先回遥々またポルトガルにやって来て、素晴らしい青空の写真が
多いのに味をしめ、はは、そのまま居座る事に決め、
今回はコインブラのご案内を。
多いのに味をしめ、はは、そのまま居座る事に決め、
今回はコインブラのご案内を。
コインブラ・Coimbraと、その名が頭に浮かぶだけで、
麗しの古都、ポルトガルで一番古い大学のある街、
イネスとペードロの恋物語、哀愁に満ちたファドの響き、と次々に!
麗しの古都、ポルトガルで一番古い大学のある街、
イネスとペードロの恋物語、哀愁に満ちたファドの響き、と次々に!

コインブラに到着した日 コインブラ、 夜の探訪をご一緒に ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473959726.html
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肝心の大学内部の写真が禁止で撮れなかったのと、
他の写真の数が多く整理するのが億劫で、つまりです、
写真整理は、自分の頭の中の整理でもありますよって。
他の写真の数が多く整理するのが億劫で、つまりです、
写真整理は、自分の頭の中の整理でもありますよって。
ですが漸く2回に分けてご覧頂こうと頑張りまして、
まずはコインブラ大学の様子をどうぞ!
まずはコインブラ大学の様子をどうぞ!
上の写真は、気持ちよく晴れた初夏の朝、高台にある大学に
バスで向かう所。
バスで向かう所。
街の地図をどうぞ。

10. コインブラ大学 見える図は大学ではなく、
7. 旧大聖堂 のもの
9. 新聖堂
7. 旧大聖堂 のもの
9. 新聖堂
以前の夜散歩で見て頂いたコンサート開催のコンメルチョ広場・
Praça do Commercioは、
6. アルコ・ディ・アルメディーナ・Arco de Almedinaの左に。
Praça do Commercioは、
6. アルコ・ディ・アルメディーナ・Arco de Almedinaの左に。
大学前の広場ポルタ・フェッレーア・Porta Férreaに到着。
正面に見える門が大学の同名の門、多分鉄門という意味。
正面に見える門が大学の同名の門、多分鉄門という意味。

大変に広い、街で一番の高台にある大学前なので、
見晴らしが良かったですが、広場全体の写真は無しです。
この日は日曜の朝。 前夜仲間とはぁはぁ石段を上り辿り着いた時には、
この広場はどんちゃん騒ぎの後で、暗い中にゴミが散らかり放題でしたが、
日曜の朝、きちんと掃除が済んでおり、これには驚いたものでした。
この広場はどんちゃん騒ぎの後で、暗い中にゴミが散らかり放題でしたが、
日曜の朝、きちんと掃除が済んでおり、これには驚いたものでした。
右側の建物の屋根のとんがりと、色タイルが面白いでしょう?!
門のアップを。
この鉄柵は1634年に鋳造されたと言いますが、この門をくぐり、
大学の内庭に入ります。
大学の内庭に入ります。

こちらは広場のモザイク柄。
残念ながら、門の前にあった大きな立派なのを半分見逃し!


門の内側、内庭側からの門の様子。

内庭の北側と鐘楼。 この建物は法律学部の古くからの物ですが、
半円の石段が導く3連アーチの壮麗な入り口は18世紀の追加と。
半円の石段が導く3連アーチの壮麗な入り口は18世紀の追加と。

奥に見える塔は大学の象徴とでも言える鐘楼で、街のどこからでも見え、
3つある鐘の1番有名なのが1733年からのカブラ・Cabra、ヤギの意で、
塔ができて鐘が取り付けられて以来、代々の学生達に
そう呼ばれているのだそう。
3つある鐘の1番有名なのが1733年からのカブラ・Cabra、ヤギの意で、
塔ができて鐘が取り付けられて以来、代々の学生達に
そう呼ばれているのだそう。
内庭がちょうど工事中で柵で囲われており、広い建物全体が上手く収まらず。
こちらは奥に長く続く西側の棟で、上部茶色の飾りの見える扉部分が、
サン・ミゲール礼拝堂・Capela de São Miguelの入り口。
サン・ミゲール礼拝堂・Capela de São Miguelの入り口。

西側の棟の一番端に見えるのが、かの有名な図書館、
ジョアニーナ図書館・Biblioteca Joanina.
ジョアニーナ図書館・Biblioteca Joanina.

屋根の色が変わる位置の上に見えるのは、この石像。

古くからの大学の学部などを象徴する像でしょうか?
色タイルの丸い瓦の様子、面白いですね。
建物に沿って西側に移動した所からの正面の様子。

石段を上り、上の廊下テラス、いわゆるラテン回廊と呼ばれる、
かってはラテン語しか使えなかった場所との事で、
皆喜んで記念撮影をしたりしましたが、ははは、
かってはラテン語しか使えなかった場所との事で、
皆喜んで記念撮影をしたりしましたが、ははは、
1階の扉横に、法学部の文字。

内庭の南にある石像が、法学部の建物に向かい合っているのが、
どなたか分からず、半ば意地になって探しまわり、ははは、
はい、漸くに! イェイ!
どなたか分からず、半ば意地になって探しまわり、ははは、
はい、漸くに! イェイ!

ジョアン3世・João III (1502-1557)
彼の治世時は、ポルトガルは最高の繁栄期にあったというのですが、
異端審問を始めた事でも歴史に名を残します。
彼の治世時は、ポルトガルは最高の繁栄期にあったというのですが、
異端審問を始めた事でも歴史に名を残します。
で、なぜ彼の像がここにあるかと言いますと、
コインブラに創設の大学は、後にリスボンに移されたりまた戻ったりですが、
1537年の彼の命により、最終的にコインブラに戻った功績によるものと。
コインブラに創設の大学は、後にリスボンに移されたりまた戻ったりですが、
1537年の彼の命により、最終的にコインブラに戻った功績によるものと。
コインブラ大学について、ほんのちょっぴりの歴史を。
ポルトガルで1番古い大学、と書きましたが、
創設は1290年の3月、ヨーロッパでの最古の大学の1つとして、
ポルトガル第6代の王ディニス1世・Dinis I(1261–1325)により。
大学のそもそもの前身はリスボンにあった様なのですが、
1354年にコインブラに設置され、その後リスボンとの間で行ったり来たり、
遂に1537年、上記の通り最終的にこの街に。
教授陣の優秀さとも合いまって、大学も、街の経済も発展を遂げる事に。
最初の学部は芸術、教会法、市民法、薬学でしたが、
・Artiという学部の訳が芸術で良いのかどうか、
多分、文学もこれに含まれるかと思うのですが。
1354年にコインブラに設置され、その後リスボンとの間で行ったり来たり、
遂に1537年、上記の通り最終的にこの街に。
教授陣の優秀さとも合いまって、大学も、街の経済も発展を遂げる事に。
最初の学部は芸術、教会法、市民法、薬学でしたが、
・Artiという学部の訳が芸術で良いのかどうか、
多分、文学もこれに含まれるかと思うのですが。
現在は8学部に増え、設置場所も大きく3か所に分かれ、
約22000人の大学生、街の人口15万人弱に大きな割合を占める、
まさに大学生の街、と言えるかも。
学生達は伝統に従い黒マントを纏い、各学部を示す色リボンを付け、
と有名ですが、60年代の独裁政権時代に、治外法権的な
役割を果たした学生達の家の存在でも有名です。
約22000人の大学生、街の人口15万人弱に大きな割合を占める、
まさに大学生の街、と言えるかも。
学生達は伝統に従い黒マントを纏い、各学部を示す色リボンを付け、
と有名ですが、60年代の独裁政権時代に、治外法権的な
役割を果たした学生達の家の存在でも有名です。
コインブラ大学出身の著名人はたくさん居るのですが、
shinkaiが知る、このブログに関連しては、
詩人カモンイス、カモイーシュ、ロカ岬に碑が残る彼もで、
正式な記録はないらしいですが、当時唯一の大学があった
このコインブラで学んだろう、と。
shinkaiが知る、このブログに関連しては、
詩人カモンイス、カモイーシュ、ロカ岬に碑が残る彼もで、
正式な記録はないらしいですが、当時唯一の大学があった
このコインブラで学んだろう、と。
さて、建物のご案内に戻りまして、
こちらは西棟のサン・ミゲール礼拝堂の入り口上部。
1521年の建設で、マヌエル様式と呼ばれる装飾がみられますが、

こちらは西棟のサン・ミゲール礼拝堂の入り口上部。
1521年の建設で、マヌエル様式と呼ばれる装飾がみられますが、


マヌエル様式というのは、ポルトガル独特の過剰装飾で、
内庭の石像のジョアン3世の父親マヌエル1世・Manuele(1469-1521)
の時代に始まった装飾様式。
大航海時代により世界各地から様々な情報が集まり、新しい物への
好奇心も綯い混じり、植民地からの膨大な富を使い、
独特の手の込んだ装飾が好まれ、始まった物で、
下の写真に見える天球儀もその典型的特徴の1つ。
好奇心も綯い混じり、植民地からの膨大な富を使い、
独特の手の込んだ装飾が好まれ、始まった物で、
下の写真に見える天球儀もその典型的特徴の1つ。
これはジョアニーナ図書館の扉上部の大きな紋章で、
18世紀初期、建設に資金を出したジョアン5世・João Vの物。

見学時間の為に暫くこの辺りで待ったのですが、
その時に目に止まった、異様な顔を、ははは、どうぞ。

その時に目に止まった、異様な顔を、ははは、どうぞ。


如何にも東南アジア的でしょう?!
では、大学の図をおさらいに。
打った番号がバラバラになってしまい、すみません。

右下8の鉄の門から内庭に入り、
1. がラテン通路、またはラテン回廊のアーチ、
9. 鐘楼
5. サン・ミゲール礼拝堂入り口
6. ジョアニーナ図書館の奥の壁
館内は写真禁止で、内部はガイドブックとサイトからのでご覧頂く事に、
1. がラテン通路、またはラテン回廊のアーチ、
9. 鐘楼
5. サン・ミゲール礼拝堂入り口
6. ジョアニーナ図書館の奥の壁
館内は写真禁止で、内部はガイドブックとサイトからのでご覧頂く事に、
2. 決議の大部屋・Sala Grande dos Actos
または帽子の間・Sala dos Capelos
または帽子の間・Sala dos Capelos

ここは大学の大きな儀式の部屋として使われているそうで、
壁を飾る肖像画は歴代のポルトガル王、
その下、壁沿いに並ぶ椅子は教授たちの席。
壁を飾る肖像画は歴代のポルトガル王、
その下、壁沿いに並ぶ椅子は教授たちの席。
中にも入れず、上部を巡る通路から覗くだけでしたが、
天井部分が大変に特徴あるもので、部屋全体も大変素晴らしく、
ここは写真を撮れないのが本当に残念でした。
天井部分が大変に特徴あるもので、部屋全体も大変素晴らしく、
ここは写真を撮れないのが本当に残念でした。
鐘楼の左側に印の付いた部屋、救急診療所とでも・
Sala do Exame Privado.
私的な、と付いているのは、大学内クリニックの意と。

写真はここの天井に1701年に描かれたフレスコ画で、
壁の上部、帯状に教授陣の肖像画があるそう。
壁の上部、帯状に教授陣の肖像画があるそう。
サン・ミゲール礼拝堂内部、17~18世紀の装飾で、
これは内部にある素晴らしいオルガンの装飾天使像と。

さて、お待たせいたしました。
コインブラ大学見学の目玉の1つ、ジョアニーナ図書館をどうぞ。
コインブラ大学見学の目玉の1つ、ジョアニーナ図書館をどうぞ。
上記した様に、18世紀の初めにジョアン5世により建設された
バロック様式の豪華絢爛の図書館で、奥の部屋に見える肖像画が彼。
バロック様式の豪華絢爛の図書館で、奥の部屋に見える肖像画が彼。

金と高価な木材、異国趣味の装飾で、蔵書は30万冊と!
ですが、現在はほぼ博物館の存在の様。


という所で、外の空気、高台からの外の景色をどうぞ!
内庭のジョアン3世の石像と、街の西側を流れるモンデーゴ河・Mondego
そして背後に見える斜張橋のライハ・サンタ橋・Ponte Rainha Santa.
そして背後に見える斜張橋のライハ・サンタ橋・Ponte Rainha Santa.

こちらは街の下町と対岸を結ぶサンタ・クララ橋・
Ponte de Santa Clara.
Ponte de Santa Clara.

対岸の上方、細長くのびる白い大きな建物が見えますね。
あれが見学にも行った、サンタ・クララ修道院。
あれが見学にも行った、サンタ・クララ修道院。
サンタ・クララ橋のすぐ袂部分。

大学の儀式の間・帽子の間から外回廊に出て、細い通路を通りますが、
そこからの眺めがこんな様子で、
そこからの眺めがこんな様子で、
そう、コインブラ大学は街の一番の高台にあるのがよくお分かりでしょう?!
建物の隙間から見えた新聖堂。

大学のすぐ足元、北側の部分。

そして、こちらが旧聖堂。 次回にご案内を。

外の通路を歩いている時ブィ~ン、ブィ~ンと。 これは何、パラ飛行機?!

何度も我らの頭の上を通り、皆がわぁ~いと手を振り、
写真を少し大きくしましたら、ははは、彼らも手を振っておりましたぁ!
という青空の写真で、今回のご案内をお終いに。
またの続きをお楽しみに、お願いいたします!!
またの続きをお楽しみに、お願いいたします!!
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