・ モデナの大聖堂 グランデ広場 市の塔 ・ 世界遺産登録の

1997年に世界遺産に指定された、モデナ・Modenaの
大聖堂・サンタ・マリーア・アッスンタ・イン・チエーロ・エ・サン・ジェミニアーノ・
Santa Maria Assunta in Cielo e San Geminiano、という
長~い名前を持つ聖堂と、グランデ広場・ピアッツァ・グランデ・Piazza Grande、
大聖堂南面の広場、そして市の塔・トッレ・チーヴィカ・Torre Civica、

今回は街の中心にあるこの3つ、中世からのモデナ市民の生活の要、のご案内を。

西上空からの眺めでここでは左が北の位置になりますが、それぞれがどの様に、
どんな大きさか、よくお分かり頂けると思いますが、

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真ん中に見える白い大きな高い塔、これが大聖堂の鐘楼で、ギルランディーナ・
Ghirlandinaの愛称を持ち、その右に大聖堂。
左脇すぐに見える建物群に聖堂博物館があり、大きな広場がグランデ広場。
広場の上辺を囲む形であるのが市庁舎で、見える塔が市の塔。

ついでにご説明すると、グランデ広場の右面を閉める四角い建物は、元裁判所の
あった場所に、1963年ある銀行の本拠事務所の建物が建設された物で、
大聖堂正面横に見えるのが、大司教の住居。
       
写真左上に見える細長い公園の奥、円形の屋根が飛び出しているのが、
モデナの街歩きでご案内したシナゴーガの建物



グランデ広場から見る、左に大聖堂、正面から右に市庁舎と市の塔で、

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市の塔の上部。 下に切れて見えるアーチの中に美しい像があるのですが・・。

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1671年地震の後に崩壊した、と言う説明がありましたが、こうして見ると、
最上階の部分のみの瓦解だった様子ですね。



モデナには今年3月と4年前の夏、それ以前22年前と3回訪問しており、
今回のご案内では4年前の夏の青空の写真でOKなのは使っています。
でないと、余りにも曇り空ばかりの写真では寂しいですものね、
で、ブログ名のある写真はshinkaiの撮った物で、他はサイトから拝借の物。

グランデ広場の北東の隅、写真奥に見える階段が市庁舎への階段ですが、
その前にこんな大きな石舞台があり、リンガドーラの石・Pietra Ringadoraと。
      
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13世紀の記録に既に残っており、その後何度か場所を移されもしたものの、
1936年より元々あったこの場所に。

ヴェローナの赤い大理石の長方形の大きなもので、リンガドーラの石、
つまりアッリンガトーリア・arringatoriaの石、
この上に立ち、市民に演説をするのに用いられたというもの。

ですが、この石は他にもいろいろ用いられており、泥棒や負債者への懲らしめ、
溺死者の身元確認、そしてまた殺人の疑いがある場合などにも、ここに展示されたと。

面白いというか凄いのが返済しない負債者への懲罰でして、広場で市の立つ日、
頭を丸刈りにされ冠を被らされ、太鼓の知らせを先頭に広場を一周し、ははは、
たっぷり松脂を塗ったこの石の上に、お尻を丸出しにして座らされ、
3度、チェード・ボニス・財産をすべて放棄します、と言わされたと。
その言葉を言わされたというよりも、そのように判決され、
多分お尻を叩かれながら自ら宣言した、という事なのでしょう。

中世の判決は大変厳しく、書きながらそういえばと思い出したのは、パドヴァの
パラッツォ・ラジョーネに関係しての記事で、黒い斑石ヴィトゥペーリオの石の事。

n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html

チェード・ボニス・cedo bonisの意味が最初正確につかめず、
友人のジュリアーナに援けを求め、その内にパドヴァの件を思い出し、
彼女にも知らせると、早速に興味深い!との返事。
ただパドヴァの方は、ちゃんと下着、パンツをつけていた、という点が違い、
その辺りで大いに笑った事でしたぁ、ははは。
       


と言うように市民生活に直結した広場なのですが、

その南東の隅から漸くに鐘楼と聖堂が入る大きさ、高さで、鐘楼の高さ86,12m、
この塔には上がれる様子。

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リンガドーラの石の辺りからの聖堂の後陣部、一番上に立つのは大天使ミケーレ。

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鐘楼、ギルランディーナの頂上部分。 ギルランダ・ghirlandaは花飾り、花冠を
意味し、如何にモデナ市民に愛されてきた鐘楼か、よく分りますね。

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モデナ生まれのルチャーノ・パヴァロッティの歌う「ラ・ギルランディーナ」を。
https://www.youtube.com/watch?v=VMpKuQjDp8g

上のラ・ギルランディーナを探していて偶然見つけた、初めて聞いた彼の歌、
「歌・IL Canto」
  ・・君が行ってしまった日から、夜はもうここには来ない
  時間も思い出も失くし、死なない愛の歌だけが残る

普通の人々の歌う姿も写り、しっとりと歌うパヴァロッティの今は亡き声と姿に、
思わず涙したshinkai・・。
https://www.youtube.com/watch?v=L0afcLgqyt0



聖堂脇の姿、半分。
1099年6月9日、記念すべきこの日、現在に残る新しいモデナ聖堂建設の
最初の石が置かれ、内部の装飾もすべて済んで完成したのが、300年後!

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脇壁右に大きな屋根の形が見える内陣の張り出し部分で、中側左のは15世紀に
設置された説教壇で、大きな扉と入り口はポルタ・レジーア・Porta Regia.

この聖堂の位置には5世紀からの2つの教会があり、聖堂のクリプタ・地下祭室には
6世紀から保管されてきた街の守護聖人サン・ジェミニアーノ・San Geminianoの
遺骸があり、教会側のみでなく市民からの強い要請があっての建設だったそうで、
古い2つの教会を壊しながら、新しい聖堂が造られたと。

1099年5月23日付の後陣外の石碑には、主任建築家ランフランコ・Lanfranco
(11~12世紀)の名が見え、このモデナの聖堂が唯一彼の作として確かな物だそう。

ランフランコはマエストリ・コマチーニ・Maestri Comaciniと呼ばれ、
コマチーニというのはコモ湖周辺出身という意で、今も各地の建築物に名の残る
左官や石工の職人集団も連れて来た様子で、彼らはすぐに仕事に取り掛かりますが、

ランフランコはじきに彫刻家のWilgelmo(11~12世紀)発音がぁ・・、
多分ラテン語のWillelmusからの名で、イタリア語ではグリエルモなので、
ウィルエルモと書かせて頂きますが、ご存知の方、お教え願います!
       
このウィルエルモは、イタリアで初めて作品に名前を記せた作家の一人。
教会の装飾関係のみだけでなく建築もで、彼が正面壁の仕事を手がけ始め、
ランフランコ達は後陣の仕事を、という進捗具合だった様子。

でこういう両面からの仕事の進み具合で、計算違いであったのが良く分る、
真ん中の繋がりなんだそう!

一連の3つの窓を持つアーチの連続が、ほら、ポルタ・レジーアの右横で
半分になっているでしょう?!実際にアーチの広さもかなり違うのだとか、ははは。

こういった寸法の間違いは、ロマネスク建築の前半では頻繁にあった様で、
壁が膨らんだり、アーチの大きさの違い、帯状装飾が踊ったりなど等、ははは
ゴシックになっていくらか緩和されたのだそうですが、

当時は、対称であるとか比率とか均衡性などは、特別な重みを持っていなかった事も
ある様で、はぁ、こう聞くとゆったりとして、長閑で良いですねぇ、ははは。



グランデ広場に面したポルタ・レジーア。 最初の建設には無かった入り口で、
1209~1231年の物。 円柱を背に乗せ獲物を抱え込む2頭のライオン像。
       
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レジーア・Regiaというここでの言葉は、レ・Re・王には関係なく、
中世においてのラテン語regeは建物の中心的扉を意味するのだといい、
確かにグランデ広場に向いての、聖堂第2の正面入口ですね。



この写真は4年前の夏、工事中の覆いの隙間から撮った物で、
ローマ期のライオン像と見られる背に、円柱が乗っている様子。

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そして、入り口脇の柱の並びの装飾の様子。

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ライオン像の背中の円柱は、上のプローティロ・protiroと呼ばれる柱廊式玄関を
支え、多分中に見える聖人はサン・ジェミニアーノと。

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サン・ジェミニアーノ・San Geminiano(312~397)はモデナの司教であり、
この街で亡くなった聖人は、悪魔祓いの力を持っているとの評判だったようで、
トスカーナの世界遺産の小さな町、サン・ジミニャーノも彼が守護聖人で、

ジェミニアーノも、ジミニャーノも同じだそうで、彼を守護聖人に戴く町は他にも幾つも。

美しき塔の町 サン・ジミニャーノ ・ 塔の上から、そして
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467078009.html

サン・ジミニャーノの朝 ・ 雲海の朝焼け
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466797663.html



で、このプローティロの屋根の上には、十字を持つライオン君がいますが、
その斜め上の屋根の脇に見える像にご注目を!
  
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聖堂屋根の上の仕切り壁の脇全8面に見られる、
このいささか複雑怪奇な半人半獣像はメートぺ・metopeと呼ばれ、



現在この屋根の上にあるものはコピーで、年月による損耗が大きく、
1950年よりお隣の聖堂博物館に本物が保管されており、見に行きましたが、
現在の屋根の上のとはかなり印象が違い、博物館サイトからの写真をどうぞ。

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ウィリエルモの弟子と見られるマエストロ・デッレ・メートペ(1130年頃)の作品で、
その意匠の奇抜さのみならず、彫の技術も大変優れていると。
       


も一つ西に続いてある扉で、ポルタ・デイ・プリンチーピ・Porta dei Principiで、
半円の下、梁にある彫り物は、サン・ジェミニアーノの生涯の逸話にちなむ物と。

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正面側・ファッチャータに向う前に1枚、サイトで見つけた写真をどうぞ。
1942年の写真で、グランデ広場。背後に見える聖堂は、ちょっと趣が違いますね。
年代から考えて、対爆撃予防の防護壁でしょうか?

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それにしても、この大泣きの女の子! shinkaiより大分、へへ、言わせてぇ、
年上の年代ですが、大きな泣き声まで聞こえそうで、 ははは。



さて、漸くに大聖堂の正面側に。 やはり青空が良いですねぇ!
写真正面を横切るのはトロリー・バスの電線で、おまけに広場が広くないので、
こちら側の小路からしか狙えず・・!

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ゴシック式の薔薇窓と、正面上に立つ大天使ガブリエル像、

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聖堂上部の、キリスト像の周囲を4福音者のシンボル像が囲み、
左上人物・マッテオ・Matteo  左下有翼のライオン・マルコ・Marco
右上鷲・ジョヴァンニ・Giovanni  右下有翼の雄牛ルーカ・Luca

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こうして見ると、大体左上には人物のマッテオがいつも居るみたいですが、
後は並ぶ順番に決まりは無いのでしょうか? どなたかぁ~・・。

そして石の色もいろいろ違うでしょう? 色の違いは脇の壁でも顕著でしたが、
これは石材確保に近隣のかっての建築物の残りや廃墟の石を運んで来て使ったり、
それも不足すると、ローマ期の墳墓の石を掘りに行ったのだそうで、ははは、
入り口脇の円柱を背中で支えるライオン像等も、そういう訳でローマ期の物なのだと!

同じ様な顔をしたライオン君は、ヴェネトはトゥレヴィーゾのドゥオーモ前にも
座っているし、フェッラーラでも見かけましたし・・! そうだったのかぁ!!

という事で、 モデナの大聖堂正面入り口と、円柱を支えるライオン君。

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背後の壁、両脇に見える浮き彫りの石版と、入り口脇柱の彫はウィリエルモ。

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ライオンがこうして柱を支えるというのは、ギリシャ神殿などの柱に人物が彫られて
いるのがありますね、あれの発想から来ているのだそう。



支えるプローティロの一番上はこんな様子で、ここは司教様が顔を出される場所
(だった)のだそう。

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ウィリエルモの彫り、聖書の絵解き浮き彫りは4面あり、これは正面左の脇扉の上のもの。

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人類創造、アダモからエヴァが生まれ、禁断のリンゴを食べ・・。
アダモがぱくっと大口を開け、リンゴを食べているのが楽しいぃ!

ウィリエルモの彫りが、かなり深めのしっかりした物であるのも良く見えますね。



正面右扉の上の場面は、カインの殺害、ノアの箱舟、右は何かな?

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そしてあちこちに浮き彫りが散らばりますが、如何にもの中世風な、
怪奇で楽しい動物達がいて、

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柱の上の柱頭飾りにも、動物達や人間達がひしめきます。
光りの当っている物は4年前の夏の物で、聖堂の脇だったかもしれませんが・・。

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では、内部に入って頂きましょうか。 先回の夏は修復中で、内部もクリプタ辺り
のみの公開で、今回は暗く人出も多く、グループ行動で自由に動けず、
思うように撮れず、サイトから拝借を。

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大きな街の、また小さな田舎の町でも、教会はよく改装されており、
オリジナルは古くとも、内部は新しく明るい、豪華絢爛というのが良くありますが、
このモデナの聖堂は大きな修復が15世紀に一度。
それまでの木製の桁組み天井だったのが、日本語で言う「交差ヴォールト」に変えられ、

18世紀にクリプタの内部にある、守護聖人サン・ジェミニアーノのお墓の周囲を
高価な大理石に変えたり、窓の材質を変えたり、と言う程度で、
       
お陰で、現在も建設当時のロマネスク様式を保ったままの内部が、立派に存在。
内部は3廊式で、翼部分はなしで、左側の列柱の中ほどに見えるのが説教壇。



脇から天井部分。

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内陣部、下がクリプタで、上部が祭礼用内陣。

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上部の後陣部に見える絵がモザイクかと思ったのですが、これは18世紀末から
19世紀にかけて行われた改修の一つで、
モデナの無名の画家が、ビザンティン式のモザイク画に見せる絵を描いたのだそう!

これは良いアイディアと! 小さな町の主教会に行き、現代風な絵でも素晴らしいと
良いのですが、時に無い方がと、失礼! 思うようなのもありますので・・。
       


クリプタと上の祭壇の間には、このような木製のポンティーレ・pontile・
直訳すると桟橋、があり、大理石の彫りで、

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左の円形の説教壇・読経壇の周囲には4人の福音者たちのシンボルが、
手前直線部には最後の晩餐、ジュダの接吻などの彫り物が。
       
これらはランフランコ、ウィリエルモたちに続く12~13世紀の建築家や彫刻家達に
よって小さな変更や装飾が施されたもので、マエストリ・カンピオネージと呼ばれる、
やはりコモ湖周辺出身の集団の名が残ります。       



こちらは半地下のクリプタの様子で、全面にはやはり動物やうずくまる人間の
背中が円柱を背負い、上部のポンティーレを支えます。

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聖堂内の列柱の根元。

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4年前の修復中の聖堂内の様子も窺える写真を1枚。
これは説教壇に登る階段の様子が見え、絵が描かれているのが見えますね。

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当時この一帯、春の地震のあった後で、どうやら天井ヴォールトにも
ひび割れがあったり、薔薇窓にも破損部分があった様子。



この聖堂内には絵画が少ないのですが、右側廊部にあったフレスコ画と、

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左側廊部の、テラッコッタ像の祭壇。 大変手の込んだ繊細な物!

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正面入り口上の薔薇窓、簡素な美しさ。

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聖堂から出ると、聖堂前広場の西側を占める大司教館。
今は店舗が入っていて、上階はどうなのかな・・。

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聖堂から西に抜ける小路の建物壁。聖堂同様、古いイメージがしっかり残る
部分がたくさん見え。

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聖堂脇すぐの小路から見える、ギルランディーナの美しい姿。

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この小路の横左に聖堂博物館がありますが、今右側にライオン像が見える所には
聖堂入り口があり、

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ポルタ・デッラ・ペスケリーア・Porta della Pescheria・
魚市場、魚屋の門と呼ばれますが、美しい彫りでしょう?!

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1110年~20年の作だそうで、動物の形や逸話、12ヶ月の寓意がモチーフ。
なぜ魚屋の門と呼ばれたかと言うと、すぐ近くに魚屋の屋台があり、
この入り口からは庶民達が出入りしたのだと。
       


最後は、博物館の庭のベンチと、

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小路が抜けるグランデ広場の、ポルティチの下のカフェの席を。
    
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モデナの大聖堂、建設された1000年当時のロマネスク様式を今も伝える
数少ない聖堂のご案内、不足ばかりでしょうが、何とか宿題を済ませホッと。

歴史の教科書式記述ではなく、自分が見て感じた様子を自分の言葉でと思い、
不足は不足のままでと思っておりますが、
・・お付き合い頂き、いつも有難うございます!
       
これを書いている今日は朝は小雨、午後は薄曇ですが、
こうして最後のお天気の良い写真を見ているだけでも、気分が晴れます。
皆さんにも、良いお天気であります様に!
     
  
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