・ チェコ ・ プラハ ・ Praga 

今日は月1度のゲスト、オルゴリオーザさんの素晴らしい写真で、
チェコのプラハにご案内いたします。
  
イタリアを離れての場所で、秋にふさわしい場所、
自分ならどこに行って見たい?と考え、
「プラハの写真は?」と尋ねると「ありますよ」と!!
という事で、私も興味のあるプラハをご案内して頂きます。ではどうぞ!

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チェコへは、ミラノ・マルペンサ空港からアリタリア航空で2時間ほど。
プラハは歴史の嵐に翻弄された街ですが、奇跡的に、街が戦火に
さらされた事はなく、中世以降の様々な建築物が美しい姿を競っています。

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街はヴルタヴァ河(ドイツ語ではモルダウ)が中央を南北に流れ、
その西側に王宮などのあるマラーストラナ地区、
東側は旧市街広場などが点在する旧市街地区、と分かれますが、
両地区を結ぶカレル橋は、チェコ最古の石橋だという事です。

プラハに着いて、夕方にケーブルカーを使って丘の上に登りました。
写真はそこから見たプラハ城の夜景。 
19世紀まではハプスブルグ家の支配下にあったところです。



王宮内にあるヴラジスラフ・ホール。 柱のない巨大な天井を
力学的に支えるリブが、花びらのような美しい模様となって、
シャンデリアの光とともに人を魅了します。
今でもここで、大統領選挙の開票が行われるそうです。

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カレル橋。 橋の上には30体もの聖人の彫像が建ち並び、
野外美術館のような美しさを誇っています。  

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ローマの、サンタンジェロ城前の橋を連想させますね。  
ここにはフランシスコ・ザビエルの像もあります。



橋では音楽の演奏があり、絵を売る人がいたり、終日賑わいます。  
夕方、橋からみたヴルタヴァ川の光景です。

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スメタナの作曲した交響詩「わが祖国」の第2楽章に、
「ヴルタヴァ」という曲がありますね。 あのメロディが聞こえる様でした。



橋を渡って東側の地区に入ると、すぐに旧市街広場があります。
ここは市民の憩いの場所。 時計塔に登って広場を見下ろすと、
こんな感じで、街並が美しい。

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旧市街広場の中央にある「ヤン・フスの像」
プラハ大学総長で、中世の腐敗したキリスト教改革ののろしを上げ、
改革半ばで火刑に処せられた英雄です。
マルチン・ルターの宗教改革より100年も前のことです。 
 
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同広場の夜。 ここも柔らかい光に包まれて幻想的なムード。  

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モーツアルトはプラハに4回も滞在しており、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」は
ここで書き上げたといいます。 映画「アマデウス」は、
実際にはウイーンではなく、プラハでロケが行われました。



同広場にあるティーン教会は重厚な塔を持ち、夜景にも映えていました。  
夜になっても人で一杯です。

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同広場を通り越して行くと、市民会館があります。
市民会館といっても、どこの市にもあるような画一的なものではなく、
この中にはミュシャ(現地ではムハ)の絵や、
プラハの春音楽祭が行われる、スメタナホールなどがあります。

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その北側の通りで、カフカは生まれました。 
今その建物はありませんが、新しい建物がカフカ記念館になっており、
カフカの顔が、壁に貼ってあります。
  
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この旅の前に街の様子を知ろうと、彼の著作「変身」を読みましたが、
この本は、虫に変身した男が部屋の中をうごめいているだけで、
全く街の描写などは出てきませんでした。 選択の失敗でした。



少し南に下ると、こんなキュビズムの建物もあります。
一瞬、飛行機でも落っこちて壊れたのかと思わせます。

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一方で、こんな優雅なドゥオモのような空間もあり、
これは、プラハ中央駅の3階にあるカフェです。  

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「プラハは百塔の街」と言われますが、建築物の競演の地でもあると。



最後に、近代史の現場ともいうべきヴァーツラフ広場のご紹介を。
広場の中央にある騎馬像は、チェコの守護聖人・ヴァーツラフ。

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1918年、チェコのハプスブルグ家からの独立宣言が
この像の前で読み上げられました。  
その後ナチス軍の占領を経て、旧ソ連の事実上の
支配下に置かれました。

1968年、時のドブチェク大統領らが、ソ連の従属から
民主化路線への脱却を図った「プラハの春」では、
この広場が公開討論の場になりました。
しかし、ソ連軍(ワルシャワ機構軍)がこの広場を戦車で蹂躙します。

20数年の時を経て1989年、共産主義体制崩壊の流れに乗って、
チェコでは非暴力により遂行された「ビロード革命」が達成され、
ハヴェル大統領は、数万人の市民で埋め尽くされたこの広場で、
高らかにチェコの解放を宣言したのです。

歴史の現場は、私の行った日は燦燦と降り注ぐ陽光に照らされて、
華やかな輝きに包まれていました。
解放宣言をした大統領の傍らには、東京五輪の体操で
金メダルを獲得した、あのチャスラフスカも同席していました。
  
彼女は体操を引退後、政治的弾圧に屈せず
反体制運動に参加しており、このあとチェコの医療福祉担当の、
大統領顧問も勤めました。

実は彼女の「今」も知りたいと思い、現地の人に聞いたのですが、
「病気で療養中」とのことでした。
しかしその後、後藤正治のノンフィクションが発刊され、
それによると「息子が元夫を殺す、という殺人事件の影響で
心の病にかかり、療養生活を送っており、
人と会うことを一切拒んでいる」ということです。

激動の歴史と、その渦中で懸命に生きた彼女の半生。
時代の過酷さと、不条理な運命のいたずらに、
胸が熱くなる思いがします。

**
  
如何でしたか、プラハのご案内は?  
こうして、かいつまんで歴史も書いていただくと、
尚の事興味深いですね。
  
ハヴェル氏が大統領になった時、「プラハの春」のドプチェク氏が、
家のベランダから身を乗り出し、集まった人々を抱擁の仕草をした事、
数年前のヨーロッパ中を巻き込んだ大洪水で、
「アマデスス」の撮影に使われたあの素晴らしい劇場が、
すっかり水に浸かり、再起不能かもというニュースが
流れましたが、その後どうなっているのでしょうか?

チェコ・スロヴァキア共和国が2つに、チェコと、スロヴァキアに分離した時も
他の共産圏支配の下にあった国の様な、流血の惨事はなく済みました。
ハヴェル氏も、大統領を2期勤めて引退され、
あの穏やかな顔と姿を、もうTVのニュースで見る事もなくなりました。

長い激動の歴史を経てきたこの美しい国、
1度は是非訪ねて見たいものです。


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