・ ヴィッラ・マニン ・ ヴェネツィア共和国最後の元首の館

今日のご案内はフリウリ・ヴェネツィアジューリア州にある、ヴェネツィア共和国最後の
ドージェ・元首となったルドヴィーコ・マニン・Ludovico Maninの住まい、別荘であった 
ヴィッラ・マニン・Villa Maninを。

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一昨年の冬に既に一度訪問し写真もあったのですが、曇り空で如何にも寒そう、
色も良くないのでお目にかけずのまま。
が今回、この26日日曜の午後の訪問時は上天気となり、
温かい春の様な日で楽しめましたので、どうぞご覧下さいね。



こちらはずいぶん昔に買った絵葉書ですが、屋敷の壮大さが良くお分かりかと。
奥に四角く母屋と庭があり、手前側は丸みを帯びた建物が囲む庭、
そして母屋の奥に広がる広大な庭園と森。
はい、これが裕福なヴェネツィア貴族の別荘、住まいだった訳で、

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この絵葉書を見たずっと昔から、訪問したくてチャンスを待ちわびていた訳です。



ヴィッラ・マニンはどこにあるか、地図をどうぞ。 ウーディネの西、コドゥロイポ・
Codroipo のコムーネに含まれるパッサリアーノ・Passarianoという村にあり、

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すぐ北に見えるリヴォルト・Rivoltoには、イタリア国の儀式に花を添える
「3色の矢」というアクロバット飛行隊の基地があり、

東に見えるカンポフォルミド・Campoformidoという村で、ヴェネツィア共和国を崩壊
させたナポレオンがオーストリアと協議、その領土をオーストリアに分割したり、
罰金を分捕ったりの協定にサインをした、恨みの、ははは、場所。

ヴェネツィア貴族は本土側に領土を持ち別荘を建て出かけていた訳ですが、
ヴェネツィアからこのパッサリアーノまでどの位の距離かと調べて見ましたら、110k程。
馬車の速度というのは、どの位だったのでしょうね?

フレッチェ・トゥリコローリ ・ 「イタリアの3色の矢」飛行隊
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463999146.html



この日の午前中は、パッサリアーノの南西に位置するセスト・アル・レゲーナという
小さな町にある、ベネデット派の8世紀からの教会を見て、近くでお昼。
       
本来なら、今回は即「旨い物!」とアップする筈ですが、まさにそのつもりでいたのにぃ、
少し構えたレストランで、出された物の見かけは上品なのですが、お味はイマイチで、
ク・ヤ・チ・イ! 我らには、安くて旨く量たっぷりのアグリトゥリズモが良いなぁ!
と言いあった事でしたが、

てな事で、shinkaiも必死にヴィッラ・マニンを纏めざるを得ず、ははは。
フリウリの広い広い平野の道をグループのバスは走り、

こんな枯れ木の美しい駐車場に到着。 右下奥に、母屋が見えますが、

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こうして脇門をくぐり、

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こちらは緩やかな円形で庭を囲む厩舎跡、はたまた、各種倉庫の類だったのかも。

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門脇の石組み。 素朴な味でしょう?!

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この脇門を入ると、ちょうど上の絵葉書で見て頂いた、屋敷の地所の真ん中を
横切る道に出て、母屋がこんな風に。
奥に見えるアーチに見える人々の姿、あそこが展示会会場入り口。

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真ん中の通路、現在は車も通り抜け出来、半ば駐車場代わりにも使われている様で
がっかりですが、中央の門から見る母屋。

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道脇、母屋の庭側にはこんな風に池があり、かっては魚を養殖していたのだとか。
今も魚の姿は見えましたが・・。

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母屋のアップ。 イマイチ魅力に欠けるのは、広大な屋敷ではあるのですが、
建物のデザインが素っ気なく、おまけに現在は展示会場に使っている為か、
全て窓が閉じられているので、面白みが無いですよね。

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その点、ブレンタ川沿いの別荘類は素晴らしかった!
ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html

ブレンタ川沿いに ・ お休みのご報告と予告を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389459.html

イタリアで一番素晴らしい植木の迷路 ・ ラビリントを
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389643.html
 


中の通り抜け道の、東側の門。

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今回ヴィッラ・マニンに行ったのは、「Eapressionismo・表現主義絵画展」が
開かれていて、それを見に行ったのですね。
自分一人だったら、多分、好きではないので行かなかったと。

でも、午前中の古い教会は以前からチャンスを待っていた場所でしたし、
気の置けない友人達との小グループでバスで、となると、これはまた楽しい日帰りの
お出かけですから、少々日程が詰まっていても、はは、出かけますです。
      
こちらが会場入り口へのアーケードで、こんな風に展示作品の大きな垂れ幕が並び、

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敷き石模様。

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2010年11月末にここに来たのはやはり展示会を見にで、その時は「ムンク展」。
かの「叫び」は来ておりませんでしたが、妹を描いた何点か、これが大変素晴らしく、
ムンクへのshinkaiの評価も変りましたが、

彼以外の画家たちの北方風景を描いた作品群が素晴らしく、
名前もまるで知らなかった画家の作品に見入った事でした。

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大変上天気の温かい午後で、皆思いおもいに日向ぼっこ。

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一人女性が肩を丸出しで日光浴! 撮りたいなぁ、と思いつつ写せずの
弱気なshinkai. 所がタータが厚かましく写しているのをお昼に見て、
ああ、これ、写したかったのよねぇ、と言うと、ルイーザの夫レナートが、
俺も、って、ははは。



今回見た表現主義展会場全体で、ああ、これ美しい、とか、良いなぁ、というのが
3,4枚あったでしょうか、エミール・ノルデも何枚かありましたし、他にもたくさん。
という位しか、知らないのです、正直。

この離れた会場で、しかも表現主義展というのに大変な人出で、まぁ日曜にしろ
驚きましたです。 ちょっと日本の展覧会場並みの混み具合でしたから。

で、出てきてバールで一休み。 回廊の出口にある鉄柵。

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所でこのヴィッラ・マニンは、ヴェネツィア共和国の最後120代目の総督、
ルドヴィーコ・マニンの邸宅であった、と書きましたが、
マニン家は元はフィレンツェ出身、14世紀頃にフリウリに。 ここで貴族の位を得て、
経済的政治的にも発展、1385年にヴェネツィア共和国の市民となり、
1651年に大評議会に迎えられたという家系。

この邸宅は、始めは17世紀中頃に建設され、時代と共に拡張、豪華になった様子。
ルドヴィーコ4世がヴェネツィア総督に選ばれた1789年5月の選挙で、
対抗馬であったアンドレア・メンモ・Andrea Menmoは、彼の政策に失望を感じた
自陣の応援を欠き、ルドヴィーコが1回目の投票で選ばれたと。

この時のもう一人の対抗者ピエトロ・グラデニーゴ・Pietro Gradenigoの苦々しい言葉、
「お前たちはフリウリ人をドージェにした。共和国は死んだ!」が有名ですが、
8年後の1798年5月12日に、まさにその言葉通りに!
 
眉が密集、生彩を欠いた茶色の目、大きな鷲鼻、上唇が飛び出し、歩調は疲れ、
体が少し傾いている・・、という、素晴らしい人物描写も見つけましたです、はぁ。



それはともかく、この館はナポレオンが1979年に約2カ月間、最初の妻の
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと住んだ事でも有名で、
ジョゼフィーヌがイタリア語でジュゼッピーナである事にピンとこず、
誰、これ?! 女連れだったのかいな、と、失礼をば、ははは。
       
カメラ持ち込み禁止の為、サイトでもこんな小さな写真1枚のみを見つけましたが、

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これが見物出来るナポレオンの部屋で、小さな寝室、丈の短いベッドが隣設していて、
この部分だけ、ちょっと豪華な屋敷の片鱗を垣間見れ、

入り口に続くロッジャ部分には、馬車などの展示もあり、写真が多すぎパスしますが、
ここの部屋内の柱の様子から見て、ここに厩舎があったのかも。

ヴィッラ・マニンの公式サイト。英語版も。 http://www.villamanin.it/

国際的な展覧会が開催される様ですが、今年の12月半ばからティエポロ展が
来年4月まで。 何年か前のヴェネツィア展を逃しているので、これは楽しみ!

ヴェネト州アーゾロの近くにある、マニン家所縁の別荘は
ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html



表現主義の展覧会を見て出てくる頃には、そろそろ陽が傾き、
屋根の上の彫像に、雲間からの陽が。

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あ、ケンタウロスもいる、と射手座のshinkai。

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屋敷部分から、円形の庭園に出て、

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先日の寒さに生き残ったと見られる、僅かなパンジー。

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円形の庭を囲む、エセ―ドラ、と説明がありましたが、
庭園の一郭に柱廊を廻らした屋外の建築物、というのだそう。
       
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で、左横にはかっての礼拝堂があり、



何か別の展示がされていた様で、表にこんなかっての、出張研ぎ師用の自転車が。

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終戦後の貧しい時代、こうして出稼ぎに出歩いたのだそうで、見えますか、
自転車のチェーンで砥石を回し、上の小さな銅の筒から水が落ちる様な仕掛けです。

後ろのシニョーレ2人。 あ、日本人が写真を撮ってると笑っていますがぁ、



へっへっへっ、研ぎ用自転車だけではないんだぜ、
あんさん方が抱擁しているのも、撮ったもんね!

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緩やかにカーヴを描く建物に当たる陽。

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アーチの上には、こんな顔、あんな顔。

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庭園の芝はまだ枯れているのですが、余りのお天気の良さに、
僕たちがゴロンゴロンと。

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庭園の一番南端の門の外まで行ってみました。
とにかく敷地が広すぎ、建物が長く、1枚の中には上手く収まりませんで。

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南の庭の端から、遥かに望むこんな母屋群。

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最後は館内にあった絵葉書で、どうぞ!
すぐ隣町に基地を置く「三色の矢・フレッチェ・トゥりコローリ」との
コラボレーションで、ヴィヴァー・リターリア!!

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