
が建国されたのだそうで、現在のウンブリア、マルケ、ラツィオ、アブルッツォ州の
一部または全部、が含まれる範囲。
ロンゴバルド王国は最終的に774年にカール大帝により崩壊しますが、
スポレート公国の名は生き残り、教皇領に吸収されつつ1198年まで存続。
       
という由緒ある古い名前なのですが、4世紀から15世紀にかけての
地域コレクションの博物館という事でこの名が冠された様ですが、
やはり土地の人にとっては誇りの名前なのかも。
       


こちらがコルティーレ・ドノーレ、かってに貴人の内庭と名付けますが、
漸くに見れたなぁという感慨と共に、その美しさを愛でます。

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大きな六角形の天水井戸があり、この重層したアーチの柱廊は教皇ニコロ5世・
Nicolo`V(1447~1455在位)がベルナルド・ロッセリーノ・Bernardo Rossellino 
に建設させたものだそう。

法王庁のお抱え建設家であったベルナルド・ロッセリーニは、教皇ピオ2世・Pio IIの、
トスカーナの理想の町ピエンツァ・Pienzaの設計建設で有名ですが、調べましたら、
教皇ピオ2世(1458~1464在位)は、ニコロ5世の次々代、つまり僅か3年後に
即位の教皇様という事で納得です。



1階部のフレスコ画は殆ど無いのですが、この教皇冠の入った紋章が残っており、
調べると、パオロ2世(1464~1471在位)のもので、つまりピオ2世の次の教皇様。

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2つの内庭は、真ん中の棟の下をくぐる半円天井のアーチで繋がり、
この空間も優雅な装飾と法皇冠紋章のフレスコ画で埋まっていますが、
鷲の姿の入ったのは、どうやらグレゴリオ13世のものと。

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何枚かあった当時の町の姿、これがスポレートでしょうか。

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こちらがコルティーレ・デッレ・アルミ・軍兵用とでも。 
貴人用とは趣が違い、如何にも要塞仕立てですが、最初に要塞が造られた時は、
どちらの内庭もこの様子だったろうと。

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ほんの少しこの要塞の成り立ちをご説明すると、11年の歳月をかけて
出来上がったのが1370年で、建設はグッビオ出身の天才建築家ガッタポーネ・
Gattaponeと呼ばれるマッテーオ・ディ・ジョヴァネッロ・Matteo di Giovanello.

当時はフランスのアヴィニョンに1309年から教皇庁があり、教皇位にあったのは
インノチェンツォ6世・Innocenzo VIで、法皇不在のイタリアの教皇領平穏安定の為に
送り込まれたのが、スペイン人枢機卿アルボルノスだったのですね。

アルボルノス枢機卿の名のついた要塞は数多くあり、このスポレートのが大きく、
その美しさでも有名ですが、他にナルニ・Narniにもあり、同じ様な四角い形ですが、
内庭が一つの小さい物で、ここも外からのみの見物を。

オルヴィエート、そしてエミーリア・ロマーニャのフォルリンポーポリ・
Forlimpopoli にも大きなのがあるようです。
ウルビーノにもドゥカーレ宮と向かい合う高台にありますが、
こちらは外壁のみが残る、少し残念な遺跡です。

単に要塞としての存在だけでなく、暫く後にアヴィニョンから教皇庁はローマに
戻って来ましたから、治世の領主、はたまた法皇の滞在にも大いに使われ、
1499年から3年間は公国領主として、かのルクレツィア・ボルジャ・
Lucrezia Borgiaの滞在も。
その使われた筈の部屋には素晴らしい壁画があり、それは次回にと! はは。

が時代が下り17世紀になると、次第に下の街中の邸宅での生活が快適とされ
要塞は放置されるようになり、1860年からはこの要塞も監獄として使用され、
1984年まで!続いたのだそう。
そして漸くに長い修復期間が終わり、2007年から現在の要塞公園、
博物館の発足に至ったという次第。

アヴィニョンの教皇庁宮殿についてはこちらに。
       


1階の中庭左側建物部分と2階が博物館展示室で、1階部には古代ローマ期の
素晴らしい発掘品がたくさん展示ですが、ここではこの美しいトンボ玉のみを。 

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貴人の内庭の端にある階段を上がり、2階の柱廊に。
       
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ご覧の様に2階部の壁にはたくさんのフレスコ画が残り、
描き込まれた紋章から、教皇の出身家が分かります。



全面ほぼ埋まっている壁なので到底全部はご紹介できませんが、
この赤と黄の斜め縞は16世紀のサン・ピオ5世、225代教皇。

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蜂3匹の可愛いのはウルバーノ8世、バルベリーニ家出身235代教皇、
といった追跡が出来ます。

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歴代教皇のリストは、こちらに。
https://it.wikipedia.org/wiki/Lista_dei_papi



紋章抜きのここでは異質な僧の肖像、静かにこちらを見つめますが、
どなたかな、黒い僧服なので聖ドメニコか、頭に傷がある様にも見えるので、
それだと殉教者サン・ピエトロですね。

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息抜きに、要塞からの街の眺めをどうぞ!
実際に撮って来た写真を順に眺めて気が付くのは、びっしりの展示品で見疲れし、
無意識の内に一息入れたくなるのか、時々窓からの風景が混じっていて、ははは。
すぐ下に見えるドゥオーモの鐘楼が修復で覆われているので、その部分は外しまして、

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写真中央に見える鐘楼は、サン・グレゴーリオ・マッジョーレ教会・San Gregorio
Maggioreで、その手前広場はガリバルディ広場・Piazza Garibard.

右下に城壁が膨らんで見える場所、現在は建物が立ち並び、2重の壁が
通路のように見えますが、ここが2世紀頃のローマ期の野外闘技場・Anfi Teatro
の遺跡跡で、野良猫ちゃん達の棲み家になり果てておりました。

現在この手前の写真が切れている辺りから、要塞へのエスカレーターが動いていて、
右側の真ん中に見える橋を渡り、広い並木道を北に真っ直ぐ行くと国鉄駅に。


       
上の写真より東の郊外にあるこの由緒ある姿は、サン・ポンツィアーノ教会修道院・
San Ponziano、12~13世紀の建設で、サン・ポンツィアーノはスポレートの
守護聖人との事で、次回のチャンスには訪問したい場所です。

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因みに脇を通る自動車道は、かってのフラミーニア街道・Flaminia、
ローマ期の3大街道の一つで、ローマからウンブリアを抜けアドリア海沿岸のファーノ・
Fanoに出てリミニ・Riminiに至る道でした。



ドゥオーモよりも西側の街の広がり部分、端正な古い家並が見えます。

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要塞入り口側の2階にある大広間の展示室ではフレスコ画の展示や柱頭、
石碑類の素晴らしいのが見れました。

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7世紀の2頭のライオン像。 説明には protomi di leoniとあるのですが、
protomiで調べると、元はギリシャ語で胸像と。 納得。

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これは惚れ惚れとためつすがめつ眺めた碑。 肝心の説明文の写真が大ボケで、
どこの何か分からないのですが、横並びの大きな碑とご想像下さい。

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多分7~8世紀頃の物と思うのですが、(間違っていたらごめんなさい)
全体のプロポーションより細部に拘った丁寧な彫りで、殉教聖人のお話を伝えます。

ブックショップもあったのですが品揃えが少なく、この博物館自体のカタログもなく
不満でしたし、町でも上手く見つけられずに終わってしまいました。


という所で、アルボルノス要塞 その1 を終わり、
次回に、フレスコ画の素晴らしいお部屋をご案内致しますね。 お楽しみに!


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