クリスマスももうすぐ、そして年の瀬、お正月と
皆様にはお忙しい事と存じます。
皆様にはお忙しい事と存じます。
こちらは特別の事は何もせずの一人暮らしですので、
皆さんよりは気楽すが、ただやはりクリスマスとなるとちょっと特別で、
会食の予定が幾つかありますので、お腹ごなしも考えませんと。
皆さんよりは気楽すが、ただやはりクリスマスとなるとちょっと特別で、
会食の予定が幾つかありますので、お腹ごなしも考えませんと。
とカレンダーを睨みながらブログの予定を考え、やはり年内に
インスブルックは終わりにしたい、とあれこれ考え、2回分に分ける事に。
インスブルックは終わりにしたい、とあれこれ考え、2回分に分ける事に。

と言うのも、やはりインスブルックは美しい街だったと思うのです。
アルプスの山を背後に、建物も重厚で美しく、そして建物の色が
いわゆるパステル・カラーで目に優しく、
古い中世風も、逆に近代的な物もその中にあって趣を醸し、
如何にも繁栄している街らしい賑わいや活気も感じられました。
という事で、中心街の賑わい、美しさ、歴史などなど、shinkaiが
見た物だけでも纏めて見て頂きたく、写真が多く長くなりますが、
難しい事はなしで、はは、年末間近の一時をごゆっくりどうぞ!
見た物だけでも纏めて見て頂きたく、写真が多く長くなりますが、
難しい事はなしで、はは、年末間近の一時をごゆっくりどうぞ!
トップは、ガイドさんに連れられてあっちにこっちした、
街の中心通り、マリーア・テレーザ通り。
街の中心通り、マリーア・テレーザ通り。
そして同じ通りの反対向き、夜の写真を見て頂いた凱旋門。

ちょっと通りを入り込んだ所に見えた古い建物。
壁の装飾がレトロの趣きで、一番上の階の天井が低そうなのも、
如何にも西洋風ですよね。
壁の装飾がレトロの趣きで、一番上の階の天井が低そうなのも、
如何にも西洋風ですよね。

ネオクラシック風と言うのか、重厚でしょう?


かと思うと、こんなモダンな建物に、ピッツァ&パスタとあり、
ははは、こういうのは若い人向けなんだろうか?

オーストリアの偉大な女帝の名を冠したマリーア・テレーザ通りは、
旧市街に近く幅が広く、そして車通行禁止だったと。
そしてこんなクラシックなイメージの、大きく重厚なイメージの建物、
店が立ち並びます。


店のショウ・ウインドウも、クリスマス・カラーと飾りつけで、
そしてどこかやはりティロル風。
そしてどこかやはりティロル風。


通りの真ん中に立つ塔、聖アンナの円柱と呼ばれ、1703年の
対バイエルンとフランスとの戦勝を記念し1706年に建てられたものと。

が、名の由来の聖アンナは、戦勝の日の守護聖人だったとの事で、
塔の上にいるのは聖母で、聖アンナは他の守護聖人と共に基礎部に。
今見える姿は背中側です。
何よりもこの通りの美しさ素晴らしさは、このアルプスの眺め!
常に山に向い、四季折々の美しさには敵うものが無いですよね。
常に山に向い、四季折々の美しさには敵うものが無いですよね。

インスブルック・Innsbruckの街は海抜574mに位置し、
もっと高いのかと思っていましたが! 人口は12万7千人程。
もっと高いのかと思っていましたが! 人口は12万7千人程。
インスブルックという街の名は、イン河にかかる橋、という意味で、
街の名が歴史に登場するのは1138年、現在「古い地区」と
呼ばれる一帯が、Witen修道院から伯爵Andechsに贈られた
というもので、1187年には新しいインスブルックと呼ばれる市、と登場。
街の名が歴史に登場するのは1138年、現在「古い地区」と
呼ばれる一帯が、Witen修道院から伯爵Andechsに贈られた
というもので、1187年には新しいインスブルックと呼ばれる市、と登場。
その後変遷を経て1363年にハプスブルグ家の元に入り、
1420年にはティロルの首都となり、マッシミリアーノ1世・
MassimilianoIの公的な居住地ともなり、14世紀から17世紀
にかけ大きな繁栄を迎え、という事ですが、
1420年にはティロルの首都となり、マッシミリアーノ1世・
MassimilianoIの公的な居住地ともなり、14世紀から17世紀
にかけ大きな繁栄を迎え、という事ですが、
我々には1964年、1976年と2度の冬季オリンピック開催地
として記憶に新しいですよね。
として記憶に新しいですよね。
ガイドさんはオーストリア人でイタリア語を話す方だったのですが、
自分でも「少しイタリア語が錆び付いていて・・」と言われた通り、
とても話し難そうで、すぐに「ああ・・、ええ・・、」とつかえ、
自分でも「少しイタリア語が錆び付いていて・・」と言われた通り、
とても話し難そうで、すぐに「ああ・・、ええ・・、」とつかえ、
そればかりか、通りの店の紹介をずっと続け!!皆が草臥れ
「店ばっかり・・!」とぶつぶつ言い始め、おまけになかなか先に進まない所か、
自分が持っているガイドブックを売り始めたりで!
「店ばっかり・・!」とぶつぶつ言い始め、おまけになかなか先に進まない所か、
自分が持っているガイドブックを売り始めたりで!
ちょうどこの教会の前だったもので、なかなか美しい教会でもあり、
写真を撮りつつ待ったのですが、
写真を撮りつつ待ったのですが、




◆ 追記 ◆
クリスさんがこの教会の名を教えて下さいました。
シュピタールキルヒ(Spitalskirche)というそう。
教会病院、と言う意味で、元あった病院の跡地に建てられたから、
という意味だと教えて頂きました。
クリスさんがこの教会の名を教えて下さいました。
シュピタールキルヒ(Spitalskirche)というそう。
教会病院、と言う意味で、元あった病院の跡地に建てられたから、
という意味だと教えて頂きました。
それでもまだ待たされ続け、遂に何人もが教会の中の見学に入り、
ははは、ね、中もなかなか素晴らしいでしょう?!

皆がイヤホン式のガイドを耳にしていたのですが、
のうちに1人が、先に進んでいるよ、と呼びに来てくれ、ははは。
のうちに1人が、先に進んでいるよ、と呼びに来てくれ、ははは。
そうなると、余りガイドさんの話を聞かなくなり、へへへ、
山を眺め、通りの向こうの建物を眺め。


「シャネルのN.5」なんぞと言う大クラシックが並んでいるのを見て、
どこかこの街に相応しい気がして撮ったのですが、

今クリスマス前のTVのコマーシャルにも復活しているのを見たので、
シャネル全体の商対策だったのかも。
シャネル全体の商対策だったのかも。
さて通りの奥に「金の屋根」の見える所まで来て、

街の中心部の地図をどうぞ。 左上部のイン河の右、黄色く囲まれた
一帯が最初に町が出来た旧市街ですが、

Golgenes Dacelという赤い印が、「金の屋根」の位置で、
その上、十字の印があるDom St. Jakob・サン・ジャコモ聖堂
その下 Hofburg・王宮
その斜め下 Hofkirche(王室教会)の隣に白い印を付けた所が
現在博物館で、マッシミリアーノ1世の墓所を見学した所。
その上、十字の印があるDom St. Jakob・サン・ジャコモ聖堂
その下 Hofburg・王宮
その斜め下 Hofkirche(王室教会)の隣に白い印を付けた所が
現在博物館で、マッシミリアーノ1世の墓所を見学した所。
左に折れ、如何にも中世の古い小路、という感じの通りを行き、

小さな画廊というのか、ショウウィンドウに展示されている
如何にもアルプス、という感じの絵を見ていて、

左の中ほどの絵を発見! わぉ~、風邪ひかんのかなぁ、
というshinkaiに、隣にいた仲間の男性が、
毛皮があるから大丈夫だろ、と。ははは。
というshinkaiに、隣にいた仲間の男性が、
毛皮があるから大丈夫だろ、と。ははは。

ちょっとした広場に出て、向こうの建物の窓1つ1つに
全部番号が付いてプレゼントがぶら下がっているのです。
こういうの、アドベント・カレンダー式というのかな?
如何にも12月!という雰囲気ですよね。

細い小路が続き、低い軒に見える古い天使像と、聖母像。
如何にも稚拙な荒削りが素朴で良い感じ。


こちらはアルプスの山に、ガォ~という感じのライオン君。
何屋さんだったっけ?

ビールにワインに、

薄い木の板の繊細なもの。

赤い色のリース集合。

クリムトの絵が付いたカップが良いねぇ、と撮った写真ですが、
よく見ると、茶筒の入れ物に、抹茶の容器、茶筅まで!

小路を辿り、イン河沿いの道まで出て、

橋や川向こうの建物を見ながら、そういえば26年前に来た時、
この橋の上で、市民マラソンを見たっけ、と思い出し!
確か川向こうのマリアフィルフェ通り・Mariahilfeにも行ったよね。

古い地区を振り返り。 左側の如何にも元要塞、
という感じの建物は、オットーブルグ・Ottoburgと言う様ですが、

その足元にあるこの人物像、何者かとガイドに聞きましたら、
ティロルの英雄と教えてくれましたが、何をした英雄なのかは!

◆ 追記 ◆
この英雄の名と、何をしたかも、クリスさんが教えて下さいました。
名はアンドレアス・ホーファー・Andreas-Hofer (1767-1810)で、
ナポレオンがオーストリアに侵攻してハプスブルグ家が屈服した時、
農民軍を率いて抵抗したのだそう。
この英雄の名と、何をしたかも、クリスさんが教えて下さいました。
名はアンドレアス・ホーファー・Andreas-Hofer (1767-1810)で、
ナポレオンがオーストリアに侵攻してハプスブルグ家が屈服した時、
農民軍を率いて抵抗したのだそう。
右の帽子を被り銃を持ったのが彼で、フランス軍の接近の知らせを
聞いている姿なんだそう。
クリスさん、いつも有難うございます!!
また旧市街の中心に向って引き返しますが、上の写真でも見える
この建物(正面とも)は、かっての税関で、
インスブルックの町に着いた荷は、ここに1晩置く事が義務付けられていたと。
この建物(正面とも)は、かっての税関で、
インスブルックの町に着いた荷は、ここに1晩置く事が義務付けられていたと。


建物の装飾はすべてフレスコ画で描いたもので、
かってもそうだったのか、それらしく描いたものなのか・・。
かってもそうだったのか、それらしく描いたものなのか・・。
現在建物の1階は、レストランになってましたが、上階はホテルかな?
道脇の建物の下は、どちらもポルティチと言うか、アーケード式に
なっていて、そうですよね、雪国ですものね。
軒が低いのが、如何にも歴史が古い町の感じ。

と言う所で今回はお終いで、n.2インスブルックの街、に続きます。
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