夏の週末でもあり、今日は大西洋に臨む青い蒼いナザレ・
Nazaréの海をご覧下さいね。
Nazaréの海をご覧下さいね。
先回ご覧頂いた修道院のあるアルコバッサのすぐ近く、
西に13K程の距離にあります。

町に到着というよりも、浜を望む崖上に到着し、ぐるっと迂回しながら
下の町に下って行きますが、

写真に見えるこの張り出した岩とその上にある家々、
ここもナザレの町に含まれ、ほら、石段が続いているのが見えますね。
素晴らしく青い海を見下ろしながら下るのが素敵でしたが、
急傾斜のカーヴで揺れ、立ち並ぶ家々で写真が撮れず残念。
急傾斜のカーヴで揺れ、立ち並ぶ家々で写真が撮れず残念。
かなりの距離を行き、この小さな港辺りでぐるっと回り、
浜辺の道を町の中心に向かいます。

浜が長い! 素晴らしく青い海を見ながら、町の中心に向かいますが、

こんな様子や、

こんなのや・・、 これ、どこかユーモラスでしょう?!
中年ご夫婦が浜に避難場所を探しているようにも見え、
向こうには、どなたか行き倒れているし!! ははは。
向こうには、どなたか行き倒れているし!! ははは。

ナザレはかっては漁師の村で、色とりどりに塗られた船も有名ですが、
今のこれは浜に置かれた展示用と。

ほら、これ! 我ら日本人には大変なじみ深い光景、
魚を干していて、かなりの干し場がありましたが、何の魚かな?
魚を干していて、かなりの干し場がありましたが、何の魚かな?
ポルトガル人ガイドも、干し魚がとても美味しいと言いましたから、
魚喰い民族の舌は同じかも、ですね。
魚喰い民族の舌は同じかも、ですね。

で、テント村が始まり、
彼女が棒で風よけを作っていますね。 他にもこういう自作の屏風を
かなり見かけましたから、やはり大西洋を渡って来る風が強いのですね。
かなり見かけましたから、やはり大西洋を渡って来る風が強いのですね。

町の中心に近づくと、こんな色鮮やかなテント小屋が立ち並び、

ガイドが、ほら、土地のシニョーレ、と教えてくれた
衣類黒一色のお年寄り。
衣類黒一色のお年寄り。
ふふ、ゴム草履の花緒まで黒いね。

まずは腹ごしらえで、細い路地にある食堂に。
食べた物はまた纏めてご覧頂くつもりなので、
この時に食べた鰯のグリルのみを。塩焼きで、美味しかったぁ!!

ちょうど目刺し位の大きさの鰯と、茹でたジャガイモ、
サラダも付いて、これで6エウロ!
この前にパンとバターが出て来て、ビールをお伴に鰯を待つ間に
しっかり食べ・・、お代は全部で10エウロ位!
最後にサーヴィスで食後酒の甘くて強いお酒、勿論クイッと。
鰯のグリル、ここナザレでは6エウロでしたが、
もっと南に下った観光地のエストリルでは9,5エウロ。
仲間が食べるのを見ると、茹でジャガイモは同じでもサラダ無し。
リスボンで見たメニューでは10エウロだったと。
土地の物価が良く分かるお値段でしょう? ははは。
もっと南に下った観光地のエストリルでは9,5エウロ。
仲間が食べるのを見ると、茹でジャガイモは同じでもサラダ無し。
リスボンで見たメニューでは10エウロだったと。
土地の物価が良く分かるお値段でしょう? ははは。
さて、元気になって、浜に出かけます!
広い浜は、まだこれ位のぱらぱらの人出。
突き出す岬の先っちょには、要塞跡らしきもの。


我々が行ったのは6月20日で、もうシーズン中ですが、
ちょうどお昼のすぐ後だったから、と再度バス集合の時に分かりました。
ちょうどお昼のすぐ後だったから、と再度バス集合の時に分かりました。
その頃には、浜がたいへん賑やかになっていましたから。
とはいえ、日本の、イタリアの浜に比べますと、ねぇ。
とはいえ、日本の、イタリアの浜に比べますと、ねぇ。
可愛いボクとママ。

余りのお天気の良さと浜の綺麗さに、堪らずにズックを脱ぎ。

少し色が濃い目の細かい砂、とはいえ、見えますか、
日本の浜の方がずっと砂が細かいと。
暖かくて気持ちがよく・・、ああ!
でもしっかりカメラを構えていましてね、はは、こういうのも勿論!

浜から見上げるナザレの町の高台、シティオ・Sitio地区と言い、
最初に見えた石段のこちらにケーヴルカーもあり上の町と連絡を。
最初に見えた石段のこちらにケーヴルカーもあり上の町と連絡を。

シティオの海側に突出す部分。 凄い岩!

ナザレという町の名の由来は、
キリストの生まれはイスラエルのナザレですよね。
で、母のマリアの像が紀元後4世紀頃にこの村に流れ着き、
そこからナザレという名になった、という伝承があり、
その像を祀るノッサ・セニョーラ・デ・ナザレ教会・
Nossa Senhora de Nazaréが高台の町中にあるそう。
Nossa Senhora de Nazaréが高台の町中にあるそう。
そうですね、フランスのプロヴァンスでも海沿いの町には
海からXXが来た、流れ着いた、という伝説が残るのを聞きましたが、
海は人と陸とを隔てもし、また結ぶ物でもあるのですね。
昔の人もそれを知っていて、そんな伝説が生まれたのでしょう。
海からXXが来た、流れ着いた、という伝説が残るのを聞きましたが、
海は人と陸とを隔てもし、また結ぶ物でもあるのですね。
昔の人もそれを知っていて、そんな伝説が生まれたのでしょう。
ヨーロッパ大陸の最西端 ロカ岬 ・ ここに地が果て、海が始まる
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067791.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067791.html
大西洋の波!

波がかなり大きく、何回かに1度どっぱ~~んと高い大きなのが。
うっかり近づいた仲間が腿まで埋まってね、ははは。

ね、力強い波でしょ? 砂が巻きあげられています。
これはブログ初公開、shinkaiのアンヨ。

砂も暖かく、波も冷たくなくて気持ちが良く、
波に追いかけられ、きゃぁきゃぁと走って逃げる写真を
しっかり撮られておりましたが、それは公開できませんです。
で、・・生ビールが飲みたくなりません?!
波に追いかけられ、きゃぁきゃぁと走って逃げる写真を
しっかり撮られておりましたが、それは公開できませんです。
で、・・生ビールが飲みたくなりません?!
ね、素晴らしい浜でしょう?! 幅も広く、そして長~いのです。

ずっと下った町の南端に、ちょっと突き出したぺデルネイラ・
Pederneiraという地域があり、
その辺りがかって最初に漁村が出来た場所と。
Pederneiraという地域があり、
その辺りがかって最初に漁村が出来た場所と。
セピア色の絵葉書を見て頂いた時に、漁船が浜から漕ぎだすのを、
後ろから押す男達の写真がありましたが、
ガイドの説明では、戻って浜に引き上げるのに、昔は男達と牛で曳き、
次にはトラクターを使う様になり、
そして今は小さな港が出来ていましたね。
日本でも、昔は村の女達も出て引き揚げたと聞きますものね。
セピア色の絵葉書で ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067635.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067635.html
バスに引き上げながら、最後にもう1枚。
はい、上は白、下はピンクでした。

バスで、中心広場を抜けて行きます。
この辺りはヴァカンス観光地となり、こんなモダンな建物が立ち並び。

この辺りはヴァカンス観光地となり、こんなモダンな建物が立ち並び。


お昼を食べたちょっと入り込んだ場所の小路とか、少し奥の方まで
行ったというジュリアーナの話でも、まだまだ昔風の家が残っていたと。
ゆっくりお昼を食べ浜で遊んだので、奥まで見に出かける
余裕がありませんでしたが、美味しい鰯も食べ、
大西洋の浜で遊んだので良しとしましょ。
バスから見かけた土地の黒い服を身につけた老婦人。
かっては、既婚女性が黒を着たのだそう。
かっては、既婚女性が黒を着たのだそう。

右に見える女性も、どこかしら土地の伝統的装いと。
スカートの下に何枚も、時に10枚以上ものペティコートを
つけていたといい、確か戦後になり7枚まで、と決められたとか。
スカートの下に何枚も、時に10枚以上ものペティコートを
つけていたといい、確か戦後になり7枚まで、と決められたとか。
2枚撮ったのにどちらもブレていて、済みまへん。
高台への道を辿りながら、細い路地が海に抜けるのを何度か眺め、
ああ、と悔しく思いつつバスに揺られ。
ああ、と悔しく思いつつバスに揺られ。
最後にもう一度、ナザレの蒼い海と波と浜をどうぞ!

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