今日は予定を変更し、ちょうど届きましたジョヴァンニの写真で、
マルケ州の町のいくつかちょっぴり、ご覧頂きますね。
マルケ州の町のいくつかちょっぴり、ご覧頂きますね。
彼の奥さんは昨年9月に仕事を引退、めでたく年金生活者となり、2人でマルケに
出かけてくる、との事で写真を頼んでいたのです。
出かけてくる、との事で写真を頼んでいたのです。
が、なかなか届かず、ヴェネツィアに出かけた時も念を押し、はは、彼としては
普通の町案内風景は苦手の様子で渋ったのですが、shinkai得意の押し技で
半ば無理やり、ははは、やっと届いたマルケの幾つかの町のご案内です。
苦手とはいえ美しい写真で、それも私の知らない町ばかり!で、ざっと書いてくれた
説明以外にあれこれ読み、それなりに面白い話も見つかりましたので、そのあれこれも。
ごゆっくりどうぞ!
説明以外にあれこれ読み、それなりに面白い話も見つかりましたので、そのあれこれも。
ごゆっくりどうぞ!
トップの写真は、懐かしいグラダーラ・Gradaraの町!
マルケ州に入ってすぐの町ですが、行きがけに寄った様子で、町の門の上、
兵士の見回りの道から撮ったと。
マルケ州に入ってすぐの町ですが、行きがけに寄った様子で、町の門の上、
兵士の見回りの道から撮ったと。

そう、この見回りの道を通りたかったのが、shinkaiの行った時は何かあって
停止されていた時でしたが、その後やはり見学再開されているのですね。
小さな町をぐるりと取り囲む町の城壁があり、

城見物に入ってくる道と、右側にマラテスタ家の城。


既に一度ご案内済みですので、ここでは簡単に。
素晴らしい城、要塞であり、またダンテが「神曲」に書いたことから多くの芸術家達の
インスピレーションを煽り、数々の作品が書かれ、描かれた「パオロとフランチェスカ」の
お話の舞台となったお城。
インスピレーションを煽り、数々の作品が書かれ、描かれた「パオロとフランチェスカ」の
お話の舞台となったお城。
こちらから詳細をどうぞ。
n.1 グラダーラ ・ Gradara ・ 町とお城
n.2 グラダーラ 城 と パオロとフランチェスカ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470815220.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470815220.html
私が行った2010年には城の中は写真禁止で、「違反者は厳しく罰せられます」と
言う可愛い張り紙で! 管理者が見張っているし残念ながら撮らなかったのですが、
今回ジョヴァンニが撮っているではないですかぁ!!
で訊ねましたら、全然問題なかったと! 写真OKになった様で、うんもう、く・や・ち!
という事で、ジョヴァンニの写真で、フランチェスカの寝室


この衣装は、19~20世紀にかけてのイタリアの大女優エレオノーラ・ドゥーゼ・
Eleonora Duseが「フランチェスコ・ダ・リミニ」を演じた時の衣装なのだそう。
エレオノーラ・ドゥーゼについては
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html
城の礼拝堂にある、素晴らしいテラコッタの祭壇浮き彫り
アンドレア・デッラ・ロッビア・Andrea della Robbia作。

マルケの地図をどうぞ。 エミーリア・ロマーニャ州からマルケ州に入ってすぐ、
カットーリカ・Cattoricaの南にグラダーラがあり、

今回ジョヴァンニ達が行ったのは、アンコーナ・Anconaの南にあるロレート・Loreto、
レカナーティ・Recanati方面。
地図に見える各町のご案内は
ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html
ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html
ファブリアーノ ・ イタリアの紙の郷
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html
トスカーナ州の n.1 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129676.html
n.2 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129968.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129676.html
n.2 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129968.html
「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130197.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130197.html
ウンブリアの グッビオ ・ インジーノ山の麓、ローマ期からの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901650.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901650.html
ペルージャ ・Perugiaのご案内
上の地図のアップを。 彼らが宿泊したのは海岸沿いに見えるマルチェッリ・Marcelliで、
ヌマーナ・Numana、シローロ・Sirolo辺りはバカンス地で、その北になるコネーロ・
Conero山一帯には自然公園が。
ヌマーナ・Numana、シローロ・Sirolo辺りはバカンス地で、その北になるコネーロ・
Conero山一帯には自然公園が。

参拝地として有名なロレート・Loreto、19世紀イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディ・
Giacomo Leopardiの生家のあるレカナーティ・Recanati、
少し北に離れたオッファーニャ・Offagnaは古くからの村落。
という感じで、我がコネリアーノからどの位の距離かと確かめると、ずっと高速で行け、
コネリアーノ~ボローニャ、そしてアドリア海側に向けて下り、441km 4時間20分と。
コネリアーノ~ボローニャ、そしてアドリア海側に向けて下り、441km 4時間20分と。
こちらがコネーロ山の麓にある海岸、エミーリア・ロマーニャのリミニ辺りに比べると
狭く小さめですが、夏はやはりかなりの海水浴客が押し寄せるのだそう!
狭く小さめですが、夏はやはりかなりの海水浴客が押し寄せるのだそう!


これら2枚はどちらも、彼らが宿にしたB&Bからの眺めだそうで、
宿の名はヴェント・デル・マーレ・Vento del Mare・海の風
サイトは http://www.ventodelmare.it/ventodelmare/index.php?lang=it
宿の名はヴェント・デル・マーレ・Vento del Mare・海の風
サイトは http://www.ventodelmare.it/ventodelmare/index.php?lang=it
お値段はシングル60エウロまで、ダブル95エウロまで、朝食付き、そうお高くないですね。
上のコネーロ山の麓の海水浴場の写真ですが、shinkaiが持っているMondadori社の
マルケのガイドブックの表紙写真でお馴染みのもので、そうか、ここだったのか!
マルケのガイドブックの表紙写真でお馴染みのもので、そうか、ここだったのか!
トスカーナやウンブリアに比べ、マルケはまだまだ観光後発組。
余り有名地のアピールも無く、その分お安く済む様子です。
余り有名地のアピールも無く、その分お安く済む様子です。
コネーロ山に向っての眺め。

ヌマーナの町

そしてシローロ。 この2つの町は古くからの漁村だったのが、現在はヴァカンス地に。

シローロにある、漁師の像。

こんな海沿いなので、魚料理がとても美味しく、これは唯一写真のあった魚介のパスタ。

食べ物の写真をもっと送って、と書いたら、お腹が減っているから食べる方が先で、
いつも忘れると。 ふむ、ブログ修行が無いからなぁ、ジョヴァンニは、ははは。
土地のワインも素晴らしいのがあるそうで、中でも有名なのが、ロッソ・コネーロ・
Rosso Coneroというそう。
Rosso Coneroというそう。
さてカトリック教徒にとっての大参拝地の一つととして有名なロレート。
大クーポラが見え、一番手前右に見えるのが町の城壁。
聖堂と町をぐるりと取り囲んでおり、

大聖堂とその前の広い広いバジリカ広場(聖母広場)。 15世紀建設の
ルネッサンス様式で、鐘楼は18世紀のもの。
行事のある時は、この広場が参拝客でぎっしりと埋まる様子!


所で普通聖堂は、なに聖人に捧げられたものと、その聖人の名が冠されていますね。
ところがこのロレートの聖堂はちょっと違っていて、その名を「聖なる家の聖堂・
Basilica della Santa Casa」 または「聖なる家の聖地・Santuario」と。
つまりキリストの聖母のマドンナの家、ナザレに在った、ヨセフもキリストも
ところがこのロレートの聖堂はちょっと違っていて、その名を「聖なる家の聖堂・
Basilica della Santa Casa」 または「聖なる家の聖地・Santuario」と。
つまりキリストの聖母のマドンナの家、ナザレに在った、ヨセフもキリストも
住んでいた家と! それがなぜここ、イタリアのロレートに?!
で、ここから伝承が始まるのですが、
1291年にパレスティーナにイスラム教徒の侵入が始まった際に、この聖なる家は
天使達によって運ばれ、現在のアルバニアのフィウメ・Fiumeに。 その後何ヶ所か
天使によって運ばれた後、1294年にレカナーティに近い月桂樹の森の中に!!
こうして神秘な「ロレートの聖なる家」となったのだそうで、
この大聖堂の大クーポラの下に安置されているのが、この「聖なる家」で、
上を覆うのは、ブラマンテ設計による16世紀初頭の建設。
上を覆うのは、ブラマンテ設計による16世紀初頭の建設。

ですが大理石のこういう重々しいのを見せられてもピンと来ませんよね?
で、こちらを。

重厚荘厳な大理石の中はこんな風になっていて、3方の壁は、まさにナザレ・
Nazarethに今も残る聖母の家の跡と呼ばれる壁に、壁の寸法、材質のレンガ、
切石、印付けがピッタリ合うのだそう!!
祭壇部分の聖母子像は、1922年の火災の後に再製されたもので、オリジナルは赤樅の
木材だったのが、現在はシトロンの木で、祭壇部分も火災の後に再製されたものと。
内部にあるフレスコ画は14~15世紀のもので、火災を免れたと。
木材だったのが、現在はシトロンの木で、祭壇部分も火災の後に再製されたものと。
内部にあるフレスコ画は14~15世紀のもので、火災を免れたと。
天使によって空を運ばれ、ここロレートにやって来た、という有り難い伝承が
ずっと続いていたわけですが、近年の研究によって、信心深い信者達の想いを
崩す様々な事が明らかになっておりまして・・、はい。
ずっと続いていたわけですが、近年の研究によって、信心深い信者達の想いを
崩す様々な事が明らかになっておりまして・・、はい。
多分十字軍の兵士達により解体され、ビザンチンの「アンジェリ家・Angeli=天使」の
援けにより、船で運ばれて来たものと。 最初はフィウメに、
援けにより、船で運ばれて来たものと。 最初はフィウメに、
そして伝承と違い、ロレートに。
ではなぜロレートにという事ですが、1294年当時の教皇はチェレスティーノ5世で、
大変有徳な方ではあったようですが、教皇職に留まるのを嫌い殆どローマに居られず、
教皇職代理のレカナーティの司教サルヴォ・Salvoが多分、ロレートからすぐ近い
レカナーティの港、当時の教皇領の港としては一番大きな港の一つだったそうで、
彼の教区内に聖母の家が最建築されるのを望んだのだろうと。
現在の我らにとっては、こういう筋書きの方が納得できますよね。
大変有徳な方ではあったようですが、教皇職に留まるのを嫌い殆どローマに居られず、
教皇職代理のレカナーティの司教サルヴォ・Salvoが多分、ロレートからすぐ近い
レカナーティの港、当時の教皇領の港としては一番大きな港の一つだったそうで、
彼の教区内に聖母の家が最建築されるのを望んだのだろうと。
現在の我らにとっては、こういう筋書きの方が納得できますよね。
聖堂内には4つの聖具室があるそうで、その1つであるサン・マルコの聖具室を手がけた
メロッツォ・ダ・フォルリ・Melozzo da Forlìの天井画、15世紀末。

騙し絵の手法を使った最初の作品例になるそうで、飛んでいる天使達も、
丸天井の建築装飾もすべて描いたもの。
彼はアンドレア・マンテーニャが描いたマントヴァの城の「結婚の間」に
強く影響されたそうで。
n.1 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089512.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089512.html
もう一つの聖具室のルーカ・シニョレッリを初め、聖堂内のそれぞれの装飾には
たくさんの芸術家達が参画しており、一大文化聖域となっている様子。
たくさんの芸術家達が参画しており、一大文化聖域となっている様子。
ロレートの聖堂の周囲を城壁が取り囲みますが、どうやら上がれる様子で、
上からの眺めの写真もあり、
向こうに海が見えるのが分りますか?

これは聖堂の右側、広場の回廊との隙間の様。 聖堂の端の鐘の上にあるのは
雄鶏ですね、珍しい! きっと何か謂れがあるのでしょうね。


シニョレッリさんのコメントで思い出しましたので、追記を。
ここロレートは、16世紀の画家、特異な作品で知られるロレンツォ・ロットの
終焉の地でもありました。
こちらは、地図北部の山中にあった、アンコーナから15kに位置するオッファーニャの町、
中世15世紀からの素晴らしい要塞。

それぞれの丘の上に小さな町、村の姿があり、時に要塞も姿を見せるマルケ州。

そしてレカナーティの中心、レオパルディ広場。 この町に生まれ、現在も生家が残る
ジャコモ・レオパルディに因みますが、
ジャコモ・レオパルディに因みますが、

泉の上に見える像は、

そう、ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi(1798-1837)
19世紀イタリアの大詩人、文学者、哲学者。
19世紀イタリアの大詩人、文学者、哲学者。
土地の由緒正しい貴族、伯爵家の長子として生まれるものの、父親の無謀な投機
により経済破綻、強く、宗教心に固まる母親の愛情を受けずに育った、
大変早熟な天才頭脳の持ち主だった様。
青年期となり、猛烈な勉強で長時間座ったままに原因すると見られる脊柱側湾を発病、
その影響で脊柱が曲がる、つまり2重の背中の瘤となり、痛みと引き続く心臓の問題に
悩まされる、と言う、読むのも辛くなるような生い立ちの方で、ナポリで若くして
亡くなられているものの、凄い方なのでした。
その影響で脊柱が曲がる、つまり2重の背中の瘤となり、痛みと引き続く心臓の問題に
悩まされる、と言う、読むのも辛くなるような生い立ちの方で、ナポリで若くして
亡くなられているものの、凄い方なのでした。
・・と如何にものボキャブラリー不足で、すみません。
彼の草稿がある ヴィッソ ・ ヴァルネリーナ渓谷の珠玉の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304165.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304165.html
レカナーティの夕暮れ。


この要塞がどこにあるのか必死で探し、レカナーティから西のモンテフィオーレにある
カステッロ・ディ・モンテフィオーレ・Castello di Montefioreと!

アンコーナの周囲には20ほどもの要塞があるそうで、これもその内の一つでしょうが、
住んでいる様子もあるようで、また訊ねて見ましょう。
最後は、ロレートを見晴らして。

ジョヴァンニの写真によるマルケ州、如何でしたか? コメントをお伝えいたしますので、
どうぞお願いいたします! はい、それを出汁に、また次を頼みますので、ははは。
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