今日はフリウリ・ヴェネツィア-ジューリア州州のほぼ真ん中に位置する、
まさに珠玉の町と呼ぶに相応しい、スピリンベルゴ・Spilimbergoのご案内を。
まさに珠玉の町と呼ぶに相応しい、スピリンベルゴ・Spilimbergoのご案内を。
いかにもドイツ語的な「スピリンベルゴ」という町の名に魅かれ、かって一度
訪れて以来の再訪ですが、期待以上の素晴らしさでした。 では、どうぞ!
訪れて以来の再訪ですが、期待以上の素晴らしさでした。 では、どうぞ!
スピリンベルゴはどこにあるか、地図をどうぞ。
東にウーディネ・Udine、西にポルデノーネ・Pordenoneのほぼ中間の北にあり、

どちらの町からもバスで行けますが、50分程、ウーディネからだと31k、
ポルデノーネから33kの距離で、カザルサ・Casarsaからも便があり30分と。
蛇足ながら、カザルサは、映画監督のピエロパオロ・パゾリーニ・
Pieropaolo Pasoliniが育った町。
Pieropaolo Pasoliniが育った町。
この地図には名の表示がありませんが、町の東に見える濃い緑の筋、
これはタリアメント川・Tagliamentoの広い河筋で、この辺り一帯に幾本もの川、
または枯れた川床が広がります。
これはタリアメント川・Tagliamentoの広い河筋で、この辺り一帯に幾本もの川、
または枯れた川床が広がります。
スピリンベルゴの北東10kほどには、生ハムで有名なサン ダニエレ・デル・フリウリが。
町の中心はほぼ丸く、その真ん中を東西にローマ通り・Corso Romaが通り、
その中程、まさに町のど真ん中にガリバルディ広場・Piazza Garibardi。
で広場から右手を見ると、この眺め。
その中程、まさに町のど真ん中にガリバルディ広場・Piazza Garibardi。
で広場から右手を見ると、この眺め。

上の写真に見える細いローマ通りの東半分が旧市街部・Borgo Vecchioで、
見所がこの様に。

Torre Orientale・トッレ・オリエンターレ・古い市壁の門
Casa del Capitano・カーザ・デル・カピターノ・町の守備隊長の館
Duomo・ドゥオーモ
Castello・カステッロ・城 など。
コムーネのサイトに、町の地図が。
http://www.comune.spilimbergo.pn.it/index.php?id=19
http://www.comune.spilimbergo.pn.it/index.php?id=19
では、参りましょうか。
石器時代の発掘品、ローマ期の北への街道筋などなど古い歴史を持ちますが、
11世紀頃にオーストリアのカリンツィア地方(イタリア東北部に接する)の伯爵
スペンベンベルグ・Spengenbergがこの地を治めた事に町の名は由来と。
11世紀頃にオーストリアのカリンツィア地方(イタリア東北部に接する)の伯爵
スペンベンベルグ・Spengenbergがこの地を治めた事に町の名は由来と。
街道筋の要所として商業交易の中心地となり、13世紀頃には大変な繁栄振りとなり、
アクイレイアの司教領とのせめぎあいの後、15世紀の半ばヴェネツィア共和国の元に。
アクイレイアの司教領とのせめぎあいの後、15世紀の半ばヴェネツィア共和国の元に。
この館は、16世紀のモナコ邸・Monacoですが、ヴェネツィアのイメージが大変強く。

ご覧の様に、正面はフレスコ画装飾で見事に覆われ、窓の形もヴェネツィア・ゴシック。
神話から題材を得ているようですが、通りが狭いので見難く、残念。

こちらの旧市街側の通りはご覧の様に狭いものの、歩行者と自転車のみで、のんびり!

テントが見えますが・・
そう、バールの席。

今回このスピリンベルゴの町で痛感した事は、町の大きさと、人々の暮らしの
程よさ加減。 こちらでよく言われる「人の丈に合った町の大きさ」、これです。
モナコ邸の前にかなり大きな本屋があり、地方独特ののんびりした雰囲気で、
なかなか良かったです。
なかなか良かったです。
ローマ通りは、こんな風に少しカーヴして・・

フリウリ州のモザイクの学校が町の北通りにあり、「モザイクの町スピリンベルゴ」とも
称していて、ローマのオリンピック・スタジアムのモザイクもこの学校の製作だそう。
ラヴェンナのモザイク学校の有名さは知っていましたが、どうやら同一人物によって
開かれた様子。
開かれた様子。
通りに1軒店があり、表の素晴らしい犬の顔のモザイクに引かれて入りました。
とにかく、色のトーンがもの凄い数! 丸い形の色ガラスをゆっくりと冷やす事により、
割った時に飛沫に飛ばないのだそう。 小さなイヤリングを1つ、ね。
割った時に飛沫に飛ばないのだそう。 小さなイヤリングを1つ、ね。

勿論、こちらにもバールの席。 うん、少し暑そうな布の色!

町はちょうど夏の音楽祭開催で、あちこちに舞台が作られ、飾り付けられ、
夜の賑わいを控えています。

手前にもテント席が見えますが、こちらはどうやらワインかビールの様子。
角に、装飾された建物が見え・・
カピターノの館、またフレスコ装飾の題材から、エルコレ・ヘラキュレスの館とも。

15世紀の物ですが、16世紀にかけては町が一番に繁栄し、たくさんの芸術家、
職人が呼ばれ、建物内外の装飾にも力を注いだ時代と。
カピターノの館の左手奥に、「東の塔」と呼ばれる町の門があり、
これは門を出た所からの眺め。

町は12世紀の城の建設に始まり、繁栄するに従い、市壁が3度にわたり拡張。
この東の塔は13世紀初めの市壁の門で、ここを出てもローマ通りは暫く続き、
突き当たりは、ドゥオーモ広場。
普通だと市壁の外は近代的な町並みですが、この町では中世の町並み。
14年ほど前に一度来た事があり、当時は上の写真の門を出た辺りには
寂れた面影がありましたが、現在修復が殆どすみ、新しい発展を待ちます。
寂れた面影がありましたが、現在修復が殆どすみ、新しい発展を待ちます。
軒下のポルティコも、梁も古い木のまましっかり整備され。
これと同じ柄は他のポルティコにも。
これと同じ柄は他のポルティコにも。

外の修復は済み、内部を整備中の建物。 窓を挟んでの、何とも可愛い
カップルの装飾画。

ドゥオーモ広場の北西の建物、ダツィアーリオ邸・Daziarioの扉。
13世紀の物で、商業取引の管理と税の徴収に当った建物と。

ダツィアーリオ邸の扉の金具。 公営質店かと思う程の頑丈さ。

この斜め前に1階がロッジャの建物があり、これはロッジャ邸の天井の装飾。
勿論修復されたものですが、ポルティコで見る柄とは違い、紋章ですね。

後で調べて知ったのは、マーチャ・Maciaという、中世にスピリンベルゴの町でのみの
長さの単位、布の商人たちが使った、約70cm、を示す彫りこみが柱にあった様子。
気が付かず残念。
で、現在8月の最初に行われる時代祭りが、「マーチャの祭り」と呼ばれ、賑わう様子。
コムーネのサイトの8月・Agostoに。
http://www.comune.spilimbergo.pn.it/manifestazioni-ed-eventi/agosto/index.html
コムーネのサイトの8月・Agostoに。
http://www.comune.spilimbergo.pn.it/manifestazioni-ed-eventi/agosto/index.html
ドゥオーモの位置も常の町とは違い、古い中心街の外れ、町の門を出ての
当時の市壁近くに建設の、13世紀後半のロマネスク・ゴシックの素晴らしいもの!
現在の鐘楼も、市壁の塔を組み込んだものと。

今見える、広場に向かった北側面の扉は、上流階級層の入り口だったそうで、
左脇にうっすらと見える大壁画は、聖クリストフォロ。

奥横にドゥオーモの案内板があり、なんとフリウリ語での説明部分が。
フリウリ語というのは、ケルト系のラテン語に、ロンゴバルド、ドイツ、セルヴォ、
フリウリ語というのは、ケルト系のラテン語に、ロンゴバルド、ドイツ、セルヴォ、
ヴェネト、イタリア語が混ざったものなんだそうで!!
こちらが西になる正面壁。 現在は2つ塞がれていますが、全部で7つの薔薇窓。
フリウリでも唯一との事。

薄い黄色地に、白の長方形で杉綾模様が描かれ、見えるかな?
穏やかで典雅な美しさです。
内部は3廊式で、中廊の後陣全体が14世紀の、旧約、新約聖書が題材の
フレスコ画で埋められ、

これがその一部ですが、はは、遠くからキリストの蘇生かと思いきや、
お風呂の覗きでござったよ! ははは。
お風呂の覗きでござったよ! ははは。

中廊部上には、16世紀の物という素晴らしいパイプオルガンも。
ドゥオーモの正面から西への通りに、いかにも古い造りの家並みが続きます。
この残されたテラスの石が語る長い年月。

お馴染みの、サン マルコのライオン君。 出かけた場所でお目にかかると、
なにやらホッと親しみが。 ははは。
なにやらホッと親しみが。 ははは。

特別な作りでもないのですが、美しく心落ち着く眺めの窓。

ドゥオーモ広場の東側は空堀で、向かいに素晴らしい印象の建物が見え、
広場の北東に橋があり、お城 → とあり、

橋を渡り、建物の下のアーチをくぐるとこの中庭に。
何とも素晴らしい眺めに、ああ!と嘆息。

あちこちに出かけ、たくさんの素敵さに出会いますが、まさにこれには驚き!
皆さんに、実物大でご覧頂けないのが残念!!
皆さんに、実物大でご覧頂けないのが残念!!
せめて、アップで!

色のハーモニーが素晴らしく、人物像と柄と、窓、テラスが一体となり、
これだけの大きさの、ほぼ完全なのも珍しい!
お城の建設は11世紀に、すぐ東を流れるタリアメント川に張り出す崖を
利用して造られた様子ですが、
長い変遷の内に、地震、戦火にも出会い、が、この東側の絵画邸とも呼ばれる
部分が無傷で残ったとの事。
利用して造られた様子ですが、
長い変遷の内に、地震、戦火にも出会い、が、この東側の絵画邸とも呼ばれる
部分が無傷で残ったとの事。
現在ここにはレストランが入り、お値段はまぁそこそこで、次回のチャンスにでも。
レストランの入り口は、上の写真に見える階上の大きなアーチの部分です。
レストランの入り口は、上の写真に見える階上の大きなアーチの部分です。
このお馬さんの鞍の形、そしてイメージ、何とも優雅でしょ?

中庭を丸く囲む形で建物群があり、この様に角度がついています。
馬やライオン、隼など、動物の姿も多く、それもやさしい印象を与えるのでしょう。
馬やライオン、隼など、動物の姿も多く、それもやさしい印象を与えるのでしょう。

かってのお城の部分の南側は、16世紀の戦火で焼け落ちたまま再建されず、
川に続く林が、下に見えます。
川に続く林が、下に見えます。
建物群の端に、ひっそりの入り口も。
ドゥオーモ側から見えた西側の建物も、どっしりと重く、不思議な感じのする地下への
傾斜した入り口がありましたが、近年監獄として使用されていた、と読み納得!
傾斜した入り口がありましたが、近年監獄として使用されていた、と読み納得!

ローマ通りを中心まで戻り、今度は西に。
こちら側は同じローマ通りですが道幅が広く、やはり、ご覧の様にいくつもバールの席!

奥に見えるのは、西の塔・Torre Occidentale.
1階が薬局で、1650年創業。 Alla Carità・アッラ・カリタ、という店名は、
なにか奉仕的な事も兼ねていたのでしょうか?

2階の右端は窓拭きの最中で、なかなか雰囲気が良く。
中心のローマ通りから、小路が何本も脇に通っているのですが、いかにも中世の、
古い建物のアーチの下を覗きこみましたら、どうやらワイン飲み屋ですね。
古い建物のアーチの下を覗きこみましたら、どうやらワイン飲み屋ですね。

綺麗に修復され、すっきりと美しく、逆にモダンなイメージに。
アーチ、が大好きですが、道の向こうに、少し懐かしい緑の鎧戸。
左上にワン君の姿の碑も見えます。

西の塔の外側には現代風の町が広がり、塔の内側から、通ってきた東の眺め。

西の塔から東の塔、そしてお城までの距離は、1kほどでしょうか?
小さくても奥が深くゆったりとした町。そんな印象を強く受けました。
たくさん写真を撮り、サイト、ガイドブックからもあれこれ知った
ご案内をたくさんしたい、そんな町でした。
ウーディネ辺りにお出での時は、是非お出かけ下さいね。 お勧めです!!
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