・ n.2 ロヴェレートの旧市街散歩  そして モーツァルト

先回にクリスマス市を見て頂いたロヴェレートの街ですが、今日は旧市街の
散歩をちょっぴりと、イタリアに初めてやってきた13歳のモーツァルトが
初演奏をしたという所縁のサン・マルコ教会などをご覧ください。

まず写真は街の中心のロズミーニ広場・Piazza Rosmini.
正面に見えるロッジャ式の建物は、現在銀行が使用している様子ですが、

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ロッジャの天井装飾。

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なにやら由緒ありげでガイドさんも長々と説明しましたが、まるで聞いておらずで!
サイトで探した限りでは見つかりませんでしたぁ。



ロッジャを横から。 土曜の午後、クリスマス市が始まった一環としてか、
街の他の場所でも見かけたペインティングを若者3人が始めており、

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左下にちょっと広場の名が見えるカフェと、

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駅前からまっすぐに続くロズミーニ大通り・Corso Rosminiを振り返っての眺め。
右手前、樹の向こうに大きな泉があり、既に蓋が被せてあり、そう、ここは北国。

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所で、ロズミーニという広場や通りの名は、この街出身の哲学者にして福者
アントーニオ・ロズミーニ・Antonio Rosmini(1797-1855)に献じられたもので、
写真の左側、もう少し先に生家がある様子。



地図をどうぞ。 ロヴェレートの位置ですが、ヴェローナからの高速、鉄道線が走り、
トレント・Trento、ボルツァーノ・Bolzano、そしてブレンナー峠を経て
オーストリアのインスブルックに続く、そうです、モーツァルトもゲーテも通った道。
左下にチラッと見えるのがガルダ湖の北端、リーヴァ・デル・ガルダ。

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一番北に見えるヴィピテーノ・Vipitenoは、モーツァルトがイタリアに来た時、
最初に足を止めた町で、トレントまでの街の名の下にもう1行見えるのは、この一帯
ドイツ語とのバイリンガル圏なのでね。



こちらはロヴェレートの街の地図、左が北。 iの横にロズミーニ広場があり、
緑の2がアントーニオ・ロズミーニの生家。 広場から左の先に見える大きな建物、
紫の4がMART・今回のメッシーナ展開催会場ですが、本来は現代美術博物館。

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我々はロズミーニ広場から右に、オレンジ1のバッティスティ広場・Piazza Battisti、
そこから上斜めに緑の10サン・マルコ教会、 その先紫の2のお城の前まで行き戻り、
先ほどの下の道、を通ってバッティスティ広場まで来て一旦解散でしたが、

今回のご案内は、サン・マルコ広場、サン・マルコ教会まで、ということで、
曇り空で残念ですが、旧市街の散歩をお楽しみください。

アントネッロ・ダ・メッシーナ展ご案内は、「ヴェネツィア ときどき イタリア」の
fumieveさんがこちらに詳細に。
http://fumiemve.exblog.jp/19098007/



さて先回も見て頂いたバッティスティ広場のネプチューン像。

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今見えている奥の道リアルト通り・via Rialtoを行きます。

ね、リアルトとかサン・マルコとか、いつものヴェネツィアの名が出てくるでしょう?!
そうなんです、この街は1416年から1509年まで、ヨーロッパ全部を相手に戦って
負けたカンブライ同盟戦争まで、ヴェネツィア共和国の元にあったのだそう。
遠い北国のイメージを持っていたのが、そう、ガルダ湖の北端すぐ近くですものね。
       
そしてこの後、ロヴェレート、トレントの街は皇帝領となり、8世紀間にわたり
司教君主、という言葉でよいのかな、の政治下に。

その政治と宗教の中心となったのが、トレントのブオンコンシーリオ城で、
その大きさも装飾も凄かったですが、素晴らしいフレスコ画の小部屋があり、
とても気に入りましたので、またご案内いたしますね。

この街が一番栄えたのは18世紀で、工業が発達し、中でもヴェネツィア共和国が
この地に根付けた絹織り産業の繁栄が大きかったと。

なぜかこういう話になると、自分の自慢話みたいな気分になるshinkai、ははは。



という様子で、街の建物にも近代的な装飾要素が見られますし、

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ちょっとリバティー風なイメージも。
この店の古めかしい看板には、FRATELLI LENNER・Lenner兄弟と。

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少し先にあった、よくもこれだけの品を!というほど並べ立てた家庭用品店、
トレンティーノの歴史的な店、と。

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こちらは帽子店ジョバンニ・バッカ・Giovanni Bacca。

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で、同じ入り口装飾ですが、お隣は洒落た本屋さんになっていて、

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きっと昔は、さぞや大きな帽子店だったのでしょうね。

日本女性には夏の日焼け防止の帽子は必需品の様ですが、はは、
イタリアでは夏は帽子無しが普通で、冬は寒さよけの帽子をね。
はぁ、shinkaiも夏は帽子なし、外のプールのお陰で、未だに黒く・・。



道角の標識、可愛いでしょう?! 我々はサン・マルコ教会に向かい、右に。

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そして見えて来るサン・マルコ門、お馴染みの有翼のライオン君!

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で、そのちょっと手前に見えた小路の奥の、壁の絵を見にジュリアーナと。
左に見える古い建物も趣深かった。

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門の手前にあった泉。

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そして門を潜ってすぐ右手、1階の店の看板はオレフィチェリーア・Oreficeria・
貴金属時計店。 今もそうなのかどうか、レトロで洒落た茶赤の格子でしょう?

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道は緩やかにカーヴし少し上り坂となり、これは振り返って見た所で、
サン・マルコ教会のある広場が右手に広がりますが、

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広場の向こう、道の先に見えた時計塔。

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一人が、shinkai、こっちに来てご覧!と呼びに来て、建物の下を潜った中庭の
向こうに見えた建物。 修復され、色も明るく塗られているのですが、
如何にも!の中世風。 1階は倉庫や店、工房だったのかもで上が居住部分。

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そして中庭の隅には、かっての洗濯場の跡。
きっとかなりのお金持ちの商人が住んでいた名残なのでしょうねぇ。

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こちらがサン・マルコ教会。 現在の正面、内部も16世紀以降大幅に改装され、
第一次大戦でも大きな被害を受け、現在の姿はそれ以降の改修という事。
が、元々ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコを祀った、街でも最古の主教会。

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改装されている、というので、そう喜ぶことは無いのですが、ははは、
よその土地でこのライオン君を見るのは、なんとなしに嬉しくて・・。

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中はかなり薄暗いですが、ほらね、ご覧の通り、大バロック!

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そしてパイプ・オルガン。

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この教会で、このパイプ・オルガンで、13歳のモーツァルトが初のイタリア旅行で、
初の演奏をした、とガイドも説明し、書いたのもあるのですがぁぁぁ、

ちょっと納得出来ない部分、つまりイタリアへの1769年の初旅行の日程について、
なかなか良く分かるように書いてくれたサイトが無く、ははは、文句たれshinkai、
好奇心からあれこれ探し読みしました。
       
まず分かったのは、このオルガンは1975年の物で、長い歴史の中で何度か
変わっているそうで、つまりモーツァルトが演奏した当時のものとは違います。
300年の差がありますから、きっともっと小さく素朴な物だったでしょう。

モーツァルトの初のイタリア旅行に於いて、このロヴェレートで初のコンサートをした、
と言うのが、ちょっと不思議な感じがして・・、 というのも、

最初の地図に印を付けた様に、ロヴェレートはかなり内部に入り込んだ位置で、
もっと北に、ボルツァーノ、トレントという大きな街がありますから、
なぜロヴェレートが最初のコンサート地なのか、本当かなぁ、という疑問です。

アルプスを越えてイタリアに来る以前、モーツァルトは父親レオポルドと他の
ヨーロッパ諸国、フランス、オランダ、イギリス、ドイツ、ベルギー、そしてスイスと
演奏旅行をして回り、ついに1769年12月13日インスブルックから
イタリアへの道を辿り始めます。

12月20日、2人はヴィピテーノに到着。

で、12月22日付の、レオポルドからザルツブルグにいる妻宛ての手紙を見つけました。
昨夜(つまり21日)ボルツァーノに元気で到着したこと、お昼も知り合いと食べ、
今夜の夕食も招待されていること、 が、自分でもクリスマスまでこの街に残るか、
明日の夜にでも(23日)出発するか分からない、
だから一番良いのは、ロヴェレートの郵便局宛に手紙をくれ、と。
       
クリスマスの夜、どこにいるかも分からない、という旅の空!
今ではどこでも誰でも我々を知っている、とは言うものの、かなり厳しい演奏旅行で。

そして24日の夕方近くロヴェレートの「薔薇の宿・Albergo della Rosa」に到着。 
この旅籠は今は無いのですが、17年後1786年にゲーテも宿泊しているそう。

25日は以前レオポルドにヴァイオリンを習った事があり、現在はマリーア・テレーザ
女帝に仕えている男爵ニコロ・クリスターニ・Nicolò Cristaniが
クリスマスの正餐に招待。

そして午後、トデスキ男爵・G.B.Todeschiのお屋敷のたくさんの招待客の
前で、モーツァルトはイタリアで始めてのコンサートをした、と。

そして翌26日、サン・マルコ教会のオルガン・コンサート。これが公的な
初コンサート、という事になると分かり、納得しました。

この教会では熱狂的興味に駆られた聴衆に囲まれ、やっとの事で聖歌隊席に
たどり着いたとか!
       
この最初のイタリア演奏旅行は約16ヶ月にも及ぶもので、若き、というよりも
まだ少年のモーツァルトの名を国際的に広める大成功で、
ザルツブルグに戻り数ヶ月の後、再びイタリアへ出発を。



ガイドと共に街を巡った時、高台のお城の前まで行き、下の道を戻りましたが、

その途中でガイドが、ここにモーツァルト親子が宿泊した、と言った建物。
今はないという旅籠薔薇ですね。

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横にある碑にも、この街で、この年のクリスマスに初のコンサートをしたとあります。

ですが、あるサイトには、旅籠はこの向かい側の建物であった、とし、
旅籠の住所Corso Bettini n.8/12で検索を掛けると、
最初にご覧頂いたロズミーニ広場から北に行く通りが出るので、こちらが街の大通り、
中心で、馬車での旅を考えるとこちらだろうとも思えますし、
当時の旧市街となると、建物のあった方かも知れず・・。

いずれにしても、今回ほどこんないい加減なガイド、すぐ分かるような嘘を
まことしとやかに説明された、と言うのは初めての経験で、
・・今まで知らずに済んでいたのかな?
ヴェローナの「ジュリエットの家」などとは意味が違うといささか驚き、興ざめを。



さて気を取り直し、ちょっと良いな、と思う写真で最後のお口直しを!

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