先週水曜にモデナをグループで、市内の聖堂、エステンセ美術館、
そして郊外にあるルチャーノ・パヴァロッティの家博物館、
モデナ名物のバルサミコ酢醸造元、等を訪問して来ました。
そして郊外にあるルチャーノ・パヴァロッティの家博物館、
モデナ名物のバルサミコ酢醸造元、等を訪問して来ました。
当日、生憎と小雨が時にぱらつきましたが、天気予報の終日雨よりはまし!
たっぷりぎっしりの日程をこなして楽しんで来ましたが、
今日はまずイタリアが誇る世紀のテノール歌手、
ルチャーノ・パヴァロッティ・Luciano Pavarotti(1935-2007)
の家博物館の様子をご覧くださいね。
たっぷりぎっしりの日程をこなして楽しんで来ましたが、
今日はまずイタリアが誇る世紀のテノール歌手、
ルチャーノ・パヴァロッティ・Luciano Pavarotti(1935-2007)
の家博物館の様子をご覧くださいね。

shinkaiめはまだ日本にいる頃から彼の歌声の大ファンでして、
あの明るく豊かな声量の歌声を聴いていると、まさにイタリアの煌く青空が
私の中にいっぱいに広がる様な・・。
あの明るく豊かな声量の歌声を聴いていると、まさにイタリアの煌く青空が
私の中にいっぱいに広がる様な・・。
そんな印象で、憧れと共に惚れ惚れと聞き惚れていたのでした。
なので今回グループ旅行で嬉しく行く事ができ、皆さんにもモデナ訪問の最初に
ご案内という、ははは、様子で、彼の歌声も最後に聞いて頂きますね。
ご案内という、ははは、様子で、彼の歌声も最後に聞いて頂きますね。
家の前、明るい彩の家、門扉が目に付き、

一番左に見えるこれ、これは彼が歌い終わってのいつものご挨拶姿、
手に大きなハンカチを持ち、両手をいっぱいに広げる姿。

この家博物館はどこにあるか、モデナ市郊外、Stradello Nava 6に。

蛇足ながら、パヴァロッティ博物館のすぐ北に、高速A1を挟んで見える
B&B Contrada という民宿。
ここに2年前の秋、トスカーナに向う前に1泊しており、とてもお安く、
猫や犬が居たのを良く覚えている、懐かしいB&Bが偶然に出て!
さて入り口の門扉から見る家、左手の黄色い部分は現在ブックショップで、
母屋は右手のサーモン・カラーの部分。

広い庭の木々に花が咲き始めておりました。
母屋の入り口。

ガイドさんに連れられて入り口を入ると、右手の奥にピアノが見え、

説明によると、彼は自分の幸運だった人生を振り返り、パン屋の息子に生まれ、
特別の財産があったわけでもない彼が、その折々に人々から受けた支援で
今があると考えていて、この家にやって来る歌手志望者には、
ここのピアノで無料レッスンを与えていたそう。
特別の財産があったわけでもない彼が、その折々に人々から受けた支援で
今があると考えていて、この家にやって来る歌手志望者には、
ここのピアノで無料レッスンを与えていたそう。

左に切れて、彼の着ていたモーニングが見えますが、さすが、大きい!!
ピアノの右手の壁には、大きな書棚。

この家は古い農家が売りに出されたのを買取リ、取り壊し、彼の長年の
アイディアのすべてを込めて、新築された物なのだそう。
80年代に買取リ、設計が始まり、実際に工事に掛かったのは90年代。
彼はすべてを自分の思うようにしたい、がしょっちゅう海外公演に出かけるので、
しばしば工事停止にも。
で、実際に家が完成し、ここに住んだのは約3年間!
そして、このお家で亡くなったと。
彼はすべてを自分の思うようにしたい、がしょっちゅう海外公演に出かけるので、
しばしば工事停止にも。
で、実際に家が完成し、ここに住んだのは約3年間!
そして、このお家で亡くなったと。
入り口側の壁はこんな感じで、

ここにはプッチーニの手紙のコレクションが。

そうですよね、ジャコモ・プッチーニのオペラ作品、トスカ、トゥーランドット、
ラ・ボエーム、蝶々さん、等など、パヴァロッティの当たり役がたくさんありました!
オペラに生き、恋に生き ・ プッチーニの家博物館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465781145.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465781145.html
家の中の家具類などは、すべてここで使っていたものがそのままにされており、
それに博物館としての資料を加えている、という事で、
この陳列ケースには、左上にメモ帳、その右下に折れ釘、舞台で手に持っていた
ハンカチ類(右上光って見え難く・・!) 蝶ネクタイなど。
ハンカチ類(右上光って見え難く・・!) 蝶ネクタイなど。

折れ釘、というのは最初の舞台だったかな、舞台で見つけた折れ釘をポケットに
入れて居たのが上手く歌えたので、それ以来彼のおまじないのようになったのだそう。
入れて居たのが上手く歌えたので、それ以来彼のおまじないのようになったのだそう。
左上にあったメモ帳、かなりのメモ魔だったようで、

左側のには、各公演日に *TOSCA OK one などと。
oneは、benoneの略で、bene良い、の上級形、つまり公演の出来具合を記し、
右側の開かれているページには、あれこれ料理のレシピが!
ガイドさんによると、パン屋の隣に大統領の電話番号があったりで、
彼にとっては皆同じだったんだろうと、ははは。
彼にとっては皆同じだったんだろうと、ははは。
入り口扉の正面にはエレベーターが備えられていて、

そりゃぁまぁ、あの体格で階段を上がるのは大変でしたでしょうしね、はは、
そのガラスに書かれていたのを見て、あれ?!
Buongirono a questo giorno che si sveglia oggi con me,
buongiorno al latte ed al caffè,
buongirono a chi non c'è...
今朝一緒に目覚める君にお早う、
カフェラッテにお早う、
ここに居ない君にお早う・・
この歌詞はしばらく前にTVで流れたヌテッラ・半液体チョコレートのCMで、
パヴァロッティが歌っていて、懐かしく彼の声を聞きましたっけ!
多分彼の最後の録音曲なのかも・・。
https://www.youtube.com/watch?v=N0HFzt4NCak
パヴァロッティが歌っていて、懐かしく彼の声を聞きましたっけ!
多分彼の最後の録音曲なのかも・・。
https://www.youtube.com/watch?v=N0HFzt4NCak
1階の反対側の部屋には、彼の写真とシャツがあり、

部屋にかかっている油絵は彼が描いたものだそうで、

部屋の壁の色も明るいでしょう?! 明るい色が好みだったそうで、
絵もその通り明るい色調。 そして、やはり美味しい物が大好きだったと!
絵もその通り明るい色調。 そして、やはり美味しい物が大好きだったと!
この部屋の半分の天井はこんな風に古い格子天井が使われていて、

こじんまりとした居間風で、クッションでいっぱいのソファー。


カード遊びが大好きで、公演旅行にもカード仲間が一緒だったと!

彼のお父さんは、やはり美声のアマチュアで歌っていたそうで、
まさにステージ・パパとして、世界中の公演に付いてまわっていたと、
これはイタリアに来てからの彼のインターヴューで聞きました。
まさにステージ・パパとして、世界中の公演に付いてまわっていたと、
これはイタリアに来てからの彼のインターヴューで聞きました。
間の細い廊下、脇の棚には食器類、を抜けると、

広い黄色い台所!


流し台と6口のガス台の間が遠いのが、ちょっと気になりましたが、はは、
すぐテラスに続くドアがあり、夏など気持ちの良い夕食だったでしょうね!
さて我らは、明るいサーモン・ピンク色の階段を上り、

2階と3階の中央は吹き抜けになっており、天井が開き明るい広い空間に。


左に曲がると、クローゼットがあり、

その奥は、キングサイズのベッドがある寝室!

部屋にかかる自作の油絵、2度目の結婚で生まれたチビちゃんと。
彼の愛情が溢れていますね。

彼は2度結婚していますが、shinkaiがイタリアに着て後、TVニュースで
彼と秘書のニコレッタとのゴシップが流れるようになり、遂に前の奥さんと離婚、
若いニコレッタと結婚、女の子誕生、という様ないきさつがありました。
日本で単純に彼の歌声を聞いて惚れ惚れしていたのと違い、
イタリアでのジャーナリストのインタヴューの肌合いの違いにも驚いた物でしたが、
例えばインタヴューで、貴方はお金に細かいそうですが、本当ですか?
なんぞとは、日本では大物歌手には訊ねないですよね?
という様な違いもあったのですが、
イタリアでのジャーナリストのインタヴューの肌合いの違いにも驚いた物でしたが、
例えばインタヴューで、貴方はお金に細かいそうですが、本当ですか?
なんぞとは、日本では大物歌手には訊ねないですよね?
という様な違いもあったのですが、
ニコレッタと一緒になってから始めた公演、パヴァロッティと友人達、という
音楽ジャンルを問わずの、若いミュージシャン達との公演中継も最初の何回かは
TVで見たものの、やはりちょっと違うな、という感じとなり、
音楽ジャンルを問わずの、若いミュージシャン達との公演中継も最初の何回かは
TVで見たものの、やはりちょっと違うな、という感じとなり、
ニコレッタが冷たい、と言ったという様なゴシップも聞くと、次第にCDを
聴くのみとなり、そして訃報、という様子でした。
寝室の隣にバス・ルームがあったのですが、普通サイズのバスやとトイレで?!
皆がちょっと驚き、ただし体重計は大型でしたぁ!


寝室の反対側には、こんな風にすっきりの白い部屋もあり、

屋根裏っぽい部屋には、大型スクリーンを寝転んで見れる設えがあり、

暫く眺めていましたら、この懐かしい、歌い終わっての姿が出て!!

たくさんの出合った人々との写真!!


左上はダライ・ラマ、ポール・マッカートニー、コロンボ警部、ははは、
アナン国連総長ですよね、左下は誰かな、カラヤンとミレッラ・フレーニ、
彼女は同じモデナの、しかも家も近い子供の頃からの知り合いだったそうで、
ボエームの舞台も一緒だった時のCDも持っています、ヨハネ・パオロ2世とも!
家のあちこちに大きな彼の写真があり、舞台で使った衣装も展示されていて。
反対側の隅には、彼の肖像画。
反対側の隅には、彼の肖像画。

上から見下ろす吹き抜け部分。

上からエレベーターで地下1階まで降りると、世界各地から届いたファンレター、
写真、プレゼントの展示があり、
彼は馬が好きでここモデナに厩舎も持っていたそうで、馬との写真もたくさんあり、

パヴァロッティとフレンズ、の公演仲間との夥しい写真!

お家の庭の隅に、子供用の遊び道具があり、

彼の理想の家とすべく、長い年月をかけて造った家に僅か3年、
というのを聞き、ちょっと哀しくなりました。
2度目の妻と子は、現在ボローニャに住んでいるそう。
享年71歳、まだまだ歌える年だったと思うと、ちょっとね。
冥福を祈ります!!
というのを聞き、ちょっと哀しくなりました。
2度目の妻と子は、現在ボローニャに住んでいるそう。
享年71歳、まだまだ歌える年だったと思うと、ちょっとね。
冥福を祈ります!!
彼の一番有名な曲というと、やはりプッチーニの「トゥーランドット」の
shinkaiの大好きな、情緒てんめんたる、はは、カルーゾ・Carusoを。
https://www.youtube.com/watch?v=L7g_8i57gu8
https://www.youtube.com/watch?v=L7g_8i57gu8
最後は皆さんに、イタリアの青空の広がりを!
懐かしい、ホセ・カレーラス、プラチド・ドミンゴと一緒の楽しいのを。
https://www.youtube.com/watch?v=HqmF-B2-3NA
こうして聞き直すと、やはり本当に素晴らしい偉大なテノールだったと!!
同時代に生き、折々に近しい感じで聞ける事が出来たのを嬉しく思います。
懐かしい、ホセ・カレーラス、プラチド・ドミンゴと一緒の楽しいのを。
https://www.youtube.com/watch?v=HqmF-B2-3NA
こうして聞き直すと、やはり本当に素晴らしい偉大なテノールだったと!!
同時代に生き、折々に近しい感じで聞ける事が出来たのを嬉しく思います。
パヴァロッティの家博物館は、
月曜休館 毎日10時から18時までオープン、
住所は Stradello Nava 6 Modena

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