今回も引き続き、ウンブリアの南西部に位置するトーディ・Todiのご案内を。
ご覧の通り400mの丘の上、華と咲き誇った中世の面影を濃く残し、
ギッシリと密な町、それがトーディ。
ご覧の通り400mの丘の上、華と咲き誇った中世の面影を濃く残し、
ギッシリと密な町、それがトーディ。
これは町から南に下った場所、麦畑の中に残るトラクターの輪の跡、
赤く咲き乱れるポピーの花・・、ああ、ウンブリアの春!
赤く咲き乱れるポピーの花・・、ああ、ウンブリアの春!

町の中心ポポロ広場にドゥオーモの建設が始まったのは12世紀からですが、
以前ローマ期の建物があった場所だろうと。

ドゥオーモの内部を少しご案内。 3廊式で、ご覧の通り素朴なイメージですが、
薔薇窓が大変美しく、その下に見える大壁画が目を引きます。

ミケランジェロの「最後の審判」に大いに影響を受けたと見られるファエンツォーネ・
本名 Ferrau` da Faenzaの16世紀後半の物。
他にもかなり有名作家の絵もあった様なですが・・。
それ以上に興味を引かれたのが、この円柱の柱頭部分の彫り。
上の写真でご覧の様に円柱は細いのと太いのと交互にあり、その太い方の柱頭に
様々な聖人様達が居られるのが、なんとも微笑ましい中世式プロポーションで!

ですがこのキリスト様は、さすが、という神々しさで、彩色されていた様子ですね。

ドゥオーモや鐘楼は火事や地震の災害を受けた様ですが、その素晴らしさを
増したのは13世紀後半教皇ボニファーチョ8世・Bonifacio VIIIの下においてだそう。
彼はトーディの司教ピエトゥロ・カエターニ・Pietro Caetaniの甥にあたり、
若い頃トーディに住んでいたとも。 こういう権力関係の繋がりの影響は凄いですね。
増したのは13世紀後半教皇ボニファーチョ8世・Bonifacio VIIIの下においてだそう。
彼はトーディの司教ピエトゥロ・カエターニ・Pietro Caetaniの甥にあたり、
若い頃トーディに住んでいたとも。 こういう権力関係の繋がりの影響は凄いですね。
ドゥオーモの右脇に鐘楼があり、その横道を奥に行くと後陣の裏側に行きますが、
ここにまた中世がしっかりと。
ここにまた中世がしっかりと。

柱の彫り飾りが見事! さまざまな動物、人の顔が見張りをし続け。

これなども人の顔と思うのですが、ご先祖様に近いようでもありワクワクします。

同じ道筋にあった窓の下の、神の手。 静謐なイメージを伝えます。

この脇道に小さなタバッキ兼の本屋があり、ガイドブックを求めたら、年配のご主人が
「トーディを知るには、歩く事」と。 はぁい、脚が攣る程歩きましたです!
「トーディを知るには、歩く事」と。 はぁい、脚が攣る程歩きましたです!
という事で、もう一度町の地図をどうぞ!
町の中心のポポロ広場・Piazza del Popolo周辺をご案内しましたが、

次はサン・フォルトゥナート教会・San Fortunatoに。 南からの町の眺めに
聳えていたあの教会です。
ドゥオーモ向かい側にあるプリオーリ宮の右脇の道を行き右折。

素晴らしい眺めでしょう?! サン・フォルトゥナートは、町の守護聖人でもあり、
教会は丘の高台に位置し、下からの石段がジグザグに。
教会は丘の高台に位置し、下からの石段がジグザグに。
建設は13世紀後半から14世紀にかけてですが、15世紀に再度続きを。
正面の未完のむき出し壁が良い趣をかもします。
正面の未完のむき出し壁が良い趣をかもします。
正面の大扉を飾るアーチの層・15世紀が素晴らしく。

左側部アップをどうぞ。 残念ながら天使の顔は削られていますが、大変優雅。
向かって右には聖母の像があるので、受胎告知でしょう。
夕方近く、既に閉っており、結局そのまま中は見ずじまいに。

で、突然ですが、このパオロ・ウッチェッロ描くところのヤコポーネ・ダ・トーディ・
Jacopone da Todiの肖像を。

というのも、このサン・フォルトゥナート教会地下に、彼のお墓があるとの事。
ヤコポーネ・ダ・トーディの名は聞いた事があるだけで、町に行ってもよく確かめもせず、
ブログに書く為に調べ始め、俄然興味を持ち、例に寄りあれこれ追いかける羽目に!
ブログに書く為に調べ始め、俄然興味を持ち、例に寄りあれこれ追いかける羽目に!
その元も、このプラート・Prato(フィレンツェの北西)のドゥオーモにあるという壁画を
サイトで見つけた事に始まりますが、絵から受ける印象通り、大変な人物。
ご覧になる皆さんも、アッシジのサン・フランチェスコと共通のイメージ、
つまり清貧、頑固、狂信的熱情などをお感じでしょう?
サイトで見つけた事に始まりますが、絵から受ける印象通り、大変な人物。
ご覧になる皆さんも、アッシジのサン・フランチェスコと共通のイメージ、
つまり清貧、頑固、狂信的熱情などをお感じでしょう?
ヤコポーネ・ダ・トーディはその名の通りトーディ近郊出身(1236(1230)-13060).
裕福な貴族の生まれで、多分ボローニャ大学で学び公証人、貴族の娘と結婚し
世俗の生活を享受。 が程無く
舞踏会場の床が抜け落ちての唯一の死者が彼の妻、その上妻が密かに
豪華な衣類の下に、贖罪の為の鉤の付いた帯(荒布の肌着と記したのもあり)
を身に着けていた事を知り、一挙に懐疑に陥り、
持物を全て貧者に与え、自分は世捨て人同然の喜捨を受ける生活に。
裕福な貴族の生まれで、多分ボローニャ大学で学び公証人、貴族の娘と結婚し
世俗の生活を享受。 が程無く
舞踏会場の床が抜け落ちての唯一の死者が彼の妻、その上妻が密かに
豪華な衣類の下に、贖罪の為の鉤の付いた帯(荒布の肌着と記したのもあり)
を身に着けていた事を知り、一挙に懐疑に陥り、
持物を全て貧者に与え、自分は世捨て人同然の喜捨を受ける生活に。
こうして10年後、フランチェスコ会派の厳格派に並びます。
ラウディ・Laudaeと呼ばれる93篇からなる神への賛歌の詩は中世イタリアの
宗教的文学と見なされ、中にあの有名な「スターバト・マーテル」も含まれているそう。
妻の死に関する逸話は半ば伝説の様ですが、も一つ欠かせないのが
教皇ボニファーチョ8世との関わりで、
お互いの青年時代にこのトーディで知り合いであった事は間違いなく、皇帝派と
教皇派の争いの幾つかで、若き日のボニファーチョが投げつけられた石で
頭に怪我をした、という話も。
教皇ボニファーチョ8世との関わりで、
お互いの青年時代にこのトーディで知り合いであった事は間違いなく、皇帝派と
教皇派の争いの幾つかで、若き日のボニファーチョが投げつけられた石で
頭に怪我をした、という話も。
その発展か、後にボニファーチョ8世に敵対するコロンナ家出身の司教ピエトロ・コロンナ
に与し、まさに戦争に発展。 捕らえら破門され、有罪終身収監に。
に与し、まさに戦争に発展。 捕らえら破門され、有罪終身収監に。
が、ボニファーチョ自身がアナーニ事件で憤死する顛末となり、
最後の3年間は自由の身に、そしてクリスマスの日に亡くなったと。
まさにまさに激しい中世の男、知り始めると興味しんしんで、あれこれ読んだのでした。
最後の3年間は自由の身に、そしてクリスマスの日に亡くなったと。
まさにまさに激しい中世の男、知り始めると興味しんしんで、あれこれ読んだのでした。
教会前左右にあるライオン像。 既に目鼻も定かではないですが、何か獲物を抱え。

高い位置にある サン・フォルトゥナート教会前から。
左手のこの建物も、素晴らしいでしょう?

町中にはあれこれお土産物店が並び、やはりウンブリア名物の陶器が目立ちますが、
私は古い花柄織のクッションをひとつ。
私は古い花柄織のクッションをひとつ。

少し、町中の通りの様子をご覧頂きますが、中心のポポロ広場から、
またはサン・フォルトゥナート教会からはどちらに行っても下りの坂道!
またはサン・フォルトゥナート教会からはどちらに行っても下りの坂道!
威圧感を感じる程に、狭い小路の両脇に聳える高い壁。

そして中世の町、建物に特有のアーチの支え。 真ん中に見えるのは、どうやら
アーチの上下の建て増しで、きっと中に3階分ほどの部屋がありますね、これは。
アーチの上下の建て増しで、きっと中に3階分ほどの部屋がありますね、これは。

なんと呼ぶのか、イタリア語の先生アンナリーザに尋ねると、彼女も知らず
サイトで調べてくれ、結果は単に「アーチ」らしいと。
サイトで調べてくれ、結果は単に「アーチ」らしいと。
町で買って戻ったガイドブックにも、この支えの写真がずらっとあり、
それにはトラヴェルサ・Traversa・支えと。
ですが、その言葉で検索をかけるとまた少し違うようで、
今は使われなくなった建築様式ですし、元々名前もあやふやなのかも。
それにはトラヴェルサ・Traversa・支えと。
ですが、その言葉で検索をかけるとまた少し違うようで、
今は使われなくなった建築様式ですし、元々名前もあやふやなのかも。
道も曲がりくねり、建物も出たり入ったり、支えの壁もアーチも、
自由自在に架け渡され。

人通りも中心広場と目抜き通り以外では殆ど見かけず、ですが、ひとつも危ない
感触はありません。 住みやすい町の一つにも数えられているそうで、
偶に出合う人も、写真の邪魔にならぬよう気を配ってくれ、恐縮する事もあり。

サン・フォルトゥナート教会から、中心方向に戻り南に下る一帯がとりわけ
古い中世の面影を残すそうですが、まさにその通りで、こんな坂道が縦横に。

今、お歳を召したお洒落なシニョーラがゆっくりと下って行きます。
これはサン・フォルトゥナートから西に下った辺りだったと。
私の写真では特別に狭い小路はありませんが、ガイドブックには、人1人やっとの
石段道もあり、それには「猫や犬用サイズの道」との説明で笑いました。
石段道もあり、それには「猫や犬用サイズの道」との説明で笑いました。

サン・フォルトゥナートから西への広い道、ヴィア・チュッフェッリ・Via Ciuffelli.
銅製品の店ですが、少し色が飛んでしまい残念。

ヴィア・チュッフェッリを少し下ると、展望台風に開けた公園があり、
町のドゥオーモの奥から西側部分がこのように。

この公園の下に広い駐車場があり、ケーブルカーが連絡していますが、
先に知っていたら、町の真ん中に陣取る事が出来、見物もしやすく、
食事の為に坂道を上り下りする事もなく、脚が攣る事もなく! ははは。
食事で思い出しましたが、コルソ・カヴールからポポロ広場に近い右手に
ピッツァ、レストラン・カヴール・Pizzeria Ristorante Cavourというのがあり、
Corso Cavour 21. Tel 075-8943730
ここで2回食べましたが、美味しかった!
茸のオムレツの美味しさが忘れられず、7月のウンブリア旅行でアックワスパルタ・
Acquaspartaに行き、少しがっかりの町で、Todi 18K とある道路標識を見て、
よしもう一度あれを食べようと走り、駐車場を探し回り、また必死の坂登り!
で、着いたら夏休みで閉めていて、力が抜けた記憶が。 はへぇ。
ピッツァ、レストラン・カヴール・Pizzeria Ristorante Cavourというのがあり、
Corso Cavour 21. Tel 075-8943730
ここで2回食べましたが、美味しかった!
茸のオムレツの美味しさが忘れられず、7月のウンブリア旅行でアックワスパルタ・
Acquaspartaに行き、少しがっかりの町で、Todi 18K とある道路標識を見て、
よしもう一度あれを食べようと走り、駐車場を探し回り、また必死の坂登り!
で、着いたら夏休みで閉めていて、力が抜けた記憶が。 はへぇ。
ポポロ広場周囲には他にも美味しそうな店がありましたが、どこも夕食の始まる
時間が遅く待ち切れず、試すチャンスがありませんでしたぁ。
時間が遅く待ち切れず、試すチャンスがありませんでしたぁ。
公園の城壁の上、鳩が温かい石の上で膨らんで。 町が高いせいか風が結構強くて。

公園のマロニエの花。

下の平野を見下ろして。 こちらは町の北側。

ドゥオーモから北に、そして東に下る坂!

上の写真の坂道の途中から右に入って行くと、古い城壁の下の広場に。
この一帯如何にも古い家が並び、段差をつけ下に広がり、なんとも趣深く、
行ったり来たり、アーチをくぐりまた戻りし。

これが広場西の、どうやらエトルスク期の壁。 壁の上に道があり建物が並ぶ、
町の段差の様子がお分かりでしょうか。

トーディの城壁は、エトルスク、ローマ、中世と3重に重なリ、外に広がります。
同じ広場の南角。 この高さ、この威圧感。

中心のポポロ広場からコルソ・カヴールを下り、道の名がヴィア・ローマと変わり、
このカテーナ門・Porta Catena.

ここから道の名がヴィア・マッテオッティ・Via Matteottiとなり、長~い坂道が
町の東下まで続きますが、この門の外すぐ左手に入り込むと、
町の東下まで続きますが、この門の外すぐ左手に入り込むと、
多分ローマ期の城壁の外側の道にでて、先回ご覧頂いたアウレーア門外まで
続きますが、見上げる高さの家並が続き、左手柵の下にも家並。
続きますが、見上げる高さの家並が続き、左手柵の下にも家並。

この城壁外の道から、最初入って来たアメリーナ門を。
門の外は新しい家並、新しい町で、門の中は中世。

これは、サン・フォルトゥナート教会から南に下った所のリーべラ門・
Porta Libera辺りから南を眺め。

町の南の門アメリーナを出た道は一旦下り、大きくカーヴを描きながら南の山に上り、
消えて行きます。そして、山の上にはどうやら塔の形が。
消えて行きます。そして、山の上にはどうやら塔の形が。
こんな道を見たら行ってみたくなりませんか? どんな村を通り、何処まで行くのか。
ええ、半日この道を辿りましたら、まさに中世そのままの村が幾つか。
チャンスを見て、またご案内いたしましょう。
ええ、半日この道を辿りましたら、まさに中世そのままの村が幾つか。
チャンスを見て、またご案内いたしましょう。
トーディの町の坂下、西端にあるルネッサンス様式の教会サンタ・マリーア・デッラ・
コンソラツィオーネ・S.M.della Consolazione.
正式な記録は無いものの、ブラマンテの手も加わっていると言われます。

南への道を辿る途中から、トーディの町を。

まさに中世がギッシリと詰まり、今なおゆったりと息づく町、
素晴らしさは期待以上でしたが、上手くご案内できたでしょうか。
少し交通が不便ですが、是非お出かけください!
素晴らしさは期待以上でしたが、上手くご案内できたでしょうか。
少し交通が不便ですが、是非お出かけください!
◆*◆*◆
ADSLの接続が遅れ、業を煮やし他の店に依頼、
遂に先週金曜より1年ぶりに現代社会復帰のshinkaiで~す!
遂に先週金曜より1年ぶりに現代社会復帰のshinkaiで~す!
やはり、早~い!! 写真の多い我がブログもするすると!
若いお兄ちゃんではありましたが腕は確かで、日本語表示の我がPCも
何の事なしするすると。 うむ、次回もここに頼む事にするべ!
何の事なしするすると。 うむ、次回もここに頼む事にするべ!
お天気の良かった土曜にはジョルジョーネ展に。 今年が没後500年なのですね。
彼の生まれたカステルフランコの小さな町は、ジョルジョーネ展一色に染まり、
人出も多く賑やか。
絵以外にも記録文書や道具類の展示など大変興味深い展覧会で、
お昼のラディッキオのラザーニャも美味しく! 満足し、夕暮れぎりぎりに家に。
こちらも整理の後、ご紹介をと思っています。
お昼のラディッキオのラザーニャも美味しく! 満足し、夕暮れぎりぎりに家に。
こちらも整理の後、ご紹介をと思っています。
カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522712.html
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