・ 落ち穂拾い3題 ・ キルト・巻き煙草・講演会 

イタリアの小さな町や村のご紹介がメインのこのブログなのですが、
それから漏れる小さな話題、でも埋もれさすには少し残念な話題や写真が
時にあります、・・と自分勝手に思うわけで、・・はい。

で、今日はその3つを集めてご覧頂きますね。 
題して、キルト・巻き煙草・講演会。 さて何が出ますか、どうぞ!

◆ ボスナ・キルト  
ボスナ・キルト・Bosna Quilt をご存知ですか?

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キルト展がバッサーノ・デル・グラッパであるから見に行こう、と誘われて
出かけたのはちょうど2年前の事。
メインの方は、例によりパターンの展開によるキルトでしたが、同時に
このボスナ・キルト展も開催されていて、こちらが大変興味あるものだったのです。

上の写真は、買った絵葉書のパックの物で、
抽象画的な色構成、色糸を使っての縫い をご覧下さい。



絵葉書の方は色の出が悪いので、手振れ加減ながら
まだしも色が掴める私の写真でご覧頂きますね。

「ボスナ・キルト」という名前から想像される通り、
ユーゴスラヴィアの分裂戦争でボスニアから逃げ出した女性たちが
仮の避難所で作り始めたのが起こりなのです。

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1993年にルチーア・フェイニグ・Lucia Feinig、少し発音が違うかも、
この方は画家だそう、が避難していた場所で他の女性達と共に
絶望と闘うために始めたのが最初。 で、それが生活の糧ともなり、
Bosnia Quilt Werkstatt ・ボスニア・キルト・ワークショップ? 
と名乗り現在に至っているとの事。

ご覧の通り、抽象的な平面構成の柄で、一幅の絵画にも似ています。
以前キルトに少し凝った挙句、同じパターン、既成の布柄を使うのに飽きて
刺し子に移った私めには、大変新鮮なイメージで、素晴らしいと思ったのです。

大手振れで申し訳ないですが、多色使いの作品、
これなどもちょっとアーミッシュ・キルト風の素朴ながらも新鮮なイメージ。

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赤い布のキルトは、絹布使い。
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下の写真に隣の部屋のパターン・キルトがちらっと見えますが、
イメージの違いが良く分かると思います。


2年ぶりにこれらのキルトの写真を見ながら、なんと日本の色遣いにも似て、
簡素で、広がりを持つものよ、と改めて見とれました。

色構成、布選びはLuciaが行い、縫い取りは各女性たち12名が
思い思いにするそうで、
色糸も太く、縫い目もかなり大きめで不揃い。
ですが、色糸、そして太い糸が単純な柄に良く映え、そう選んだのは正解と。

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パッチワークに限らず、こちらイタリアの女性達の手仕事をあれこれ見て思うのは、
もう断然日本女性が優れているなぁと。
手仕事の優秀さ、研究熱心さ、熱中度 など。
この展覧会場でも、日本のキルトの本や布が売られていましたが、なんとお高い!

趣味とはいえ、それ相応な作品を作るには、数をこなし手が動かないとダメですね。
が、普通一般のイタリア女性は、経済的にもまだ十分に手仕事を楽しめる
生活ではないのだろうと思いますし、
日常生活の中に入り込むには、手作り作品の値段は高いのですね。

このボスナ・キルトのお値段は今はっきり覚えていませんが、
イタリア内では高価で売れにくいだろう と思う値段でした。
つまり、作品の質を見分ける程の土壌、手仕事を見極める目が育っていないと。

サイトはこちらに。
作者や作品のあれこれがご覧になれますし、
色とか大きさの希望を伝え、作って貰う事も可能の様子。
http://www.bosnaquilt.at/ 



◆ その2の話題、 巻き煙草
暫く前、セルジョが自分で巻いたという煙草を吸っているのを見たのですが、
今回パオロの家で、夜彼が実際に巻き始めたのを見て、
待て待て、写真を撮るから、と取材協力をさせ、はは。

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戦後、喫煙者は煙草が手に入らず、拾った吸い殻をほぐし良い部分を集め、
英語辞書の紙で巻いて吸った、というのを昔読んだのが
頭のどこかに残っていたと見えます。 ははは。



こんな煙草巻き器を売っていて、セルジョが2人分調達したそうですが、
これは細巻き煙草用ですから、太巻き用もありそうですね。

で、まずフィルターを置き、

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煙草を乗せ、ちょいちょいと押さえ込みます。 使っているのは巻き紙の箱。

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クルクルッと回して調整し、

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紙を挟みこみ、

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ちょろっと舐めて紙を湿らせ、

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ああ、どことなく卑猥な写真で失礼をば!



また、クルクルッと回して、はい出来上がり!
てな調子で、翌日分を用意するのですね。

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という所で、これで道具一揃え。

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煙草 アメリカ・ヴァージニア州のプエブロ・PUEBLO、 4,7エウロ
   30g入り、これで60本巻けるそう。
紙  20枚入り、 0.5エウロ
フィルター  1エウロ  幾つ入っているのか聞き忘れましたが
       手前右のRIZLA の箱ですから、かなり入っていそう。
巻き器 5エウロ   (値段はいずれも2010年当時)

プエブロの味は、40種程ある煙草のうち、味の強さでは中間だろうと言い、
手巻きのどこが利点なのか聞きましたら、

まず市販のパック煙草より安く上がる事、そして美味しいのだと。
煙草の純粋な味が楽しめ、満足感があるので、吸う回数が大きく減るそう。
この巻き紙は一枚が1g、売っている煙草の紙は厚くて4gあり、
これが体に悪いのだ、とは彼の主張。

先回ご覧頂いたドーロの、水車小屋のカフェの隣の席で、
たまたまシニョーレが煙草を手で巻き始め、眺めていましたら、
手巻きはなかなか修練が要りそうで少し時間が掛かりました。
が、こんな玩具みたいなのがあると、夜一人遊び出来そうです。

ドーロの骨董市 ・ リヴィエーラ・デル・ブレンタの町で
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467380802.html

◆おまけ
上に少しばかり卑猥なパオロを載せましたので、実際は可愛い男なのを見て頂こうと。
奥方のジューリアに言わすと、卑猥どころか
近頃はまったく インノークオ・innocuo・人畜無害なんだとか、きゃはは。

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写真は皆で魚を食べに行ったドーロのレストランで、これで3人前だったか、
山盛りの魚のグリル。
魚が良く見えず残念ですが、手前真ん中の20cm以上あったチヌ、
片身をパオロとジューリアに分け、後は1人で食べましたが、旨かったぁ!!
前菜も各種魚貝の大盛り合わせ、パスタはポルチーニのタリアテッレ、
ワインも飲み、それで1人前が22エウロ程。

こういう美味しくて安く、しかも住宅街にあるのは観光客には探し出せませんが、
チャンスには是非お試しを!  という事で、一応住所を。
Trattoria-Pizzeria Denis
Dolo(VE) via S.Giovanni Bosco 24
tel 041.411928 火曜休み


◆ 講演会  
今月12日夜、プロセッコで有名なヴァルドッビアーデネに
作家マウロ・コローナ・Mauro Coronaの講演を聞きに。

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以前から彼のご紹介をしたいと思いつつ、なかなかチャンスが
掴めませんでしたが、今回やっと本人の写真と共にここに。
      


講演とはいえ、フリウリの歌手ルイージ・マイエロン・Luigi Maieron も一緒の
公演会で、3日ほど前にこの会を賛助のビゾール・Bisol昨年訪問した
プロセッコのワイナリーのビゾールの、宣伝担当から案内が届いたのですね。

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夜道を1人でヴァルドッビアーデネ迄はなぁ、とイタリア語の先生
アンナリーザに話すと、では一緒にとなり、
予てより実物を見たいと思っていたマウロ・コローナを見に行った、
というのが実情で。

会場は体育館に椅子を置いたもので、席を取って頂き随分近くで楽しめました。
サイトを見ると、この期間あちこちで講演会が予定されており、
もっと近くでも行われたのですが、歌の公演も付いたこの日を選んだという。

当日は、夕方から雷、稲光付きの大雨となりましたが、運転の上手い
アンナリーザの車で安心して、
マウロの実物にも、話し振りにも、歌にも大いに満足して戻りました。

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マウロ・コローナという人は、単に作家というのみならず、
登山家、木彫作家でもあり、その作品は何冊も大ベストセラーになっている、
こちらイタリアでは、とりわけ北イタリアでは有名人物なのですね。

なぜ彼を見たかったか、話を聞いてみたかったと言いますと、
彼の作品を2,3冊読んで興味を持ち、1年半ほど前の冬には
イタリア語の勉強を兼ね、自分なりに50話程も訳した事があったのです。

短編の積み重ねで、ぶっきら棒ながらも実直なその心情が良く伝わり、
彼の住むエルト、そしてフリウリの山の民の生活ぶり、
伝承の掘り起こしなどが大変面白く興味深いのです。

北イタリア出身の有名な作家には、先年亡くなった、
日本でも「雪の中の軍曹」や「雷鳥の森」等が出版されている
マリーオ・リゴーニ・ステルン・Mario Rigoni Sternがいますが、
ステルンの骨太で哲学的ともいえる重厚な作品に比べ、
マウロのそれは、庶民的で井戸端会議的な趣もあるなぁ、と。

当夜の彼の話しぶり、内容はまさに読んでいた通りのもので、
現代社会への反骨ぶりや、彼独特の人生哲学も可笑しく、
何度もアンナリーザと顔を見合わせて笑いました。

マーリオ・リゴーニ・ステルンの世界 ・ Mario Rigoni Stern
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463097952.html

マウロ・コローナの住むエルト、ロンガローネのダム災害については
ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861529.html

ロンガローネ、 54年前のダム出水大災害のまとめを
https://www.italiashiho.site/archives/20170727-1.html

歌手ジージ(Luigi の愛称)の歌は、チンプンカンプンのフリウリ弁の歌詞もあり、
内容の説明によると、彼自身のお祖母ちゃんの女の人生の悲しみとか、
貧しくて移民に行ったフリウリ男の人生とか、大いにマウロの作品内容と
重なる部分があり、曲自体はカントリー調のリズム感豊かな楽しい物で、
皆が手をたたきリフレーンを歌わされたり、で盛り上がりました。

大酒飲みで有名なマウロなのですが、演壇に出てきた時点すでに
かなりやっているのが分かりましたし、話しながらも常にビールを飲み、

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後援が土地のプロセッコで有名なビゾールにも拘らず、
エルトの人間は赤ワインしか飲まない、とか、
昼間出かけたらしいビゾールの素晴らしいドゥーカ・ディ・ロッレの土地、
私も昨年案内して頂き、酸化防止剤抜きの美味しいプロセッコを頂いたのでしたが、
そこは天国かと思う程美しかったが、なんとプールがあった! 
と嘆いたりで、会場が何度もどっと沸きました。
いやいや、私もこの点はおおいに同感、なんでプールを、と思ったものですから。

ビゾールのワイナリー、ドゥーカ・ディ・ロッレの素晴らしい葡萄畑は
n.2 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526671.html

n.1 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526381.html


マウロのちょっと心にしみる一編を、拙訳ですがどうぞ。

アルコール患者療養所
何年か前、弟のリケートとお袋を中心としたやかましいせっつきに動かされ、
遂に親父をアルコール中毒患者療養所に連れて行くことに決めた。
そこに入院して2年も経たない内に再生し、水しか飲まないようになった男が
カドーレの穏やかな村の心地よい場所にある、名高いクリニックを勧めたのだ。

翌日質問もせず親父は車に乗り、後のお袋の横に座った。前の席には弟と俺。
弟が運転して9時ごろエルトを出発した。
リケートと俺は単なるお喋りに終始し、この日の目的にはひとつも触れなかった。
親父は時々どこに行くのかと聞いたが、弟は「遠足さ」とくすくす笑いながら答えた。
ロンガローネを過ぎ右手に山並みが現れると、親父はそれに気づき窓から凝視し、
「あの山は何処のだ?」と訊ねた。
「なんだって、分らないのかい? あんた、80年近くもあの山を歩いたじゃないか」
「分らん。覚えてない」真剣に答えた。 
それで、長い間一緒に狩猟に通った俺たちの山である事を説明した。
パラッツァ、ブスカーダ、チッタ、ボルガァ、そしてドゥランノの山々。
国道を走るうちに山の北斜面が見えて来ると親父は漸くに、人を寄せ付けない
険しい山頂でカモシカを追って人生の殆どを過ごした事を思い出した様に言った。
「そうだ、そうだ、今やっと思い出した」

そこで彼に今日の遠足の目的を話すと、頭は上げずに低い声で呟いた。
「家でも、俺は良い具合だったさ。お前達に何か面倒をかけたか? 
それに何で俺だけ治療されなきゃいけない? ひょっとして4人ともだろう?」
俺は親父が正しいと思った。
2軒ほどオステリーアに寄りつつ、アル中患者のためのクリニックに到着した。

紹介がすっかり済むと、失礼にあたらない様に言えば、
俺にはかなり神経質に見える若い医者が俺達を質問攻めにした。
たやすく飲む習慣やご先祖さんたちの健康について、しつこく知りたがったのだ。
病気は何もないが、飲む事については俺と弟は正直に答えた。
「コローナとメニンの両家は呑み助の家系でしたし、今も呑み助一族です」
「そうだと思いましたよ!」
心理学者は満足そうに冷笑した。
そして最後に、俺たちの家族の内に性病(マラッティーア・ヴェレエ)の
ケースはなかったかと尋ねた。
ずっと黙っていた親父が、この時になり文句を言った。
「ヴェネエだと? なにを言う」本当にこう言ったのだ。
煙草が吸いたくなっていたらしく、黙って中庭のベンチに腰を下ろしに行った。
窓から親父が見えた。
長い髭のせいか大変な年寄りに見え、いかにも悲しげで、
煙草を吸いながら山を眺めていた。

一方弟は、捜査人みたいな医者を今にも殴りつけそうだった。
なぜなら、エルトの人間はみんな酔っ払いだと決めつけられたからだが、
俺はもっと冷静にナポレオンに答えた。
「皆じゃないですよ、シニョーレ。でもブオナパルテ(良い部分)はそうです」
この失礼な奴には到底我慢出来なくなり、外に出て親父の傍に腰を下ろした。
親父は俺に煙草を一本勧め、山を見たまま囁いた。
「お前は俺を分っているだろう、ここに置いて行かないでくれ」 
ないのは涙だけだった。
家族を呼び集め、傲慢な大卒に挨拶しクリニックを出た。

俺たちはあの綺麗な湖の傍らの、穏やかな村の素敵なオステリーアに立ち寄り、
かなりの瓶を飲み干した。
長い間かってなかったほどに皆一緒に陽気で、
潤んだ親父の目の中には、何か幸福に似たものが輝いているのが見えた。
そうやって夕方近く、俺たちは歌いながら家に戻って行った。
      ***

彼の作品は、中国語では1冊出版されているのですが、日本語ではまだ。
イタリアはフリウリの山の庶民の生活の中から生まれた
マウロ・コローナの作品が、日本でも読まれるように願っています。


* お知らせ *

モーツァルトの3大オペラと言われる「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、
「コシ・ファン・トゥッテ」の台本作者、ロレンツォ・ダ・ポンテ・
Lorenzo Da Ponteについては、モーツァルト程知られていませんが、

長らく知りたかった彼の生涯について、リンクしております
「イタリア、とりわけヴェネツィア」 のペーシェクルードさんが詳細に。
なんとまぁ!と驚くほどの彼の人生についてはこちらをどうぞ!

彼の生地の   ヴィットリオ・ヴェネト ・ 町と四季と
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847585.html


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