・ n.2  グラダーラ   城  と パオロとフランチェスカ 

先回からご案内のマルケ州はグラダーラ・Gradaraの城。
この城、要塞はたくさんの歴史に遭遇しつつ生き残り、またその修復に情熱を
かけた方がおられ、現在の姿である様子をご案内しておりますが、

今回はその後半あれこれと共に、城の名を高めるダンテの「神曲・地獄篇第5曲」
に謳われる「パオロとフランチェスカ」の愛のお話を、
サン・ヴァレンタイン・デイに因みまして、へへへ、お贈りいたしますです。
ごゆっくりどうぞ!

写真は、城と町を800mに渡りぐるっと取り囲む城壁の上を、
かっての見張りの兵士の気分で歩ける、と言う見学コースのご案内。

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嬉しがりのshinkaiは即申し込む気になったのですが、残念、偶々閉じられており!



城壁の内側はこんな様子で、すぐ間近まで家が迫っており、

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間に多角形の塔が挟まります。

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傍らのお家の前に並ぶのは。

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さて、この城・要塞を舞台に繰り広げられる夏の一大行事のお祭りは、
「城の襲撃・アッセーディオ・アル・カステッロ」。

先回もちょっと書いた、1446年に実際にあった43日間に及ぶ城への襲撃を偲ぶもので、

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まぁ早い話が、中世の回顧祭り、大人のチャンバラごっこみたいなもの、失礼!と
想像しますが、
実際の襲撃は、かなり凄惨な籠城戦だった様で、聞いてやって下さいませ。

事の起こりはペーザロ・Pesaro、グラダーラから15kほど南に位置しますが、
そこの領主ガレアッツォ・マラテスタ・Galezzzo、

彼はリミニ、そしてグラダーラの領主でもあるシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ・
Sigismondoの従兄弟に当たるそうですが、
そのニックネームがl'Inetto・イネット・役立たず、馬鹿 だったそうで、ははは、
他のマラテスタ家のメンバーに似つかぬ、個性なし勇気なし。

自分が軍を指揮せず傭兵を雇うために、その借金がかさみ、遂に1444年にペーザロを
2万フィオリーニでフランチェスコ・スフォルツァ、後のミラノ公に、
1445年にフォッサンブローネ・Fossambrone、ウルビーノの南西に位置する、
をフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロに1万3千フィオリーニで売り払います。

すぐ隣を、領土拡大野心に満ちた敵側に囲まれ、危機感が募るグラダーラ・リミニ。
       
そして1446年の10月、シジスモンドは教皇エウジェニオ4世・EugenioIVに召還され、
これは教皇庁への税の支払いに感謝する「金の甲冑」の受け取りでしたが、
その隙にフランチェスコ・スフォルツァの軍がグラダーラの城を包囲します。

連盟軍はフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロを始め、グイダッチョ・ダ・ファエンツァ、
シモネット・ディ・カステル・ディ・オイエロと名が並びます。

近くの城は落ち、グラダーラの籠城戦が始まり、冬に向かい飼葉や食料の不足も出始め、
急ぎローマから戻ったシジスモンドも9回に渡り外側から攻め、緊急食料を届ける急襲も。
負傷者死者も多くなる城、要塞側で、このままでは長く持たないと判断した
シジスモンドは若い従者・騎士を呼び、
敵の包囲を突撃し、城内に必要な味方と糧秣を届けるだけの勇気があるかと問います。

これに答え、パオロ・ダ・モンテストゥリドーロ・Paolo da Montestridoloは
  我が殿、君にお仕えするためならば、他に従う方々同様
  一日に千回死ぬ事も厭わず、殿の赦し以外に褒賞は何も望みません、と。
こうしてこの突撃は大きな損失もあったものの、城内に味方と食料を届ける事に成功し、

一方シジスモンドはフランチェスコ・スフォルツァの舅に当たるミラノ公である
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティに、彼の為に働くとも持ちかけ、その仲介もあり、
ここに遂に43日間に渡る包囲戦が解けたと言うお話ですが、

これだけの大軍に囲まれた長期の戦いにも、このグラダーラの城は落ちず。
そうなんですよね、籠城戦、城壁に囲まれたこちらの町の籠城戦は、
単に兵士だけの戦ではなく、女子供も巻き込まれての戦いになる過酷なもの。
       
そして死を覚悟しての突撃戦に挑む若武者のお話は、日本の幾多の戦国時代の
武士、そして神風特攻隊の若者にも通じるものを感じ、胸が熱くなるのを禁じえません。
ええ、決して戦争賛美ではなく、そこに込められた人々の真情が心を打つのですね。

フランチェスコ・スフォルツァについては  n.2 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968932.html

フェデリーコ・ダ・モンテフェルゥロのウルビーノのお城
ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html



もう一枚の町のポスターをどうぞ。
中世の料理を町のレストランで食べれます、と言うもので、

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下に記されたレストランで、10月から5月の間の毎月の第2金曜に、
6月から9月は、月の第2木曜日に。
それぞれのレストラン名の下には、土地の方言でお勧めの言葉、ははは。



こちらは、イタリア、ヨーロッパもかな、のロマネスク教会を制覇しつつある
クリスさんがコメントで教えて下さった、グラダーラの一品
「タリオリーノ・コン・ラ・ボンバ・爆弾のタリオリーニ!」

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爆弾?!と調べましたら、「その道の権威を仰ぎ、長年の調査研究の果てに」、
ははは、でも本当にそう書いてあったのですよぉ、
「これぞグラダーラの一品!」と定めたのだそうで、この地方で昔から食べ継がれた、
いわば貧しく素朴な、多人数の家庭向きパスタなのですね。
いぇ、戦争の爆弾には何の関係もありませんで・・、

その料理法と由来を。
少しのオリーヴ油でタマネギとラード、または脂身のベーコンを炒めます。
先に塩を入れた湯でタリオリーニ・細めのパスタを茹ではじめ、その茹で湯を多めに残し、
写真に見える様にちょっとした深めの器に饂飩風に入れ、
その上からタマネギとベーコンを炒めたのを注ぎ、胡椒を。

つまりです、お湯たっぷりのパスタに熱いベーコンとタマネギの油を注ぐ時、
プシュプシュと音がし、素晴らしく湯気が立ち上りますよね、
で、爆弾のタリオリーニ!!

でも、冬の寒い夜など美味しそうでしょう?! お試しくださ~い!



さてお腹も満足したところで、では後半戦を、ははは。
お城の案内図をもう一度どうぞ、

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番号2が、フランチェスカの部屋と言われており、
これは城の各部屋の修復後に、それらしく決めたのであろうと思いますが、
ガイドさん風に言うと、ここが彼女の部屋で、
ダンテが謳う所の「パオロとフランチェスカの悲劇の愛の結末」が起きた部屋と。


先回見て頂いた部屋の写真が上ので、もう1枚もどうぞ。

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この愛の悲劇は、平たく言うと、兄嫁と義理の弟の姦通事件、そしてその挙句の、
夫による妻と弟殺し、という事件で、

当事者は実在の人物ではあるものの、事件そのものはまるで記録に残っておらず、
唯一ダンテの「神曲」に謳われ、今に至るも長く人々の心を揺さぶり、
文学者、画家、彫刻家、音楽家のインスピレーションを刺激する物のようです。

登場人物
パオロ・マラテスタ・Paolo Malatesta  ニックネーム・ベッロ・美男、という
マスティン・ヴェッキオの次男 1250~か52年生まれ(大方は1246年生まれと・・)

フランチェスカ・ダ・ポレンタ、またはフランチェスカ・ダ・リミニ・
Francesca da Polenta リミニの領主の娘 1259年か1260年生まれ
       
ジョヴァンニ・マラテスタ、またはジャンチョット・マラテスタ・Gianciotto Malatesta
パオロの兄 1240年から44年の生まれ、 足が悪くおまけに性格粗暴醜男!

ロマーニャの大家であるラヴェンナのポレンタ家と、リミニのマラテスタ家の繋がりを
強固にするため1275年頃、フランチェスカとジャンチョットは結婚を。
フランチェスカが15歳くらい、ジャンチョットは既に40歳過ぎになりますね。

結婚式は代理人結婚だった様で、それに美男の誉れ高い弟パオロが出席し、
何も知らないフランチェスカが騙され、パオロに夢中になった、と大方が書いていますが、
既にパオロが結婚していた事も、代理人である事も彼女が知らない筈はなく、
要するに、一目見た彼に心を惹かれ想いを寄せた、と言う事でしょう。



幕開け
ダンテの「神曲・地獄篇第5曲」に謳われているフランチェスカとパオロのお話は、
ダンテが地獄で風に吹かれ漂う2人の人物を認め尋ねると、フランチェスカが答えます。  
       
格調高い文章はサイトより、「山川丙三郎訳」をお借りして、

われら一日こゝろやりとて戀にとらはれしランチャロットの物語を讀みぬ、
ほかに人なくまたおそるゝこともなかりき

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書はしばしばわれらの目を唆かし色を顏よりとりされり、
されど我等を從へしはその一節にすぎざりき
かの憧るゝ微笑がかゝる戀人の接吻をうけしを讀むにいたれる時、
いつにいたるも我とはなるゝことなきこの者
うちふるひつゝわが口にくちづけしぬ、ガレオットなりけり書も作者も、
かの日我等またその先を讀まざりき

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と言う次第で、愛人となるわけでございます。



ロダンの「接吻」。 この作品も二人の物語からインスピレーションを受けた物と。

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こうした隠れた関係が長く続くわけはありませんで、夫ジャンチョットに知られ、
2人は1283年か85年に殺害されるという・・。
右横に帳の影から覗く夫ジャンチョットの姿が見え、
こういう図は余り好きではないですが、まぁ、2人の姿が美しいので・・。

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嫁がせた娘を殺されたポレンタ家としては大変な動揺だったでしょうが、
当時の政治情勢から見て、両家の関係を断絶するわけに行かず、
一切を沈黙の掟の中に閉じ込めた様で、何も記録が残っていないそう。

パオロも単に美男であると言うだけでなく、結婚もし、政治情勢にも心を配り、
教皇マルティーノ4世に認められフィレンツェの民衆隊長を勤めていたのが、
1283年2月にリミニに戻った、という記録が最後になります。



ダンテの神曲によると、地獄を雲のように漂う愛欲に苦しむ2人を見て、
そのフランチェスカに様子を聞く、と言う事になるのですが、

いちはやく雅心をとらふる戀は、美しきわが身によりて彼を捉へき、
かくてわれこの身を奪はる、
そのさまおもふだにくるし 
戀しき人に戀せしめではやまざる戀は、彼の慕はしきによりていと強く我をとらへき、
されば見給ふ如く今猶我を棄つることなし 
戀は我等を一の死にみちびきぬ、我等の生命を斷てる者をばカイーナ待つなり


こんな風に、二人をじっと眺めるダンテとベルギリウスを配した絵もあり、

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大いに同情し、2人の愛情に感じいるようなダンテの顔には見えませんがぁ・・!



こちらは有名なギュスターヴ・ドレの版画

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そしてこれはshinkaiの記憶に間違いが無ければ、
アスコリ・ピチェーノの美術博物館にあったものと。

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金背景の好きなもので、画家はモゼ・ビアンキ。

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モンザの画家 モゼ・ビアンキ
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20160310-1.html



という事で、事件の起こったのはこのグラダーラの城、フランチェスカの部屋、と
言う事になっているのではございますが、

こちらの、現在は廃墟となっている要塞、ずっと北のフォルリ・Forliから12kの
距離にあるメルドーラ・Meldolaのここが、事件の舞台という説もある様子。

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ですがまぁ、グラダーラの城が父親マスティン・ヴェッキオが建設した城で、
ジャンチョットはその長男、という事ですので・・。

       

ダンテが描いた二人は、多くの芸術家たちの心を捉え、オーギュスト・ロダンの
「接吻」は上でご覧頂きましたが、ガブリエーレ・ダンヌンツィオが戯曲
「フランチェスカ・ダ・リミニ」を、チャイコフスキーが幻想曲「フランチェスカ・
ダ・リミニ」を作曲、そしてオペラも、リッカルド・ザンドナーイの作品がある様子。

ダヌンツィオの戯曲を演じた、エレオノーラ・ドゥーゼについては
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html

蛇足になりますが、フィレンツェの政変で亡命を余儀なくされたダンテは、
後年ラヴェンナのポレンタ家に庇護され、ここで亡くなっており、
現在のラヴェンナの街の紋、旗印にはポレンタ家の鷲が真ん中に。

つまりどの記録にも残っていない「フランチェスカとパオロ」のお話は、作り話ではなく、
多分ダンテがポレンタ家滞在中にひっそりと聞いたものであろう、と推測される訳ですね。

こちらは継母と義理の息子との愛情が発覚し・・、フェッラーラのお城



さて長い物語りも漸くに済み、はは、町の城門を一歩出て、深呼吸でも!

夕暮れも徐々に近づき、

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城壁のイルミネーションが始まります。

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海辺の街の明かりも強くなり、

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中世そのままの雰囲気を濃く宿す町にも、明かりが点り、

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やがて町にも、町を護る城壁にも、夜の帳が。

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お疲れ様でしたぁ!
長いご案内にお付き合い下さいまして、有難うございましたぁ!!


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