・ ドナウの真珠 ・ ブダペスト・Budapest 

今日は月1登場のグロリオーザさんに、「ドナウの真珠」と呼ばれる、
ハンガリーの美しい首都ブダペストをご案内して頂きます。

ご存知の通り、ハンガリーは東欧圏になりますが、大変な多民族国家で、
オスマン帝国統治下に、オーストリアのハプスブルグ家の統治下にも置かれ、
なかなかのみ込めない程の、変遷の歴史を重ねた国のようです。 
「ドナウの真珠」の呼び名に恥じない、美しい街並みの様子を、
素敵な写真と、コメントでどうぞ。
***

今回はハンガリーの首都・ブダペストの紹介です。
ハンガリーの国旗は上3分の1が赤、真ん中が白、下3分の1が緑と、
イタリアの国旗を90度左に回した色分けになっています。
ちなみに赤は尊い血の犠牲、白は清らかな国民の心、
緑は希望を象徴しているのだそうです。
 
イタリアとどう関連しているのでしょうか。 イタリアは、もちろん赤がトマト、
白がモッツァレッラ、緑はバジルの色ですよね?! 
(皆さん、ご存知でした?!・・shinkai)

ブダペストの街は中央にドナウ川が流れ、西側が王宮等があるブダ地区、
東が商業の中心ペスト地区と分かれています。

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両地区を結ぶ鎖橋は、1849年に国民的英雄のイシュトバーンによって
建設されたもので、優雅な姿を誇っています。
この写真は、ブダ側からペスト側を俯瞰したものです。



街の両側を繋ぐ鎖橋です。 橋の両端に2頭ずつのライオンが、
にらみを効かせています。 

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ヴェネツィア・サンマルコのライオンと、どちらがよりカッコいいでしょうかね。
この橋も、第2次世界大戦時にはナチスドイツに破壊され、
1949年に再建されましたが、1956年のハンガリー動乱では、
ソ連軍の戦車に蹂躙されました。 
1989年、社会主義との決別の時は、市民が赤白緑の三色旗を掲げ、
この橋に集結した歴史的な場所でもあります。



ドナウ川を挟んでペスト側にある、ネオゴシック様式の国会議事堂です。

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夜見ると見事にライトアップされ、ドナウに光が反射して幻想的です。

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ブダ側には、漁夫の砦といわれる変わった砦があります。
古そうに見えますが、出来たのは1905年。
中世に市民軍が外敵から王宮を守った時に、ドナウの漁夫たちが
ここで敵の侵入を防いだことに由来する名前だそうです。

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王宮付近の広場。 バックの塔は、マーチャーシュ教会です。
この教会はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフが、妃のエリザベートと共に、
ハンガリー王としての戴冠式を行った場所です。

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この時演奏された「戴冠ミサ曲」は、リストが作曲し自ら指揮をしたそうです。
エリザベートは、ハンガリーの民族衣装を着て式に臨みました。

その後もしばしばブダペストに滞在した彼女は、その絶世の美貌と共に
市民に愛され、今でもエルジェーベト橋、エルジェーベト広場など、
地名としても残されています。 
ちなみにエリザベートは身長173cm 体重48kg ウエスト50cmだったとか。



ペスト側にある中央市場の風景。 奥に山積みになっている
黄色いのはパプリカです。ハンガリー料理には、代表的なグヤーシュを
始めとして、いろんな形でこのパプリカが使われます。

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国会議事堂近くに戻った所にこんな像があり、この人はナジ・イムレ。 
ハンガリー動乱の際の首相で、ソ連軍に逮捕され、秘かに処刑されたと
いわれています。

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戦後復権し、議事堂を望む場所にこの像が建てられました。
ちょっと哀愁を帯びた表情をしていました。



ブダペスト西駅。 ここから国際列車が発着しています。  
モダンな建物は、エッフェル塔を設計した会社によって建てられたそうです。

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右側の棟にはマクドナルドが入っていて、「世界で1番美しいマクドナルドの店」
といわれますが、生意気に、室内の写真撮影が禁止になっていました。



ロバート・キャパの家。 実はキャパは、ここペストの生まれです。 
彼の伝記で「ヴァーロシュハーズ通り10番地とビルヴァックス小路の角」
という住所をみつけ、尋ねていきました。 

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が、その付近で何人に聞いても「ロバート・キャパ」という名前を知らないので、
よくよく調べたら、彼は本名が「フリードスン・エンドレ」で、
パリなどで活躍していた時代は、ハンガリーは共産圏になっており、
別世界の人だったようです。 
今でも生家には、何の表示もなされていませんでした。 
キャパはこのアパートの3階に住んでいたようです。



最後は美しい光景で終わりましょう。
夜のライトアップは、王宮と鎖橋を優雅に照らし出し、ドナウの悠久の
流れに光が揺れます。 「ドナウの真珠」と称される典型的な風景です。

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ハプスブルグ皇帝妃 エリザベス(シシー)

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***

如何でしたか、グロリオーザさんの「ブダペスト」のご案内は?
広い、雄大な空の下に広がる美しい街、というイメージですね。

遠く離れた街という感じでしたが、改めて地図をみましたら、
なんと、ウィーンからわずか東南東へ250キロ足らず!
距離的に意外と近いのにおどろきました。

グロリオーザさんは、プラハからJALのユーロバスで行かれたとの事。
バスには日本人のガイドが添乗、途中スロヴァキアで2時間程の
自由時間があり、都合7,8時間で到着。1日の内に3カ国の経験!

ウィーンからブダペストを抜けたドナウ川は、一路南下し、
セルビア・モンテネグロの国から東へ、そして遥か黒海に注ぎます。

「シシー」と呼ばれて愛された、美しいエリザベス皇后。 
実の叔母でもある姑との確執は有名ですし、ハプスブルグ家の
ラスト・エンペラーでもある夫フランツ・ヨーゼフ。 
彼は、従妹でもある彼女に我を忘れるほどの恋をし結婚。 が、
跡取りになる筈の唯一の息子は、男爵令嬢とウィーンの森で心中。
 
甥が皇太子となったものの、サラエボで殺害。 これが、
第1次大戦の引き金となり、イタリアはオーストリア統治から独立。
  
皇帝の弟のマクシミリアンは、イタリア・トリエステにある
ミラ・マーレのお城からメキシコに行き、皇帝となるものの、
かの地でわずか3年後に革命の為、銃殺刑。 
シシーも、スイスで暗殺されるという運命で、「呪われた王家」とも。
  
そしてこのブダペストでは、ナチの占領下で、
以前ご紹介したイタリア人ジョルジョ・ペルラスカが、5000人を超す
ユダヤ人を救助したのでした。 
ユダヤ人がこの街で受けた扱いについては、映画「ミュージック・ボックス」
にも描かれていましたが、このドナウ河が血で赤く染まった、程と。

ロバート・キャパ。 スペイン市民戦争時のすさまじい迫力の写真、
そして、ノルマンディの連合軍の上陸写真で一躍有名になりました。
彼の自伝「ちょっとピンボケ」にも描かれた生き様に憧れ、
死と背中合わせの戦争写真に魅せられ、その後何人の若いカメラマンが
戦場に散った事でしょうか。  
彼自身も、インドシナで行方不明となりました。 

ヨーロッパの古い街には、幾つもの歴史がまつわり、重なり、
そして必ず、それを知らぬげに滔々と流れる大河の姿がありますね。
今の時代に生まれ、生きれる幸せ、 そして
こうして遠い街を楽しめる幸せ、  感謝!!

ドナウ河が注ぐ黒海の南西には、イスタンブールが位置します。
今、ここの写真もお願いしている方がありますので、近々にご案内を!   
お楽しみにどうぞ。

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