・ n.2 ボローニャ ・ サント・ステーファノ聖堂 

ボローニャのご案内が続いておりますが、今日は街の中心からほんの少し
離れた所にある古い聖堂、「七つの教会・セッテ・キエーゼ」とも呼ばれる
サント・ステーファノ聖堂・Basilica di Santo Stefano、
ボローニャでも最古の教会群、のご案内です。

とはいえ、抹香くさくはありませんで、ははは、中世独特の面白い柱頭、
美しいモザイクの壁なども登場しますので、お気軽にお楽しみ下さいね!

細長い三角形に広がる聖堂前の広場は、こんなにも大都市の真ん中に
近いのに長閑で鄙びたイメージが漂い、暖かい陽射しを楽しむ人々がたくさん。
写真もその中の1カップルで、・・この次のシーンは残念ながらブレ、ははは、素人!

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カップルの後ろの立て札に矢印が見えますね、



こちらが同じポルティコで休んでいる人々で、大きな美しい建物なので
何かある筈と調べましたら、イゾラーニ邸・2つが一緒になっている
Palazzi Isolani と言い、

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コルテ・イゾラーニ・Corte Isolaniと呼ばれるずっと続く内庭、
建物からもう一つ北の道にまで続く内庭・アーケードで有名なのだそう。
店やバール、オフィスなどがずっと続く、古くてモダンなアーケードの様子。



丸石舗装され、車が入ってこないこの広場は、人間だけでなくワンちゃんも
フリスビーで楽しんでおり・・。

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中心部の地図をどうぞ。 左にピアッツァ・マッジョーレのドゥオーモ、
パラッツォ・コムナーレなど固まり、
右下14がサント・ステーファノ・聖ステーファノ聖堂。

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所でサント・ステーファノという聖人はどんな方?
今更ですが、はは、遅くとも無いよりまし、というイタリアの諺あり、

祭事を手助けし、他の言語を話す信者との融和を図る為の助祭・執事として
最初に選ばれた7人の1人。 美しく才識溢れた方で、妬まれ訴えられ、
逆にユダヤ教の非を論したために、西暦35,6年頃石打刑で、
キリスト教徒として最初に殉教された方と。



こちらは広場の右手、15世紀のボローニャの豊かな商人達の館が並び、
広場に張り出すテラス席で、のんびりと楽しむ人々。

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今回のボローニャの写真は、知らぬ間にカメラのどこかを触ったらしく、
途中から室内の電灯下光線設定になっていた様で、・・ドジ!
戻って必死で調整したものの青っぽさが残り、空の色も緑に、という情けない事で、
うぇ~ん、その辺りご容赦下さいませ。



ということで、サント・ステーファノ聖堂正面の写真はサイトから拝借。
ご覧のように、正面の大きな建物と左側にふたつ別の教会が見え、

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7つの教会と呼ばれると書きましたが、かっては実際に7つの教会があったとの事。
が1880年、20世紀初頭の修復により、過度の増改築を取り除き、
現在は4つの教会が纏まった建物群に。

例により、ブログ名入りはshinkaiが撮った物、サインなしはサイトからの拝借。



こちらが正面左手に2つ並ぶ教会で、
右が、サント・セポルクロ教会・Santo Sepolcro、5世紀建設。
左が、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会・Santi Vitale e Agricola 
4世紀のもの。

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正面の大きな教会クローチフィッソ・Crocifissoから入ります。
内陣はご覧のように高くなっていて、

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その下、地下にはクリプタ・Cripta.

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クリプタ・地下祭室、には一般に聖人の遺骨とか遺品が収められていますが、
フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂で、クリプタで司祭さん達が
グレゴーリオ聖歌を歌っている時に居合わせた事があり、
これは音響効果もあり素晴らしかった記憶!

サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150189.html



聖堂総体の中で一番大きなこの教会クローチフィッソ、
オリジナルは8世紀建設ですが、その後何度か改装されたと。

内陣手前、左側の壁の上部で、この右下から内庭に抜けます。

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内部の様子が複雑なので、絵図と平面図をどうぞ。

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Mondadori社出版のなかなか良いガイドブックですが、今回何度読んでも見ても
飲み込めず・・、漸くに、絵図の教会説明が2つ逆になっている事に気が付き!
にゃろめぇ、訂正しました。


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平面図の下側の1,2,3,が広場から見える正面で、1のクローチフィッソから入り、
2のサント・セポルクロに行くのですが、この図では見えない狭い空間があり、
一旦4のピラートの内庭・Cortile di Pilatoに出て、

2に入り直し、横に繋がる3のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラに。
再び4の内庭に抜け、6のベネデッティーノの回廊・Chiostro benedettinoに、
という見学。



という行程に従い、はは、最初だけshinkaiはチラッと、真面目な皆さんは
ガイドさんの説明をきちんと聞いていた、ピラートの内庭。

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ピラートというのは、ポンツィオ・ピラート・Ponzio Pilato, そうです、キリストに
死刑を宣告したピラートで、ここの大きな教会の名がクローチフィッソ・
十字架刑にされた、という意味ですので、それでお分かりかと。

で、中庭に見える水盤はカティーノ・ディ・ピラート・ピラートの水盤と呼ばれ、
キリストに死刑判決を下した後に手を洗った、という故事にちなむ物!

我々日本人は、ピラートの名前などハリウッド映画の歴史物でしか接しませんが、
ははは、イタリアでは、こんな風にごく日常感覚でね・・!



元々この教会群は、ボローニャの初代司教でもあり街の守護聖人、
ドゥオーモに名を冠されるサン・ペトローニオ・S.Petronio、生年は定かでなく、
431-450司教在位、聖地ジェルサレムの聖墓地を模したものを此処に創りたく、
と伝承されていると。
  
狭く暗く、サイトの全体写真で、2のサント・セポルクロ教会内部をどうぞ。

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外側は隣と接した変形の8角形で、周囲と離れて真ん中煉瓦の円柱12本
による、12角形のクーポラを造り、その中央に説教壇。

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説教壇の下に、明かりの付いた窓が見えますね。 あの下にサン・ペトローニオの
石棺が安置されていたのが1141年に発見されたのだそう。
で2000年にドゥオーモの方に移され、ちょっと凄いのは、それまでドゥオーモには
聖人の頭部のみがあったのだとか!

諸聖人の聖遺物については、あれこれ信じられない様な物、逸話がありますが、
それはさておき・・、

このサント・セポルクロ教会の中は中世の面影を濃く宿し、
素朴で静謐な空気が溢れておりました。
周囲から離れた形で中央の説教壇があるのは、かって巡礼者たちが周囲を
回りながら祈った名残の形ですが、

古くには、這いながら埋葬所の中に入り祈ったり、古い伝統では、ボローニャの
妊娠中の女性達は、この周囲を33回、1回毎に埋葬所の中に入り祈ると、
良い出産を迎えると言い伝えられていた、などとも。
    
サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html



これは外側に1本離れて立っていた円柱ですが、ガイドさんの説明を聞いておらず!
ただ円柱の石がアフリカ産であるとか。

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キリストが鞭打ちされた円柱の象徴とされ、ここに参拝する度に200年の贖宥を
保障されたと! これも往時の信仰を物語ますね。
       


ちょっと一息入れて、中庭の様子をどうぞ。
今回まさに、おお!!と嘆息がもれたピラートの中庭。

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レンガの赤い壁に小さい石をはめ込んだモザイク、白~グレイ、時に少し濃い色も、
そのチマチマと細かい模様にしびれました!
こういう素朴で繊細豪華というのは中世装飾のみが持ち、
後世の豪華絢爛さとはまるで違い、心休まる趣を感じます。

以前この教会には来た事があったのにこの中庭の美しさはまるで頭に残っておらず、
漸くに、落ち着いて見れる眼が付いてきたのか、とそれも嬉しく思ったことでした。



真ん中に見えるピラートの水盤は、石灰岩で8世紀のもの、
ロンゴバルドの碑文が刻まれているそう。
       
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脇の入り口から、隣3のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会に。
ここはこの教会群の中でも一番古い4世紀のもの。 隣のサント・セポルクロ同様、
元のイシス神信仰の崇拝跡の上に建てられた物だそう。

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イシス・Isisって、エジプトで見たあのイシスかと驚いたのですが、
そうなのです、あのエジプト神話の女神イシスなのですね。
イシス信仰はローマ期にイタリアにも、ローマ帝国全域に広がり、処女のまま
ホルス神を身籠ったという事から、キリスト教普及と共にマリア信仰に変わったと。

教会の名に冠される、ボローニャの最初の殉教者とされる2人ですが、
ヴィターレが召使で、アグリーコラがその主人、男性で、
305年頃の迫害で、ヴィターレが主人の目前で見せしめに、次々に痛め付けの刑で
処刑され、それにもアグリーコラが屈せず十字架刑にされたのだと・・!



3廊式の翼廊なしで、いかにも古いレンガ積みですが、
小さい窓に嵌めこまれているのは、大理石アラバスターの薄板。

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主祭壇の両脇、左にヴィターレの石棺、ライオンと孔雀の浮き彫り、

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右側にアグリーコラの石棺、鹿とライオン、がありますが、これはどちらも空っぽ!
393年にミラノ司教アンブロージョが、ミラノに持ち去っているからでして、はい。

そして大変興味深い逸話も残ります。
15世紀の初め、初期キリスト教徒の石棺「Symon」と刻まれたのが発見され、
大騒ぎになったのだと。

と言うのも、Symon・サイモンという名はよくある名ですが、ヴァティカンに眠る
サン・ピエトロの元の名と同じで、ひょっとして彼のお墓ではないかと、
ローマ巡礼の半分がこちらボローニャに押しかける騒ぎとなり、ははは、
時の教皇エウジェニオ4世・Eugenio IV 在位1431-1447が激怒し、
教会を露出させ、屋根を剥がしたのかな、土をかけて埋め、そのまま70年程も!
後にジュリアーノ・デッレ・ローヴェレ大司教のとりなしで、漸くに蘇ったのだそう。



ここに残る柱頭にはいろいろな形があり、手前も知りませんが、奥に見える形が
ここにはたくさんあり、なんというものか、どなたかご教授願います!

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こちらはイオニア式?

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ピラートの内庭の奥に位置する、平面図5にある世界最古のプレゼーピオと
言われる木彫像「マギの礼拝」。イチイと楡の木で、13世紀末の作品と。
最初は木地のままだったのが、1370年に彩色されたそう。

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さて6のベネデッティーノの回廊に。

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この教会群は、8世紀にロンゴバルド族がやって来た時、彼らの宗教の中心地と
なったもののその後放置され、10世紀の末にベネデット派が修復改修したのだそう。

上は中庭側から見るクロチフィッソ教会と鐘楼で、この鐘楼も10世紀のもの。
回廊の1階部分は10~11世紀のもので、2階部分は13世紀のもの。



回廊の真ん中に井戸があり、

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2階の円柱、柱頭飾りを写していて、 ・・あれ?!!

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そう、これ!! ははは。
shinkaiはてっきり女と思ったのですが、男だそうで、背中に顔が回り、
お尻のanaもね、ははは。

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他にも、こんな面白い様々があり、こういうのが中世美術の楽しいところ!

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中庭の鉢植えの水やりに、如雨露を持った修道僧と共にこの猫ちゃんも来て、
ジュリアーナが、なんと言う名かと訊ねると、

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ははは、クレオパトラちゃん!!
男だけの修道院、しかもこんな柱頭飾りに囲まれた修道院に
唯一の女性クレオパトラ、命名の妙に笑えます! ははは。

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という所で、今回の最後を〆まして、サイトから拝借の写真で、
夜の広場と教会を。

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上のがピンぼけですよって、ははは、借り物に文句を言う、
ファンタスティックな夜のボローニャを!

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