・ モデナの街歩きちょっぴり シナゴーガ、市役所、軍士官学校 

先月中旬のモデナ行きの際、グループが2つに別れて回り、
私方はモデナの街中見学が午後になりました。

写真は、朝高速を降りて街中に行く途中見た花々。
コネリアーノよりも早い咲き具合でしたが、       

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街の中心に向う時に、なんとまぁ、こんなに大きな街だったっけ?!という感嘆。 
なにせ日頃田舎住まいですので、大きな街は怖い、ははは。
人口は昨年末で18万5千人程。

突き当りに見えるのが、モデナ駅だったと。

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建物に見かける色が、黄色とサーモン・ピンクが多い気がし、

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ヴィットリオ・エマヌエレ大通りのロータリー、

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正面に街の聖堂の鐘楼、ギルランディーナ・Ghirlandinaが見え、

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街の中心部の地図をどうぞ。 我らは北側から来て、
コルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレの端でバスからおり、歩いて中心に向います。

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この日中心部で見たものは、アッカデーミア・ミリターレ・Accademia Militale・
軍士官学校、シナゴーガ・Sinagoga・ユダヤ教徒の礼拝集会所、
市役所・Palazzo Comunale、聖堂・Duomo di Modena、そして一番左に切れた
エステンセ博物館・Museo Estense. と書くと、どの様に歩いたかお分かりですね。

モデナ駅はコルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレのこちらの端から突き当りまで行き
そこから北西に、7~800mほどの位置と。



アッカデミア・ミリターレ前のローマ広場の端を通り、街中の細い小路の角で。
パン屋サン・ジョルジョとありますが、カフェみたいな洒落たお店。

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皆がわぁ~お、と驚いた立派な大きなシナゴーガ。

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シナゴーガというのは、ユダヤ人の礼拝の為の集会所で、余りにも凄い建物なので、
ならばきっとモデナにはたくさんのユダヤ人がいたのだろうと調べましたら、
確かにモデナには13世紀以来ユダヤ人が多く住み、15世紀にスペインで
ユダヤ人排斥が起こった後移って来た人々も多く、1638年この辺り一帯がゲットーに
なった後、1000人ほどが住んでいた様子。

有数の金貸し業、貴金属業を除き、多くは厳しく報われる事の少ない仕事に
付かざるを得ず、大きな迫害などはこの街では起こらなかったとはいえ、
2回の大戦への出兵、その後の変化等で、現在モデナに住むユダヤ人は100人程。

この素晴らしいシナゴーガは1873年に建設された、イタリアでも有数の
ユダヤ人文化の歴史が残るこの街の記念碑的な物と。
       
かってのゲットーの道は道幅拡張などで取り壊されたそうですが、
このシナゴーガのあるピアッツァ・マッツィーニ・Piazza Mazziniの1、2本東の通り、
ヴィア・スクワッローレ・Via Squalloreは陽が射しこむのを妨げる程狭く、
背の高い建物が立ち並び、かってのゲットーの面影を今に伝えていると。
       
ヴェネツィアのゲットー ・ 追悼の日に寄せて
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740335.html



シナゴーガからすぐ近くにモデナの聖堂、グランデ広場があり、
今グランデ広場の北東の端に出て来て、

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サイトから拝借写真で、グランデ広場。 左に聖堂、正面が現市役所の
時計塔のある建物。



建物下のポルティチ、アーケード。

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先回ご案内のモデナの伝統バルサミコ酢の醸造元で、試食をさせてもらい、
ワインも1杯飲み特別お腹が減ってもいませんが、ここで昼食休憩となり、
5人で、すぐ隣の大きなカフェ・ビュッフェに入り、



向こう側にはセルフ・サーヴィスのビュッフェがあるのが、我らはこちらのカフェ部分で、

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皆が各自こんなクッキーに、これはカフェに生クリーム、などを取り、
       
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shinkaiはそのつもり無く注文したら、薄焼きパンに野菜グリルの挟んだのが届き、
パンをちょっぴり、野菜だけつまみ出し、ははは。

ここで時々カフェやレストランでお目にかかる、さすがプロ!のウェイトレスさんで、
皆がなんだかんだと質問しながら細かく注文するのをメモもせず聞き取り、
後の支払いもテーブルで、誰がなにを注文したかしっかり記憶しているという・・!
       
この頃まさにところてん式記憶力のshinkaiには、驚異のシニョリーナでしたぁ。
       


昼食後、元気が良すぎるほどのしっかりお喋りのガイドさんと再度待ち合わせ、
まず市役所内の見学に。

グランデ広場の東北の角から、こんな風に階段を上り、

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現在一見唯一の建物に見える市役所ですが、11世紀頃から次々の建て増しを
17~18世紀に改装した物だそうで、グランデ広場の写真で見た時計塔は17世紀の
地震の後に崩壊したそうですから、再建された物と。

コンフィルマーティの間・Camerino dei Confirmatiという画家の家族や、
他の肖像画が並んだ部屋。

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こちら木の嵌めこみ細工のテーブル。

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部屋の名を覚えておらず、説明を撮ってもおらずで・・、
これは天井ですが、すっごい部屋だなぁと、ははは。

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壁が絹の布張りなんですぅ!

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天井の真ん中にモデナ市の紋章があり、正面の絵は16世紀のものですが、
ローマ風の衣装で、背後に左にボローニャ、右にモデナの街が見え、

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上の写真とこの部屋は火の部屋・Sala deo Fuocoと呼ばれ、
常にこの暖炉には火が燃やされ、市民が暖を取れ、また家庭で使う火付けに
燃え炭を持って帰る事が出来たという、市民サーヴィスの一端で、
大変に市民に喜ばれていた物と。

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廊下の様子。

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グランデ広場側から上った階段の、反対側入口。

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聖堂脇、南側に広がるグランデ広場。 まさにグランデ・大きい!

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4年前の夏にモデナに来た事があったのですが、来る前はモデナは初めて!と
思い込んでいたのですね。
所がこの広場に来て聖堂を見た途端、いや、ここは来ている!と思い出し、ははは、
実際その22年前に来ていたのでしたぁ。

4年前の春ちょうどエミーリア・ロマーニャ地方に地震があり、その後だったですが、
この聖堂は世界遺産でもあり、即修復が始まっており、内部も半分しか見れずでした。
今回は内も外も綺麗に修復されており、綺麗過ぎるほどで、ははは、

別にご案内しようと思いますので、今回はこの脇からと、



正面からの1枚、のみをご紹介です。

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聖堂から西に細い小路をずっと抜けていくと、古い小さなカフェに人々が
集まっている姿があり、古い街の、昔からの佇まいが偲ばれ、良い感じ。

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細い道を辿り、エステンセ博物館に行き見学。 ここもなんとも凄いエステ家の
コレクション博物館で、絵画作品よりも、所蔵品類とか、併設の考古学博物館が
凄そうでしたが、ここのご案内も今回はパス。

そろそろ夕暮れが近い道を、街中の賑やかな通りをバスの待ち場所に戻りますが、
       
春色のショウウインドウや、

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ウェディング・ドレスの女性のお供はワン君で、口の悪い我らは、
夫は犬かい?! はは。

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再度ドゥオーモ正面前の広場が見える通りを過ぎ、

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聖堂鐘楼ギルランディーナも横目に見て、

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ヴィア・エミーリア・via Emiliaの店の明かりを撮っていると、

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後ろから、マントを着た一団が来るではないですかぁ!
前真ん中に見えるのは司祭さんで、モデナの軍士官学校・アッカデーミア・
ミリターレ・ディ・モデナの学生達で、カッコいいぃ!!

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我々が聖堂見学に行った時、復活祭前の一連の宗教行事として、
彼らは一人ずつ名前を呼ばれ、「告解」の最中だったのですが、
ちょうど全員済んで帰る途中だったのですね。



追っかけする積もりはなく、ははは、でも同じ道を行くもので、
ついつい揺れるマント姿のかっこよさに惹かれ・・、へへへ。

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歩いていく道の突き当たりに見えて来る凄い建物、あれ何?!

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MODENA-ASOLOと見える垂れ幕は、今年5月18日の自転車競技
「ジーロ・ディターリアがモデナを通り、アーゾロ迄」の行程案内。

2019年 ジーロ・ディターリア、 隣村カルページカ、オリアーノを通過
http://www.italiashiho.site/archives/20190604-1.html

ジーロ・ディターリア、 オリアーノ村を通過!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467229059.html



彼らは真っ直ぐ入り口に向かい・・。
でここは、かってのエステ家のドゥカーレ宮・Palazzo Ducale、
現在はモデナ軍士官学校の建物となっているのを知りましたぁ!

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入り口のアーチ前で、彼らは記念撮影し、勿論shinkaiも参加、ははは。
司祭左の君ぃ、歯を出してにっこりし過ぎだよぉ!
       
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モデナの軍士官学校・アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナは、
第2次大戦後の1947年、かっての砲兵、技師?、歩兵、騎兵の士官学校が
統合されて出来た、現在唯一のイタリア軍の士官学校。

男女共に応募でき、学業は2年間、ここで将来イタリア軍と軍警察(カラビニエーリ)の
仕官となる基礎教育を受け、技師、医師、獣医等になるには各教育期間の延長が。
       
載っていた彼らの日課は、朝7時の起床に始まりまさに分刻みで、
食事時間もイタリア人らしからぬ朝20分、昼夕食30分! 一日3回に分けての
学業と、夜23時30分就寝までびっしりで、ガイドさんの話でも、大変に厳しいのだと。



これは毎年6月2日のイタリア共和国記念日に、ローマのコロッセーオから
フォーリ・インペリアーリ通りのパレードで、行進する姿。

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この制服は昔からの伝統の制服姿との事。 最前列に女性の姿も見えますが、
カッコ良いですよねぇ。ここ何年かパレード中継を見ていませんが、今年は見ようっと。

イタリア共和国記念日のお祭り 2019.6.2
http://www.italiashiho.site/archives/20190608-1.html

6月2日 イタリア共和国記念日 ローマ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463096706.html



記念撮影していたアーチの中は、大きな内庭になっていて、
こんな舞踏会も開かれる様子。 多分女性18才の成人デヴュー舞踏会。

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元エステ家のドゥカーレ宮、現軍士官学校の前に立つこの像は、
イタリア統一運動時の英雄、チーロ・モネッティ・Ciro Monetti(1798-1831)

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オーストリアに屈する立場のモデナ公国の独立を願い、モデナでの民衆蜂起を企て
逮捕され、有罪判決で絞首刑にされた方だそうで、詳細は知らないshinkaiですが、
最初はモデナ公国のフランチェスコ4世との知り合いもあったのが、
最後は処刑判決に署名したフランチェスコ4世の部屋を睨む様にも見えるこの像、
という説明もありましたです。
       


最後は、ドゥカーレ宮全体が見えるサイトからの写真を。
       
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建物は1634年から建設された物で、それ以前にあったエステ家の古い城跡に
建てられた物で、当時は街の外れだったのが街の拡張につれ、現在はほぼ中心地に。
バロック様式の荘厳でエレガントなスタイルと。
       
エステ家のドゥカーレ宮・公爵の、総督の宮殿と書いていますが、
元々ヴェネトはパドヴァ南にあるエステの地から隆盛し、フェッラーラの君主
(1208-1598)侯爵となり、文化の香り豊かな宮廷を開いたエステ家・Este。

教皇領の管轄により領土を増やし、1288年にモデナ、続いてレッジョ・エミーリアも。
そして14世紀から1859年に至るまで次々と領土の範囲は広がり、
1471年には公爵位を得、公国領となり、モデナはエステ家の本拠地となったのですね。
街の繁栄振りが分かるような気がします。

エステ家の最初の本拠地フェッラーラのお城に付いて、1と2を
      

フェッラーラは継承者が一時不在の際に教皇から召し上げられ失い、男子の継承が
途絶えたりもあるものの、ヨーロッパ中に広がり、オーストリアのハプスブルグ家や
ベルギー王家との繋がりもあり、
現在もドイツのハノーヴァ家エルネスト・アウグスト公が(1954年生まれ)
直系の御子孫でおられるのだそう! いやぁ、凄いものですねぇ!!

というような、モデナの街歩きでしたぁ。

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