・ n.2 アルボルノス要塞 ・ スポレート

引き続き今日もウンブリアはスポレートのアルボルノス要塞のご案内をご覧下さい。
写真は、先回書いた要塞へのエスカレーターがちょっと写っているのを探しました。

手前左に写る古い壁は、ローマ期の野外闘技場・Anfi Teatroで、
その先の市壁内に見えるグレイのかまぼこ型がそうです。

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実際には乗らなかったのでこれしか書けませんが、このエスカレーターの横に
大駐車場があり、そこから次々と繋がり要塞の下迄行き、要塞内部に上がれる
エレベーターに連絡している様子。

要塞の塔は角々に計6塔ありますが、こちら側真ん中に見える一番太い・
Torre Maestra・主塔と呼ばれる塔の中に、
今日ご案内する素晴らしいフレスコ画があります。 ではどうぞ!



このフレスコ画は、先回ご紹介の広い展示室にあった物で、サンタ・マリーア・
インテル・アンジェロス修道院・S.Maria inter Angelosの13世紀後半の物 
と説明にあり、
なぜご紹介をと言うと、この磔刑図に描かれた人物は、キリストと聖母、
そして聖フランチェスコと聖女キアーラと書いてあるのです。

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嘆く聖母と右に聖フランチェスコ、これは分かりますよね。 で女性2人の内、
どちらが聖キアーラなのか・・? もう1人は?

いずれにしても、様々な聖人が磔刑図に描かれていますが、
聖フランチェスコと聖女キアーラが一緒に、というのが珍しく、ここに。
どなたか、どちらの女性かどうかご存知でしたら、お教え下さい。



ここからの部屋は要塞の南側に繋がる展示室何室かで、テンペラ画や彩色木像
などもあり、部屋の装飾フレスコ画もなかなか興味深かったのですが、

こちらは、ちょっとドキッとして眺めたもので、FINISCE TUTTO, FINISCE.・
フィニーシェ・トゥット、フィニーシェ・全ては終わる、終わる。 と。

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いわば今生世界に於いて最高位に上りつめた教皇様のお部屋の1つに
書き込まれていた文字なので。
とはいえ・・、まぁ、見せる為に、という事も多いにある訳でして。 ははは。
       


中でも大変美しい装飾の1つがこの部屋。 優雅でしょう?!

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中に描かれている紋章はピオ2世・Pio II(1458~1464在位)の出身
ピッコローミニ家の物と思われ、トスカーナの理想の町ピエンツァを造った方で、
十字軍遠征を夢見て、アンコーナで船出前に亡くなった方でした。

同じピッコローミニ家出身、ピオ2世の甥に当たるピオ3世が後1503年9月に
教皇に選出されますが 僅か27日間の在位で潰瘍で亡くなっており、
ええ、毒を盛られた、という見方もある様で、こういうお話は何かワクワクしません?
       
この後に続くのが、かの有名なジューリオ2世・Giulio II、負けず嫌いの毒舌家、
ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせ、ラファエッロにも
ヴェティカン宮殿の装飾をさせた方で、はは、続けざまに脱線転覆、失礼!

花のピエンツァ点描 ・ 再訪できた喜び!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html



テンペラ画の素晴らしいのも幾つかあり、フォリーニョの画家ラッルンノ・
L'Alunno・弟子 というあだ名のNicolò de Liberatoreの1475年頃の作品。

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大変美しい祭壇画で、と共に、この衣装の柄に目が留まりました。
上の写真の天井装飾の花と同じではないでしょうか?
この花には、何か意味があるのでしょうか?
どなたか、花の名前をご存知でしたらお教え下さい。



素朴な彩色木像の聖母で、膝の辺りの感じから、左手には赤ちゃんキリストが
抱かれていたのでしょう。 ちょっと珍しい柄布の被り物で、
この縞柄はユダヤ人の縞だったと。 

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窓から谷を越えて繋がる水道橋が見えました。 

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修復なのか、3年前の春には既に閉じられていて渡れませんでした。
それ以前の1,2年前に行った息子夫婦から渡った際の写真を見せられ、
実際に谷の向こうに行きたかったのに、・・クヤチかった!



厚い壁に切り込まれた窓、青空の下のアーチが映ります。

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この広い部屋は2つの中庭の真ん中にかかる棟の2階で、これは南を向いていて、
こちら手前、つまり北側に主塔に接する入り口、写真に見える窓のある位置で、
そこから入ると・・、

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ピンタの部屋・Camera Pintaと呼ばれる美しいフレスコ画の部屋。
これを見て頂きたかったのです!

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部屋は真ん中に両方からアーチが張り出し2部屋に分けられ、多分入り口部は
城主や領主の個人の書斎として使われ、奥部分が寝室だったろうという事で、
ここが城主の居住部分でした。
そして描かれたフレスコ画のテーマも違うのですね。
      
まず最初の部屋、書斎の全体の様子をどうぞ。 右下が大広間に接する入り口。

正面右寄りに見える細い壁切り込み部分を、覚えておいて下さいね。



大きく2層に分かれて描かれているお話は、まだどの話に根拠するものかは
確定されていないそうですが、ご覧の様に中世の騎士の冒険談です。

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下段の真ん中は、騎士たちの騎乗試合で、桟敷席では貴婦人貴人達が見物、
子供達は走りまわっていますね。



上段部左側から、楽人達が笛を吹き、若い男女が花咲く野で踊り、

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若い騎士が泉の傍で休んでおり、愛馬も水を飲みに近寄り、奥の森には鹿も見え、
右では、どうやら騎士のいなくなったのを一族が心配し、訊ね探している様子。

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この場面が理解しにくいのですが、先と同じ泉の様で、騎士の持つ剣は刃こぼれし、
が、死んでいるのではなさそう。もう一人騎士がやって来ますが、彼も抜き身で、       

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こちらは、部屋入り口の上段で、お話はこちらに続く様子。
左から貴婦人が騎乗で通りかかり、先ほどの騎士2人が戦っていて、

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右の場面では、最初の騎士と同じ衣装のが左から2番目と思われ、城に入って行く
最初の人物の頭には王冠が見えます。
      
というと、彼は王の騎士となり、お城に住むようになる、立身出世した、
というお話かと推測を。
    
案外上段左端の花咲く野での舞踏場面がお城の中のお話で、これに続くのかも。



こちらは下段の一番右端で、奥の暗い中には悪魔が身構え、
騎乗の2人は恐ろしさに震え、お馬ちゃんまで進むのを躊躇っている様な目で。
中世の絵に時々見る、こんな馬の目はいつも可愛くて笑えます。 

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こちらは、手前の部屋から奥に入る部分のアーチの片側で、花咲く野に座り、
乙女が花輪を作りつつもの想いに。 奥の部屋への素敵な導入部でしょう?            
       
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窓の覆いを通して光がこぼれる逆光の薄暗い部屋で、正面のフレスコ画は
こんな感じに残っていますが、こちらは宮廷の愛の物語のお部屋。

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仕切りの内側、アーチの左と右。 これがとても綺麗でしょう?!

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左右から若い男女が呼びかわし、玉投げで遊んでいる様な。



正面真ん中はこの様に、真ん中では魚を獲っていますが、
左の夢見心地の恋する若者に天使が何か指図をしているようにも見え、

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右端には、



そう、天使が見事乙女の胸に愛の矢を。

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乙女がすがりつく年長の夫人の手には鷹が留まり、左手には獲物の小鳥。
野には花が咲き、奥の森の描写も美しく、如何にも牧歌的な中世の愛のシーン。



こちらは左手の壁に残る、泉の水浴場面。 若い女性7,8名が肌も露わに水浴し、

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お堅そうな中年男性がお説教している場面かも。

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一番左端の美しい女性。

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これら騎士の冒険談と宮廷の愛の物語のフレスコ画は、当時この要塞の城主であり
スポレートの治世官でもあったマリーノ・トマチェッリ・Marino Tomacelliが
住んでいた期間の1392~1416年に描かれたものだそうで、
テルニの画家ドルミーティオ・Dormitioの工房作で、泉の水浴場面は
1450年代の無名の画家だそう。

当時の城主だったというマリーノ・トマチェッリなる人物ですが、
トマチェッリ家はナポリの古い名門貴族で、1389年に203代の教皇位に就いた
ボニファーチョ9世・Bonifacio IXの俗名はピエトロ・トマチェッリ・Pietro Tomacelli.
つまり一族の間柄で、この土地を預かっていた事になります。

先回ちょっと書いた様に”美しき”ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaも
父の教皇アレッサンドロ6世から、執政官の名目でこの要塞に1499年に送り込まれ、
3年間の滞在を。
彼女の2番目の夫アルフォンソ・ダラゴーナ・Alfonso d'Aragonaから遠ざけられ、
兄のチェーザレによる夫の殺害ののち、フェッラーラのアルフォンソ・デステ・
Alfonso d'Esteとの3度目の結婚の間の時期に当たります。

彼女がここに来た時未だ19歳の若さだったと知り、この部屋の愛の場面を見て、
彼女はどの様な切ない想いを抱いたろう、と。  熱い吐息が聞こえそうでしょう?



で、まるでルクレツィアとは違う無粋なshinkaiが、熱い吐息の後に
お見せするのはです、ははは、

最初の部屋に見えた壁の切り込みの奥、これです、トイレ!

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見た途端にピンと来て入り込み、薄暗い中でシャッターを押し、少々ブレましたがご容赦。
ルクレツィアのみならず、何人かの法皇様もお使いになったであろう、
由緒ある、歴史に残るトイレでありますぞ。



中の棟から見下ろす貴人の中庭。

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出てきた所で、結婚式記念の写真を撮るカップルに出会いました。
カメラマン2名にヴィデオ係1名の豪華版でして、アウグーリ!

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見れた物にすっかり満足し、要塞からの坂道をのんびりと街に向かいます。

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堅固な要塞とばかり思っていた内部で見た物は、意外にも優雅な時代絵巻にも
似た中世の愛の物語でしたが、

古い絵が好きなのは、少々描くテクニックが稚拙でも何かを物語り、
ゆっくりとこちらもその絵の中で遊べるからなのです。
物語を辿り、あ、こんな事をしてる、こんな風に遊んでる、と楽しめます。

スポレートにお出かけの際は、是非この要塞にも時間をお割き下さいね!!


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