スペインの南セヴィリアから、スペイン北西にある大巡礼地
サンティアーゴ・デ・コンポステーラに向かう古く中世からの巡礼道、
ヴィア・デ・ラ・プラータ・Via de la Plata.
サンティアーゴ・デ・コンポステーラに向かう古く中世からの巡礼道、
ヴィア・デ・ラ・プラータ・Via de la Plata.
約1000kの道程をこの春35日かけて踏破して来た様子を
友人ジャコモの写真でご覧頂いていますが、その2回目を。
先回最後に、ローマ期の橋を渡り到着した街が巡礼のお祭りの最中、
子供達がローマ兵士の扮装で参加しているのをご覧頂きましたが、
昨日の橋の脇には、こんなローマのシンボル、
雌狼がロムルスとレムスの双子に乳を与える像が見え、
子供達がローマ兵士の扮装で参加しているのをご覧頂きましたが、
昨日の橋の脇には、こんなローマのシンボル、
雌狼がロムルスとレムスの双子に乳を与える像が見え、

それにしても寒そうな空の色ですねぇ!
この雌狼の像は、古くエトルスクの像と言われていたのが、
だんだん怪しくなりつつある、現状ですが、
だんだん怪しくなりつつある、現状ですが、
それはともかく、こんな像があるこの街Cáceres・カセレスとは、
一体どんな街なのかと、ちょっと検索してみました。
というのも、ジャコモのカメラに素晴らしいローマ遺跡の写真が
たくさん収められていたからでして。
一体どんな街なのかと、ちょっと検索してみました。
というのも、ジャコモのカメラに素晴らしいローマ遺跡の写真が
たくさん収められていたからでして。
巡礼道の地図をどうぞ。 セヴィリアから北に辿り2つ目の赤マルの左、
緑の四角で囲った所、Cáceres・カセレスがこの街。
大体の行程表に由ると、全35日の11日めに当たります。

大きな野外闘技場があり、席数もかなりのものですねぇ!


この立派な石組!

こんな美しい劇場跡も! 驚きました。



まったくもって、ローマ人というのは公的施設建設の天才でしたね。
2000年後の今も残るこの遺跡の素晴らしさ、美しさ!
ローマ帝国がヨーロッパを制覇したからこそ、これらの美しいのが
残っている、と考えると、う~~む、他の民族でなくて良かった!
・・なんぞと、だんだんおらが国、になっているかな? ははは。
2000年後の今も残るこの遺跡の素晴らしさ、美しさ!
ローマ帝国がヨーロッパを制覇したからこそ、これらの美しいのが
残っている、と考えると、う~~む、他の民族でなくて良かった!
・・なんぞと、だんだんおらが国、になっているかな? ははは。
カセレスの街は現在人口が9万2千人程、
街は紀元前25年に、ローマ人によって造られたそうで、
こうして素晴らしい遺跡が残っているのですね。
街は紀元前25年に、ローマ人によって造られたそうで、
こうして素晴らしい遺跡が残っているのですね。
街の旧市街は、市壁に囲まれた古い町並みが完全に残っていて、
ユネスコの世界遺産に指定されているとの事。
ユネスコの世界遺産に指定されているとの事。
こちらはローマ貴族の屋敷跡の様で、これもまた美しいですねぇ。


ジャコモの写真の並び順にご紹介していますが、
一列に並んでご挨拶のウシ君達が居て、

そして写真提供のジャコモと、その隣の石柱、
これはなんとポストなんですって!
これはなんとポストなんですって!

つまり、穴が見える所に手紙などを入れて置くと、
穴の周囲に凹みが見えますから、扉が付いていたのでしょう、
穴の周囲に凹みが見えますから、扉が付いていたのでしょう、
郵便伝令というのか、飛脚、はたまた馬車馬かも、が通って
中の物を運んだのだそう。
これは公の書類伝達だったと思いますから、切手や配達料等を
shinkaiが心配しなくても良い筈ですが、
どの程度の速さで届いたのか、
cucciolaさんが、古代の郵便制度について書いておられます。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764997.html
中の物を運んだのだそう。
これは公の書類伝達だったと思いますから、切手や配達料等を
shinkaiが心配しなくても良い筈ですが、
どの程度の速さで届いたのか、
cucciolaさんが、古代の郵便制度について書いておられます。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764997.html
これはまたカセレスの街、ウィキの写真から判断し、
マヨール広場にあるエストレージャ門。
マヨール広場にあるエストレージャ門。

ここを上ると、きっと旧市街なんだろうなぁ。
こういうのを見ると、旅の虫ウズウズ。
こういうのを見ると、旅の虫ウズウズ。
アダルーへ・Adarve小路。
標識にCALL ADARVE が見えるのですが、さて何の建物?
標識にCALL ADARVE が見えるのですが、さて何の建物?

どうやらジャコモ達は遺跡見物の後、カセレスの街に戻って
巡礼宿に泊まった様子ですね。
巡礼宿に泊まった様子ですね。
この宿の写真はカセレスのではなく、それ以前のものですが、
今回同行したこの2人は、昨年フランスからの巡礼道で、
最後の10日ほどを一緒に歩いた仲間だそう。
今回同行したこの2人は、昨年フランスからの巡礼道で、
最後の10日ほどを一緒に歩いた仲間だそう。

手前がシチリアの男性で、奥がフィレンツェと聞きましたが、
きっと昨年話が合って、では今年は南からトライしようと
なったのでしょうね。
きっと昨年話が合って、では今年は南からトライしようと
なったのでしょうね。
宿の台所でサラダを作り、フライパンで何か料理中。
さて、これは間違いなく、夜明けの出発。

荒野にこんな門と家があり、

今日も早くからお発ちですねぇ! お気をつけて行って下さいねぇ。
のお見送り連中。
のお見送り連中。

この幅広い河、多分スペインで1番長く、ポルトガルのリスボンで
大西洋に注ぐタホ河と。

またこんなローマ期の橋の遺跡があり、

古い町の坂道の小路を抜け、

塔の上に幾つもの巣を作るコウノトリ。


仔馬ちゃんも見送ってくれ、
それにしても、道は大変な上り坂の様。

曇り空の下、漸くに遠くに街が見えて来て、
今夜の宿は、あそこにしよう。

翌朝は快晴。

牛の親子が草をはみ、

またローマ期の遺跡が右に広がる道を行き、門をくぐり、

曇り空の下、小さな町の古い教会の横を通り、

また山道にさしかかり、細い小道が奥に。
道脇の木々は、漸くに新芽が出かかった所。

という所で、サンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道、
南スペインはセヴィリアからのヴィア・デ・ラ・プラータ、n.2のご案内でした。
田舎の細い道を、ただ前に向かって、どこまでも!
かなりの山道も、黙々と進む大変な巡礼行ですが、
歴史のある街には、見る楽しみの一時もあり。
かなりの山道も、黙々と進む大変な巡礼行ですが、
歴史のある街には、見る楽しみの一時もあり。
宿について清潔なベッドに横になる時、心からホッとする事でしょう。
あと2回のご案内を予定しております。 どうぞお楽しみに!
*****
今朝は恒例月初めのお墓参り、お花を換えに。
スコミーゴ村は晴れていたのに、トゥレヴィーゾにかかる頃から
霧がかかり始め、ヴェネツィアにつく頃には、まるで冬の霧景色。
今朝は恒例月初めのお墓参り、お花を換えに。
スコミーゴ村は晴れていたのに、トゥレヴィーゾにかかる頃から
霧がかかり始め、ヴェネツィアにつく頃には、まるで冬の霧景色。
少し遠くはぼわ~んと霞み、おまけに反対車線はかなりの停滞!
そして車をでると、もわぁ~んと蒸し暑く、帰り道を心配しましたが、
有難い事にほんの少しの停滞で済みました。
有難い事にほんの少しの停滞で済みました。
今夜は、いよいよユーロ2012年の決勝戦!
早めにお風呂をし身を清め、ははは、
ご飯も済ませて、ゆっくりTVの前に。
早めにお風呂をし身を清め、ははは、
ご飯も済ませて、ゆっくりTVの前に。
よっしゃぁ、頑張るぞぉ! 皆さんも、応援してねぇ!!
*追記*
あああ、イタリアが負けてしまったよぉ。
しかもねぇ、かなりの差を見せつけられてねぇ。
あああ、イタリアが負けてしまったよぉ。
しかもねぇ、かなりの差を見せつけられてねぇ。
・・うん、仕方がないよね、これが実力。
また、出直すだけ、の話ね。 頑張ろ!!
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