・ ルイーザの、イルデ叔母さん ・ zia Ilde  

今日はちょっといつもと趣向が違う、1人のイタリア女性のお話を。
我が友人のルイーザ・Luisaの叔母さん、イルデ・Ilde.

彼女には2,3回会っていますが、私にもいつも言葉をかけてくれ、とても親切。 
昨年秋にあった時に、

ダ―チャ・マライーニ・Dacia Marainiの本
「神戸への船・La nave per Kobe」という良い本を持っているから
あんたにプレゼントしてあげる、という事で、
だいぶ前にその本がルイーザ経由で届きました。

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サブ・タイトルに「私の母の日本日記・diari giapponesi di mia madre」
とある様に、ダ―チャ・マライーニがまだ幼い1938年、
一家はアイヌ研究の父親と一緒に来日、札幌に住みますが、
イタリア本国でムッソリーニが敗戦間近に、ガルダ湖のサロに置いた共和国を
承認する書類に父親はサインせず、一家は日本で収容所生活を強いられ、
飢えに苦しんだりもした様子。

が、このプレゼントの本は私はまだ読みかけで、内容を知りません。
が、最初にルイーザが読み、そしても一人の友人が回し読みし、
大変良かった、という感想を聞きました。


で、今日お話したいのは、この本をプレゼントしてくれた
ルイーザの叔母さんのイルデ・Ildeについてです。

既に80歳ほどと思われる彼女ですが、化粧ばっちりで細い高いヒール、
レースの高価な衣装、頭脳明晰、そしてお金持ち、・・位の知識しか
ありませんでしたが、ある時ルイーザから彼女の人生模様を聞き、
まったく世の中には色々な事があるものよ!と。

ダ―チャの本の中には、彼女の幼い頃や古いかっての日本の写真が掲載されており、
そんなのを眺めている内に1つアイディアが来て、
この素敵なイルデ叔母さんの話をブログに載せても良ろしいか?
と許可を貰い、古い写真もルイーザが送ってくれました。

文は、文章工房コースに行っているルイーザが3年前に書いた
イルデ叔母さんの話を、私が拙訳し、いささか長くなりますが、
ごゆっくり、この愛すべきイタリア女性のお話をどうぞ!

双子姉妹のエンリーカ・Enricaと一緒に。 右がイルデ。

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どんなに無関心な人の目にも付かずにはいない特別な女性、
我が一族にいるそんな女性、それは叔母のイルデ。

10人の兄弟姉妹の1番下、美しく、奇抜で、良くも悪くも極端な行動をとり、
本能的、直情的、嘘つき、敏感、人を騙し、愛情に溢れ、役者で・・、
そしていつも遅刻する。

20歳の時、自分よりもずっと年の行った男性と衝動的に結婚したのも、
上手く行かなかった恋愛を忘れたかったから。
が、じきに自分が間違いを仕出かした事に気づく。
というのも結婚相手はアルコール中毒者であり、反感を持つだけとなった彼女は
2年後には生まれた子供を抱え、田舎の両親の家に戻った。

両親、私の祖父母はそんな彼女を温かく受け入れたが、
当時の田舎社会では人々が大いに噂するスキャンダル。 
50年以上も昔の事、当時の田舎では「離婚」という言葉は存在しなかったし、
「別居」も無かった。
が、彼女は人々の言う事などまるで気にかけず、自分の好む仕事では無いにしろ、
稼ぐために工場に働き口を見つけた。

当時私はまだ子供だったが、その頃発売されたグラツィエッラという名の
婦人用自転車で通りすぎるのを見ている。
黒い美しい髪を、サカゲを立てた20センチの高さにもシニョンを結い、
それに私の妹ラウラの金髪のお下げを黒く染めたつけ毛を付け、
黒く長いアイラインを引いた目、つけまつ毛、細い高いヒール、
そしてペダルをこぐと上にずり上がり腿が見える程のぴったりした服、
それを絶えず片手で押さえつつ・・。

そうやって通りすぎると、あちらこちらから飛んでくる口笛の音。
工場の仕事も上手く行かず、そうやって何ヶ月後かには首になる。
が決してめげることなく新しい仕事を探し、最初はブティックの店員、
大変シックに努め、次には自分でブティックを経営するも破綻。
なぜなら叔母は大変に創造的ではあるものの、経営勘定に疎く、
おまけに慎重さにかけていたから。


イルデのお母さんチェチ―リア・Ceciliaと、右イルデと娘、
左エンリーカと娘。

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そんな様子で彼女の人生は様々な上がり下がりの連続で、
愛情問題も上手く行ったり行かなかったり・・、
それも運命の男に出会うまでの事。

55歳を目前に、既に人生の黄昏時にかかったと思った時、
彼女は結婚相談所に登録し、じきに2度目の夫となった男性と知り合う。
彼女よりも10歳年上の没落した伯爵、やもめで素敵な男性。
心だても良く、見かけ振る舞いも申し分なく、フリウリの、たくさんの貴族の紋が
打ちつけられた緑の大きな鉄の門のある、古い大きなお屋敷に彼女を連れて行った。

高価な陶器類、時代ものの銀食器の溢れるその古い家に叔母はすぐに馴染み、
女王の様に訪れる人すべてを親切充分にもてなし、居心地良くさせる、
そんな生活を本当に上手に采配した。

彼女は人生において初めて、幸せで守られていると感じ、
留まる事の出来る港を見つけたのだった。
が残念な事に、10年間のこの平穏な生活の後、彼女の傍らから夫を
短い期間の病の後連れ去ってしまった。

彼女にとって、我々親族にとっても最悪の時だった。
だがまたも彼女の性格通り、打ちのめされたりはしなかった。
相続が済むとフリウリを離れ、我々の土地、親族一同のいる土地に戻って来た。

いま彼女は80歳近くなるが、未だに彼女の魅力を充分に保っている。
いつもしっかり化粧し、スパンコールと蛇皮摸様、またはレオパルド柄の衣服をまとい、
高い細いヒール、きちんと髪をセットし、いつも騒々しく、そしていつも遅刻する。
何か悲しい事がある時は、大泣きする為にミルクの入った小鍋を抱え、
ほんの暫く引きこもり、そして前よりも一層元気になって現れる。



2年前の写真で、右側イルデ、左は彼女のお母さんチェチ―リア。

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私は彼女が本当に落ち込んでいるのを見た事がない。
いつも闘士で先頭に立ち、内に絶望を抱えている時でも屈服しない。
時の経過と人生の変遷は彼女に賢明さを与え、人々を即理解し、慰め、励ます。
家の扉はたとえ夜中でも、彼女を必要とする人にはいつも開かれている。

そんな彼女は、私の人生の逆境においての頑張るモデルとなった。
こういう人物が家族の中にいるというのは、とても良い事。
有難う、イルデ叔母さん。
もしあんたのような人が居なかったら、誰か似た人を作らないといけなかったものね。

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***

如何でしたか? この強くて美しい女性の半生、
ルイーザの文章も良いでしょう?!
       
イルデの如何にもシャキとした強い顔立ち、そして強くて優しい姿勢が大好き。
ルイーザの言う通り、人生における女性の大先輩。
めげずに生きていく事を、見せてくれます。
       
Grazie zia Ilde e Luisa!


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