・ とりとめも無く、 アッシジの聖堂周辺あれこれを

先回2度にわたりアッシジの聖堂、ジョットの壁画について見て頂きましたが、
文字制限に引っかかるのを恐れ、どちらも最後が尻切れトンボになり、
あれこれネットで探し出した写真もたくさんあり、ちょっと勿体ない気もして、
到底断捨離は無理なshinkai!なので、
「落穂ひろい」と称し、あれこれとりとめも無くご覧頂こうと思います。 
ごゆっくりどうぞ!

n.1 サン・フランチェスコ聖堂 ・ アッシジ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465045157.html

n.2 サン・フランチェスコ聖堂 ・ アッシジ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465045439.html

聖堂下の広場での新婚カップル。

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写真はいつものとおり、ブログ名の入っているのがshinkaiので、
無いのはサイトから拝借の物。



現在の聖堂、そしてアッシジの町もそうですが、1997年のウンブリア一帯の
地震の後修復され、綺麗に洗われた白さですが、
       
こちらは1991年の夏、イタリアに2ヶ月半ほど滞在した時に
アッシジにも1週間いた、その時の物。

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そうなんです、こんな感じに茶色に汚れ、広場の草地もしょぼしょぼで、
ははは、現在のように囲む生垣も無く、出入り自由でしたね。
はい、町全体も古く茶色にくすんでおりました。
       


これは下の聖堂広場の両脇のポルティチ。
壁も石積みのままで、広場もアスファルト舗装でした。

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で、もっと古い写真が見つかりました!
1930年10月25日、ブルガリアの国王ボリス3世・re Boris IIIと
サヴォイア家のジョヴァンナ姫・principessa Giovanna di Savoia
の結婚式が、この上の聖堂で。

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当時はサヴォイア家のヴィットーリオ・エマヌエレ3世・Vittorio Emanuele III
がイタリア国王でしたから、国王の5人兄弟の内の第4子、3番目の姫で、
当時の難しい政治状況下の政略結婚で、ムッソリーニも列席したとの事。

ですが後に夫の国王は、1943年ドイツのヒットラー訪問の後帰国して
3日目に死亡、明らかに毒殺されたものと見られ、
彼女の結婚生活は僅か13年、後の人生は険しかった様子です。



上の聖堂での結婚式を終え、下の聖堂に向うお二人。

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階段を下りずに、上の聖堂から広場の先まで行き、戻られた様子ですね。
お目が留まりましたか? まだ地道だったんですね。
      


こちらは要塞から見た聖堂のイルミネーション。
正面全体と、張り出した小さな塔、そして鐘楼の上にも灯りがともって
バランスの取れた明るさですよね。

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所がこの写真を見て即、我が絵の師である二木さんからメールが届き、
鐘楼と小さな塔(火の見櫓と彼は表現!)の明かりは以前は無かった!とのご注進。



えっ、そうだったけ?と気がつかずにいた鈍いshinkai。 以前の写真を探すと、
やはり!! 鐘楼と「火の見櫓」の明かりは、最近なのでしたぁ。

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あの小さい塔は何かなと、あれこれ考えたのですが、かって広場の民衆に向っての、
説教壇というか、演説壇ではなかったのかな、と推測しますが。



さて1997年9月26日、11時40分に起こったウンブリアとマルケ一帯の地震は、
マグニチュード6,1、震度10km、
11人の死者、100人の負傷者、8万軒の家の被害でしたが、
アッシジの上の聖堂の天井部が2ヶ所落下したのでした。

落下瞬間の、まさに激写がありました!

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椅子の向きと、窓からの明かりの入り様から考え、これは聖堂入り口部分の
落下と思われますが、この部分での死者が4名居られました。
観光客と確か外国人の僧侶のみで、アッシジの町の人は無傷!
本当にサン・フランチェスコ様のお陰で! と言う町の人々のインタヴューが
印象的でしたっけ。

いやぁ、2ヶ所のみの落下でよくも済んでくれた物!!
築後700年の聖堂が、本当によく頑張ったです!!



図も見つかりました。
上の図の濃いグレー部分が落ちた部分で、左が入り口扉部。
下の写真は右が入り口部、左が奥の祭壇上部分。

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これは奥の祭壇上部、チマーブエの絵画は永久に失われました。

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そして、こんな落下の瓦礫の中から、

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色の付いた欠片を拾い出し、

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どの部分かを割り出し、整理し、

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こんな風に、その部分の拡大写真に合わせての位置決め、
という大変な修復作業が行われ、
     
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遅い遅いと悪口を言われ続けるイタリアの修復工事ですが、なんと僅か2年で、
まさに国の守護聖人のフランチェスコ様の名誉を掛けたかの様な修復作業でした!

修復についてのヴィデオを見つけましたので、イタリア語ですが・・。
https://www.youtube.com/watch?v=OTz7AFp7Z5c



下の広場にも、こんな風に亀裂が入っていたのですね。

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これは知りませんでしたが、多分この機会に広場に敷石が敷かれたのだろうと。



地震の後、いち早く修復に取り掛かったのでしたが、当時の記憶に、
TVニュースで見た大クレーン車の到着があります。
つまり下の聖堂入り口横の、小さな入り口門をクレーンが通らず、
そのクレーンを吊り上げて中に下ろす、大クレーン車が来たのですね。
     
16-ults-.jpg  

狭いアッシジのあの坂道を、大きなクレーン車が道幅いっぱいにゴトゴトと
ゆっくり上り、両脇の建物がカタカタ揺れる、
あの映像が忘れられなかったのですが、はい、見つけましたです、ははは。



そして多分これは聖堂の修復が済んでじきの事だろうと。 
まだ町の建物の覆いも見える鐘楼の上からの眺め! 

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右の広場と、左に続く道が敷石に変わった様子で、あの鐘楼は一般人は
登れませんから、きっと工事関係者の写真ではないかと。



下の広場は様々な催しに使われ、椅子席がいっぱいの事もあり、
こうして毎年秋の、ペルージャからアッシジまでの平和の行進の皆さんも。
先日は偶然にTVで、この広場でのコンサートの中継も見ましたっけ!

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今日は話題があちこちに飛びますが、ははは、
       
先回上の聖堂の壁画はジョット作ではなさそう、とご案内しましたが、
これは下の聖堂にある、正真のジョットの「磔刑図」1310年作。
ご覧頂くように、明らかに作風が違うでしょう?


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そして上の聖堂の壁画のご説明で、当時は絵の具の白に鉛白を使っていたので、
湿度等による化学変化で、色がちょうど写真の陰画の様な化学変化を起こしている、
と書きましたが、図66、
これは下の聖堂にあるチマーブエの「磔刑図」で、まさに!の作品です。

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一度見て頂いたピエトロ・ロレンツェッティ・Pietro Lorenzettiの
「夕陽の聖母子像」
ちょうど夕陽がここに当たり光り輝くので、その様に呼ばれているという事ですが、

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聖母子を囲み、右に福音者ヨハネ、左に聖フランチェスコ。
幼いキリストが聖母に「どちらを先に祝福したら良いですか?」と尋ね、
聖母はくいっと親指をフランチェスコの方に!

はい、イタリアでは人差し指では指さず、こういう場合、親指でクィッとやるんですね。
この所作を聖母様もやる、と言う表現がなんとも・・、ははは。



この聖母子の部分のみが、町角のタイル壁画にもなっていて、
       
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はい、この角は町下のジョヴァンニ・パオロ駐車場から、カーヴした坂道を上り、
町のサン・フランチェスコ門を入った向かい正面にあり、
左手前のフラーテ・エーリア通りを上ると聖堂の下広場の位置に。



もう一度下の聖堂に戻って頂きまして、
シモーネ・マルティーニ・Simone Martiniの壁画部分を。

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左にサン・フランチェスコ、そしてサン・ルドヴィーコ・ダ・トローザ・
San Ludovico da Tolosa(南仏トゥールーズ)、3人目サン・ルイージ・ディ・フランチャ・
San Luigi di Francia(フランスの)、そしてサンタ・キアーラ・Santa Chiara.

フランチェスコの初期からの弟子、同士であったキアーラの肖像が、大変に優美な
シモーネ・マルティーニの壁画でが、如何に少し、サンタ・キアーラについて。



朝日が射し込みだす、サンタ・キアーラ聖堂。

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フランチェスコの時代13世紀後半、この位置にあったのはサン・グレゴーリオ教会で、
フランチェスコは亡くなった後フランチェスコ聖堂が建設され下の聖堂に葬られるまで、
この教会に埋葬されていたのでしたが、

現在この聖堂の地下クリプタには、サンタ・キアーラが埋葬。
キアーラ・Chiara(1193頃ー1253)は、アッシジの裕福な貴族の生まれで、
早くから独立の精神に富み、親の決めた結婚を拒否、とはいえ、彼女の当時の
情報が残っているのは少なく、当時としては家庭内できちんと教育を受け育った模様。

フランチェスコのお説教に魅せられ、18歳頃家から逃げだし、現在はアッシジの
下の町、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリの聖堂内に包括されている
ポルツィウンコラ・Porziuncolaの小教会に最初の宗教活動の弟子、仲間達と
いたフランチェスコの下に。
ここでフランチェスコはキアーラの髪を切り、サイオ/saio・法衣を与え出家させ、
近くのベネデッティーノ派の修道院に連れて行き、
後からやってきた彼女の妹アニェーゼ・Agneseもともに出家。
       
その後フランチェスコがかって修復したサン・ダミアーノ教会に隣接した小さな住まいに、
後からやってきたもう一人の妹ベアトリーチェ、そして母親のオルトラーナ・Ortolana、
他の女性達も含め早くに50人を越える集団に。

キアーラは長年病気がちだった様子ですが、サン・ダミアーノに42年間住み、
清貧のうちに祈りに身を捧げる修道院生活を続け、フランチェスコ派女子修道院・
クラリッセ・クララ会の創設者となったのでした。

サン・ダミアーノ への道 ・ アッシジ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461552025.html



今回アッシジの町中で見たミュージカルの公演ポスター、
「キアーラ・ディ・ディオ・Chiara di Dio・神のキアーラ」。
サン・フランチェスコの傍らでのサンタ・キアーラの生涯、という副題。

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町のメタスタージオ劇場・Teatro Metastasioで、毎週土曜夜9時半から。
サイトは https://www.liveticket.it/teatrometastasio



町の灯が灯り始めた、要塞から見るサンタ・キアーラ聖堂。
 
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さてもう一度サン・フランチェスコ聖堂の上の広場に戻って頂きまして、はい、
植え込みで作った十字架と、下にPAX・平和の文字が見えますが、
この十字架はいつも見る十の字ではなく、T なのですね。

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今回町の土産物店でもたくさん見かけたので気がついたのですが、
 


Tの字、TAU・タウと言い、
   
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元々はヘブライ語の最後のアルファベットで、旧約聖書の古い時代から用いられた、
「人々のための神の援けと愛」を示すのだそうで、
      
十字架に良く似たこの形を愛し、フランチェスコが使い出したと。
つまりローマのカタコンベにも見られると言うこのT字を、新しい時代風に意味づけし、
再度使い出したのだそう。



そしてアッシジの町の土産物店と言うと、どこの町とも同じ様なのがある一方、
やはり参拝の町、如何にもアッシジと言うのがあり、こんな感じ!

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そしてとても目に付いたのが、これ、 現教皇フランチェスコ様の絵柄! 
Tシャツに、絵皿に、カレンダー12か月分全部教皇様というのも!!

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フランチェスコ教皇様は、そのお人柄から選出当時から大変な人気があり、
壁のグラフィックも即ローマに現れた程のスーパー・マリオ・フランチェスコ!!

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アルゼンチンに移民したイタリア人両親から、1936年生まれ、
ホルヘ・マリオ・ベルゴーリオ・Jorge Mario Bergoglioが本名。
教皇は彼で266代だそうですが、フランチェスコを名乗ったのは、
なんと彼が初代で、貧しい人々への想いを忘れずに、と仰っておいででした。



アッシジにも2013年10月4日にお出でになられ、この日はサン・フランチェスコの
カトリックでの祭日で、イタリアの守護聖人である事から、
一年間の灯火の為のオリーヴ油の贈呈が、確か各州ごとの回り持ちで行われます。

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下の聖堂の地下にあるサン・フランチェスコのお墓の前の教皇様の写真。
上段の、鉄の棒で閉められた石棺がお墓。

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アッシジの聖堂は、上の聖堂が8時半から18時 オープン
下の聖堂は6時から18時まで。

聖堂のサイトは http://www.sanfrancescoassisi.org/it/
修道院の長いアーチが見れ、聖堂の鐘の音が聞こえます。



あちこちふらふらの、ははは、落穂拾い的な今回も終わりに近づき、
       
美しい夜景のアッシジの町と、

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アッシジのクリスマス、下の広場の様子と、

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上の広場のプレゼーペ・降誕祭再現を。

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で最後にもう一枚!
新婚のカップルで今回始めましたので、最後もね!

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夕方上の広場で見かけ、大急ぎで近寄りましたが、お祭り期間日の休憩時間
みたいな時間で、周囲に誰もおらず、
車に2人が乗り込み走り出した時は、盛大におめでとう!を言い、拍手しましたっけ!
少し下の方から皆の拍手が聞こえ、何かホッとしましたが、ははは。

長い蛇行、寄り道にお付き合い頂き、有難うございました!
さて次回からまたお祭りに戻り、賑やかに!
お楽しみに願いま~す!!

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