・ サンタンジェロ・イン・ヴァード ・ マルケ州の珠玉の町

先日ご覧頂きましたマルケ州はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレですが、
あの館と、ウルビーノの町の代名詞とでも言うェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ。

彼と向き合わせの素晴らしい肖像画によって、2番目の妻である
バッティスタ・スフォルツァは有名ですが、では彼の最初の妻は?と言うと・・。
       
で、今日ご案内するサンタンジェロ・イン・ヴァード・Sant'Angelo in Vado、
ウルビーノから西に26程に位置する小さな町なのですが、

ここがフェデリーコの最初の妻ジェンティーレの生まれた町なのですね。
そしてここのブランカレオーニの宮廷にフェデリーコは預けられ、
はい、彼は庶出でしたので、二人は一緒に育ったという経緯もあります。

が、そんなこんなを知っていてこの町に寄った訳ではありませんで、たまたまウルビーノから
アンギアーリの町に移動する途中、走りながら川向こうに見える町が大変良い雰囲気。 
で友人と、良さそうよこの町、寄ろうか?! といった様子だったのです。

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良い町は魅惑的な香りを放つもの! まさに大掘り出しの町でして、
2回に分けてご覧頂こうと、はい、その価値大です!

写真は、駐車した広場の脇で見かけた銅像で、タルトゥーフォ採り達が、
タルトゥーフォ探しとその歩きの、分かち難い仲間であるワンちゃんに捧げたもの。

フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの特徴ある鼻について と、おまけ
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20181210-1.html

ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html

そうなのですね、この町は「白タルトゥーフォ」で有名な町で、
こんな風に毎年「白タルトゥーフォのお祭り」も開催されるという。

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これは2011年のポスターですが、お預けを喰らっているワンちゃんの顔! ははは。



地図をどうぞ。 ウルビーノからウルバーニア・Urbaniaに、ここに
モンテフェルトゥロ家の後を継いだデッラ・ローヴェレ家の要塞居城があり、
有名なミイラの残る教会もあり・・! 勿論、ミイラは見てませんよぉ!!
       
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上の小さな枠内がサンタンジェロ・イン・ヴァードの町の様子で、町自体は
小さいものの、中世の古い趣が良く残り、
そしてです、町の外にDOMUSと書かれた場所が見えますね。 ここには最近50年の内で
考古学の最大の発見、とされるローマ期の紀元後1世紀の素晴らしい床モザイク、
それも素晴らしい広さの家の、各室に残る床モザイク!があるのです。

それも知らずに寄ったのですが、偶然に教えて貰えて
発掘現場の中も見学出来た、という嬉しい番外編の町なのでした。



我々は町の西側に駐車し、こんな風にガリバルディ通りを抜けて東に。
田舎町ながら結構な活気がある町でして、はい。

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今回ご案内の為に読んでおりましたら、やはりタルトゥーフォのみならず、最近は
工業生産も盛んで、ローマ期モザイクの発見もあり観光業にも力が入り、という。
       


町のドゥオーモのクーポラの上、町の名にちなんだアンジェロ、大天使ミケーレの姿。

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町の北側をメタウロ川・Metauroが流れますが、ここが西から来ての町の中程北に
ある広場で、突き当たりの左手に橋が。

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上の広場の左手。 建物の壁に「ガリバルディが・・」という碑が見えましたっけ。

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橋の中程から見る町の東側。

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町の名「・・イン・ヴァード」はこの川の渡河を指すという説、つまり昔は川の浅瀬を
渡河点とし、そこで渡河税を取って渡らせた、という記録が良く出ますが、



もう一つ、川の岸にホソバタイセイという青い染料の採れる植物の繁殖が
あったからとか。
どちらの説も行けそうな感じですね。
    
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右奥にアーチが見えますが、
アーチの上にRistorante Re -Tartufoという下手な字の看板がみえ、ははは、
 


メニューがこちらに貼りだしてあったので、ご参考に!

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シェフのお勧めは、
アンティパスト クロスティーニ・ミスト カナッペの盛り合わせ
プリモ  黒トリフのタリアテッレ と、ポルチーニとガレッティという茸を混ぜた
     太めの手作りパスタ・これはミンチを作る様に挽器を通した、
     ぶつ切り状パスタと、ルイーザに教えて貰いました。
セコンド  牛肉小切りにタルトゥーフォのソース
      ポテトのオーブン焼き付け合わせ
デザート  ドルチェあれこれ  
        
如何ですか?  ちょっとトライしたくなりません?!
ですが、このお値段は2010年秋のというお断りを。



町の通りを行きつつ、こんな逆光の中のワンちゃんを見つけ撮っていると、

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そんな犬など撮らずに俺達を撮って!の声で、はい、日伊親善に努めるshinkai。

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・・ええと、私はです、・・美的が好みなのですがぁ・・。



先程のクーポラの見える教会の裏を通り過ぎ、これがドゥオーモと思わず写しましたが、

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時計の文字盤と、上の大天使ミケーレの姿もなかなか良いでしょう?

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かなり広いウンベルト1世広場にあった法皇像と、後ろは現在市役所になっている
ファニャーニ邸・Fagnani。
これはどなた?と言うと18世紀の249代のクレメンテ14世。

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なぜここにあるのかは、ははは、像の下に彫られたラテン語は読めずですが、
この法皇はこの地のファニャーニ家縁続きの出身だそうで、イエズス会を潰した
法皇として有名な方、なのだそう。



壁に見えた日時計が面白くて写したのですが、9時半を指していますね、
はい、間違いなくその時間帯だったと。

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下に見える碑は、この家で1839年8月2日に有名音楽家の
アゴスティーノ・メルクーリが生まれた、と。

この名をご存知の方は? ナポリの音楽院で勉強し云々、と出ましたが、
・・まるで、皆目、全然、まったく・・。



曲りくねる町の通りに朝の陽が射しこみ、おしゃべりに余念のない若い主婦2人。
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山の中の田舎町にしては、3階建てのしっかりした家が続くでしょう?!



ベランダの花鉢。

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細く自然なカーヴを描く道、古い町並み。

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そして、こんな一郭にでて。

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新しい町を訪ね、歩き回っていてこんな場所に出ると、shinkaiの内で
「わぉ!!」と喜びの声が上がり・・、



美味しいのが分かっているのをじっくり味わうみたいに、ははは、
周囲を眺めまわし、確かめながらそろそろと進み、

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ほらね、広場の中。 広場の名はピオ2世広場、正面は13世紀建設のラジョーネ宮。
市役所が以前ここにあり、現在は観光事務所が入っている様子。

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13世紀建設と言うと、そう、この建物はフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロも
見ている筈!
    
で、最初に書いたフェデリーコの最初の妻について読んだ事を。
この町で生まれ育ったジェンティーレ・ブランカレオーニ・Gentile Brancaleoni、
フェデリーコも一緒にここで育った、という事ですが、
中世に於いてサンタンジェロ・イン・ヴァードの町は、ラツィオからトスカーナ、
マルケ、エミーリア・ロマーニャに渡って広がるアペニン山中に存在した教皇領の
マッサ・トゥラバーリア・Massa Trabariaの首都だったのだそうで、

ジェンティーレの父親バルトロメーオ・Bartolomeo・ブランカレオーニは、ここと
西にあるメルカテッロ・Mercatelloの行政官、領主だったと。
8歳の時に父親が亡くなり、母親ジョヴァンナ・アリドージ・Giovanna Alidosiが
跡を継ぎ、ただしウルビーノのフェデリーコの父グイダントーニオ・Guidantonio
の後見の下で、との教皇からのお達しに因りますが、
グイダントーニオの叔母が、ジェンティーレの父方の祖母、という血の繋がりもあり、
       
後添えの継母が嫡子を生む、という難しい状況のウルビーノ宮廷からこの地に
幼いフェデリーコが預けられ、その時に手回し良く、将来の婚姻許可も得ていたと。

実の母親同然に彼を育てたジョヴァンナですが、命の危険もある皮膚病に
フェデリーコがかかった時も、適切で親身な世話のお陰でイボは残ったが命拾いを!

そしてフェデリーコが15歳の1437年に結婚しますが、ジェンティーレは父親の
唯一の後継ぎとして、土地とその支配権を婚資に持参の、6歳年上の21歳。

騎馬戦が好きで無骨な性格のフェデリーコには、この年上の温和で忍耐強い妻が
大変に援けになったようですが、残念ながら二人は子に恵まれず、
夫の婚姻外の子を実子の様に育てつつも、新しい結婚を考え始めた夫により
修道院に隠遁を強いられた、という説も出るほどに、彼女の晩年は
引きこもりがちだった様で、41歳で肥満から来る症状の悪化で没と。

サンタンジェロ・イン・ヴァードの町紹介のヴィデオを見ていましたら、
歴史家が町の経緯を語りながら、

ウルビーノ公国を継いだフェデリーコの義弟オッダントーニオが、もし1444年に
家臣の反逆で殺害されなかったら、ひょっとしてフェデリーコのいたこの町が
ウルビーノの位置になっていたかも! と熱意を込めて話しておりましたが、
いやいやそれは幾らなんでも、おらが町の贔屓が過ぎましょうぞ!

11歳の時には所謂人質の形で父親からヴェネツィアに預けられ、15ヶ月もこの地の
開けた空気を吸い文化に触れ、その後にはマントヴァの宮廷で勉強したという彼の事。
ウルビーノの山の中にあっての、あの優雅なドゥカーレ宮の姿は、
あれはヴェネツィアで、マントヴァで得た影響の現れでしょう。

ウルビーノ公国の領土と、ジェンティーレの持参した土地とでは比べ物になりませんし、
フェデリーコの野望は大きく、その実現の為には明確で強固な意思があった筈で、
義弟の暗殺も命は援けるからと下手人として家臣を使い、後に自供させ、
2年後には処刑という・・。
彼自身庶子として生まれ、自分の婚姻外の子には法皇の認めを得ながらも、
バッティスタとの結婚で得る嫡子の幼子を後継者に、等など。
              
単純に、ルネッサンス文化の香る宮廷をウルビーノに開き、芸術家達の大パトロンで、
傭兵隊長としては武勲を誇る、という様な表の姿だけでなく、
私生活のあれこれを知ると、如何にもルネッサンス期の君子に相応しく、
政治にも大変合理的な男だったのだろう、という気がします。

それにしても彼の2人の妻の人生についても考えさせられました。
最初の妻は日陰でひっそりと生き、2番目の妻バッティスタ・Battista Sforzaは
14歳で結婚し、12年間の結婚生活で7人の子を出産し、26歳の若さでの死。

信仰深かった彼女自身の希望で、普通の長衣のまま修道院の共同墓地に埋葬。
愛された妻だったというのですが、最初の妻ともども、彼女達の心の中には
どんな想いがあったかと思います。

すみません、長くなりました。
随分前からのんびりと読んではいたのですが、納得の為の時間も要り、
そのままになっていたのが、今回縁ある町のご案内でつい・・。
お付き合い頂き、有難うございました!
       
      

建物のポルティコの下で何か作業中で、

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見に行くと、ドアの修復、というか、古いニスを落としている所で、右が親方、
左が見習い中の若者。 剥げかけのニスを落とし、虫食いの穴を埋め、
新しくニスをかけ古いドアを蘇らす、という訳ですね。

OKを貰って写しましたが、こういう仕事が続いているのを見ると、なぜか嬉しくなり。
       


広場の東側に教会の入り口があり、お祭りかな、飾りを取り付けている最中で、
中に入らずでしたが、

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今回町の地図と首っ引きでどこをどう歩いたのか、写したのは何なのか調べていて、
これが後を通り抜けたドゥオーモと分かりました、ははは。

我々は教会訪問はしなかったのですが、幾つもの古い由緒ある教会も、収蔵品も
立派なのがある様子で、はい、また次のチャンスには・・。
       


町の西にあるアルバーニ門・Albani.

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こちらがまた趣のある建物でしょう? ここにインフォメーションがあり、
コルソ・ガリバルディ通りの西端近く、ここでローマ遺跡を見たい、と
申し込みましたら、

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この爽やかな女性が自転車を押し押し、町の外にある広い草原、
「ドムス・デル・ミート」に連れて行ってくれ、あれこれ説明してくれたのでした。

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遺跡モザイクのご案内は次回、という事にさせて頂きますが、
1枚だけ内部の広さと様子の予告編をね。

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ね、素晴らしいでしょう?!  神話からのモチーフが多く、
多色と白黒との使い分けでしたが、内部は写真禁止で、これはサイトから。

という事で、次回のご案内をお楽しみに!!


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