今日のご案内は、我が家から車で20分ほどに位置する古い教区教会
サン・ピエトロ・ディ・フェレット・La Pieve di San Pietro di Felettoを。
サン・ピエトロ・ディ・フェレット・La Pieve di San Pietro di Felettoを。
実は前を通る事は何度もあるほど近く、内部も2度ほど訪問、
説明を受けたり写真も撮ってはいたのですが、ご案内はまだでした。
説明を受けたり写真も撮ってはいたのですが、ご案内はまだでした。
それが先日、イタリア・ロマネスク教会全制覇途上のクリスさんから、
ここのフレスコ画をサイトで見ましたが、ご存知ですか?
というコメントを頂き・・、ははは。
という訳で、4年前の3月上旬に訪問した写真でご案内です。
ここのフレスコ画をサイトで見ましたが、ご存知ですか?
というコメントを頂き・・、ははは。
という訳で、4年前の3月上旬に訪問した写真でご案内です。
トップは教会入り口前の広いポルティチ部で、鐘楼は少し離れた位置にあリ、
アクイレイアの鐘楼をモデルのロマネスク様式ですが、尖塔部分は16世紀のものと。
アクイレイアの鐘楼をモデルのロマネスク様式ですが、尖塔部分は16世紀のものと。

この古くて小さな教会鐘楼の南側は、素晴らしく広々とした広場になっているのが、
写真がなく、サイトでも見つからず残念。
道が教会前まで迫っており、見上げるこんな感じ。

かってはこの石段を上がったのでしょうが、現在は南の広場側から
緩やかな坂道を辿り、横から入り口に。
この教会が出来たのは、大体1000年前後と見られ、当時トゥレヴィーゾ一帯に
36の教会が建設された時であろうと。
元々この場所にはロンゴバルドの礼拝所か民間信仰の施設があった後に
建設されたの様子。
近辺の地図をどうぞ。
赤点の付いた所に教会があり、コネリアーノからは北西の位置になり、
バニョーロ・Bagnoloのトラットリーアに、先回のパスクワのお昼でした。

教会の右に小さく家の印が見えるのが、我が家!
グーグルの道路検索で「スコミーゴ」と打ち込むと自動的に「我が家」と変換し、
おまけに教会まで17分と!
ですが、この教会に行くにはバニョーロ辺りから坂道を上るのと、裏側の山道を
上る2通りあり、裏側からは素晴らしい傾斜の、ははは、9つのヘアピンカーヴが続き、
8年前、12月末に免許を取り3月末にウンブリアに出かける前には、
ははは、ようやった! 毎日この坂道一帯を運転練習で走り回ったのでした。
上る2通りあり、裏側からは素晴らしい傾斜の、ははは、9つのヘアピンカーヴが続き、
8年前、12月末に免許を取り3月末にウンブリアに出かける前には、
ははは、ようやった! 毎日この坂道一帯を運転練習で走り回ったのでした。
出かけた早春のこの日は良いお天気だったのですが春霞で、
この高台にある教会前からの景色は素晴らしいのが、すこし残念!

ずっと以前に、チラッとこの教会もご案内しており、コネリアーノからの
素晴らしい景色もありますので、是非こちらも。
n.1 白ワインの道 Strada del Vino Bianco
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461343979.html
素晴らしい景色もありますので、是非こちらも。
n.1 白ワインの道 Strada del Vino Bianco
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461343979.html
教会前部のポルティコと言いましたが、前のみでなく、広くこんな風に
南側にも広がっており、かっては様々な集会にも利用されたのであろうと。
南側にも広がっており、かっては様々な集会にも利用されたのであろうと。

そしてこのポルティコに、正面入り口側に大変興味深い古いフレスコ画が残り、
ここに4枚見えますね、
ここに4枚見えますね、

どの説明にも5枚とあるので、多分この入り口脇のも数えているのでしょうが、
残念ながらこちらはこんな様子。
ですが専門家が見るとちゃんと主題が分るのですねぇ、「カインとアベルの犠牲」と。

他にもあれこれうっすらと見え、かっては一面にフレスコ画で埋められていた物と。
内部にもたくさんフレスコ画があるのですが、外側のこの4枚が古い年代のもので
12~13世紀、大変興味深く趣もあるので、少しご説明を。

正面左から、サンタントーニオ・アバーテ・Sant'Antonio Abate.
この聖人は「聖アントーニオの誘惑」などの絵画主題でよくお見かけしますが、
動物の守護聖人ですから、一帯の農家にとっては大切な聖人ですよね。
そして右に「聖母子像」ですが、
よく見えるようにアップを。
聖母は玉座に座り、ほら子供のキリストはお母さんのお乳では無く、
自分で哺乳瓶らしきものを持っているでしょう?
聖母は玉座に座り、ほら子供のキリストはお母さんのお乳では無く、
自分で哺乳瓶らしきものを持っているでしょう?

多分画家は、この近辺一帯の貧しい農家で古くから行われていた風習を
描いたのであろうという事ですが、そう、12,3世紀には既に哺乳瓶が
使われていた事になりますね。
描いたのであろうという事ですが、そう、12,3世紀には既に哺乳瓶が
使われていた事になりますね。
ではこの哺乳瓶は何製かと思われるでしょう?
はい、豚の膀胱なんだそうで、湯たんぽにも使われていたそう。
はい、豚の膀胱なんだそうで、湯たんぽにも使われていたそう。
◆ 追記 ◆
「哺乳瓶」については、当日のガイドさんの説明でも、今回いくつか読んだ
サイトでも、とりわけイタリア文化省とFAI(文化財保護協会)が名を連ねる
サイトにもあったので、上記の様にご案内したのでした。
「哺乳瓶」については、当日のガイドさんの説明でも、今回いくつか読んだ
サイトでも、とりわけイタリア文化省とFAI(文化財保護協会)が名を連ねる
サイトにもあったので、上記の様にご案内したのでした。
がクリスさんのコメント、「哺乳瓶となると、聖母の授乳の聖なる意味が
なくなる」を頂いて納得したように、
と、写真をアップして見て、やはり乳房と思います。
なくなる」を頂いて納得したように、
と、写真をアップして見て、やはり乳房と思います。
乳房の周囲をぐるっと囲んでいる茶のアウト・ラインが上部で切れ、
緑色の聖母の衣装の他に白い線が見えるのも、多分下着が覗いているのを
見せる為と思いますし、乳房の位置、子供のキリストの指の位置なども、
当時の画家の稚拙さから来るものと思われますので、間違いないだろうと。
クリスさん、有難うございました!
緑色の聖母の衣装の他に白い線が見えるのも、多分下着が覗いているのを
見せる為と思いますし、乳房の位置、子供のキリストの指の位置なども、
当時の画家の稚拙さから来るものと思われますので、間違いないだろうと。
クリスさん、有難うございました!
この2枚のフレスコ画の下に、正確には聖アントニオ・アバーテの下に、
この小さなフレスコ画、豚ちゃんです。
この小さなフレスコ画、豚ちゃんです。

豚は中世において、いや現代もですが、大切な食品で、春から夏に育て、
秋の木の実をしっかり食べさせ、クリスマスの前に葬り、冬を越す為の
重要な貯蔵食品だったのですね。
こちらは正面入り口の上にあるもので、左からサンタントーニオ・アバーテ、
サン・ジャコモ・San Giacomo、聖母子、そして司教、多分サン・ドナート・
San Donatoかサン・ティツィアーノ・San Tizianoだろうと。

上の2枚もそうですが、大変に素朴でのびのびとした描写で、
色使いも簡素で素晴らしいと思います。
こちらの背後の地面には植物らしきものが見えますね。 この土地の名フェレット・
Felettoは、ラテン語でシダ・felce・フェルチェに由来すると言い、
シダの多い林地帯を現しているのだろうと。
Felettoは、ラテン語でシダ・felce・フェルチェに由来すると言い、
シダの多い林地帯を現しているのだろうと。
そして最後の一枚が、これが大変貴重なフレスコ画で
「日曜日のキリスト・il Cristo della Domenica」と呼ばれる物。
ちょうどポルティコの梁の上にまたがるので、左右両方からの写真を。
「日曜日のキリスト・il Cristo della Domenica」と呼ばれる物。
ちょうどポルティコの梁の上にまたがるので、左右両方からの写真を。


キリストの傷ついた体のあちこちから血が迸り、周囲に描かれた様々な
道具類に繋がりますが、これら道具類はすべてその職業に繋がり、
つまり主の祝日である日曜日に仕事をしてはいけない、
それはキリストを苦しめる事になる、という事で、
左側の足元部分には、ベッドインのカップルも見えますが、はは、
「日曜はダメよ」なのであります、はい。
こういう描写は現在ヨーロッパに10点ほど残っているだけだそうで、
反宗教改革のトレント公会議において、民衆的で好奇心を誘う主題と描写は
異端に繋がる恐れがあると、禁止されたからなのだそう。
反宗教改革のトレント公会議において、民衆的で好奇心を誘う主題と描写は
異端に繋がる恐れがあると、禁止されたからなのだそう。
でこれ以降、苦しむキリストの姿は、釘、鞭打ちの為の円柱、槍、海綿(タオル地)
などに変わったのだそう。
などに変わったのだそう。
という事で、では内部に参りましょうか。

4年前の春に行った時は、まだ祭壇部分の最後の修復が済んでおらず、
この内部全体の写真はサイトから拝借で、
この内部全体の写真はサイトから拝借で、

狭く高い内部は3廊式、どちら側にもフレスコ画があり、内陣は半円形。
後陣上部に残るのはビザンティン風の壁画13世紀ですが、



ご覧の様に、上から2度目3度目と新しく描き直された様子もよく分りますね。
こちら右上が一番新しい15世紀の壁画「貧しい者達の聖書」といわれる物で、
字が読めずとも、ラテン語で行われるミサの祭典次第も
これを見ながらたどる事が出来るという、いわば絵解きですね。



入り口側、天井の高さが良く分かりますね。 ここには「最後の審判」があったと。

こちらは左側の壁で、右側よりも古く、13世紀頃のものと。
上の左の大きなのは、サン・クリストフォロ。


そして入り口左の隅には、この様に囲われた形の礼拝堂があり、

内陣側から見た様子で、真ん中に洗礼用の井戸があり、今正面真ん中に
見える聖セバスティアーノの名を冠され「サン・セバスティアーノの礼拝堂」
と呼ばれます。

この洗礼堂はこの一帯に唯一の、大変重要なものだったのだそう。
内部はご覧の様に、15世紀後半の大変密な壁画「サン・セバスティアーノの
生涯」で埋められており、





画家の名は特定できないものの、トゥレヴィーゾからベッルーノにかけての
土地の画家で、ヴィットリオ・ヴェーネトのセッラヴァッレの教会にも
同じ画家の作品とみられるのが残っているそう。
土地の画家で、ヴィットリオ・ヴェーネトのセッラヴァッレの教会にも
同じ画家の作品とみられるのが残っているそう。
教会前のポルティコで、当日一緒した仲間達と。 真ん中にルイーザがいて、
後ろに見える右が夫のレナート、そして左後ろの帽子がクラウディオ。
後ろに見える右が夫のレナート、そして左後ろの帽子がクラウディオ。

実はこの4年前の写真を引っ張り出して見直すまで、クラウディオの事を
忘れていたのですが・・、 彼は病気の為に盲目となり、ですがこうして皆と出かけ、
詩も書く、生きる意欲に溢れた素晴らしい男性だったのですね。
所がこの1年後にちょっとした事で入院し、明日は退院、という日に亡くなりました。
私は何度か会った位でそう親しくも無かったのですが、
お葬式の日に会った息子さんが、私の事も聞いていると・・。
私は何度か会った位でそう親しくも無かったのですが、
お葬式の日に会った息子さんが、私の事も聞いていると・・。
クリスさんが今回言って下さらなかったら、きっとこの写真もそのままだったろうと
ちょっと感無量で、ここに書かせて頂きましたが、
ちょっと感無量で、ここに書かせて頂きましたが、
この後、ルイーザにブログの事を知らせようと思っています。
クリスさん、有難うございました!!
早春の午後、ここの見学の後、もう一箇所近くの教会に行きましたが、
最後は、早くも陽が傾きかけたこの一帯の様子をどうぞ。



最後まで有難うございました!
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