・ n.1 ウンブリアの春2015 総集編ならびに食べた物

出かけた後の恒例により、はは、食べた物、旨いものを見て頂くのに、
お皿の写真だけ並べてもと考え、周辺も少し加えると結構な枚数になり、
ならばと総集編を兼ねる事とし、その日の各部を加えて2回に分ける事に。 
で今日はその1を。

タイトルに即、旨いもの、と書かなかったのには訳があり、
はい、見て頂くとお分かりと思いますが、
肉を食べない上に、今回はもひとつ貧乏旅行となりまして、
まぁ、これもイタリアの素顔であると、きゃはは、ご了解を!

写真は、今回の旅行で最初に撮った1枚。

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場所はトスカーナの南、カプレーゼ・ミケランジェロの村に行くべく
E45のガタゴト自動車道をサント・ステーファノで降り、上り坂に、
はい、かなりの上り坂にかかった辺り。
少し曇天でしたが、のんびりの田舎の春風景が広がります。
       


さてカプレーゼ・ミケランジェロ・Caprese Michelangeloですが、
この村にはミケランジェロ・ブオナロッティ・Buonarrotiの生家
といわれる館があり、こちら。

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実際にはこれはパラッツォ・ポデスタ・Palazzo Podestà・
執政長官の館と呼ばれるもので、ミケランジェロ・の父親ルドヴィーコ・
Ludovicoが、1384年からフィレンツェの支配下に在ったこの村の、
長官として居住していた時に彼が生まれたというもので、1475年、
彼の家ではなかったのを今回知りました。



現在はミケランジェロ博物館として、内部もこのように整備され、

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建物前面にある階段を上った2階の部屋、

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そして奥に2部屋在る内の南側のこの小部屋、
ここでミケランジェロが1475年3月6日に生まれたであろうと。

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村の歴史は古く、この区域はロッカ・カステッロ、要塞・城と呼ばれ、
村の一番北側の高い位置にあり、他に大きな建物が2つ、
周囲は城壁に囲まれたかなり広い区画で、
現在はミケランジェロ博物館の一環として、彼の作品コピーや、
他の彫刻作品の展示などもされておりました。

彼の父親の執政官としての半年の任務期間はちょうど3月で終り、
当時大変厳しい経済状態であったらしい一家は、フィレンツェ郊外の
セッティニャーノの村に戻ります。

この村は石を産し石工の多く居た村で、石工の娘であり妻であった
乳母の家に預けられたミケランジェロ。
多分この村で自分の生きる道を選んだのでしょうね。




城の前の道を村に下り、少し東に。 このサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会・
San Giovanni Battistaで1475年3月8日ミケランジェロは洗礼を受けたと。

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お昼前に村に到着、我が家から365km 約4時間、博物館は終日
開いているのを良いことに、ゆっくりのんびり見ている内に、
お昼をとっくに過ぎ2時半頃。

博物館すぐ下のトラットリーアからは、お肉グリルの良い匂いが周囲に充満! 
いや、これは食べられないし、通りがかりのシニョーレが教えてくれた
村外れのレストラン前に。 ここも賑やかな声が聞こえ、お肉の匂い!

こういう田舎でこういう店に一旦入ると、長く待たされるだけなのを
経験済みですから、まぁ、そう遠くないからと、40k 40分ほど、
今夜の宿であるチッタ・ディ・カステッロの町に向かう事に。

途中で道脇にサーヴィス・エリアのあるのを見つけ、食べれるかと聞くと、
3時で閉めたとのこと。
       
てな事で、旅初日のささやかなお昼は、ははは、
リンゴのタルトと、パイナップル!! 嬉しくて、写真までブレてる!

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今回行った範囲の、ウンブリアの地図をどうぞ。
旅の初めに2泊したチッタ・ディ・カステッロ・Città di Castello.
ここはウンブリア州に入ってすぐの町で、翌日行ったモントーネ・Montone、
       
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ペルージャ・Perugia、アッシジ・Assisi、アッシジから出かけた
スペッロ・Spello、そして最後に寄ったグッビオ・Gubbio.



チッタ・ディ・カステッロの町のホテルに荷を置き、まずは町の中心、
ピアッツァ・マッテオッティ・Matteotti広場に。
日曜の午後、しかも5月1日からの連休最終日とあって、
町の人とともに、かなりの観光客の姿。

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長方形に広い広場の西側を占めるこの建物、パラッツォ・ポデスタ・
執政長官の館で、正面はこんな17世紀のバロック様式。

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所が横のコルソ・カヴール・Corso Cavourに入った途端に驚いた、
この元の姿を物語る壁の威圧! 14世紀後半の建物だというのが
素直に頷けます。

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で、続く市役所・Municipio. 扉が開いていたので入ってもOKだろう
とは思いつつ、とにかく真っ暗! 
      
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先に入った人々が喋りながら階段を上っていくので、まぁ、牢屋ではないだろう、
ははは、と思いつつshinkaiも。
古い古い煉瓦敷きの階段を上り、上の会議室様も見て参りましたぁ。
  


そしてその先に、こちらがドゥオーモ。 傾斜地を利用しているせいか、
入り口階段も高く、どこもかしこも重厚な印象の町。

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町2日目の夕方もまた出かけてあちこちうろうろしたのですが、
お天気が回復しての、ドゥオーモの裏に在る円筒式鐘楼。
上れる、とは書いてあるものの、扉は閉まっていて。

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現在市の絵画館パラッツォ・ヴィテッリ・アッラ・カンノニエーラ・
Palazzo Vitelli alla Cannoniera. 町の有力一族ヴィテッリ家の
建物の1つという事ですが、美しい壁画で装飾。

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所蔵品にも心を惹かれたのですが、日曜は既に閉め、月曜休館、
火曜は朝10時からというので、待ちきれず今回はパス。



この道を跨ぐ姿ですが、左に見えるこの城壁が町を取り囲み、

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こんな形で良く保存されていて、外側は散歩道に。
奥に見える壁内の建物辺りが、今回の宿。



チェック・インした時、ホテルのレストランでは3種の中から選べる式の
夕食が16エウロです、というので予約し、7時半に。
南に行くほど、夕食時間が遅くなる気がするのですがぁ!

プリモに、ペペローニの入ったちょっとピリ辛のペンネを。
美味しかったですが、量が多かったぁ!

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白ワインを半L頼んだのですけどね、待ち時間にちびちびとやって
足らなくなり、もう半分! こちらも飲みすぎぃ!



セコンドには、鱸のグリルと、付け合せにタマネギのフライ。
うん、この鱸も美味しかった! 久し振りのおちゃかな、にゃぉ~ん。 

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部屋の窓から見る旅初日の夕暮れ。

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この町も駐車場に苦しみ、どの道も満杯! 道の突き当たりに上記の
美しい絵画館があるのですが。

手前右に見える広場というか工事現場で、ローマ期の遺跡にぶつかり、
工事は遠慮がちに向こうの端で。
保存問題が解決するまで、まだ何年もかかる事でしょう。



翌日はチッタ・ディ・カステッロの町からだと30分ほどで行ける
モントーネ・Montoneの町に。 「イタリアの一番美しい村々」にも
選ばれており、一度行ってみたかったのですね。

自動車道から外れ坂道に差し掛かると、みずみずしい緑!

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が、この後が物凄いカーヴと坂道の連続で、ははは、 まぁナヴィの教える
通りに行き、駐車もできましたが、どうやら町の南端に着いた様子。
この眺めは、町の北端の要塞跡から。

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上の写真の手前側に見える町の門にある、モントーネ・雄羊の紋章、
1487年の年号が。

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モントーネで一番古い教会という、ロマネスク・ビザンティンの
サン・グレゴーリオ教会・San Gregorio.
町の外、こうして見える位置にあるので、今回はパス。

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古い石組みの家、細い上り下りする小路、光と影が美しい陰影を
見せてくれる小さな町の中を何度も行ったり来たり。
町の中心の広場には、町の人が休んでいたり話し込んだり、

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トラットリーアやレストランはいくつかあったものの、どこかにのんびり座ってお昼を、
という気持ちから今回は少し遠く、ついに広場の角のバールに。
生ハムなど挟んだパニーノはダメだし、

ついにこの日も、オレンジの生ジュースと、トルタと小ピッツァ!

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古い建物の中を改造したバールは、天井がレンガのアーチが重なり、
面白くきょろきょろ眺めつつ、天井近い小窓から外を歩く人の足が見えたりで、

こちらは、上手くあしらってくれたバールのシニョーレ。

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この小さな歴史ある古い町はとても気に入りましたので、
また改めてご案内いたしますね。



モントーネから戻って来て、チッタ・ディ・カステッロの町に入る所で、これを!
そう、アルベルト・ブッリ・Alberto Burriの作品。

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戦後のイタリア美術において、現代抽象美術の先駆けとなった
絵画彫刻作家ブッリの作品なのですが、
私は単に名前とこの作品の写真を何度か見ているだけ。
それがたまたま見えたので、そうだったっけと撮りましたが、

このチッタ・ディ・カステッロは彼の生地で、町中と、写真の背後に見える黒い建物、
元タバコの乾燥工場に彼のコレクションが収蔵されていると。

こうして撮ると赤く見え、今まで私も赤と思っていたのですが、実際は錆茶色で、
いつもながら色の見え方の不思議さ、取り合わせによる色違いにも頷いた事でした。

ブッリのサイトはこちらに。 http://www.fondazioneburri.org/



この日の夕食は、ホテルの近くにたまたま見つけたインド料理店、
物凄く分り難い開店日と時間表を睨みつつ、
なんとか今夕7時には開いていそう、わぁ、イタリアに来て初めて
インド料理が食べられそう、何十年ぶりだろうと大喜び、ははは。
町の散歩も時間をみて切り上げ戻ってきましたら、

何の事はない、休日! 前日は表に出ていた看板もシャッターの中!
もう一度町中に戻って店を探す元気も失せ、再度ホテルのレストランで、ああ。


ビールを頼み、待つうちに、

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プリモの、魚介と野菜のリゾット。
はい、これも美味しかったけど、やはり今日も量が多いなぁ。

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セコンドのオムレツ、というより、かき混ぜ卵じゃん! 付け合せにジャガイモ。
選んだ私がバカだったぁ、と思う一瞬。 あ~ん、インド料理ぃ。

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翌朝アッシジに向う途中、ペルージャの街の北端にある
テンピオ・ディ・サンタンジェロ・Tempio di Sant'Angeloに寄りました。
円形の、古く良さそうな面影の教会に惹かれたのでしたが、

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中に入ると、素朴な形はともかく、床材も新しく、天井部のアーチ部分も、
そして天井の覆いも、どうやら修復されたのが近年らしく、
明るすぎるほど光が入るのも、ちょっと意外な感じで。

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調べてみると、オリジナルは5世紀に遡るものの、1o世紀頃にかなり改装、
その後15世紀にペルージャの有力者バリオーニ家・Baglioniにより、
軍事目的に使われたりで傷めつけられた様子。

戦後になって修復工事がされ、床も天井も新しく、窓も再度開けられ、
という事は以前にもあったのですね、古いフレスコ画なども見つかり、という事。


ボローニャで見た、やはり古い円形の礼拝堂。 素晴らしいものを見ていると
つい比較してしまい。 
n.2 ボローニャ ・ サント・ステーファノ聖堂
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469029525.html



見つかった、という古いフレスコ画。
    
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一番左に見えるのは多分聖女XXで、どなたかな、胸が赤くなっているのは、
昔女性を処刑する時は、無残にも両乳房を切り取ったという事で。
       


入り口脇にあった、古い石碑。 逆向きですが、光の映り具合が
良いと思うので、このまま。

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という事で、ウンブリア総集編と食べた物その1、でした。
少し長くなりましたが、楽しんで頂けましたように!


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