・ ドゥブロヴニク ・Dubrovnik・ アドリア海の真珠

今日は月1ゲストのグロリオーザさんのご案内で、
アドリア海を挟みイタリアの向かいに位置するドゥブロヴニクの
ご紹介を、素晴らしい写真と、彼のコメントでどうぞ!     
***
    
この夏クロアチアの最南部に位置するドゥブロヴニク・Dubrovnik
に行ってきました。
「アドリア海の真珠」といわれるこの街は、世界遺産に登録の、
とても美しい場所でした。 輝かしい街を、どうぞご覧下さい。

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「地上の楽園を見たければ、ドゥブロヴニクにおいでなさい」
イギリスの劇作家バーナード・ショーがこう記したように、
旧市街のプラツァ大通りは、このように輝いていました。

撮影時間は午前5時過ぎ。 本当は夜に撮影しようとしたものの、
午前0時を過ぎても人通りが途絶えず、翌朝出直して
撮ったものです。
夏の、無人の大通りの写真は、珍しいはずです。



ドゥブロブニクへは、イタリアのバーリ・Bariという街から船で渡りました。
前日の夕方、乗船したフェリーを夕焼けが包んでいました。

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出航して約8時間後、クロアチアの大地が見え始めたところです。

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旧市街の全景。 城壁に囲まれているのがわかりますね。
一周約2キロ。 1時間あれば、ゆったりと周れます。

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城壁に昇ると、まず初めにプラツァ大通りが俯瞰できます。
メインストリートは観光客で一杯です。

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通りのアップ。 上の写真は順光で、前方に影ができているのに、
アップにすると、逆光のように影が手前側に出来ています。
光を受けた建物からの反射光で人影が、ピカピカにすり減った
大理石の路面に映っているのです。

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旧市街の脇はすぐ海。
海水浴の若者たちの前方を大型船が通っていきます。

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滞在中は連日快晴。 
洗濯物も万国旗のように広げられていました。

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旧市街を出るとすぐ、北側は急勾配の坂道になります。
とてもドラマチックな展開です。

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東側には、13~18世紀にかけて自由貿易の一大拠点として
栄えた旧港が開けます。 美しい海の色です。

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光の角度によって、その色はさまざまに変化します。

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大聖堂。 8月15日の夜には聖堂内のマリア様の額絵が担ぎ出され、
市内を一周しました。 この日は聖母被昇天の日でしたね。

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大通りに面した教会は聖ヴラホ教会。
ライトアップされて、一際目立っていました。

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大通りの賑わいは、まるで渋谷のセンター街のようでした。

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夜の小路。 後方に、城壁の要塞が見えます。

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帰り道、子猫と遊ぶ少女に会いました。

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その階段から望む、イグナチオ教会。

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イグナチオ教会の天井を飾るフレスコ画です。

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階段下の広場では、毎日朝市が開かれています。
ここで買った桃がうまかった。

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旧市街から少し離れたロブリエナッツ要塞。

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この街は16年前の1991年に、大きな不幸に見舞われています。
独立を宣言したクロアチアに対して、セルビア、ユーゴスラビア軍が
1日で2千発もの砲弾を撃ち込み、街の8割が破壊されました。

以後4年間にわたって戦争状態が続き、街は荒廃。
一時は、世界遺産の危機遺産リストに挙げられましたが、
市民の努力でここまで復興しました。
       
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旧市街に入るピレ門と反対側のプロチェ門には、この様に破壊された場所を
示す地図が掲示され、また、市内のスポンザ宮殿内には当時の写真、
犠牲になった人たちの顔写真がずらりと掲示されています。

私が泊まった宿の女主人も「クロアチアは小さな国だけれども、
とても大きな歴史を背負っているんですよ」
と、当時の生々しい話をしてくれました。



破壊の痕跡は至る所にありましたが、代表的なものの1つ、
背後の山の山頂にあった、ケーブルカーの跡です。
今はもちろん使われていませんが、
あの歴史を忘れまいと、痕跡はそのまま残されています。

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ロブリエナッツ要塞の入口に、ラテン語で文字が刻まれています。
意味は「あらゆる黄金をもってしても、自由を売るは正しからず」

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外交戦略によって自由を貫いてきたこの街の歴史を垣間見る気持ちでした。  
   
  
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如何でしたか、グロリオーザさんご案内のドゥブロヴニクは?!
かってはユーゴスラヴィア連邦で、現在はクロアティアの、
アドリア海に沿って細長く伸びる南西部に位置します。

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この地図は、塩野七生さんの「海の都の物語」から拝借しましたが、
「ラグーザ」という下線を引いているのが、ドゥブロヴニクの事で、
その南西、イタリア側にバーリがあり、フェリーで8時間の航海だったそう。

かってのヴェネツィア共和国は、アドリア海沿岸のあちこちに、
寄港地を設け、ヴェネツィア湾 と呼ばれるほどの整備を調え、要塞を設け、
このドゥブロヴニクも「小さなヴェネツィア」の面影があるとか。

クロアティアにヴァカンスに出かけた息子夫婦が買って戻った観光ヴィデオには、
しっかり日本人グループが写っており、私を驚かせ、ガックリも! ははは。
皆さんも、どうぞ負けずにお出かけ下さ~い!!


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