引き続き、有難うございます!
インスブルックの街、旧市街訪問を続けます。
インスブルックの街、旧市街訪問を続けます。
煌びやかな店の看板が目を引きますが、これは左に大きな葡萄を
担いだ男2人が見えるので、酒屋かな? それとも醸造所だった?
担いだ男2人が見えるので、酒屋かな? それとも醸造所だった?

さてさて、インスブルックの街のシンボルの1つと言える
「金の屋根」ですが、こんな風に建物から飛び出したテラスで、
「金の屋根」ですが、こんな風に建物から飛び出したテラスで、

斜め向かい角には、こんな風にロココ式の凝った装飾の家
Helblinghaus・ヘルブリング邸、一般市民の住居だったと
いう豪華なのがあり、

正面側に回ると、この様に!

ちょうどこの邸宅と金の屋根の前が広場になっていて、
大きなクリスマス・ツリーと、屋台店が立ち並び、大賑わい!!
その屋台店の並んだ間の上に上れる様になっていて、
上からの眺めはこんな風。
上からの眺めはこんな風。

背後の建物はNeur Hof・チロル伯爵の邸宅として1420年頃に
建てられた物で、それにマッシミリアーノ1世が1500年の記念祭用にと、
1494~96年に取り付けさせた物と言います。
「金の屋根」と呼ばれる由来は、金を焼き付けた2657枚の
鱗型の銅の屋根板から来ていて、ご覧のように2層に。
鱗型の銅の屋根板から来ていて、ご覧のように2層に。
上階には、奥の壁にフレスコ画で、マッシミリアーノ1世と2人の奥方、
最初の妻マリーア・ディ・ボルゴーニャ(ブルターニュ)・Maria di Borgogna
と、再婚の妻ビアンカ・マリーア・スフォルツァ・Bianca Maria Sforza.
どちらがどの方かshinkaiには分りかねますが、

マッシミリアーノの宮廷生活を描いた、という事から想像を逞しくし、
最初の結婚は幸せで上手く行き彼は2人の子を得ており、
2度目の妻とは上手く行かず、子供も無かった、というので、
左側のお付女官や書記官、吟遊詩人も混じっての賑やかなのが
最初の結婚生活、右側の鷲鼻の横顔の彼と女性一人のが、
ビアンカ・マリーアと想像を。
最初の結婚生活、右側の鷲鼻の横顔の彼と女性一人のが、
ビアンカ・マリーアと想像を。
その下の木彫彩色部には、踊っている兵士達と、真ん中はやはり
マッシミリアーノの姿、そして2人の妻、の場面ですね。
マッシミリアーノの姿、そして2人の妻、の場面ですね。
蛇足ながら、2度目の妻ビアンカ・マリーア・スフォルツァというのは、
暗殺されたミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘で、
ルドヴィーコ・イル・モーロの姪。
暗殺されたミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘で、
ルドヴィーコ・イル・モーロの姪。
22歳でミラノでの盛大な結婚式の後インスブルックに、大勢の
侍女やお付き次官たちを引き連れての行程に、ひょっとして
レオナルド・ダ・ヴィンチも混じっていたのかも。
侍女やお付き次官たちを引き連れての行程に、ひょっとして
レオナルド・ダ・ヴィンチも混じっていたのかも。
というのも、最近になって彼の作かどうかと云われていた肖像画が、
真筆であると発表されたのを、皆さんも覚えておいででしょうか。
真筆であると発表されたのを、皆さんも覚えておいででしょうか。

最初の妻にも劣らず美しく、彼よりずっと若い妻だったのですが、
マッシミリアーノはちっとも彼女に愛を感じることなく、
2人の間は冷たいままで、彼女はティロルの山の城で1人寂しく過ごし、
晩年は神経性の食欲不振に陥り、38歳の若い死、衰弱死だったと。
マッシミリアーノはちっとも彼女に愛を感じることなく、
2人の間は冷たいままで、彼女はティロルの山の城で1人寂しく過ごし、
晩年は神経性の食欲不振に陥り、38歳の若い死、衰弱死だったと。
肝心のマッシミリアーノ1世、神聖ローマ皇帝にして、
ハプスブルグ家の隆盛の基となった彼に付いては、
最後に彼の廟を見ましたので、その時のご説明にしますね。
ハプスブルグ家の隆盛の基となった彼に付いては、
最後に彼の廟を見ましたので、その時のご説明にしますね。
下の部分は、真ん中に窓と、両脇にフレスコ画で旗手の姿が描かれ、
下に並ぶ紋章は、オーストリアとティロルの物と。

で、バルコニーの軒下の部分には、
こんな風に、男達の姿が格子の角にうずくまり、
うXちをしたり、おしXこをしたりなんですねぇ、ははは。
うXちをしたり、おしXこをしたりなんですねぇ、ははは。


この周辺は、まさに古い町の歴史がそのまま残る姿であり、
古い頑丈な飛び出した壁の角があったり、物見かな?

この古い扉! 扉の右下の石だけ、すり減っているのにご注目を!
つまりこちら側の扉を、出入りに常に利用していた事なのですね。

今回この古い地区を見てとても気に入ったのは、パステル・カラーで
美しく補修されているのですが、こういった古いものがきちんと使われ、
残されている事でした。
新しくモダンな新市街も広がる中心に、こういう一廓があるというのは、
自分達の町を誇りに思い、護って行く意志があるからですよね。
内側は出来る限り快適に改装しているのでしょうが、
重厚な歴史感を感じ、大変に心地良かったです!
狭い道を北に抜けて行くと、サン・ジャコモ聖堂・Dom zu St.Jako
があり、現在のは1717~1724年に建設されたもの。


内部のその絢爛豪華なバロック様式に見とれました!
はぁ、趣味ではないのですが、余りにも素晴らしく美しいと、ははは、
やはり凄いなぁ!と見蕩れますです。


良く見えませんが、上の写真の祭壇画の中央に切り抜いたように
別の聖母子像がはめ込まれているのが分りますか?
あれはルーカス・クラナッハの聖母子像なのだそう。
内陣の左右に、こんな風に御臨席があり、

金色の双頭の鷲が王冠を持ち、両足に剣を構えているので、
あれま、尻尾で立っているの?と笑えるshinkai、ははは。
あれま、尻尾で立っているの?と笑えるshinkai、ははは。
これは左側の翼部分にあったマッシミリアーノ3世の廟、17世紀。
近くの王室教会にあるマッシミリアーノ1聖廟に憧れて、と
ガイドさんの説明にあったと。


内部の柱装飾、誠に優雅で煌びやか!


入り口の上にあったオルガン。 オルガン本体は20世紀末に作られた
そうですが、18世紀初期のこの見事な箱の中に納められたのだそう。

青緑の色も美しく、こういうのを見ると、わぁ~おと声が出ますです。
ついでに、王宮見学も。 ですが、もう朝の9時から始まった見学で
いい加減草臥れ、12時頃のこの時は、もういいよぉ、という感じ、はは。
いい加減草臥れ、12時頃のこの時は、もういいよぉ、という感じ、はは。

おまけに内部の写真禁止というので、広い舞踏室や、
様々の部屋を通り抜けただけ!
これは入り口にあった、展示案内の横幕。

ガイドさんの言うには、この絵は日本人画家が描かれたのだそうで、
私は好きじゃない、との事。 でもこれはね、画家の趣味ではなく、
注文主の趣味、注文ですからね、へっへっへっ。
2階の廊下からの眺めを1枚。

大きな舞踏室には、偉大なるオーストリア女帝マリーア・テレーザの
17人だったかの子供達の肖像画が並び、
その中には、マリー・アントワネット肖像もありましたっけ。
最後に見物したのが、ここ宮廷教会の隣にあった、
現ティロル民族博物館。

内部の、多分教会付属修道院の中庭で、

ここで見たのは、マッシミリアーノ1世の記念墓所、廟。

彼の遺体はここには無く、というのも、戦争に明け暮れした彼の
町への借金不払いが余りにも多く、滞在を拒否されており、
こういう当時からの市民勢力の強さを知ると、うふうふしますが、
せっかく愛する町に眠りたいという彼の墓所準備もむなしく、
ウィーナー・ノイシュタット、ウィーンの南に墓所があるそう。
町への借金不払いが余りにも多く、滞在を拒否されており、
こういう当時からの市民勢力の強さを知ると、うふうふしますが、
せっかく愛する町に眠りたいという彼の墓所準備もむなしく、
ウィーナー・ノイシュタット、ウィーンの南に墓所があるそう。
この紋章の数々! 細部の細工の細やかさ!



マッシミリアーノ1世(1459-1519)オーストリア大公、神聖ローマ皇帝、
ハプスブルグ家の隆盛の基を築いた人物でもあり、武勇に優れ、
芸術を愛し、10ヶ国語を話し。
まさに王となる為に生まれたかの様な人物で、ちょっとあれこれ読んだ位では
到底その人物を詳しくご紹介するまでには至りませんで。
が、ハプスブルグ家の家訓は、婚姻により領土を増やす事にあったそうで、
まさに自分もブルゴーニュ家の1人娘と結婚し、ネーデルランドも獲得、
子供達もスペインのカスティーリア-アラゴン家と結婚させ、
孫に当るカルロス1世は、スペイン王、神聖ローマ皇帝となった人物、
という様に、隆盛を招いた人物だったのですね。
まさに自分もブルゴーニュ家の1人娘と結婚し、ネーデルランドも獲得、
子供達もスペインのカスティーリア-アラゴン家と結婚させ、
孫に当るカルロス1世は、スペイン王、神聖ローマ皇帝となった人物、
という様に、隆盛を招いた人物だったのですね。
ヨーロッパの王室の関係の複雑さはまさにまさにで、今回も
あれこれ読み出すと、ちょっぴり名を知っている人々に
芋づる式にずるずると繋がり、興味が尽きませんでしたぁ。
あれこれ読み出すと、ちょっぴり名を知っている人々に
芋づる式にずるずると繋がり、興味が尽きませんでしたぁ。
中の棺の浮き彫り、マッシミリアーノの生涯を語る1枚。

で、この棺を挟んで左右両脇に黒いブロンズ像が28体、
彼の生涯に影響、関連した人物像が、葬列に参加という様子で
並び、等身大以上の大きさの上、黒いので、かなりの迫力!


祭壇側は、こんな様子で、

前側から見ると、棺の上にマッシミリアーノが、祭壇を向き。

左側上部に女性達の像もあり、自身の2人の妻や、息子の妻も。

足元には名が刻まれていたのですが、到底確かめておれず、
どれがどなたか判別できませんが、
どれがどなたか判別できませんが、
こんな風に衣服の描写も凄く手の込んだもので、
でもブロンズ像で黒となると、やはりいかつい感じですねぇ。

祭壇手前左右に2体ずつあったのですが、これは左側、どなたかな?

それがです、撮っていると、ヴァレーリアが近寄ってきて、
大変失礼な事に、ははは、
大変失礼な事に、ははは、
撫でると運が付くのよ!といいつつ、するっと撫でまして、
ほらね、もう既にかなり光っているでしょう?!
ほらね、もう既にかなり光っているでしょう?!

ヴァレーリアは大体がちょっと変わった女性ですが、こっちに来て、
と言いつつ入り口近い左側の像の前に連れて行き、
ほら!と、このピカピカを見せ、

マッシミリアーノ1世の息子「美男フィリップ」像だと言い、
「運が来る」と念入りに撫で回し、横の仲間の男性2人も大笑い!!
shinkai? 撫でませんよぉ、そんなものぉ!!
で、お笑いはもう一つ、彼女が撫でたのはお目当ての像ではなく、
こちらが肝心の「美男フィリップ」王なのでしたぁ!! きゃはは。

最後に不謹慎な教会内事件でしたが、ははは、
漸くにガイドさんから解放され、お昼を食べ、買い物をし、
早くも日が傾きかける冬の午後、インスブルックの街に別れを告げ、
戻り道を辿ったのでした。

長いご案内にお付き合い頂きまして、有難うございました!
お楽しみいただけましたように!!
最後におまけの、クリスマス・カードを。
皆様、ブオン・ニャターレ!!
良いクリスマスをお迎え下さいね。
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