暑い暑いと嘆いておりましたが、一足飛びに涼しくなった
こちら北イタリアです。
秋となると、早速に気持ちが向くのはおふら~んすで、はは、
まだ整理ご案内し残しの南仏編から、
こちら北イタリアです。
秋となると、早速に気持ちが向くのはおふら~んすで、はは、
まだ整理ご案内し残しの南仏編から、
小高い岩山の上の古くからの町ゴルド・Gordesをご覧下さい。
写真はガイドブックからで、全体が良く見える物を。

というのも訪問したこの日、時に薄日が射すものの、パラッと
小雨が来たりの薄曇りで、写真が一体に暗めになり、
ご容赦願うためにも、まずこれを。
ゴルドはどこにあるか、地図をどうぞ。
アヴィニョン・Avignoneから東に40k程ですが、
アヴィニョン・Avignoneから東に40k程ですが、

国鉄だと南西に見えるカヴァイヨン・Cavaillonが最寄り駅と。
我々は先にご案内したセナンク修道院・Abbaye de Sénanque
を訪問した時に寄りました。
南仏全体のご案内はこちらから
ここから少し暗くなりますが、私の写真でどうぞ。
小高い山の上に位置するので、ぐるっと町を見ながら迂回し
近づく所、この姿がなんとも言えませんねぇ!
近づく所、この姿がなんとも言えませんねぇ!


天然の岩山と崖を利用し、また中世において町を取り囲む
城壁も造られ、何層にも重なった眺め。
城壁も造られ、何層にも重なった眺め。
町を一旦通りすぎ、裏から入る格好で中心の広場に。
来る時に見えた高台のお城、要塞がこれ。

広場を囲み、バールやスーヴェニール店が並び、
中心には戦没者慰霊碑。
中心には戦没者慰霊碑。

町の歴史については、ほんの少し読んだだけですが、
周囲を見はらすこの高地に生活する町の人々の意識は、
激しいミストラルが吹きつけるというこの一帯全てなのか、
はたまたフランス人自体がそうなのか、
かなり激しい頑固一徹さ、という感じを受けました。
中世においても負けずに戦ったり、教皇庁が移された
アヴィニョンに近いにもかかわらず新教徒を受け入れるとか、
第2次大戦時のレジスタンス戦でも激しく戦い、
その為に村が破壊される憂き目にも合い、という様子で、
この戦没者記念碑もそんな謂れが込められているようです。
周囲を見はらすこの高地に生活する町の人々の意識は、
激しいミストラルが吹きつけるというこの一帯全てなのか、
はたまたフランス人自体がそうなのか、
かなり激しい頑固一徹さ、という感じを受けました。
中世においても負けずに戦ったり、教皇庁が移された
アヴィニョンに近いにもかかわらず新教徒を受け入れるとか、
第2次大戦時のレジスタンス戦でも激しく戦い、
その為に村が破壊される憂き目にも合い、という様子で、
この戦没者記念碑もそんな謂れが込められているようです。
広場を囲む、古い古い小さな教会の鐘楼。

単なるスーヴェニール店のみならず、手工芸品店や画廊が目につき、
あれこれ覗きましたが、明日ご案内のその2で、また見て頂きますね。
あれこれ覗きましたが、明日ご案内のその2で、また見て頂きますね。

最初ご覧頂いた広場に面する角をぐるっと回り込むと、
お城の入り口があり、12世紀の城跡に建てられて残るこの姿は、
14世紀の丸い塔が2つ残るもので、
左側の塔の上には石落としも見える、実戦向けの要塞。
お城の入り口があり、12世紀の城跡に建てられて残るこの姿は、
14世紀の丸い塔が2つ残るもので、
左側の塔の上には石落としも見える、実戦向けの要塞。

南側と中庭からも見える大きな窓の並び。 ステンドグラスが
入っているのが見えますが、一旦中庭まで石段を上がったものの、
なにせ見物時間がないので、そのまま引き返します。
入っているのが見えますが、一旦中庭まで石段を上がったものの、
なにせ見物時間がないので、そのまま引き返します。

お城の中には美術館があり、全長23mもの大広間や、
美しい大きな暖炉なども見れるそう。
美しい大きな暖炉なども見れるそう。
城の南側には、大樹や泉のある落ち着いた広場があり、
観光客がテラスのバール席で休んだり、子供たちが走り回り。


広場の端に、こんな小路が奥に誘う口を広げていますが、
奥に古い大きな鐘楼も見えます。

小路はこんな様子。
広場の奥にも画廊が見えましたが、この右にも画廊が。
広場の奥にも画廊が見えましたが、この右にも画廊が。

だらだらと石畳の道を下ると、教会があり、

入り口扉の握り、骨董でもあり、可愛くもあり。

内陣に向かい。

プロヴァンスのあちこちで見た教会内部の壁の色と柄。
イタリアとまるで違う色と装飾柄に大変強烈な印象を受けました。
イタリアとまるで違う色と装飾柄に大変強烈な印象を受けました。
天井部分の水色、アーチの飾り部分と、後陣部の柄のある赤、
身廊アーチの上の部分のグリーンと柄。
こういうのはイタリアにはありませんね。
身廊アーチの上の部分のグリーンと柄。
こういうのはイタリアにはありませんね。
脇に幾つか並ぶ礼拝堂の一つ。

入り口側、上部にオルガンがあり、壁も柄で埋め尽くされ。

脇にあった像、これはジャンヌ・ダルクですよね?

教会の名前と建設の年代を探し、市のサイトにほんの少し
説明があるのが見つかりました。
説明があるのが見つかりました。
元々はロマネスク様式の教会で、ノートル・ダム・聖母に献呈
されていたのが、18世紀に再建され、
町の守護聖人San Firminに捧げられたものと。
されていたのが、18世紀に再建され、
町の守護聖人San Firminに捧げられたものと。
村は農業のみならず養蚕も盛んで、染色や皮革の職人が集まり
栄えたという歴史も持つようですが、それを反映してでしょう、
教会の中の礼拝堂の一つは、皮のサンダル職人の守護聖人に、
もひとつは鍛冶職の守護聖人への献呈だそう。
栄えたという歴史も持つようですが、それを反映してでしょう、
教会の中の礼拝堂の一つは、皮のサンダル職人の守護聖人に、
もひとつは鍛冶職の守護聖人への献呈だそう。
中世において、プロヴァンス伯側に入りフランス国と戦ったという
歴史を持つ様ですが、教会が18世紀の再建という事であれば、
ジャンヌ・ダルクの像があっても不思議はないですね。
歴史を持つ様ですが、教会が18世紀の再建という事であれば、
ジャンヌ・ダルクの像があっても不思議はないですね。
気がつきませんでしたが、壁に帆立て貝の形が彫り込まれていて、
これはスペイン北西のかのサンチャーゴ・デ・コンポステーラへの
巡礼地への道筋に当たっていた事を示すものだそう。
これはスペイン北西のかのサンチャーゴ・デ・コンポステーラへの
巡礼地への道筋に当たっていた事を示すものだそう。
教会前をだらだらと下って行くと、奥に素晴らしい見晴らしの場所があり。

狭い小路の両脇には古い家が残り、修復も趣のある壁を一部残したり、

道を下から見上げるとこんな感じ!

道の中程、この写真では右になりますが、
この町の守護聖人の名を冠された、こんな地下蔵を見物出来る
博物館がある様子。 日本語のオーディオガイドも用意されていて、
時間があったらなぁ!
博物館がある様子。 日本語のオーディオガイドも用意されていて、
時間があったらなぁ!

辿る石畳の道はこんな様子で、いかにも、の古さを物語ります。

リュべロン山脈と向かい合い、クーロン平野に臨む岩山の上、と
ガイドブックにあり、町の最高の海抜が635m、
どの方角からも、素晴らしいパノラマが開けます。
ガイドブックにあり、町の最高の海抜が635m、
どの方角からも、素晴らしいパノラマが開けます。

町は石畳の小路が坂を上り下りする、中世を偲ばせる趣ある町。
フランスの一番美しい村にも選ばれているそうで、
それが素直に納得できる興味深さ、美しさです。
次回は、絵や写真のモチーフに事欠かない町の中の様子を
ご覧頂きますね。 お楽しみに!
ご覧頂きますね。 お楽しみに!
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント