今日は先日出かけて来たヴェネツィアのほぼ中心、リアルト橋を南に渡って
少し東に、サンタ・マリーア・フォルモーザ広場・Campo S.M.Formosaと、
少し東に、サンタ・マリーア・フォルモーザ広場・Campo S.M.Formosaと、
その少し手前の小路カッレ・デル・パラディーゾ・Calle del Paradiso
日本語だと「天国小路」とでもなりますが、大変特徴のある通りですので、
その辺りをご案内致しますね。
日本語だと「天国小路」とでもなりますが、大変特徴のある通りですので、
その辺りをご案内致しますね。
まずは、リアルト橋の方からサン・リオ通り・Salizzada S. Lio、
を南に向かって行くと左上に見えるこの標識OSPEDALE SS.Giov,Paolo・
病院 サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ、
ここがカッレ・デル・パラディーゾの入り口で、ここを左折願います。
を南に向かって行くと左上に見えるこの標識OSPEDALE SS.Giov,Paolo・
病院 サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ、
ここがカッレ・デル・パラディーゾの入り口で、ここを左折願います。

地図をどうぞ。 左端真ん中にリアルト橋。 橋を渡って進むと

四角い広場の中央にカルロ・ゴルドーニの像のあるサン・バルトロメーオ広場・
Campo S.Bartolomeo、その南側の建物のほぼ真ん中をくぐり抜ける道、
これがカッレ・ビッサ・C.Bissaで、サン・リオ通りと名が変わり、
この道を行くと上の標識が左上に、という訳。
Campo S.Bartolomeo、その南側の建物のほぼ真ん中をくぐり抜ける道、
これがカッレ・ビッサ・C.Bissaで、サン・リオ通りと名が変わり、
この道を行くと上の標識が左上に、という訳。
カッレ・パラディーゾの入り口近くにつけた丸点と、突き当たりにつけた
四角い赤点、にご留意おき下さいね。
四角い赤点、にご留意おき下さいね。
ここを通りぬけた先にサンタ・マリーア・フォルモーザ教会62と広場、
そしてその近くに、またご案内したい2か所、
63がグリマーニ邸で、66がクエリーニ・スタンパリーア美術館。
そしてその近くに、またご案内したい2か所、
63がグリマーニ邸で、66がクエリーニ・スタンパリーア美術館。
カッレ・デル・パラディーゾは、まさに小路で長さが60m程。
現在この小路にはレストランが2軒、カーニヴァルの仮面の店、木工の小さな
工房などがあり、ここに入り込んですぐの右側に本屋さんがありますが、
フィリッピ書店というか、出版屋さんでもあり、店頭をご覧下さいね。

とにかくヴェネツィアに関係した本の品揃えが素晴らしく、


写真集なども多いので、ヴェネツィアのお土産に、想い出に是非お寄りになるのを
お勧めいたしますです。頼むと送ってもくれますので、重たい写真集でも大丈夫!
お勧めいたしますです。頼むと送ってもくれますので、重たい写真集でも大丈夫!
Libreria Editrice Filippi
Calle del Paradiso, 5763, 30122 Venezia
041 523 5635
Calle del Paradiso, 5763, 30122 Venezia
041 523 5635
これが奥の突き当たりに見える15世紀のアーチで、
両側の置かれた高さが違うのでちょっと傾いでおりますが・・、

アップしますと、こんな感じ。 細部が見えやすいようにちょっとピンを締め。

真ん中にはマントを広げた慈悲の聖母がいて、右に見える円形の花2つの
紋がモチェニーゴ家・Mocenigoで、左がフォスカリ家・Foscari。
左の上にに剣を持つサン・マルコのライオン像がみえますね。
つまりこの小路の両側に並ぶ建物がこの両家の資産だったという訳。
が今回あれこれ読んでいてもう少し詳しく分かりましたので、
えへん、はは、書かせて頂きますね。
紋がモチェニーゴ家・Mocenigoで、左がフォスカリ家・Foscari。
左の上にに剣を持つサン・マルコのライオン像がみえますね。
つまりこの小路の両側に並ぶ建物がこの両家の資産だったという訳。
が今回あれこれ読んでいてもう少し詳しく分かりましたので、
えへん、はは、書かせて頂きますね。
聖母の前に跪くのが、1491年に結婚したアルヴィーゼ・モチェニーゴ・
Alvise Mocenigo、左の男性、上院議員の衣服にベレー帽を被っており、
Alvise Mocenigo、左の男性、上院議員の衣服にベレー帽を被っており、
右がペッレグリーナ・フォスカリ・Pellegrina Foscari、首元も袖も
膨らんだ長い服で、頭に帽子、彼女がこの地所建物を婚資として持参したと。
膨らんだ長い服で、頭に帽子、彼女がこの地所建物を婚資として持参したと。
モチェニーゴ家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも最も著名な家柄の1つで、
7名ものドージェを輩出した家柄で、同名の85代ドージェがいますが、
彼ではありません。
7名ものドージェを輩出した家柄で、同名の85代ドージェがいますが、
彼ではありません。
フォスカリ家出身の有名なドージェ、そして一家の悲劇はこちらに。
n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578987.html
n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578987.html
n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html
これは最初見落とし後から写した写真、こちらが小路入り口上にあるアーチで、
つまり2つのアーチでこの小路を囲う形になり、

こちらのアーチには、ここに1407年から建設した最初の持ち主、
ポンポーザの修道院の名前が彫られているそうで、ポンポーザ修道院の名には
時々あちらこちらでお目にかかり、当時の勢力振りが偲べます。
メーゾラの森、 そして、ポンポーザの修道院
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463258528.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463258528.html
この小路はその後大きく改装され、16~17世紀には上に増築されたりもし、
この小路の特徴の一つが、これ、バルバカーニ・barbacaniと呼ばれる
2階部分の張り出し、です。
2階部分の張り出し、です。


つまり1階の店舗部分の上に住居部分が張り出し、その分床面積が広くなる訳で、
このカッレ・デル・パラディーゾは両側からこのバルバカーニが張り出し、
それが見事に現在も両側ともに残っているのですね。
このカッレ・デル・パラディーゾは両側からこのバルバカーニが張り出し、
それが見事に現在も両側ともに残っているのですね。
ヴェネツィアの様に限られた土地に住む為の工夫としてこのバルバカーニですが、
2階の床面積が広くなる利がある代わり、地面に日の射す部分が減り、
湿気の様々な問題が出るのを避けるため、
2階の床面積が広くなる利がある代わり、地面に日の射す部分が減り、
湿気の様々な問題が出るのを避けるため、
かってのヴェネツィア共和国政府は、勿論勝手な張り出しを規制しており、
最初の石の張り出し部分に、これ以上はダメ、という彫り込みを見本に
入れているそうで、残念、これは見逃しました。
所でこのカッレ・デル・パラディーゾという小路の名ですが、大体は土地の持ち主の
名とかに由来しますが、ここのは関係無しで、
多分宗教行事、とりわけ復活祭の前の聖金曜日に美しく飾りつけられた
当時において、天国小路、と呼ばれたのであろうと。
名とかに由来しますが、ここのは関係無しで、
多分宗教行事、とりわけ復活祭の前の聖金曜日に美しく飾りつけられた
当時において、天国小路、と呼ばれたのであろうと。
でこの小路の突き当たりにある橋、これはポンテ・デル・パラディーゾと呼ばれますが、
橋の向こうに見えるこの建物、ここにかってA.ヴィヴァルディ一家が住んでおりました。
橋の向こうに見えるこの建物、ここにかってA.ヴィヴァルディ一家が住んでおりました。


1722~1730年の事で、入り口が2つある、多分こちらの5879番地に。
この後リアルト橋近くの南岸の家に移っており、そこが彼のヴェネツィアでの
最後の家となり父親も亡くなり、彼はウィーンに旅立ち、かの地で亡くなります。
最後の家となり父親も亡くなり、彼はウィーンに旅立ち、かの地で亡くなります。
これまでの彼が住んだ家の写真も写しているのですが、
いまだきちんと纏めておりませんで・・。
いまだきちんと纏めておりませんで・・。
パラディーゾ橋を渡ってからの眺めですが、こんな風に上記のアーチの裏側、
というか表、が見え、
というか表、が見え、

アップするとこんな様子で、こちらにも慈悲の聖母があり、
が、こちらの紋章はフォスカリ家の有翼のライオンの紋のみで、
下に跪くのは、最初の持ち主であったポンポーザ修道院の僧であろうと。
が、こちらの紋章はフォスカリ家の有翼のライオンの紋のみで、
下に跪くのは、最初の持ち主であったポンポーザ修道院の僧であろうと。

フォスカリ家とモチェニーゴ家の両家の紋の見えた裏側は、両家の結婚記念で
フォスカリ家の娘が婚資に持って行ったというので、花嫁花婿の姿でしたが、
こちらはそれ以前にはフォスカリ家の持ち物であった事を示し、
こちらの像の方が古いそう。
これは2年前の冬に写したものですが、奥に見える橋がパラディーゾ橋で、
角の剥げかけのピンクの建物がヴィヴァルディがかって住んだ、という家。

手前のもひとつの橋を渡り、建物に沿って手前に出て来ますと、
ほら、ここがサンタ・マリーア・フォルモーザ広場。
広い長方形の広場で、ヴェネツィアでも有数の広さの広場と。


ここまで進んで来て、予定では広場のご案内も、と考えていたのですが、少々疲れ、
今日一日、夕方までお絵描きを頑張ったので、予定変更し、
フォルモーザ広場は次回に、という事で、よろしくお願いいたしま~す。
その代わりに、またしっかりご案内致しますけん!
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