・ ペルージャ ・ 街の中心を、ほんの少し

今日はこの5月に行ったウンブリアの州都ペルージャ・Perugiaの、
ほんの中心のご案内を。

ペルージャは人口16万ほどで、有名な外国人大学もあり、ローマからの
鉄道便も比較的便利で、訪問された方も多いと思います。 
快晴、青空のペルージャをどうぞ!

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ウンブリアに行った時にトーディに3泊して後、アッシジのカレンディ・マッジョの
お祭りを見に移動する際に半日寄ったのでしたが、
       
ペルージャもエトルスク人によって開かれた古い歴史ある街で、街の古い
中心地は丘の上! 駐車してスカラ・モービレで上に上がり、
もひとつのスカラ・モービレで街の中心に上れる筈、が、1つ上がった所で
次を探しそこね、坂道を歩いて上りました。

地図で探したものの、これがどこの門か特定できず、が、ほぼ中心地に近い門。
細長く、高く、暗く・・、久し振りに感じた威圧感!



街の門をくぐり、一番の中心通りのヴァンヌッチ通り・Vannucciと平行に走る
バリオーニ通り・Baglioniを少し歩き、ふと横を見ると、
このプリオーリ宮・Palazzo dei Prioriが!

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そう、今回のペルージャ訪問はこのプリオーリ宮にある国立ウンブリア美術館で
開催中の「ピントリッキオ展・Pintoricchio」を見るのが目的だったのですが、
大きなポスターが見えます。


ペルージャは2回目、23年ぶりの訪問! 先回も中心街そして美術館も見、
ここの至宝のピエロ・デッラ・フランチェスカの祭壇画も見ているのですが、
この街の大きさ、豊かさ、凄さを、私は忘れていました。

最近、ウンブリアのあちこちを見て回りつつ、小さな古い町の大きさを自分の尺度
とする様になり、その感覚で街の最初の門をくぐった時、大変な威圧感を覚え。
多分私のこの感覚は、かって中世の人々がこの街を訪れ、門をくぐる時に感じたのと、
大差ありますまい!



プリオーリ宮は13世紀末から15世紀の半ば、この街が一番繁栄した時代の建物で、
イタリア全体においても中世建築の主たるもので、古く、厳しく、そして優雅です。

プリオーリ宮、そして国立ウンブリア美術館の正面入口、上の部分。
7層のアーチ、全面に施された浮き彫り。 水色のカーテン部分が美術館です。
       
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上の写真、半円部分の像。 いえなに、一番左の像の人物が
如何にも若く清らかで、なんとなし、童貞さま、という言葉を思い出し!

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正面入口扉の両脇にいるライオン君が、どちらも今にも泣きだしそうな顔で、
先回も写真を撮り、時々思い出しては笑っていたのでしたが、       
やはり今回もお変わりなく、ははは。

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今回のピントリッキオ展の一番の目玉、サンタ・マリア・デイ・フォッシの祭壇画。

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ピントリッキオは1454年ペルージャ生まれ。 この祭壇画は自分の生まれた街の為に
描かれた物だそうで、大変に細密。 この凝った細部の美しさで、彼の絵は人気が
あったそうで、確かに、素晴らしく美しいもの。



祭壇画の中心の聖母子部分。 大きな天井の高い美術館の広い部屋で、
殆ど一人で楽しむ事が出来、両脇にヴィデオが置かれ絵の細部も辿る事ができ、
まさに驚きでした。

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背景の風景の中、旅人がおり、宿屋らしきものがあり、ベンチに腰掛け遊ぶ男、
働く農民、揺れる木々・・。 まさに細部に凝る画家の、真骨頂で、
到底、実際には見れないものまで楽しめました。

カタログに名前の見えるペルジーノ・Perugino、彼もこのウンブリアの近くの町、
チッタ・デッラ・ピアーヴェ生まれで、一般には、彼の方が有名ですね。
ラファエッロのお師匠さんでしたが、甘美な美しさは、3人共に共通の物と。



プリオーリ宮の斜め奥には、ピアッツァ・クワットロ・ノヴェンブレ・11月4日広場・
Piazza IV Novembre、ペルージャで一番有名な広場が。

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奥正面に見えるのがドゥオモですが、これは正面壁ではなく左側の壁で、
ドゥオモの正面は今見えている右端を回った、ダンテ広場に面しているのですが、
今回は、中も正面部分も見ませんでしたぁ。

14~15世紀にかけてのゴシック建築で、今見えている下部の白とピンクの大理石の
装飾が大変美しく、全面完成していたなら、さぞや優雅であったろう、と想像。



上で見えている、ドゥオモ左側壁の入口。 ガイドブックによると、
入口上に見える壁がん、門の上に見える窓の様な青い部分に、塩の戦争の十字架が
掛けられているとあり、知らない事なので調べてみました。

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元々ペルージャは教皇領だったものの、かなりの自由が許された自治領だった様で、
それが1531年に教皇領全体に塩の税金が課せられ、その不満を元に
バリオーニ家が音頭を取り1541年に教皇と戦ったものの負け、
以来ペルージャは完全に自由を失い、単なる教皇領の一部となったという、
街の苦い歴史を知りました。
   
13世紀から15世紀の半ばの、街が一番繁栄した時代にプリオーリ宮が建設
されたとありましたが、この繁栄が塩の戦争で終った、という事なのでした。
ドゥオモの前にある階段、暑い位の快晴でしたが、街の人、観光客、学生、
たくさんの人々が腰を下ろし休んでいます。



広場にある素晴らしい泉、ラ・フォンターナ・マッジョーレ・La Fontana Maggiore 
の横には、修学旅行の学生が引きも切らず。

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はい、こちらが泉の全体。 修復され、白く美しく、水も流れ。

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13世紀ニコラとジョヴァンニ・ピサーノ父子によって建設の、中世における一番の泉。
3層をなす泉の壁面には、其々に、人類の歴史の例、芸術、月、聖書の中の
人物などが浮き彫りされ、上層の面の角には、彫像があります。



泉上部の、3体が背中合わせの青銅の女性像。

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泉の下層の月暦がある部分。 ガイドブック片手に、必死に自分の誕生月の
射手座を探しました。

おお、見つけたぞぉ! 右端が種まく男、左に2頭の牛に引かせた鋤で耕す男、
上の部分に射手座の印が見えます。

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少し小さく見難いですが、右から3枚目、樽に葡萄の醗酵した汁・モストを注ぐ男、
さそり座の印があります。



その次は摘んだ葡萄いっぱいの籠を肩にして運ぶ男、そして石臼に入れた葡萄を
足で踏む男に天秤座の印が。

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上の写真の逆方向、一番左が、山羊座。 絵柄は豚の処理で、これは
中世以来の暦の、冬の食料調達の伝統的な物で、

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そして、狩人、ライオン、グリフォーネ。



真ん中部分、アダムとイヴ。 そして右側がサムソンとデリラですって。
サムソンがライオンを倒している所、その右は、デリラがサムソンを押し倒す所!

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暑い日で鳩たちも泉に来ますが、水の出口はこんな動物の顔。

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広場ではこんなお揃いの衣装の女性達が,「ドリンクいかが?」のキャンペーンを。
burnという、燃え上がりそうなお飲み物。 腰の刺青、見えるかな?

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広場から見たプリオーリ宮。 この建物も多分修復されたのでしょう、白くなったと。

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こちら側に階段とテラスが見えますが、あの階段を上がった所に、公証人の広間・
サーラ・デイ・ノターリ・Sala dei Notariがあります。



入口からの眺め。 13世紀の建設といい、全面絵画と紋章で埋め尽くされた、
大変な密度を感じます。

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天井のこのアーチは全部で7本。 その隙間もこんな風に。

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画家は土地の画家といい、絵の出来も特別とは思いませんが、
でも、時にこんな優雅な女性も。

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全面が埋め尽くされている事と共に、この赤と濃い青の取り合わせ、
特にラピスラズリの青の魅力が素晴らしいと。



動物が多く描かれているのも目に留まります。 こんな犬の一家とも呼べる物、
ライオンとキツネとか、寓話に添っているのだろうと思いますが。

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部屋の名の由来となっている「公証人」ですが、
最近読んだ本で、アルプス以北において公証人は文章の認証だけを行ったのに対し、
イタリアでは、公正証書の作成、認証は勿論、その文書の適正をも保証できる
法律家で、彼らが作成する契約書が、イタリアの市場経済の法的実務を支えた、
とありました。
    
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となると、こういった素晴らしい部屋に陣取った大勢の公証人達が忙しく働く、
中世のこの街の賑わい、活気が目に浮かぶようですね。

公証人について   ファブリアーノ ・ イタリアの紙の郷
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html



ドゥオモ前の石段に腰掛けて見た、街の一番の目抜き通りヴァンヌッチ通りの眺め。
   
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緩やかな下り坂で、車の通行が制限され、通りの真ん中にテントが見えるのは、
バールとレストラン。

私もここでお昼を食べましたが、写真で見える感じよりもずっと賑やかで、
若い人が多いのが目につきました。 やはり大学のある街の特徴ですね。



こちらは、泉の傍らで説明を聞く高校生。 春は学期終了前の社会見学で、
観光地はどこもこういった修学旅行生で満杯。

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この建物はプリオーリ宮の近く。 如何にも中世風で、あちこち修復され、
きっと中は素敵だろうと、好奇心に満ちたshinkai。

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この門はドゥオモから西に少し下ってすぐの門で、ここも、高く、厚く、厳しく、
威圧感があり、途中で道がカーヴした下り坂で、上手く説明できる写真でないのが、
とても残念。

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ペルージャの街は、古い中世の壁に囲まれた中心地の外に、とりわけ現在は
低地のほう、南西側に大きく広がっていますが、
中心のヴァンヌッチ通りの南はずれの眺めの良い公園から。

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赤い古い瓦の向こうに、ウンブリアの平野が望めます。



こんな眺めが大好き。

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平野の中を続く道。

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そう、街は、時に空気を吸いにくる所、 生きるにはこんな場所が良いですねぇ。
       


日本のガイドブックの地図を見たら、小さい地図にいっぱい書き込んであって、
なおの事分らなくなりそうなので、簡単、明快な、こちらの地図を!
7. ドゥオモ
5. フォンターナ・マッジョーレ(泉)
4.6. プリオーリ宮、ウンブリア美術館

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8. エトルスクの井戸
9. カピターノ・デル・ポポロ宮
11. アウグストの門 (エトルリア門)
       

◆**◆  お知らせ

皆さんも、天正の4少年使節の事をご存知でしょう?
16世紀に、九州長崎を船出した彼らの8年半に及ぶ彼らの旅行、
そして戻って来た彼らを待っていた運命。

若桑みどりの「クワトロ・ラガッツィ」に、彼らの事のみでなく、当時の日本、
そして世界の事情が詳細に書かれていますが、

この度、彼らの一人で殉教した中浦ジュリアンがこの11月に福者に列せられるのを
機会に、九州大村の方たちを中心としたグループが、今イタリアを、彼らの足跡を
辿りつつ旅行中です。
中には、中浦ジュリアンのご子孫もおられ、この10月1日にはローマの
サンピエトロ広場での法皇様謁見もありました。

私も同行させていただくチャンスがあり、この3日間ローマに行って来ました。
そしてまた、マントヴァで合流の予定です。

常の観光旅行とは違い、普通では見るチャンスもないであろう貴重な本、
そして九州大村一帯のキリシタンからの連判状なども見る事ができましたので、
また写真が整理できしだい、見て頂こうと思います。
お楽しみにどうぞ!
       
    
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