今日ご覧頂くのは、ヴェネツィアの素晴らしいルネッサンスの館、
30年近い歳月をかけて修復され、つい3年ほど前から博物館として
一般公開されているグリマーニ邸・Palazzo Grimaniです。
30年近い歳月をかけて修復され、つい3年ほど前から博物館として
一般公開されているグリマーニ邸・Palazzo Grimaniです。

前年に友人と訪問した時はガイド付きの見学、いわば見張り付きで、
写真は1枚も撮れなかったのですが、
今春グループで再訪問、我らのガイドでぞろぞろ移動するもので、
写真禁止なんのその、ははは、前年の分まで憂さを晴らすべく撮りまくり、
その挙句に整理するのが例の如く遅れまして・・。
グループの1人が記事を纏めたから写真が欲しい、いつできる?と
何度もの催促で、遂に個展会場にPCを持ち込み、午前中は暇なのを幸い
漸くに整理した所ですが、まぁ、まだ年内ですものね、ははは。
何度もの催促で、遂に個展会場にPCを持ち込み、午前中は暇なのを幸い
漸くに整理した所ですが、まぁ、まだ年内ですものね、ははは。
余りにも邸内の雄大さ豪華さに驚き呆れ、説明は一つも記憶に残らず、
あれこれ親切なサイトを探しまわり、漸くになんとか部屋の名前が幾つか
分かりましたので、はい、その程度のご説明で、
あれこれ親切なサイトを探しまわり、漸くになんとか部屋の名前が幾つか
分かりましたので、はい、その程度のご説明で、
ヴェネツィアの裕福な貴族の館が如何に豪華であったか、
溜息をつきつつ、楽しんでくださいませ!
写真の数が50枚を越え、半ばやけくそで2回に分けますので、
よろしくお願いいたします。 では、どうぞごゆっくり!!
トップのは、細い小路の奥に見える邸の入り口。
ヴェネツィアのグリマーニ邸と言うと、(写真はサイトから)
リアルト橋から西に少し行った所、大運河に面したこちらの
サン・ルーカのグリマーニ邸が有名ですが、
リアルト橋から西に少し行った所、大運河に面したこちらの
サン・ルーカのグリマーニ邸が有名ですが、

地図をどうぞ。 今日ご案内のグリマーニ邸はサンタ・マリーア・フォルモーザの
グリマーニ邸と呼ばれる方で、場所はリアルト橋から南西に、
サンタ・マリーア・フォルモーザ教会広場からすぐ近くにあります。
グリマーニ邸と呼ばれる方で、場所はリアルト橋から南西に、
サンタ・マリーア・フォルモーザ教会広場からすぐ近くにあります。

広場から南東隅にある橋を渡って少し進み、左手にある小路の
突き当たりに、最初にご覧頂いた入り口が見えます。
突き当たりに、最初にご覧頂いた入り口が見えます。
細い小路の突き当たりに見えるのは、ほんの入り口だけですが、
門をくぐると四角く広い中庭が広がり、3階建ての建物が周囲を囲みます。
土地の狭いヴェネツィアで、これだけの中庭、建物だけで大変な贅沢!


入り口から入って来た中庭の眺めの向こう端に、サン・セヴェーロ運河・
Rio di San Severoからの入り口、船着き場が見え、

こんな風にゴンドラが通り過ぎるのも見え、かっては運河側が建物の正面、
入り口だった訳ですが、現在は閉じられていて、
入り口だった訳ですが、現在は閉じられていて、

中庭こちら側のポーチの角柱の上の飾りはこんな様子で、
花や、こんな野菜果物の籠が乗っており、
花や、こんな野菜果物の籠が乗っており、

こちらのポーチは道からの入り口の並び、上のポーチの向かい側。

円柱上のこの飾りはイオニア式、ローマ期の物の再利用で、柱の数に
1つ不足で、新しい、と言っても建物建設当時の16世紀の物を追加
しているのですが、見てすぐに分かる程の技術の違いで!
ローマ人は凄かった、といつもの呟きが出ます。
1つ不足で、新しい、と言っても建物建設当時の16世紀の物を追加
しているのですが、見てすぐに分かる程の技術の違いで!
ローマ人は凄かった、といつもの呟きが出ます。

ポーチの下はこの様な木の天井。

さて建物に入り、正面大階段・Scalone monumentaleとも呼ぶ
階段を上がりますが、床にはモザイク柄、
階段を上がりますが、床にはモザイク柄、

そしてこの天井部分が、ドゥカーレ宮を思わす素晴らしい漆喰細工!


階段を上った、細長い大広間からの階段の様子。

グループで行くと写真は撮り放題ですが、ははは、どこにでも仲間がいて
全体が撮れず、サイトからの写真をどうぞ。
この部屋の名前が分かりませんが、暖炉部分と格子天井。



葉っぱの部屋・Stanza a fogliamiと呼んだら良いでしょうか、
天井一面に木々と果物、飛び交う鳥達が描かれた素晴らしい部屋。

天井一面に木々と果物、飛び交う鳥達が描かれた素晴らしい部屋。



有名な物ではミラノのスフォルツァ城にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた
大樹の部屋があり、あちこちの貴族の館にも、天井部に木の枝が絡まり
花が咲き、鳥達が飛び交う棚が描かれているのを良く見かけます。
きっと彼らの野外への憧れだったのでしょうね。
大樹の部屋があり、あちこちの貴族の館にも、天井部に木の枝が絡まり
花が咲き、鳥達が飛び交う棚が描かれているのを良く見かけます。
きっと彼らの野外への憧れだったのでしょうね。
このグリマーニ邸は16世紀に建設され、長らく放置されていたのを
1981年に国が買い取り27年間に渡っての修復が続き、例により資金不足で
長引いたらしいのですが、漸くに2008年12月から公開されているもので、
ヴェネツィアのアッカデミア、カ・ドーロ、東洋美術館、考古学博物館に並ぶ
5つ目の美術博物館と。
1981年に国が買い取り27年間に渡っての修復が続き、例により資金不足で
長引いたらしいのですが、漸くに2008年12月から公開されているもので、
ヴェネツィアのアッカデミア、カ・ドーロ、東洋美術館、考古学博物館に並ぶ
5つ目の美術博物館と。
建設主であるグリマーニ家・Grimaniは、ヴェネツィア貴族ではありますが、
古くからの家柄ではなく、最初に名が出たのは商業交易で目覚ましく財をなし、
遂にヴェネツィアの76代ドージェにまでなった(1521~23)
アントーニオ・グリマーニ・Antonioが最初。
古くからの家柄ではなく、最初に名が出たのは商業交易で目覚ましく財をなし、
遂にヴェネツィアの76代ドージェにまでなった(1521~23)
アントーニオ・グリマーニ・Antonioが最初。
ですがこの後の家の発展は素晴らしく、ドージェが計3名、枢機卿2名、
アクイレイアの総大司教が3名、政治家、美術のパトロンとしても有名な家柄。
アクイレイアの総大司教が3名、政治家、美術のパトロンとしても有名な家柄。
この屋敷は元々ドージェのアントーニオの屋敷だったものを、彼の孫に当たる
アクイレイアの総大司教ジョヴァンニ・Giovanniとその兄のヴェットーレ・
Vettoreが指揮を取り改装した物。
アクイレイアの総大司教ジョヴァンニ・Giovanniとその兄のヴェットーレ・
Vettoreが指揮を取り改装した物。
ジョヴァンニはギリシャ、ローマ美術品のコレクターとしても有名な人物で、
ご覧の様に家の内部の調度品は全て散逸し、家の建設に使った色大理石の
組合せの素晴らしさと、天井のフレスコ画が残るのみなのですが、
ジョヴァンニの鑑識眼の見事さとその情熱が結晶した館、と言えましょうか。
ご覧の様に家の内部の調度品は全て散逸し、家の建設に使った色大理石の
組合せの素晴らしさと、天井のフレスコ画が残るのみなのですが、
ジョヴァンニの鑑識眼の見事さとその情熱が結晶した館、と言えましょうか。
通り抜けの通路は部屋の真ん中、または端を通りぬけ、
こんな風に奥の部屋まで見通せます。

柄と色大理石のハーモニー、大変古典的な重々しい美。



そしてこちらが圧巻、ラ・トゥリブーナ・La tribuna・観覧席とか傍聴席
の意味ですが、ここでは賓客用特別鑑賞室とでも!
の意味ですが、ここでは賓客用特別鑑賞室とでも!
ご覧下さい、この天井の高い塔状の上から光が射しこみ、
宙に浮く鷲の姿のゼウスと青年ガ二メーデ・Ganimedeの像。

宙に浮く鷲の姿のゼウスと青年ガ二メーデ・Ganimedeの像。


ガ二メーデはオリンポスで神々の給仕をする為に誘拐されたのだそうで。
部屋の下部分も如何にもの重々しさでご覧頂きたく、サイトから拝借。

床の大理石の花模様。

残念な事に、青年ガ二メーデの鼻が欠けているのですが、

舞台設定の見事さに何枚も角度を変え撮っており、
その都度に鷲の目の表情が変わるのに、見とれました。
その都度に鷲の目の表情が変わるのに、見とれました。
という所で、n.1はお終いに、n.2に進みますので、
よろしくお願い致します。
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