・ イ・ヴィヴァリーニ展 ・ ヴェネツィア絵画の煌き、移り

先週、イ・ヴィヴァリーニ展・I Vivariniに出かけて来たので、
今回は「黄金背景の祭壇画」の煌きをたっぷりご覧頂きますね。

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地元のコネリアーノで2月下旬から開催されていたのを、
も少し暖かくなってからね、と引き伸ばしていたのが、
友人それぞれに予定があり、6月5日終了迄に出かけられず・・。
残念と思っていたのが、会期延長で7月17日まで!との
市の通知が郵便受けに入っており!
それで漸くに友人のジュリアーナと出かけたという次第です。

「イ・ヴィヴァリーニ」とは名前も知らずの!画家でしたが、
ヴェネツィア、そしてヴェネト近辺の町で活躍した15世紀の、
アントーニオ・Antonio 1420頃-1476~1484
バルトロメーオ・Bartolomeo 1432頃-1491以降
アルヴィーゼ・Alvise  1446頃-1503~1505 の3名。

アントーニオとバルトロメーオは兄弟で、
アルヴィーゼはアントーニオの息子という関係で、
これにアントーニオの姉(妹)と結婚していた、つまり義理の兄弟である
ジョヴァンニ・ダレマーニャ・Giovanni d'Alemagna(1411頃-1450)も、
初期には一緒に仕事をしていた、という一家。

上記したように、ヴェネツィアはもとよりヴェネトの各地、
とりわけ教会の祭壇画などを多く手がけていた様で、
当時としてはかなり売れっ子だったのではないかと。

今回はそんな彼らの作品を集めた展覧会で、兄弟、親子といえども
かなり作風も違い、時代がちょうどゴシックからルネッサンスに移り行く
15世紀の末とあり、その影響も作風に見受けられる興味深いものでした。

作品はカタログの写真と、サイトから集めた物でご覧くださいね。
カタログからの写真はshinkaiのサイト名を入れましたが、
その他はサイトからのものです。

トップの写真はカタログの表紙になっていた物で、バルトロメーオ作の
祭壇画の一部、大天使ミケーレの顔。
後ほど全体もご覧頂きますが、かなりメリハリの効いた表現。

私はかなり偏った好みを持ち、有名画家にも好き嫌いがあり、
余り美術評論家的褒め言葉ではなくあれこれ書きますが、
かといってその評価を認めていないわけではありません。
ただこのように見た、思った、と言うのを正直に書きますので、
どうぞそれをご了解下さり、読んで頂ける様にお願いいたします。


父親ミケーレはパドヴァ生まれのガラス職人で、兄弟はヴェネツィアの
ムラーノ島の生まれ。 
アントーニオの作品が記録に最初に残るのは1441年とありますが、
    
今回展覧会場の第1作はこちら、クロアチアのパレンツォ(Poreč)
の博物館からの祭壇画と細部。1440年。
諸聖人に囲まれた聖母子と、昇天するキリスト。

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見ての正直な感想は、女性像は美しいけれど、男性像がちょっと
類型的というのか、イマイチしっくりしてないなぁ、と。
まぁ、この辺りがゴシック絵画でもあるのですが。
       


こちらはアントーニオの師匠と言うか、その一派であると見なされる
アンドレア・ダ・ムラーノ・Andrea da Murano(生没年不詳)の、
現在ヴェネツィアのアッカデミア美術館収蔵の物。
ムラーノのサン・ピエトロ・マルティレ教会にあった祭壇画と見られ、    
1475年頃の作品と。

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かなり強い作風で、北方絵画の影響も見られる様な。



そして義理の兄弟でもあったジョヴァンニ・ダレマーニャの作品で、
こちらもヴェネツィアのアッカデミアに収蔵の祭壇画。
彼は元はドイツ人で、装飾的、北方絵画の影響が強いとあります。

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もう1枚、アントーニオが強い影響を受けたと言われる
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ・Gentile da Fabriano(1370-1427)
の「三博士の礼拝」を。

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そしてこちらが、展覧会には来ておりませんでしたが、アントーニオの
「三博士の礼拝」現在ベルリンにあるそう。

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煌びやかな表情が良く似ておりますが、こうして並べて見ると、
やはり力の違いが歴然と。



アントーニオとジョヴァンニ・ダレマーニャ合作の「玉座の聖母子」
1443年頃 現在パドヴァのディオチェザーノ博物館蔵。

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サイトからの全体像の写真は濃く写っておりますが、実際は下の
部分像よりももっと明るく美しい物で、とりわけ聖母子共に、
肌の色が涼しく、大変細やかな表現で、衣装の赤と金の部分が素晴らしく、
表情も最初にご覧頂いた聖母と比べると、随分と違いますよね?!



アントーニオの義理の兄弟ジョヴァンニは、アントーニオよりも年上
だったと思いますが、初期の作品は合作が多く、そしてお互いの良さが
上手く融合していたと思われます。

1人で一緒に参加して仕事をしたのに、パドヴァのエレミターニ教会・
Eremitaniのオベターリ礼拝堂・Cappella Ovetariの
フレスコ画があり、1448年と1457年の制作と言いますが、

この礼拝堂の仕事には、彼らよりも年の若いアンドレア・マンテーニャ・
Andrea Mantegna(1431-1506)未だ未成年の年頃だったのが、
働いていた様子。

このオヴェターリ礼拝堂のこちら部分は1944年3月に爆撃を受け、
いくらかの破片が残る位で、これは白黒写真が残っていたのに
着色した物だそう。

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蛇足ながら、エレミターニ教会の隣には、
ジョットーがあの素晴らしい壁画を残したスクロヴェーニ礼拝堂があり。

スクロヴェーニ礼拝堂 ・ パドヴァ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463179334.html



同じオヴェターリ礼拝堂の後半に描かれたマンテーニャのみの、
有名な遠近法を活用した「聖クリストフォロの殉教と遺体の運搬」は
爆撃以前に剥がされ、別の場所に保存され無事残ったという次第。

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今回ヴィヴァリーニ兄弟の事を知るのにあれこれ読んでいて、
パドヴァのサンタントーニオ聖堂の前のドナテッロ作の騎馬像、
「ガッタメラータ将軍像」も、
フィレンツェ在のドナテッロが作って送ったと単純に考えていたのが、

そうでなく、ドナテッロがフィレンツェを離れパドヴァに10年程(1443-1453)
住んで仕事をしていた事も含め、
当時のフィレンツェと比べると田舎であったパドヴァに、ルネッサンスの
空気を運んで来たのを知りました。

そんなパドヴァで仕事をし、マンテーニャを始め、その師であり養父であった
スクアルチョーネ・Squarcioneが、いわば絵画で、パドヴァの
ルネッサンスの音頭取りをし、
ここから北イタリアにもルネッサンスが広がっていった、
その時代の空気を吸い大いに刺激を受け、勉強したのであろうと想像し、
こちらもいささか興奮しました!
       
パドヴァのご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835170.html



アントーニオとの合作でよい成果を生み、パドヴァでも一緒に働いた
義兄弟のジョヴァンニ・ダレマーニャが1450年にパドヴァで死亡しており、
年代から考えて仕事中の事故死だったのかも。

彼の死はアントーニオにとって、大変な痛手であったでしょうが、
アントーニオの末の弟、何人兄弟だったのか、12歳ほど年下の
バルトロメーオが成長して来ます。
パドヴァを訪問しマンテーニャを知り、大きな刺激を受けたに違いなく、

これはマンテーニャの描いた「聖セバスティアーノ」ですが、

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こちらはバルトロメーオの祭壇画 1491年。 現在ベルガモの
アッカデーミア・カッラーラ収蔵で、
右側のサン・セバスティアーノの部分をどうぞ。
       
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大変良く似てはおり、また少し違うとも。



バルトロメーオのもう1つの祭壇画 1488年
こちらもベルガモのアッカデーミア収蔵。
    
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右端の大天使ミケーレの部分を最初に見て頂きましたが、
真ん中の聖母子が美しいでしょう?!



そして左端のサン・ピエトロ。 最初にご覧頂いたアントーニオ作
1440年の祭壇画の聖人像に比べると、ぐんと現実感が溢れる
聖人像になってきていて、半世紀ほどの違いの差が良く分かります。

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バルトロメーオ 玉座の聖母子 1465年
ナポリのカポディモンティ美術館蔵
 
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実際はこの様に派手でなく、と言っても修復による物かもですが、
大変に美しい作品で、とりわけ聖母の衣装がなんとも綺麗!
       
興味深いのは、バルトロメーオのご覧頂いた祭壇画1488年のに
比べると、脇の聖人像の顔がまだ不安定な事! 
いや、こういう見方は邪道なのかもしれませんが、
年数を描いていて良くなる、というのは安心しますです、ははは。
       


今回見た中で一番気に入った作品、本当に美しいと思ったのはこれ、
バルトロメーオの「聖母子」1465-1470

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実際はこんなに背景の赤、金箔を貼る下塗りの赤の見え方が
これほど強く見えず、顔の赤色ももっと薄く、肌の白さと衣装の黒に
近い青、そして赤色とインパクトも強く、美しさに暫し見とれました!

ただ気になったのは、アントーニオもそうでしたが、
子供の手と足の描き方で、前を向く足が異様に短く、
足首のプックリさの描き方が変に凝っている様子で。



サイトから見つけた、バルトロメーオの別の「聖母子」を。
これはワシントンにあるようですが、美しいでしょう?!
       
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そしてボストンにあるという「マグダラのマリーア」

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マンテーニャに大いに影響を受けたというものの、
辿った道は違っていた、と言うのが良く分かる気がしますね。



そしてアントーニオの息子アルヴィーゼの登場で、「聖ヒエロニムス」 
1476-1477 ベルガモのアッカデーミア蔵
人物も背景も、暗い茶色の如何にも古典的で、空の色のぼかしも!

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アルヴィーゼ  左「聖母子」1480年代 ヴェネツィアの
サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会 
右「十字架を運ぶキリスト」1475年頃 ヴェネツィア、
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂 画布にテンペラ

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当時既に油絵が画布に描かれるようになっていたのが、
彼らは板にテンペラ画で、アルヴィーゼは画布にテンペラも試み、
キリストの顔なども如何にも油絵的手法が試みられ、
劇的効果を求めてか、かなり影が濃くなっている印象を受けます。



かと思うと、またこんな涼やかというか、クールな表現もあり、
「パドヴァのサンタントーニオ」1480-1481

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これは父親のアントーニオと、叔父さんのバルトローメオとの合作の、
1458年の祭壇画ですが、

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上のアルヴィーゼの作品は、この中の男性諸聖人の薄い感じに
良く似たところがあると思ったのでした。



アルヴィーゼ 「聖母子と諸聖人たち」1500年
この表現などは既にルネッサンスの空気で、油絵風というか。

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最後はアルヴィーゼの「キリスト昇天」1497-1498

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これを最後の部屋で見た時、ほぉ~と見とれ、ティツィアーノや
ラファエッロの作品を連想しました。

同じようなのがあったっけ、と探しましたが見つからず、
きっと如何にも晴れやかなルネッサンスの空気を感じて、
後世の画家の作品を思ったのでしょう。


こちらは後になって見つけたティツィアーノ作ですが、多分この印象が
私の頭にあったものと、

tizianos-.jpg

15世紀の僅か60~70年代の絵画表現の変化が、
こんな風に一家の3人に現れているのはとても興味深く、
当時の時代の変化の激しさも想像した事でした。


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