さてさて今回と次回の2度に分けてご案内致しまするは、ははは、
マルケ州はアドリア海沿岸より3kmほど内に入り込んだ小高い丘の上、
海抜142mに位置するグラダーラの町とお城。
マルケ州はアドリア海沿岸より3kmほど内に入り込んだ小高い丘の上、
海抜142mに位置するグラダーラの町とお城。
年間50万人もの観光客が訪れるという名高い町と城ですが、
マラテスタの要塞・Rocca malatestianaと呼ばれ、様々な歴史の変遷に
関連し、とりわけダンテの「神曲・地獄篇」に謡われている
「パオロとフランチェスカ」の舞台となったお城、というと、ああ、あれ!と
ご存知の方も多いと思います。
マラテスタの要塞・Rocca malatestianaと呼ばれ、様々な歴史の変遷に
関連し、とりわけダンテの「神曲・地獄篇」に謡われている
「パオロとフランチェスカ」の舞台となったお城、というと、ああ、あれ!と
ご存知の方も多いと思います。
ここのご案内は町訪問以来、私めの長年の宿題になっておりまして、へへ、
パオロとフランチェスカの愛の物語を、何とかサン・ヴァレンタイン・デイに
間に合わせようと、ははは、必死にあれこれ読み漸くに3年ぶりに、という事で!
パオロとフランチェスカの愛の物語を、何とかサン・ヴァレンタイン・デイに
間に合わせようと、ははは、必死にあれこれ読み漸くに3年ぶりに、という事で!
ですが到底、町と城のご案内を1回では無理でして、・・見せたがりで、はい、
2回に分ける事にいたします。
2回に分ける事にいたします。
まずは町の写真をじっくりご覧下さいね。 東西に長く、お城は東端の
丘の上にあり、この様にぐるっと周囲を800mに及ぶ城壁が囲み、
壁の上を歩ける見学コースもあり、城はまた別の城壁に囲まれています。
丘の上にあり、この様にぐるっと周囲を800mに及ぶ城壁が囲み、
壁の上を歩ける見学コースもあり、城はまた別の城壁に囲まれています。

写真はいつもの様に、shinkaiが撮ったものにはブログ・アドレス入りで、
今回は城内の写真が禁止でしたので、サイトから拝借も多数ありますが、
ごゆっくり、中世の町と城をお楽しみ下さいませ! はい、長くなりそうで。
今回は城内の写真が禁止でしたので、サイトから拝借も多数ありますが、
ごゆっくり、中世の町と城をお楽しみ下さいませ! はい、長くなりそうで。
グラダーラの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
アドリア海沿岸をマルケ州に入ってすぐの所、グレイの点線がエミーリア・
ロマーニャとの州境で、リミニからは約125kmの距離。

2010年の秋に行った時、我らはグラダーラからウルビーノ・Urbinoに、
南西の方角に山懐を辿って抜けたのでした。
南西の方角に山懐を辿って抜けたのでした。
このグラダーラのご案内は、今迄「旨い物」と「犬・猫ちゃん」だけですが、
ははは、こちらに。
ははは、こちらに。
宿は町の城門から少し北に歩いた所で、裏庭から北東にアドリア海が。

北西にはなだらかな丘が広がる素敵な環境。
いや、これは宿の事だけでなく、グラダーラの町自体に言えますね。
いや、これは宿の事だけでなく、グラダーラの町自体に言えますね。

2泊しましたが、これは町の北側をうろついた時の、ははは、オリーヴ畑。



畑の向こうにお城、 素晴らしい眺めでしょう?!


写真の中の光線具合、色もあれこれ変化しますが、
なるべく良いのをと探しました結果で、ごちゃ混ぜご容赦。
なるべく良いのをと探しました結果で、ごちゃ混ぜご容赦。
トップの写真の左下辺りに見える、町の最初の城門。
外側に剥き出しではなく左右に建物があり、少し奥まっていて、
外側に剥き出しではなく左右に建物があり、少し奥まっていて、

内側から。 町下からの傾斜がかなり厳しく、お城迄の道も上り坂。

途中に教会もあり、

古い建物内部を博物館風に中世を再現しており、まぁ当時はこんなに
小奇麗ではなかったろうと想像しますが、町の商人の家と。
小奇麗ではなかったろうと想像しますが、町の商人の家と。

土地の物産等のスーヴェニール店、勿論バールやレストランもたくさん!

こうして一番上に辿り着くと、ここにもう一つ城の門があり、

門の内側の小広場。 門には見張りの小塔と兵士の見回り通路がめぐり、

外側から窺う、中の城の威容。

現在この城は国有で入場料がいくらか必要ですが、切符売り場は確か左手で、
直接には見えない配慮でして、はい、右の建物奥に格子の扉が見えますが、
そこから中に入ります。
直接には見えない配慮でして、はい、右の建物奥に格子の扉が見えますが、
そこから中に入ります。
正面に見える濃い茶色の扉の右に見える小さな碑は、こんな顔!
謂れを記したものが見つからず、言葉も読めませんが、
口の部分が磨り減っていので、投書口ではないかと推察。
口の部分が磨り減っていので、投書口ではないかと推察。

城の門内に入る格子扉の、塀の角に取り付けられた忍び返し!

こうして漸くに本丸前に辿り着くわけですが、

左奥に見える門、扉は見学者用ではなく荷物車などの通り道で、
一般入場者は左手から上がってきます。
一般入場者は左手から上がってきます。
ぐるっと城壁が取り囲んでいるのが見えますが、これは城を囲む内側の城壁で、
町の城壁はもうひとつ外側にあり、如何に実戦を配慮した要塞、城で
あるかがよく分かります。
町の城壁はもうひとつ外側にあり、如何に実戦を配慮した要塞、城で
あるかがよく分かります。
要塞、城の本丸はこんな高さで続き、下部にはほんの少しの
明り取り程度の窓があるだけ。
明り取り程度の窓があるだけ。

ここが跳ね橋の付いた入り口、その上部。
跳ね橋の奥にある内庭、その手前にも格子戸が降りる仕組みが見えます。

跳ね橋の奥にある内庭、その手前にも格子戸が降りる仕組みが見えます。



跳ね橋は3ヶ所にあるそうですが、堀には、かって一度も水が入れられた事が
無いそうで、まぁ、ここは丘の上にある要塞ですしね。
無いそうで、まぁ、ここは丘の上にある要塞ですしね。

跳ね橋の手前から、町の城壁に伸びる部分。

城、要塞の上からの眺めをどうぞ。 城の城壁、町の城壁と2重に
なっている様子がよく分かりますね。
なっている様子がよく分かりますね。

見学はガイド付きもあるのですが、自由にも見れます。
サイトからの案内図で、写真の載っているのを大きな目安に、
サイトからの案内図で、写真の載っているのを大きな目安に、
1. 入り口の跳ね橋
2. フランチェスカの寝室 パオロとフランチェスカの物語の舞台
3. 会議室
4. 礼拝堂
5. 天使たちの部屋
6. ルクレツィア・ボルジャの部屋
7. 内庭
という事で、一応の感触を。
内庭の様子。 特別広くなく周囲を高く囲むので、少し威圧感。


こうしたアーチの連なりから受ける洗練されたイメージは、そうなのですね、
この城が最初は実戦用の要塞から建設されたものの、時代が下るに付け、
領主の居住としての要素も加わり、装飾されていった事を物語ります。
「マラテスタ家の要塞」と呼ばれていますが、この城の領主は
マラテスタ・Malatesta、 スフォルツァ・Sforza、デッラ・ローヴェレ・
Della Rovere、そして教皇領にと変遷を。
マラテスタ・Malatesta、 スフォルツァ・Sforza、デッラ・ローヴェレ・
Della Rovere、そして教皇領にと変遷を。
内庭の片隅にある井戸。 後ろに見えるアーチの中にブック・ショップ。

内庭の敷き石。 磨り減ってはいますが、それでもこの装飾性・・!

2階の回廊に見えるライオン像と、壁のフレスコ画。


壁に見える紋二つ。 下はマラテスタ家の紋が中にあり、PとMが見えますから、
パンドルフォ・マラテスタ・Pandolfo Malatestaでしょうが、
パンドルフォ・マラテスタ・Pandolfo Malatestaでしょうが、
マラテスタ家で調べると、パンドルフォと名乗るのが5名もおり!

一番有名なのはシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタで、リミニの狼と呼ばれ、
この城は彼のお気に入りで、3番目の妻イゾッタ・デッリ・アッティ・
Isotta degli Attiとも住んだ様ですが、
この城は彼のお気に入りで、3番目の妻イゾッタ・デッリ・アッティ・
Isotta degli Attiとも住んだ様ですが、
上の白い紋の左右の上側に、「I と S」のイニシャルがありますね。
という事で、そう、「イゾッタとシジスモンド」の2人の紋!
という事で、そう、「イゾッタとシジスモンド」の2人の紋!
可愛いではないですか?! 「リミニの狼」と呼ばれ恐れられた男が、
こんな2人の紋を作り、城に取り付けているんですものね。
n.3 リミニ ・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタとその周辺 の1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468933833.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468933833.html
n.4 リミニ ・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタとその周辺 の2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468934000.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468934000.html
こちらの紋の下、に刻まれた名はイタリア語にすると、Giovanni Sforza・
ジョヴァンニ・スフォルツァ。

グラダーラの城+この名前で、パッと誰かがお分かりの方は凄い!!
そう、教皇アレッサンドロ6世の娘でチェーザレ・ボルジャの妹、
ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaの最初の夫の名。
そう、教皇アレッサンドロ6世の娘でチェーザレ・ボルジャの妹、
ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaの最初の夫の名。
彼はこの城を攻略し、迎えた最初の妻は出産で死亡、ここに2番目の妻として、
ルクレツィアを迎えたのですが、教皇アレッサンドロの政策により、不能の夫、
白い結婚であったとされ!ルクレツィアはこの城から去り、2年後に2度目の結婚を。
ジョヴァンニは3番目の妻を娶り、1510年にこの城で死す、と。
ルクレツィアを迎えたのですが、教皇アレッサンドロの政策により、不能の夫、
白い結婚であったとされ!ルクレツィアはこの城から去り、2年後に2度目の結婚を。
ジョヴァンニは3番目の妻を娶り、1510年にこの城で死す、と。
入り口の跳ね橋から入ってきた右側に聳え立つ主塔・mastio・マスティオは、
30mの高さで、ここは牢としても使用されたと。

内庭にかかる碑。

この要塞、時の経過と人々の無関心から完全に廃墟となっていたのを、
かっての輝かしい姿に戻すために、ウンベルト・ザンヴェットーリ技師が
私財をつぎ込み、1923年から貴重な修復に取り掛かった。
グラダーラの町はこれを記念し、ここに記す。
まさにそのようです。
単に修復するだけでなく、かってのように、これは口で言うと易しいですが、
当時と同じ素材を使い、当時の様式に、というわけで、
大変な年月と財をつぎ込み、結局最後は国に売った、という様子。
ヴェネツィアのカ・ドーロの修復も、かっての姿に戻す為にフランケッティ男爵が
私財をすべて注ぎ、結局は国に売ったと知りましたが、
こういう情熱をかけて修復に尽くした方々のお陰で、我々も今こうして
中世の雰囲気を味わえる、という訳ですね。
n.1 カ・ドーロ ・ ヴェネツィアの館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html
n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ・ドーロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html
というところで、少しこの城、要塞の由来を。
マラテスタの要塞、と呼ばれていると最初に書きましたが、元々はペーザロの方から
来たデ・グリッフォ・De Griffo家が1150年代に現在の主塔のあたりに塔を建設、
小さな館を建て領主として住んでいた様子。
で、デ・グリッフォが教皇領の近くでヘマをし封土を取り上げられた際、リミニの領主の
マスティン・ベッキオ・Mastin Vecchio、本名マラテスタ・ダ・ヴェルッキオ・
Malatesta da Verucchio(1212-1312)に預け、
彼がここに13~14世紀にかけ、2重の城壁を持つ要塞の建設を始めたということで、
マラテスタ家としては最初の城、要塞に当たるのだそう。
マスティン・ベッキオ・Mastin Vecchio、本名マラテスタ・ダ・ヴェルッキオ・
Malatesta da Verucchio(1212-1312)に預け、
彼がここに13~14世紀にかけ、2重の城壁を持つ要塞の建設を始めたということで、
マラテスタ家としては最初の城、要塞に当たるのだそう。
その後新兵器の銃や砲の出現により、15世紀には城壁に銃眼やスカルパトゥーレ・
scarpatureが導入された、と。
scarpatureが導入された、と。
このスカルパトゥーレが分かりませんで、探し回りました、はい。
で分かったのは、従来の城壁だと高ければOKだったのが、時代が下るにつれ、
強力重厚な城壁破壊の知恵も新兵器も誕生するわけで、
これは城壁の足元に少し傾斜部分を付け補強する事なのだそう!
当時の要塞で、このスカルパトゥーラが唯一完全な形で残っているのは、
このグラダーラの城、ということも知りました。
このグラダーラの城、ということも知りました。
今も夏に時代祭りというのか、「城の襲撃」の再現行事が行われる様で、
1446年教皇軍の襲撃があった時、43日間におけるいわば籠城戦、
フランチェスコ・スフォルツァ・後のミラノ領主とフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥレ
1446年教皇軍の襲撃があった時、43日間におけるいわば籠城戦、
フランチェスコ・スフォルツァ・後のミラノ領主とフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥレ
の圧倒的な大軍と戦いつつもこの要塞は落ちませんで!
今回その様子を読みつつ、かって真田十勇士とか、源義経、木下藤吉郎などを
お友達に育ったshinkaiは、ははは、ちょっと胸が熱くなりましたのを、ここに告白です。
やっぱり、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタはカッコいいなぁ!!
いつかは彼の事をきちんと書きたいなぁ、と思っているのですが・・、はい。
いつかは彼の事をきちんと書きたいなぁ、と思っているのですが・・、はい。
n.3 リミニ ・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタとその周辺 の1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468933833.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468933833.html
n.4 リミニ ・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタとその周辺 の2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468934000.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468934000.html
と以前からマラテスタ、日本語で言うと「頭が悪い」式な姓なので、ははは、
可笑しな姓だと思っていたのですが、今回漸くに調べ、
そうなんですね、やはり、頑固者とか無分別、無鉄砲という意味から呼ばれた
ニックネームだったそう。
可笑しな姓だと思っていたのですが、今回漸くに調べ、
そうなんですね、やはり、頑固者とか無分別、無鉄砲という意味から呼ばれた
ニックネームだったそう。
マスティン・ヴェッキオというのも響きの良い名だと思われません?!
が本名の姓ヴェルッキオは、エミーリア・ロマーニャ州の南にある地名から来ていて、
それよりも南、州の一番南の山中にあるコムーネの名がペンナビッリ・Pennabilli。
が本名の姓ヴェルッキオは、エミーリア・ロマーニャ州の南にある地名から来ていて、
それよりも南、州の一番南の山中にあるコムーネの名がペンナビッリ・Pennabilli。
そこに住んでいたカルペーニャ・Carpegna家の子孫、マラテスタとあだ名されたのが、
最初にヴェルッキオに下り、つまり移り、ついでリミニに、というわけで、
こうして大マラテスタ家になっていった、という訳ですが、
グラダーラにおけるマラテスタ家の支配は、1463年に終わります。
最初にヴェルッキオに下り、つまり移り、ついでリミニに、というわけで、
こうして大マラテスタ家になっていった、という訳ですが、
グラダーラにおけるマラテスタ家の支配は、1463年に終わります。
長くなりまして、すみません!!
今日は記事自体も文字制限に引っかかりそうなので、ははは、
サイトから拝借の城の内部をさっと簡単に!
サイトから拝借の城の内部をさっと簡単に!
内庭を取り囲む2階の回廊

会議室、 最初の図の案内番号3

図にはありませんが、シジスモンドと愛妻イゾッタの部屋



礼拝堂 4

天使たちの部屋

この部屋が分かりません・・、

中世の城、要塞には付き物の、牢と拷問室

こちらが次回にくわし~~~くご案内いたします所の、フランチェスカの部屋!

ルクレツィアの部屋。
1494年、14歳の花嫁としてこの城に嫁ぎ、わずか3年後に父教皇の策略により、
結婚を解消し去っていった彼女。
1494年、14歳の花嫁としてこの城に嫁ぎ、わずか3年後に父教皇の策略により、
結婚を解消し去っていった彼女。

この部屋の装飾、そして一つ祭壇画もあるのですが、画家はラファエッロの父親
ジョヴァンニ・サンツィと。
ジョヴァンニ・サンツィと。
お口直しに、町の広場の写真をどうぞ!

と、今回はここでひとまず終え、次回に備えます、ははは。
皆さんも体力と根性をつけ、フランチェスカのお話をお待ち下さいませませ!!
皆さんも体力と根性をつけ、フランチェスカのお話をお待ち下さいませませ!!
長いお付き合い、有難うございましたぁ!!
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それもご了承下さいませ。
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