昨年の暮の事、友人とのメールのやり取りの中で、
「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」のDVDの話が出て、
「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」のDVDの話が出て、

多分アンギアーリの博物館で、あの戦いの場面を、フィレンツェの
ヴェッキオ宮に描いて失敗する場面のみを見た、とブログに
書いた事が発端だったと思うのですが、
日本で何年か前にDVDが発売されている、と知りました。
ヴェッキオ宮に描いて失敗する場面のみを見た、とブログに
書いた事が発端だったと思うのですが、
日本で何年か前にDVDが発売されている、と知りました。
何十年も前になりますが、イタリア国営放送RAIで撮影されたのが
日本のNHKでも放映され、大変に素晴らしい作品で、
メモを取りつつ見た事をよく覚えています。
その後イタリアに来て後、再放送されたのを見ましたが、
DVDが発売されている事を考えた事も無く、
時に思い出すだけで、お蔵入りになった作品と思っていました。
日本のNHKでも放映され、大変に素晴らしい作品で、
メモを取りつつ見た事をよく覚えています。
その後イタリアに来て後、再放送されたのを見ましたが、
DVDが発売されている事を考えた事も無く、
時に思い出すだけで、お蔵入りになった作品と思っていました。
が、日本で売られていると知り、ひょっとしてと検索をかけると、
22エウロ位だったか、それもクリスマス期間なので送料無料、
DVD3枚組ですし、この値段ならと購入しました。
22エウロ位だったか、それもクリスマス期間なので送料無料、
DVD3枚組ですし、この値段ならと購入しました。
試しに日本のアマゾンの値段を見ましたら、2万円以上!
わぉ、何この値段?! 10倍近い差があるではないの?!
と呆れましたが、その時にヨーロッパと日本のみで発売と知り、
へぇ、さすが日本!とも驚いたのでした。
わぉ、何この値段?! 10倍近い差があるではないの?!
と呆れましたが、その時にヨーロッパと日本のみで発売と知り、
へぇ、さすが日本!とも驚いたのでした。
昨年辺りから、最新の科学捜査により、レオナルドの真作であると
確認された作品が何点か現れ、そして現在、フィレンツェの
ヴェッキオ宮では、500人広間のヴァザーリのフレスコ画の下に、
幻の彼の作品「アンギアーリの戦い」があるかどうかの調査進行中。
なにやかやと今も世界に名を轟かす万能の天才レオナルドですが、
2年半前になりますが、彼の生家と呼ばれる家を見に行き、
そこから派生し、彼の実の母は? 父親はどんな男性だった?
等など読んだ事からも関心がありますので、
2年半前になりますが、彼の生家と呼ばれる家を見に行き、
そこから派生し、彼の実の母は? 父親はどんな男性だった?
等など読んだ事からも関心がありますので、
今日は少々画面が小さくなりますが、RAIのこの作品を
YouTubeから拝借し、彼の生い立ち辺りを中心に、
アンギアーリの幻の作品を描いた様子等をご紹介致しますね。
YouTubeから拝借し、彼の生い立ち辺りを中心に、
アンギアーリの幻の作品を描いた様子等をご紹介致しますね。
さて映画は、レオナルド75歳での臨終場面から始まり、
フランス国王フランソワ1世に抱かれて亡くなる場面。
フランス国王フランソワ1世に抱かれて亡くなる場面。
手前のスーツ姿の男性、彼が要所要所に登場し、その場面や、
当時の状況も含め説明解説する、という仕立てで、
今手に持っている本が、
当時の状況も含め説明解説する、という仕立てで、
今手に持っている本が、
ダ・ヴィンチが国王に抱かれ、と書いたジョルジョ・ヴァザーリ・
Giorgio Vasariの「当世著名建築家画家彫刻家」
ですが、このレオナルド没後50年目にして書かれた
ヴァザーリのこの説は既に伝説で、そうあれかしという嘘なのだと、
このスーツ姿は説明します。
ヴァザーリのこの説は既に伝説で、そうあれかしという嘘なのだと、
このスーツ姿は説明します。
今や時の人の感もあるヴァザーリですが、そうですね、
講釈師、見て来たような嘘を言い、もあれこれある様子!
講釈師、見て来たような嘘を言い、もあれこれある様子!
こうしてタイトルの始まりです。
可愛い子供のレオナルド。
そう、泣く子も黙らせる大天才も、子供の可愛い時もあった訳で!
そう、泣く子も黙らせる大天才も、子供の可愛い時もあった訳で!
家の前で1人で遊んでいる場面。
すっきりの細みで、ぴちっと決めたスーツ姿で番組進行を
務めるこの男性は、ジューリオ・ボゼッティ・Giulio Bosetti
という、俳優、監督、舞台興業もした方だそうで、
残念、2009年に亡くなっております。
務めるこの男性は、ジューリオ・ボゼッティ・Giulio Bosetti
という、俳優、監督、舞台興業もした方だそうで、
残念、2009年に亡くなっております。
そうなのですね、このTV映画が作られたのは1972年で、
監督のレナート・カステッラーニ・Renato Castellaniも
1985年に亡くなっていて、
レオナルド役を務めたフランスのフィリップ・ルロイ・Philippe Leroy
はまだお元気の様子。
今回制作後40年のTV映画をつくづく眺めた訳ですが、
TVドラマにありがちの間が抜けた古い感じは1つもなく、
ドキュメンタリー手法を取ったこの作品の素晴らしさを
改めて感じました。
TVドラマにありがちの間が抜けた古い感じは1つもなく、
ドキュメンタリー手法を取ったこの作品の素晴らしさを
改めて感じました。
レオナルド(リオナルド)が生まれた、と祖父アントニオが
公証人記録簿の最後のページに記していたのを、
ドイツの研究者が見つけたのが1936年の事。
公証人記録簿の最後のページに記していたのを、
ドイツの研究者が見つけたのが1936年の事。
1452年、私の孫 我が息子セール(敬称)ピエロの息子、
が生まれた。 4月15日土曜夜の3時。
名前をリオナルド・Lionardとつけ、ヴィンチの
バルトロメーオ教会のピエロ神父が洗礼。
が生まれた。 4月15日土曜夜の3時。
名前をリオナルド・Lionardとつけ、ヴィンチの
バルトロメーオ教会のピエロ神父が洗礼。
教会の洗礼場面。 祖父アントニオが克明に洗礼式に
参加した人の名を記しているのですが、母親の参加は無く、
単にカテリーナ・Caterinaと出てくるのですね。
参加した人の名を記しているのですが、母親の参加は無く、
単にカテリーナ・Caterinaと出てくるのですね。
映画の中では、清楚なすらっとした美人で、
レオナルドも美男であったと思われますから、
お母さんが美人であったのは確かかもですね。
洗礼式に参加させて貰えず、遠くからそっと我が子を
見守る実母カテリーナ。
見守る実母カテリーナ。
映画の中では、出生が謎の女性として登場していますが、
最近の調査で出てきた事実も含め、
こちらに書いておりますので、どうぞ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017233.html
最近の調査で出てきた事実も含め、
こちらに書いておりますので、どうぞ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017233.html
レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017660.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017660.html
レオナルドを生んだ後、多分半ば強制的に村の男と結婚させられた
のであろうカテリーナですが、映画の中では同じヴィンチ村に
住んでいた事になっていて、
こうして育っていく我が子を見つめ、時に人の目を盗み抱きしめます。
が、レオナルドは彼女が誰かを知らず、あんた、誰?!
後には勿論彼も事情を知り、ミラノに住むようになった時に
彼女を呼び寄せ一緒に住み、彼女は彼の家で亡くなりますが、
レオナルドは一度も母親とは呼ばず、書かず、
常に「カテリーナ」で、
ただ、カテリーナの葬式費用、幾ら幾ら、と記します。
彼女を呼び寄せ一緒に住み、彼女は彼の家で亡くなりますが、
レオナルドは一度も母親とは呼ばず、書かず、
常に「カテリーナ」で、
ただ、カテリーナの葬式費用、幾ら幾ら、と記します。
こちらが祖父アントニオ・Antonioと祖母。
祖父はやり手の公証人ながら口うるさく、
地面に座り込んで遊ぶレオナルドに、タイツが擦り切れるじゃないか、
革ではないんだぞ、木に生えるわけではないんだ、
・・という業突くジジイ!
革ではないんだぞ、木に生えるわけではないんだ、
・・という業突くジジイ!
一方父親のピエーロも、負けず劣らず金銭欲の強い、
おまけに生涯に4度も結婚した程の好き者で、食いしん坊で、と。
おまけに生涯に4度も結婚した程の好き者で、食いしん坊で、と。
これはヴァザーリが書いている逸話だそうですが、
近郷の農民がイチヂクの太い枝を輪切りにし、既に近くで評判の
レオナルドに絵を描いて貰おうと持って来て父親に預けた所が、
近郷の農民がイチヂクの太い枝を輪切りにし、既に近くで評判の
レオナルドに絵を描いて貰おうと持って来て父親に預けた所が、
レオナルドが様々な動物をモデルに奇怪な絵を描き、
この絵は既に無く、残念、
この凄腕の父親は市でそれらしき絵を買い、農民に与えた後、
この絵は既に無く、残念、
この凄腕の父親は市でそれらしき絵を買い、農民に与えた後、
レオナルドの作品は、フィレンツェのその筋に
100スクーディで売ったというお話。
100スクーディで売ったというお話。
上にリンクした「レオナルドの母親について」を読んだ時に、
父親の公証人としての凄腕、ひょっとして死にかけの顧客の証書を
書き変えたか、はたまた上手く丸めこんで証書にサインさせたか、
という凄腕だった様だ、と知りましたが、
今回これを見て、成程なぁ、と大いに納得した事でした。
こういった祖父、父親とはまるで正反対の性格のレオナルドで、
但し金銭には几帳面で、金銭帳をしっかり付けていた様ですね、
但し金銭には几帳面で、金銭帳をしっかり付けていた様ですね、
田舎に1人残され成長しますが、幼い彼を愛しあれこれ教えたのは
父親の弟、つまり叔父のフランチェスコでした。
父親の弟、つまり叔父のフランチェスコでした。
暫くして父親に引き取られフィレンツェに出て、音楽やラテン語を
習い始める物の、祖父アントニオは、庶子は公証人には
なれないのだぞ、何を勿体ない事をする、何か仕事を覚えさせろ、と。
習い始める物の、祖父アントニオは、庶子は公証人には
なれないのだぞ、何を勿体ない事をする、何か仕事を覚えさせろ、と。
確かに当時のフィレンツェでは、庶子は公証人になれない法律が
ありましたので、祖父の言葉はまったくなのではありますが、
まぁね、その言葉が将来を考えての事なのか、
単に金銭を惜しむかで、聞こえ様が大いに違いますよね?!
聞こえる祖父の言葉に涙ぐむレオナルド。
ありましたので、祖父の言葉はまったくなのではありますが、
まぁね、その言葉が将来を考えての事なのか、
単に金銭を惜しむかで、聞こえ様が大いに違いますよね?!
聞こえる祖父の言葉に涙ぐむレオナルド。
で、1人であれこれ描いた作品を見た父親は、
当時フィレンツェで有名な工房を持つヴェロッキオ・Verrocchio
の工房に息子を弟子入りさせます。 確か13歳位だったと。
の工房に息子を弟子入りさせます。 確か13歳位だったと。
月3リラで引き受ける、というヴェロッキオの言葉。
つまり仕事を覚えさせるのだから、親が幾らか払えという事で、
う~ん、日本の丁稚奉公は給金も出ない代わりに、
親は金を払いませんでしたよね?!
う~ん、日本の丁稚奉公は給金も出ない代わりに、
親は金を払いませんでしたよね?!
後ろに見える赤い木枠の球形は、サンタ・マリーア・デッラ・
サルーテ聖堂のクーポラの上に輝く金色の球で、
この工房で作ったのだと。
サルーテ聖堂のクーポラの上に輝く金色の球で、
この工房で作ったのだと。
ヴェロッキオは後のエピソードに出て来ますが、
ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場にある
傭兵隊長コッレオーニ将軍騎馬像も作っており、
今回見ていて気がついたのは、レオナルドの父、祖父、
工房の皆が所謂フィレンツェ弁、トスカーナ訛りで喋っており、
ヴェネツィアからの騎馬像依頼者達がヴェネト訛りで喋るのを、
工房の連中が真似して大笑いしたりの場面もあり、
また当時のヴェロッキオの工房には、ぺルジーノ、ボッティッチェリ、
ロレンツォ・クレーディ等がおり、
ぺルジーノは甘い作風からは想像もつかない若者で、ははは。
ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場にある
傭兵隊長コッレオーニ将軍騎馬像も作っており、
今回見ていて気がついたのは、レオナルドの父、祖父、
工房の皆が所謂フィレンツェ弁、トスカーナ訛りで喋っており、
ヴェネツィアからの騎馬像依頼者達がヴェネト訛りで喋るのを、
工房の連中が真似して大笑いしたりの場面もあり、
また当時のヴェロッキオの工房には、ぺルジーノ、ボッティッチェリ、
ロレンツォ・クレーディ等がおり、
ぺルジーノは甘い作風からは想像もつかない若者で、ははは。
ヴェロッキオの工房で過ごす何年かの間に、フィレンツェでは
パッツィ家の反乱があり、ロレンツォ・イル・マニーフィコの弟
ジュリアーノが殺害され、
パッツィ家の反乱があり、ロレンツォ・イル・マニーフィコの弟
ジュリアーノが殺害され、
その殺害者の1人ベルナルドがトルコで捕まり、
フィレンツェに連れ戻され、バルジェッロ宮で吊るされる場面。
フィレンツェに連れ戻され、バルジェッロ宮で吊るされる場面。
なぜこの場面を選んだかと言いますと、このベルナルド・バンディーニ・
Bernardo Bandiniという男は、
レオナルドの父親が家をだまし取った顧客の妻の縁続きに当たるそう。
Bernardo Bandiniという男は、
レオナルドの父親が家をだまし取った顧客の妻の縁続きに当たるそう。
最近の研究発表では、レオナルドの実母カテリーナは、この顧客の
家の奴隷であった、という事実が古文書から分かっており、
その処刑場面をレオナルドスケッチするという不思議な縁に繋がります。
家の奴隷であった、という事実が古文書から分かっており、
その処刑場面をレオナルドスケッチするという不思議な縁に繋がります。
処刑が済み、街の人々が去った後もスケッチをし、
着ているトルコ風衣装についても記すレオナルド。
着ているトルコ風衣装についても記すレオナルド。
ここは実際のバルジェッロ宮の中庭ですが、現在は修復され、
壁の汚れが綺麗になり、
バルジェッロ博物館として素晴らしい充実ぶりです。
長くなりましたので、「レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯」 n.2に。
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