・ 山の家の夏休み ・ ドロミーティの山 ・ ハイキング

1ヶ月の夏休みもあっという間に過ぎ、はやもう9月の声!
夏休みの間にもたくさん訪問して下さった皆さまに感謝しつつ、
怠け癖のついた心に鞭打ち、ブログを再開させて頂きます。
よろしくお願いいたしま~す!
     
という事で、まずは夏休みの話題から。 
8月の20日過ぎ、息子の山の家に4日ほど行って来ました。
昨夏に約束した小さな壁画、アーチ型の窪みの上に花の絵を描くのが目的で、
1週間ほど行くよと言っていたのが予定が変わり短くなり、
村の風景は既に昨年撮った事だし、とカメラを持たずに出かけましたが、
しまったぁ! という羽目に。

というのも、お絵描きはそこそこに山の上の小さな教会にハイキングしたり、
夜は夜で近くの村の催しに出かけたりで・・。
で、今回の写真は、セルジョが撮って来たドロミーティの山の風景と、
彼のコンパクト・カメラを借りて写した物でご覧頂きますね。
      
まずはセルジョが、彼の娘の彼と出かけたドロミーティの山を。

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地図をどうぞ。 ちょっと見難く申し訳ないですが、下半分がヴェネト州、
点線で記された左上半分がアルト・アディジェ州で、赤線で囲ったシロール・Sirorに
息子の山の家があります。 地図の右下外の我がコネリアーノから約1時間45分。

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シロールの下の赤■に、この一帯の中心観光地であるフィエラ・ディ・プリミエーロ・
Fiera di Primieroがあり、その南のトランザックワ・Tranzaquaには
夜のお祭りに出かけましたが、かっての民衆生活の実演を見せたりで大変興味深く、
写真をまたご覧頂こうと思っています。

ご覧頂く前半は、赤い■の位置にある山小屋トゥレヴィーゾ・Rifugio Treviso
にセルジョとジュゼッペの男2人が出かけ、更に小屋から奥に2時間ほどのフォルチェッラ
という場所まで行ったと言い、夕方疲れながらも満足して意気揚々と戻って来た、
ドロミーティの山の写真を。

後半は、地図中に囲ったゴッベーラ・Gobberaという村からハイキングがてら行った
山の小さな教会の様子を。

n.1 夏の思い出 ・ 山の家、庶民の避暑地
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461527165.html

n.2 夏の思い出 ・ 山の家、庶民の避暑地
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461527243.html

山の家に行く途中に通るフェルトゥレは
フェルトゥレ ・ ドロミテの麓、小さな高貴な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462862246.html
      


「山小屋」と書いてますが、リフージョ・rifugio・避難所と呼びます。
私は行かなかったので、駐車して後この山小屋までどの程度の行程か良く分からず。
が、写真に見える背後の山、そして小屋の位置を考えると、
かなり歩いたに違いありませんね、既にこの小屋の位置で、海抜1630m。

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前日には、一緒に行こうか? という話だったのですが、1時間程歩くという話が
だんだん時間が長くなるのと!岩のゴロゴロ道で、運動靴では無理かもという話になり、
ではお家でお絵描きを、という事に。 そう、皆さんあの重たい登山靴着用。
       
朝の6時過ぎにはごそごそ出かける音が聞こえ、戻って来たのは
夕方でしたからね、のこのこついて行ったら、半殺しの目に遭う所でしたぁ!



山小屋トゥレヴィーゾ内部、そして本日のメニュー。

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セルジョはもう20年以上も前に一度行った事があるそうで、でもすっかり改装
されていたと言い、小奇麗なバールが見えます。
勿論宿泊もでき、普通この海抜程度の山小屋は背後の山に上り下りする際の
休憩場所。

リフージョ・トゥレヴィーゾの位置を検索していましたら、
ここまでは容易に行ける。 食べ物には余り満足できないにしろ、居心地は良いし、
1600mの高さにしては、風景も素晴らしい。 ecc ecc
というコメントを見つけましたが、しっかり歩いた後なら何でも美味しいですよね?!



多分、山小屋の背後辺りからの写真と思いますが、徐々にアップして行くと、
ロッククライミングする人々の姿が遥かに。

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山小屋トゥレヴィーゾから更に奥のフォルチェッラ・Forcellaに。

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私が聞かされていたのは山小屋まででしたから、山小屋に軽く到達した男2人が、
欲を出したに違いありませんね。

こうして見ただけで、ここで待ってるから行って来て! という風景ですねぇ。
多分、ジグザグのあの岩道を登ったのでしょう!



フォルチェッラ・Forcella という言葉自体が、フォーク形とか、鞍の鞍部、ヘアピンを
指しますが、写真を見るとまさに納得。

山の切れ込み部分真ん中に、ちょこっと飛び出た形が見えますね、
あそこがいわば頂上に当たる場所で、そこを目指したものの・・、

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白く鱗のように見えるのは、雪が残っている場所で、

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あの先っちょがすぐそこに見えるのに、辿り着くのは・・!! だったそう。 ははは。

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で、辿り着いた証拠の標識、標高2094m.  山小屋に1時間半、と見えますが、
2時間はかかったと。

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ここから下りさらに奥を目指すとか、色々道がありそうですが、この高さからの風景は
やはり格別だった様子。
皆さんにも、ドロミーティーの山の空気を!

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湖の様に見えるのは、山の影が落ちた草原で、
緑の谷が見えるのは、べッルーノのドロミーティ国立自然公園の方角とか。

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さてここから後半の話題、山の上の小教会へのハイキングを。

最初ご覧頂いた地図のゴッベーラ・Gobberaという村、ここが既に海抜989m、
かってのゴッベーラ峠の現人口は50名程の小さな村。 写真2枚セルジョ。

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シロールに行くのに、フェルトゥレの盆地を抜けチスモン川・Cismonを西に渡った後は、
川に沿っての山間の細いカーヴする道をクネクネと北上しますが、
川は時に大きな湖の様に堰止められ、発電所もあり、
山の間を抜けきると一転して、イメール・Imer メッザーノ・Mezzanoといった
谷間の小村が続く平野に出ます。

その中心にフィエラ・ディ・プリミエーロがあり、シロールから奥はまた山間の道で、
ドロミーティの各スキー場へ。

で、平野に出るすぐ手前から、左手の山上に小さな教会が望めますが、
サン・シルヴェストゥロ・San Silvestro小教会で、ゴッベーラの村から小道が続き、
家族向けの格好のハイキング道なのですね。で、セルジョと奥方のドナテッラと
3人で出かけたという次第。

かっては村の西と東の谷を繋ぐ峠道の頂上にあった村ですが、現在はトンネルが
ついて静かな村で、教会の隣にバール兼一つ星のホテルがあり、
戻りの休憩に寄った所、面白い物を見つけましたので最後に。

上の写真にも見える谷の向こうに立ち聳える山で、平野に出る前の最後の山。

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小教会への小道は最初はぐぐっと下り次に上り坂。 つまり、村から隣の山並に
行く訳で、最初の急な下り坂で、ああ、戻りにはこれを登るのか、と覚悟を・・。

途中で見かけた標識によると、小教会には片道1.2kと書いてあり、
え、そんなに短かった?!

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林の中で樵が働いているのが見え、

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野生のシクラメンがあちこちに咲き、山の恵みの実もいっぱい!
セルジョが摘んでは、ほら、ほら!と。  茸もあちこちに!

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今年の晴れのち雨という天候が、茸の当たり年にしているとかで、
茸大好き人間ではあるものの、見分け方を知らないので自重。

ですが、セルジョの下の家のシニョーラが茸採りの名人で、既に冷凍された
大きな塊が届いており、この日の夕方にも、ポルチーニの混じった大袋が届き、
しっかり頂きましたぁ!



サラダ菜もトマトも、ここではまるで味が違う美味しさ! 土地のチーズのトゼッラ
・tosellaという白い生チーズも薄切りにしてグリルしたのを美味しく賞味。
       
トゼッラをグリルしたのをサイトで見つけたので、どうぞ。

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大変美味しかったのは土地のクロワッサン。 山のクロワッサン と呼んでいますが、
あれこれ雑穀が入ったのや、黒い粉のクロワッサンがなんとも美味しく、
月曜の朝に出かけた市で買って家に持って帰りました。
が写真を、と気がついた時には既に口の中に! は~い、また来年。 ははは。
     


小教会の手前から、山の家に来る時に抜けてくる山間の道と川が見え。
傾斜はそうきつくない道ですが、カーヴが多く狭いので走る時はやはり少し緊張する道。

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サン・シルヴェストゥロ小教会。 古い起源伝説も絡みますが、13世紀に溯るそうで、
古いフレスコ画も内部に残っているのが、普段は閉じられており覗くだけ。

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高さ300mの突き出した絶壁の上にあり、背後にプリミエーラの谷が広がる絶景が!

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山を回り込んだ奥に見えるのが、フィエラとトランザックワ。



戻り道。  

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セルジョのコンパクトカメラの使い方が良く飲み込めず、あれこれ写した山の植物は
全滅状態! ISOの変更が出来ず、何でもかんでもフラッシュをたいてくれるのがねぇ・・。
携帯を上手く使えない同じ弱みを披露した次第で~す。



戻ったゴッべーラ村の道に「石灰用の窯」という矢印が出ており、
「5分」という言葉に釣られ、またゆっくりと山道を。 これからまたセルジョの写真で。

説明書きをドナテッラが読んでくれ、漸くに、建築資材に用いられた石灰の取り出しに、
石灰岩をこの窯に入れ、焼いて石灰を作っていたらしい、と納得。

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とはいえ、石灰窯や石灰の作り方についてはまるで無知で、セルジョが説明書きも
撮ってくれていたのを読み、検索もかけ漸くに飲み込めた次第、なので、
ちょうどの機会という事で少しご説明を。

この窯は1903年にここに造られたのですが、当時1000クローネを費やし
建設されたというウィーン製で、いわゆる竪窯式という様式。
元々あちこちに小さな窯があったこの一帯に、ゴッベーラ村生まれの技師が導入。

かっては窯の周囲に張り出しの屋根がついていて、上から石灰岩を入れ、
ブナなどの上質の木材や、製材所の切りくずを燃やし、
1回の窯焼きに8日間かけ、石灰岩を掘る事も含め11人から12人が交替で、
窯の火を消さぬよう働いていたと。

窯を使うのは1年のうち春の3,4カ月間で、6月になると草刈り仕事が始まるので、
窯は閉じられたそうで、一日に2000~3500kgの石灰が作られ、
燃やすブナの木質が良いとか、お天気次第によっては3000~3500Kgに達したとか。

1931年まで活動を続け、その後砂岩抗道が開かれたとか様々な要素が重なり、
石灰窯の活動が衰退。

第2次大戦中には、窯内部の溶解しない鉄材を(窯の中心部?)
家庭用のストーブを作るために取り除いたりで遂に終焉、
現在はコムーネの持ち物で、修復され村の歴史を示します。

石灰を作る製造過程など考えた事もなく、勿論窯の存在も知らず、
まず実物に出会いあれこれ知る、という経過はいつもの事ながら、
山の奥の小さい村の、かっての生活にも触れた様で興味深かったです。



で、アイスクリームのコーンとカフェを飲みに入った、村1軒のバール兼一つ★の
ホテルですが、奥の棚に年代物の瓶がずらっと並び!

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写真3枚分あった瓶の数を省略、ラベルにある顔でどの時代の物かがね?!



最後は、カウンターの横の壁にあった1932年の宣伝。
ご丁寧に琺瑯びき板に印刷してあり、
「歓びの家 SORA GEMMA」は、シニョーラ・ジェンマ、の意とセルジョの解説。

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で引き続きshinkaiが訳しますと、ひひ、
上から、1回、2回、30分、1時間 のお値段で、
水とタオル代込み、 普通の石鹸 5セント、 コロン水 25セント
で最後に大文字で、 若者の初体験は割引あり! 
    
むむ、日本でも昔は「筆おろし」なる言葉がありましたっけね。
何やら時が止まったままの、山の村のバールなのでした! ははは。
       

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