・ ドージェ(ヴェネツィア共和国総督)のサングラス 

今日はちょっと小話的な、はたまたゴシップ的な話題も含め、見て頂きますね。
昨夏ドロミーティの麓、ティツィアーノの生家のある事でも有名な
ピエーヴェ・ディ・カドーレ・Pieve di Cadoreに行った時、
興味深いものを見ました。

ティツィアーノの生家博物館のある坂道を下った所に、眼鏡博物館・
Museo dell'Occhialeがあり、
何気なく見たホテルの受付のパンフレットに、ドージェの眼鏡・Occhiali da Dogeと。
このパンフレットがそれですが、明らかにサングラスと分りますよね?

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えっ、ドージェ・ヴェネツィア共和国総督がサングラスを?!
歴史の中における様々な物・者の関連を良く知らないshinkai、
ちょっと驚き興味を持ち、見に行ったと言うわけですが、展覧会タイトルは、 
「ドージェの眼鏡 18世紀ヴェネツィアにおけるサングラス」

今回知ったのは、この展示会はピエーヴェ・ディ・カドーレ以前に、同じく昨夏
ヴェネツィアのマルチャーナ図書館で開催された様子。
サイトは https://marciana.venezia.sbn.it/mostre/occhiali-da-doge-gli-occhiali-da-sole-nella-venezia-del-settecento



正面に見える大きなガラス張りの新しい建物が眼鏡博物館で、
前の道を左に上っていくと、ティツィアーノの生家博物館。

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この一帯の地場産業で有名な眼鏡メーカーの願いから、1990年に開館した様で、
ガラス張りのモダンな展示部分は2007年から。



様々な眼鏡の展示は勿論、眼鏡の歴史、製造法方なども含め、
大人も子供も楽しみつつ学べる博物館のようでした。

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サイトはこちらに。 イタリア語ですが、コレクションの写真が見れます。
http://www.museodellocchiale.it/

ティツィアーノの生家博物館 ・ ピエーヴェ・ディ・カードーレ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467641435.html
   


所で、眼鏡の歴史は大変長く、12世紀半ばには既に存在し、
ただし近視用ではなく老眼用だったのはご存知ですか?

で、眼鏡をかけた人物が絵画に初めて登場したのがこれ、
我がヴェネトはトゥレヴィーゾのサン・ニコロ教会、カピートロの間にある
フレスコ画内の人物。

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この方はドメニコ会派の司教ウゴーネ・ダ・プロヴェンツァ・Ugone da Provenza
画家はトンマーゾ・ダ・モーデナ・Tommaso da Modena,
1352年の作品で、司教ウゴーネはその1世紀前に存在された方なのだと。

眼鏡の歴史についてはcucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764877.html

n.1 トゥレヴィーゾ ・ Treviso
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462521537.html

n.2 トゥレヴィーゾ ・ Treviso
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522259.html


       
展示会では興味を持って見た古いサングラスの展示部分のみのご案内に
絞りまして、へへ、
まずこれ、ツルの部分にご注目を!

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残念ながら、これの説明を撮っておらず、年代が。
耳の後ろにツルが回るとか、後頭部のカーヴに合わせて、というのは年代が
下がってからの様で、当時の眼鏡は耳の後ろ辺りを詰めつける形だったのですね。
かなり頭痛発生の原因ともなった様子。



いずれも18世紀の品で、右のアップをサイトで見つけ、

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ツルの部分はどちらも明るい色の角(鹿)で、
右のには、眼鏡と頬の間を覆う絹布がついています。


で、サングラスの歴史をひも解きますと、えっへん、

先史時代からイヌイット族は目の上に眼鏡状の面をつけ、これに細い横線を開け、
雪に反射する強い光線を防いだとも、ローマ皇帝ネロは剣闘士達の戦いを、
片目にエメラルドを当てて見たと言われますが、
15世紀にヴェネツィアのムラーノ島で、色ガラスを使っての眼鏡、
最初のサングラスが出来たという事なのですね。

現代でこそ様々な色のサングラスがありますが、こうして見て頂くと、当時は
圧倒的に緑色で、その様々な諧調の色、明暗、ブルーから黄色がかった緑、
であることがお分かりと思います。

これは科学的根拠というよりは、経験から選ばれた色のようで、
ラグーナの波の反射光を防ぐ為にもこれは最適。
18世紀には大変普及し、「ゴンドラの眼鏡」と呼ばれたのだそう。

こうしてイタリアでは圧倒的に緑色が多いのですが、17世紀にはイギリスで
ブルーが作られ、多分ロンドンの光線はイタリアよりも弱いからだろうといい、
後に18世紀にやはりロンドンでグレーが生産されたと。



こんな天眼鏡みたいなのも、はは、ありましたが、
これはご婦人用のもので、木製着色の枠に花柄なども。
       
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こちらは眼鏡屋の宣伝ではないかと。

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さて本日の主題、ドージェのサングラス、じゃ~~ん!

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眼鏡ケースをご覧下さいね。
花弁が五つの花(薔薇)が色違いに上下にあり、上にドージェのシンボル、
コルノと呼ばれる被り物が描かれ、鼈甲の眼鏡のツルの支えの部分にも花が2つ。
よくみると円形の縁に小穴が3つずつ開いていますが、多分これは、
ここに目と頬の角を覆うための絹布が付けられる様になっていたのでしょうね。



で、この家紋とドージェのシンボルから、このサングラスの持ち主が判明しており、
この方、アルヴィーゼ4世・モチェニーゴ・Alvise IV Mocenigo,
ヴェネツィア共和国118代ドージェ(任官1763-1778)

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1797年にナポレオンによって崩壊するヴェネツィア共和国の120代続いたドージェの、
終りから3代目でして、選出選挙の立候補も彼のみですんなりという、
経済危機深く、既に終焉間近のヴェネツィア共和国ドージェでした。

この顔に、上の緑のサングラスをかけた場面をご想像下さいね!!
楽しくなりません?! うひひ。

モチェニーゴ家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも有数の名家と富裕さで知られ、
この家系から全部で7人のドージェを輩出するほどで、
アルヴィーゼという同名のドージェも4名居り、
彼はアルヴィーゼ4世・ジョヴァンニ・モチェニーゴ。

ウィキを読みつつよく分らない彼と彼の妻の話があり、クラウディオ・レンディーナの
「ドージェたち」で確認。 ははは、勿論ゴシップ大好きshinkaiですよって、ね。

判明したのは、外交官として活躍した彼のキャリアはさておき、
口の悪い庶民達から、彼はカッポーネ・食用にする太った雄鶏、
妻・ドージェ夫人のピサーナ・コルネール・Pisana Cornerはオーカ・アヒル、
つまりアホの代名詞、とみなされていたと・・!
きっと美人でしたでしょうしね、可笑しくもあり可愛そうでもあり・・、うひひ。
       
経済情勢困窮の時代にあって、このアルヴィーゼ4世はその裕福さを誇るような
大宴会を機会あるごとに催し、後年には、はしたないお喋りの貴族女性達との
噂が絶えず、ドージェの印章付き指輪がある女の手に渡った事もあったとか、
で、ございました。
       


モチェニーゴ邸は大運河沿いにも何軒か、他にもあちこち大邸宅がありましたが、
少し中に引っ込んだサン・スタエの邸宅は、20世紀に最後の家系の継続者無しで、
市に寄贈され、現在、美術館そして布と衣装の研究所としてオープン。

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映画で使われた素晴らしい衣装の展示会などもあったようで、
TVニュースを見た時は、内装の素晴らしさに目を見張りましたっけ。

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モチェニーゴ邸のサイトはこちら。 https://mocenigo.visitmuve.it/
       

ドージェのサングラス展から始まった今回ですが、あちこち脱線し、ははは。
まぁ、春を待つ寒い日、お楽しみ頂けました様に!

この夏は、丸いグリーンのサングラスで、バッチリお決め下さいね。 ははは。


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