・ ヴェネツィア ・ ムラーノ島、サン・ミケーレ島

今日はヴェネツィアのムラーノ島とサン・ミケーレ島のご案内を。

既に良くご存知のように、ムラーノ島・Murano はガラス製品製造の島、
サン・ミケーレ島・S.Michele はヴェネツィア市民の墓地の島として有名ですが、
ここには明治の日本人も眠っています。
      
ムラーノ島、サン・ミケーレ島の位置を地図でどうぞ。

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2つの島、レース編みのブラーノ島には、赤い印をつけたフォンダメンタ・ヌオーヴェ迄行き
水上バスに乗るか、または乗り換えますが、今回サン・マルコ広場の東にある
サン・ザッカリーア・S.Zaccaria から、ムラーノ島直行便がある事を知りそれに。



この便だと、魚の尻尾のようなヴェネツィア本島の東の先をぐるっと回り、ムラーノの
運河に入り込んだ停留所ナヴァジェーロ・Navageroまで一挙に。

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フォンダメンタからブラーノ行きに乗ると、ムラーノには島の取っ付きのコロンナ・Colonna 
またはファーロ・Faroに停まるので、暑い時など島の奥まで行って戻るのが大変で、
挫折しっぱなしの私は、奥の美しい教会にまで辿り着いた事がありませんでした、はぁ。
が今回は、奥から順番に見ながら片道の行程でOKという事で、皆さんにもお勧め!



サン・ザッカリーアから出発、ヴィエンナーレ会場前を通り抜け、本島の先っちょをぐるり、
かってのヴェネツィアのドゥオーモであったサン・ピエトロ教会の鐘楼などを眺め、ぐんぐんと。
なにせ直行便なので、大運河のヴァポレットとは段違いのスピード。

まだヴィエンナーレが開催中の事とて、途中のラグーナには、こんな象さんの姿も。

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ムラーノ島に近づいて。 見える鐘楼は、マリーア・エ・ドナート聖堂・
Basilica dei Santi Maria e Donatoで、ここが見たかった教会。

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ムラーノ島はガラス製品製造の島とのみ思い込み、その歴史を読む事もなかったですが、
今回いろいろ興味深い事も知りました。
       
ヴェネツィア同様に小さな7つの島から成り立ち、橋で繋がっている事、
ヴェネツィアは177の島、400にも及ぶ橋から成り立ちます。

ヴェネツィアの前身アルティーノから、トルチェッロ島と同様に、蛮族の侵入でここに
移住して来た事、ヴェネツィアに編入される12世紀までは自治権をもち、
独自の貨幣鋳造も行っていた事、

13世紀に本島から、ガラス製造工場がこの島に移された事など、など。

現在の島の人口は5500人程で、大小多数のガラス製品の工場、店が軒並みです!

       

運河沿いに並ぶ家、建物はご覧のようにヴェネツィアそのものですが、
なんとなくのんびり田舎風、と感じるのは気のせい? それとも空気のせい?

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島の中を抜ける幅広い運河沿いの道を、のんびりと行きます。
こんな水飲み場もあり、快晴の空の下、ゆったり感を満喫。

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ヴェネツィアと少し違う感じはこの島のポルティコで、道の上に建物が張り出し、
ポルティコが出来ているのですが、この形は、本島では殆ど見かけませんね。

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大きな建物の、大きな木の扉。 きっちりと小さな格子に組み、鉄の鋲が打たれ、
かっては緑色だった様で。

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興味深く見たのですが、上の地図のトゥレヴィザン邸・Trevisan だろうと。
どんな屋敷か調べましたが、残念。



島内には大小のガラス工場直営の店が軒並みで、実際に作っているのも見れます。
以前2度ほど見ましたが、炉の中から鉄の棒の先についた塊を取り出し、
吹いたり、くるくる回しながら、チョイチョイと引っ張ったり切ったり、あっという間に出来上がり!
まさに見事な職人芸。        写真はガイドブックより

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1295年にヴェネツィアのガラス工場は法令によりムラーノ島に移されましたが、
これは当時の建物は木造が多く、度重なる大火事の原因になったのと、
島に集める事により、ガラス職人の技術が外に漏れぬ様、管理しやすかったからと。

マストゥロ・mastro と呼ばれた師匠クラスは、特別な許可がないと島外に出かけられず、
逆に、様々な特権も受け、平民階級のうちこのマストゥロのみが貴族の娘と結婚できたと。
とはいえ厳しい監視の目を潜り、たくさんの腕自慢のマストゥロ達が、外国に逃げていったと。



橋の向こうに、ず~っと見たかった教会が!

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デイ・サンティ・マリーア・エ・ドナート聖堂。 オリジナルは多分7世紀に建設され、
次第に修復拡張されたビザンティン様式。

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といった言葉よりも、この美しい後陣部分をご覧下さい。

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後陣部分は、12世紀に再建された物だそうですが、何とも美しい!



煉瓦の色が大変複雑で、組み方も面白く。 上の三角形の部分には、
それぞれに浮き彫りの大理石がはめ込まれ。

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逆光になりますが、後陣全体はこんな感じ。
勿論、上の回廊部分には上がれませんが、この優雅さが何とも言えません。

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教会正面は後陣に比べ変哲がありませんが、内部にはラベンナ様式の黄金モザイクの
マリア像があり、床には12世紀の、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂と同時期と
思われるモザイク柄も。



周囲はかなり広い広場になっていて、アコーディオン弾きの年配のシニョーレが
シャンソンを弾き、後陣の下に休む人、パニーノを食べる親子・・、
まさに鄙びたヴェネツィア!
       
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ムラーノには素晴らしいガラス博物館もあるのですが、今回もパス、次回のチャンスに。

このカモメ君は、お昼を食べたレストランのすぐ横の運河の杭に停まり、
まるで猫ちゃんみたいにニャァ、ニャァと大声で催促!

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小路の奥に見える水飲み場。 もったいない感じが、無きにしも非ず。

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運河の向こうに、サン・ピエトロ・マールティレ教会・S.Pietro Martireの鐘楼。

今回はこの教会のジョヴァンニ・ベッリーニの絵を見るのも目的の一つで、
写真右端に見える鉄の橋を渡りますが、

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この辺り迄来ると、ムラーノ島もかなりの賑やかさとなり、建物も大きく晴れやかに。
これは上の写真の右側にあり、ヴェネツィア・ゴシックそのものの、
ダ・ムーラ邸・Da Mula という名の様。

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この運河の幅がかなりあり、奥に、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ・
S.Maria degli Angeli教会が見えます。
12世紀に創設の由緒ある教会の様で、20世紀初頭には病院になったりの歴史も。
 
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この辺りの野菜売りの舟でサクランボを買い、ぷっ、ぷっと種を運河に吹き散しながら
歩いた思い出が。 紙包みがすぐ赤紫色に染まる程に良く熟れた、美味しい初夏でした。



橋の上から。 ドイツ女性のような。

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サン・ピエトロ・マールティレ教会内部。14世紀創設のものは火事で全焼、
現在残るものは16世紀に再建された物と。

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お目当てのベッリーニの絵はこの右側の壁に。



ジョヴァンニ・ベッリーニ・Giovanni Belliniの
「聖母子、聖マルコ、A.バルバリーゴ元首、聖アゴスティーノ」
なのですが、教会内が薄暗く、大きな絵がかなり高い位置にあり、光も反射し・・!

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美しい図版でご覧になりたい方、cucciolaさんが解説も。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764969.html       

絵の中の、ヴェネツィア共和国元首アゴスティーノ・バルバリーゴ・
Agostino Barbarigo について少し調べました。

1486年から1501年までの74代元首(生年は1419年)で、ミラノ、マントヴァと組み、
フランスのシャルル8世の追い出しに成功、対トルコとの戦闘に苦しみながらも、
アドリア海沿岸の拠点も確保、最終的にキプロス島も併合。
国内的には、サン・マルコ広場の整備を始め、時計塔も彼の時代にの、頑張りの元首。

ちなみに千年を越すヴェネツィア共和国の元首が何代まで続いたのかは、
120代のルドヴィーコ・マニン(1797年共和国崩壊)が最後。
彼はかの有名な、アーゾロ近くの美しい別荘ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼールの持ち主。

ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼールのご案内は
       


で、この教会のもう一つの名物は、この美しい、たくさんのシャンデリアなのですね。
こうして見ると、少し細身で華奢に見えますが、大変大きな立派なもの。
       
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ムラーノのガラス製造が危機に落ちたのは15世紀。多分ムラーノのガラス技術を受け
ボヘミアン・グラスが製造され始めた時といいます。
が、シャンデリアがムラーノで作り出され危機を脱出、以来手作りのガラス製品で
世界に名を知られ、健在です。



内陣の、これまた大作の「カナの婚礼」B.Letterini(ヴェネツィア1669-1745)作。
私は単純に、あ、ワンちゃんがいる! と写し、はは、
部分を仔細に眺めていましたら・・、

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ワンちゃんが2匹、猫ちゃん1匹見つかり、おまけにあちこちが誰やら風という絵で・・!
細部に大いに拘り、全体はこれでもかぁと纏めました、とも言えそうなこの絵! ははは。

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宝物美術館も併設の教会ですが、裏の美しい井戸の内庭が閉められており、残念。



この教会を出ると、ムラーノの中央通リの運河が、まっすぐ水上バスの停留所まで。

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ここにも、古い美しいムラーノ風ポルティコ。

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逆向きに、運河の奥を望んで。

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橋の袂に、可愛い聖マルコのワンちゃん、いやライオン君。

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これは気に入り! 危うい場所にまたがる姿といい、珍しく上手いライオンの描写! 

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これは立派なヴェネツィア風建物、と思い眺めていましたら、
私の横のシニョーレが大声で、運河の向こうの建物の友を呼びます。

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そしてホラこの通り、顔が覗き、運河越しのお喋りが始まりました!

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も一つ、美しいムラーノ風ポルティコ。

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という事で、水上バスに乗り、すぐお隣の墓地の島サン・ミケーレに。

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今ミズゴケを掃除している場所に以前は水上バスの停留所がありましたが、
現在は少しヴェネツィア側に移動。
教会の正面は、サン・ザッカリーア教会と同じデザイン。



実はこの墓地に、明治時代に政府派遣の米欧州視察に同行し、そのままヴェネツィアに
残留し、現ヴェネツィア大学前身の高等商業学校で日本語を教え、
ヴェネツィア女性と結婚しながらも、若くして亡くなった緒方惟直のお墓があります。

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ずっと昔に知り、気にかかりつつ訪問のチャンスがありませんでしたが、
リンクしております「イタリア、とりわけヴェネツィア」のペッシェクルードさんが、
ご親切に写真とお墓の地図を送って下さり、今回遂に。

緒方惟直は、幕末の蘭学医で、幕府の西洋医学所頭取でもあった緒方洪庵の
第十子との事。 遥か130年前のヴェネツィアで、日本語教育の先駆けをし、
余りにも若くして亡くなったのでした。

惟直を維直、生年月日の1853年を1855年と間違えているとの事ですが、
この美しい日本字は、次の日本語教師の長沼守敬(彫刻家)が彫った物だそうで、 
多分、横顔もでしょうね。

彼についての記事は、ペッシェクルードさんがこちらに。
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-11.html
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-70.html
 


ヴァポレットは、赤い印の辺りに到着、墓地の真ん中を広い道が通っていますし、
区画ごとの名が表記されていますから、この地図で簡単に辿り着けます。

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中央の道を真っ直ぐ奥まで、そして壁に囲まれた第2チェレーザの区画、
赤い印の位置にお墓が。
壁が古く危険なのか、鉄柵で遮ってありましたが、持っていった白薔薇を墓の下に置き、
長い間の念願が叶い何やらホッと。

地図の左下のストラヴィンスキーとディアギレフのお墓の位置もどうぞ。
どちらも行きましたが、今回は写真省略で。



ヴェネツィア本島に戻り、フォンダメンタ・ヌオーヴォより望むサン・ミケーレ島。
そう、本当に近いのですよ。

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