・ ヴィア・アックエドット・水道橋通りと、エトルスコ門 ・ ペルージャ

毎日暑いですねぇ!!  いかがお過ごしでしょうか?!
梅雨明けも間近でしょうから、皆さん、体調にお気をつけてお過ごし下さいね!

今日は5月に再訪したペルージャの中世部分、といってもこの歴史の長い街には
ローマ期以前の遺跡がたくさんあるので、中世など何さ、という感じですが、はは、

中世の水道橋・アックエドット・Acquedottoが現在もそのまま通り道として
残っている場所と、初代ローマ皇帝アウグストの名も冠されているエトルスコ門、
そしてちょっぴりパオリーナ要塞の中を、というご案内です。

まず、街の中心広場クワットロ・ノヴェンブレに面した街のドゥオーモ、
サン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzo.

1-548_GF.jpg



ドゥオーモ脇入り口とその右側。

2-552_GF.jpg

3-553_GF.jpg



入り口脇にある説教壇。 今回初めてここの装飾コジマ式のモザイクに気がつき!

4-558_GF.jpg



聖堂上部は装飾が未完ですが、下部の白にピンクの色がとても優雅で、
ピンクの石はアッシジ産と。

5-556_GF.jpg



内部にも入ったものの暗く、祭壇部のみ撮り、左下にカメラ禁止マークが
出ているのも、暗いので見えなかった事に、ははは。

6-1-560_GF.jpg



上でご案内した美しい壁部分は実は聖堂脇部分でして、右に回ったダンテ広場・
Piazza Danteに面しているこちらが聖堂正面。
       
6-2-609_GF.jpg

聖堂は、ここに以前あった969年建設の古い聖堂跡に造られた物で、
1345年に最初の石が置かれますが、実際の建設が始まったのは1437年と。

上の写真の美しいゴシック様式の扉は16世紀、脇の説教壇は15世紀初めの物、
最初の写真に見える左端のロッジャは1423年に、モントーネ・Montoneの
名高い傭兵隊長ブラッチョ・フォルテブラッチョ・Braccio Fortebraccioが
寄進した物なのだそう。

街の他の建物、そして聖堂前にある美しい泉・フォンターナ・マッジョーレ・
Fontana Magioreについて、も少し詳しくこちらに。
     
ペルージャ ・ 町の中心を、ほんの少し
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471449262.html



聖堂前から見るプリオーリ宮・Palazzo Prioriと、フォンターナ・マッジョーレ。

7-557_GF.jpg



で、今回は水道橋を見るのが目的だったで、聖堂前を西に行き、
この素晴らしく高く威圧的な門を抜け、

8-563_GF.jpg



門脇にあった泉。

9-562_GF.jpg



地図をどうぞ。 真ん中下にドゥオーモ・Cattedrale di San Lorenzoがあり、
そこから北西にバス停のある4つ角に。 そして、広い道を真っ直ぐではなく、
右の小路Via dei Baldeschi・ヴィア・デイ・バルデスキを行き、
赤点を付けた建物の下を潜るアーチを下ると、
水道橋の道・ヴィア・デッラクエドット・Via dell'Acquedotto.

10-gia_GF.jpg

もう一つの目的のアルコ・エトルスコには、元のバルデスキ通りに戻り、
そのまま下ると行き着きます。



ここがヴィア・デイ・バルデスキから下る道の入り口で、 

11-564_GF.jpg



振り返ってみるアーチの上はこんな高い建物! 5~6階建てのこんなのが
ペルージャには多く、田舎暮らしにすっかり慣れた身にいつもかなりの威圧感、はい。

12-588_GF.jpg



ぼちぼちと、低い石段道を下り、中程に見えて来るのが水道橋通り。

13-567_GF.jpg

目の前を横切るアーチ上の道が、地図に見えるチェーザレ・バッティスティ通り・
Via Cesare Battistiで、この道を右に行くと、やはりアルコ・エトルスコ前に。

見ている前を、この上の道を真っ赤な観光客用バスが通り、
説明の為に暫し止り、・・はよう、いかんかぁ。



そうなんです、昔々雑誌で、はたまた近年はサイトで、この水道橋の写真を見て、
ずっと一度実際に見たいと思っていた風景! そして奥の古い背の低い建物群。

14-569_GF.jpg

15-571_GF.jpg



今下って来た道は、ヴィア・アッピア・Via Appiaといい、こんな風に接続し、

16-572_GF.jpg



ほら、意外に横幅が広いでしょう? そして、こんな風に奥に続き、
人々が普通に通って行きます!

17-575_GF.jpg

18-578_GF.jpg



真ん中部の橋に接した建物の壁に、この標識。

19-580_GF.jpg

実はshinkaiめは、この水道橋がローマ期の物であると思い込んでおり、
昔々雑誌でそう刷り込まれ、はぁ、所がおっとどっこい、今回最初に書いた様に、
これは中世13世紀の物と、今回このブログ書き用で知ったという訳です!
       
1254年に街の議会は北のモンテ・パチャーノから、ドゥオーモ前のグランデ広場・
現在のクワットロ・ノヴェンブレ広場まで水道橋を通し、広場に泉・
フォンターナ・マッジョーレを作る事を決定。

1255年から工事にかかりますが遅延し、工事終了は1280年で、
ちょうどこちらも建設が終わったフォンターナ・マッジョーレから水が迸ったのは
1280年2月13日の事だったと。

つまりこの水道橋は、あの美しい泉に水を供給する為に建設された訳で、
全長5Km弱、建設工事も長引いたのですが、出来てからも水泥棒、破壊工作と
その保全問題が絶えずで、最後は1799年と、これがどうやら大きかったらしく、
遂に別の水確保をし、19世紀にこの最後の部分を歩道として残したのだそう!

私は「水道橋」という言葉に、街の人々に水を運ぶという憧れも感じ、南仏で見た
あの美しいローマ人の造った水道橋ポン・デュ・ガールも思い重ねていましたが・・。

ですが、今回あれこれサイトの記事を探しながら読み、少しずつ分って来たのが
とても興味深く、現在もモンテ・パチャーノの一帯には、湧き水を貯めるための
幾つかの地下の水槽、一番大きなのは長さが500mもあり、
現在は博物館になっている事なども知り、面白く楽しめました。

それにしても、街の中心に大きな美しい泉を作り、その水確保の為に水道橋を作り
水を運ぶ、う~む、当時13世紀のペルージャの繁栄振りが分るような逸話ですね!

ポン・デュ・ガール ・ ローマ期の美しい水道橋
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461110527.html

フランス全体のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834284.html       



橋の上から振り返り、水道橋のまっすぐ行きつく先に扉が見えますね、
あそこは鉄柵の扉になっていたので、あの奥に貯水槽があったのかも!

20-581_GF.jpg



橋の上、チェーザレ・バッティスティ通りから見下ろす観光客。

21-582_GF.jpg



日陰まで戻って来て眺めていると、植木鉢を抱えた若者達が坂道をゆっくり
上ってくるのが見え、近づくにつれ、一人の半パンがひどく下がっているのに
気が付き、ははは、待つshinkai!

22-583_GF.jpg



ほらね、ははは、せめて黒パンを穿くべきだよぉ、きみぃ!

23-585_GF.jpg



という事で、最後にもう一度眺め、

24-589_GF.jpg



アルコ・エトルスコに向います。 坂道の脇には、こんな古い建物類が続き、

25-591_GF.jpg



貼ってあったポスターが可笑しく、
「33年度全部豚肉祭り」 サンテネアの町 4月24日と5月3日。

26-590_GF.jpg

いかにも肉喰らい人種用ポスター、と思われません?! ははは。
あ、サンテネアという町はペルージャの南14kほどに。



アルコ・エトルスコ・エトルリア人の造ったアーチ・門、またはアウグストのアルコと
呼ばれるこの素晴らしい街の門を、まだ見た事がなく出かけたのでしたが、

裏側から近づいて見る素敵な石組み、大きな丸みを帯びた石組みが
なんとも素晴らしい迫力と美しさでまず驚き!!

27-592_GF.jpg

28-607_GF.jpg



門の外からの全体の眺め。
    
29-600_GF.jpg

ペルージャの街には7つのエトルスク門があるのだそうで、これはその内のひとつ、
建設は紀元前3世紀の半ば。 それを紀元前40年に、この街との戦争に勝った
アウグスト・Augusto、初代ローマ皇帝が改修し、で、名を2つ持つわけですね。
       


アーチの上に、AVGVSTA PERVSIAと見えますが、これは昔はUの字にもVを
使っていたからで、その上にCOLONIA VIBIAと見えるのは、後の皇帝ヴィビオ・ガッロ・
Vibio Teodoriano Galloが紀元後251~253頃に付け加えた物と。

30-598_GF.jpg



門の左に見えるこの台形の塔とロッジャは、ルネッサンス期に加えられた物だそう。

31-605_GF.jpg



門の右に回ると、やはり下側はエトルリア人の石組みが見て取れます。

32-604_GF.jpg



ぐるっと右回りに、チェーザレ・バッティスタ通りが行き、街の眺めがこんな風に。

33-602_GF.jpg



また中心に戻りお昼を食べ、中心のコルソ・ヴァンヌッチを南に。 
北向きにドゥオーモを。

35-611_GF.jpg



バス停のあるイタリア広場・Piazza Italiaの先に、お高そうなホテルがあり、
その前にこのおベンツ!
      
36-613_GF.jpg


 
先に覗いた若者2人がおお!と喜ぶので何かとshinkaiも、勿論ね!

37-614_GF.jpg

お天気が良すぎて反射であまりよく見えませんがぁぁ、
なんとダッシュボードが木製だったのでありましたぁ!!



高台にある街の南端にあるのが、パオリーナ要塞・Rocca Paolina.
16世紀に教皇領となったペルージャの街に1543年に建設の要塞、
教皇の権力を示す大きな要塞だったのですが、1860年に破壊され、
現在はこの中にエスカレーターが何層にも付き、下の町への連絡道となっていて、

これはもうエスカレーターを降りてからだったと思いますが、
こんな感じの細い通路や、広い街中のような場所もあり、

38-616_GF.jpg

39-617_GF.jpg



今前を行くカップルは、鉄柵の向こうに彼が牢獄に収監、式に入り、ははは、
写真を撮って喜んでおりましたぁ。

40-619_GF.jpg

という、ペルージャのちょっぴり訪問でした。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。


この記事へのコメント