・ n.2 陽光あふれる、ソレントの町散歩

カプリ島から一日出かけたソレント・ソッレントの町、先回は観光バスに乗っての
町の一回りをご覧頂きましたが、今回は町の中心を歩いた様子でどうぞ。

先回観光バスの発着所としてみて頂いたタッソー広場、船着場からまっすぐ
崖の切り立った道を行き、階段をはぁはぁと上って到着した広場ですが、はは、

そこから東に向かう通りがかなりの繁華街で、写真のように、お土産品として
よく見かけるのがなんといってもリモンチェッロ・Limonchello.

1-616_GF.jpg

ナポリ一帯からアマルフィ、ソレントでも見る、甘くて強いレモンの香りと味のリキュール。

で下の段に葡萄の葉っぱを売っているのですが、どんな料理に使うのかな、
イスタンブルでも売っていましたが、あちらはお米を巻いていましたっけ。
       
リモンチェッロは家庭でも簡単に手作りできるので、友人の家にお呼ばれでいくと、
食後にこれが出て来ますが、まぁ、本当に強い、そして美味しい! 
      

実は我がブログ内ランキングで、不倒の1位を保っているのが、ははは、
自家製リモンチェッロの作り方の記事で、
こうして書くと、また最長不倒記録が伸びるのだろうなぁ!
      
リモンチェッロの家庭での作り方



そして、ジェラート・gelato・アイスクリームのお店。
我がコネリアーノにもたくさんジェラートの店があり、それぞれに店々の味があり、
皆のお好みの店もいろいろですが、いやぁ、それにしてもここのは賑やか、
色もトッピングも!

2-590_GF.jpg

かなり有名な店らしく、たくさん有名人の写真が貼ってありましたが、
今見えているのもその一人。



キャンディではなく、石鹸! これも色が鮮やかで、そう、まさにナポリの趣ですねぇ。
南仏で見た石鹸の色はもっと自然の色で、こんなにお喋りではなかった、ははは。

3-666_GF.jpg

南仏ニースのメルカートの様子は
      


ええ、まぁ、こういう風景も見かけ・・、 うふっ!

4-583_GF.jpg



町の地図をどうぞ。 中心広場が、ピアッツァ・タッソー・Piazza Tassoで、
そこから西に道が2筋平行して通ります。

5-1-map_GF.jpg

南側、ドゥオーモ・Duomoのあるのが、コルソ・イターリア・Corso Italia、 
こちらは新しく出来た町の大通りで、
北側を通る少し細い通りが、ヴィア・チェザーレオ・Via Cesareo.
かってはこちらが町の一番の通りで、貴族の館が立ち並んでいたといいますが、
新しく広いコルソ・イターリアが出来ると、そちらに中心が移ったのだそう。

先回の観光バスで建物の上だけ見て頂いた博物館、コッレアーレ・ディ・
テッラノーヴァは町の東外れに、 
下側に電車の印のあるのがソッレント駅で、ナポリとの連絡。



先回も見ていただいたタッソー広場ですが、正面の建物を挟んで、ほらね、2本
通りが見えますね。左、コルソ・イターリア、右・ヴィア・チェザーレオ。

5-2-511_GF.jpg



ところで、タッソー広場の名の由来は、このソッレント出身16世紀の桂冠詩人
トルクアート・タッソー・Torquato Tasso(1544-1595)と書きましたが、
どんな人物だったか調べると、これがかなり劇的な生涯を送られた方で・・。

5-3-asso.jpg

ソッレント生まれで、父親も詩人、宮廷人。で、各地の宮廷を経験しつつ育ち、
パドヴァ大学でも学びますが、法律よりも詩を愛し、フェッラーラのエステ家で、
枢機卿ルイージと、その兄のアルフォンソ2世・彼はフェッラーラのエステ家最後の領主、
タッソーはこの両方に仕え、詩作、出版を。

エステ家宮廷における幸運な生活の時期も長く続かず、繊細すぎる性格からか、
最高作と名高い第一次十字軍に材を取った「開放されたジェルサレム」の出版後、
異端審判にかけられたり、自ら出頭したり、刃傷沙汰を起こしたり・・。
遂に精神に異常を来たし、7年間聖アンナ病院に収監。

幼い頃かなり厳格なカトリックの教えを受けた事から、異端であるとみなされるのを
内心極端に恐れたのかも知れず、その後の生涯も結局平穏には済まずで、
詩作しつつ各地を流浪し、収監されもし・・。

こういうのは読むのも辛くなりますが、最後はローマで教皇クレメンテ8世に厚遇され、
51歳、病院で秘蹟も受け穏やかな死を迎えたと。

こういう劇的な生涯は後にゲーテにも取り上げられたり、絵画のモチーフにもなりで、
彼は生地ソッレントに戻る事はなかったようですが、
「生まれた甘やかな地」と素晴らしい想い出を留めていた様子。
・・お疲れ様でした!

アルフォンソ2世・フェッラーラ・エステ家最後の領主、で思い出した記事がこちらに。 
お暇な方どうぞ。
デルタ・デル・ポー ・ ポー河が海に出あう所
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463259026.html
       


さてこちらが、コルソ・イターリア。

6-594_GF.jpg



タッソー広場からコルソ・イターリアを行くと、近くにカッテドラーレ・デイ・
サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ・Cattedrale dei Santi Filippo e Giacomo.

7-599_GF.jpg

元々は12世紀初頭の建設だったのが、16世紀半ばにトルコの侵入があり、
その後完全に再建されたバロック形式と。



内部もこんな感じで、

8-607_GF.jpg



天井も華やか。

9-608_GF.jpg



いかにもナポリ近く!という感じがしたのは、教会内に大きなプレゼーピオがあった事で、

10-609_GF.jpg

11-610_GF.jpg

主役の聖家族は奥の方に!  ピン甘ご容赦。



賑やかな教会内で、ここだけ静寂なイメージに祭衣が並び。

12-614_GF.jpg



入り口扉の上にあったオルガン。 天使像が付いたオルガンは、始めて!

13-615_GF.jpg

ナポリの歳末風景 ・ プレゼーピオ、そして下町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462598189.html



聖堂前広場の脇に鐘楼があり、そこでは賑やかなお喋りが弾み・・。

14-600_GF.jpg

15-601_GF.jpg



我ら2人は、コルソ・イターリアのかなり先まで行き、そのあたりで見つけた食堂、
という感じの店でお昼を食べ、はは、ふらふらと歩きつつ町の見物を。

こんな教会のタイルの丸屋根も見たのですが、さてどこのか・・。

16-618_GF.jpg



こちらはサン・パオロ教会・San Paolo.
この鉄の、錆びかけた頑丈な扉が気に入り、いぇ、中には入っておりません。

17-621_GF.jpg



サンティ・フェリーチェ・エ・バッコーロ教会・Santi Felice e Baccolo.
こちらも扉が気に入り・・! 中はやはりバロック様式でした。

18-647_GF.jpg



たわわに実るオレンジと、レモンと!

19-624_GF.jpg



ホテルだったかな、入り口横のマヨリカの陶器。

20-646_GF.jpg



道の先に広がる海。

21-645_GF.jpg



覗き込むと、こんなにも綺麗な海!

22-627_GF.jpg



ふと気づくと、レンガの欠片かな、で浜に書いた TI AMO・ティ・アーモ・愛してるよ。

23-637_GF.jpg

横の翼の付いたハートの中には、S.
なにぃ?! shinkaiのSじゃぁ、なかろうねぇ、きゃはは。



港方面を見下ろし、

24-630_GF.jpg



正面に見えるヴェスヴィオ山。

25-672_GF.jpg



これはもっと港に近寄った場所からの、港の湾内。

26-673_GF.jpg



かって町の中心通りだったというヴィア・チェザーレオ。
確かにコルソ・イターリアに比べ道が狭く、小さな店が並び、

27-654_GF.jpg



その一角にあったセディール・ドミノーヴァ・Sedil Dominova.
入り口部は、四角いロッジャ・loggia・開廊とでも、集会所らしきものですが、

28-656_GF.jpg

29-661_GF.jpg



前から覗くとフレスコ画装飾も見え、入り口脇に由緒ある物らしき説明が見え、
コムーネのサイトを読んでみました。

この建物が作られたのは14世紀。 ソッレントの貴族達の間で町の支配問題から
抗争が起こり、その対立は一族郎党まで巻き込む流血騒ぎに発展。
遂に司教が仲介に入り、死者負傷者まで出したこの騒動は、それまでの一つの
集会所から分裂し、
町の西側に住む貴族達がここに新しいドムス・ノーヴァ・Domus Nova・新しい家、
を建設、これがドミノーヴァ・Dominovaと呼ばれる様になったと。

この建物が歴史的に貴重なのは、単にソッレントの町のみならず、ナポリを含め
カンパーニア州における貴族支配の歴史を留める唯一残る物なのだそう。

30-658_GF.jpg

31-660_GF.jpg

ならば最初にあった政治集会所は、とお考えでしょう? セディーレ・ディ・ポルタ・
Sedile di Portaと呼ばれていた建物は、タッソー広場に近い位置にあった様で、
16世紀初頭に再建されたものの、現在はまるで違うものにと。



現在この建物は、19世紀よりソッレント市民労働者の為に作られた相互補助協会が
使っているそうで、いかにも相応しい転用とでも!
丸屋根は18世紀になって改装の、マヨリカ焼きのもの。

32-665_GF.jpg



スケッチをする友人と別れ、1人で港まで、今度は階段ではなく、はは、
長い坂道をのんびりと下ります。 途中で観光バスともすれ違い、

33-677_GF.jpg



一番下まで下ると、この眺め! 写真の左手奥が、港脇の公園。

34-678_GF.jpg



海辺の岩場には、セキレイもいて。 ちょっと痩せているかな、この子?

35-684_GF.jpg



そろそろ春の陽が傾きかける午後、
港に近い公園脇には、たくさんの猫ちゃんが日向ぼっこ中で、

この子は、カメラなど向けられては、ゆっくり出来ないじゃぁないの、
とばかりに、さっさと立ち去りましたが、ははは、

36-675_GF.jpg



お日様たっぷり、風が遮られる場所には、

37-699_GF.jpg

38-689_GF.jpg

39-690_GF.jpg

40-711_GF.jpg

他の写真は省略しても、猫ちゃんは削らぬshinkai!!



そして極めつけ、ヴェスヴィオ背景の記念写真風!

41-693_GF.jpg



はい、ワンちゃんも一人ね。

42-722_GF.jpg



さて、時間通りに連絡線がやって来て、

43-732_GF.jpg



カプリに向け、戻ります。
そう、あの真ん中に見える崖の割れ目の奥に、恐怖の階段があったっけ!

44-737_GF.jpg



さて、かの有名なナポリ民謡「帰れソレントへ」を。

うるわしの海は うつつにも夢む
君の声のごと わが胸をうつ
オレンジの花は ほのかにも香り
恋に嘆く子の 胸にぞしむよ
あわれ君は行き われはただひとり
なつかしの地にぞ 君を待つのみ
かえれよ われを捨つるな
かえれソルレントへ かえれよ
ソルレントの海は たぐいなき海よ
貴き宝を 底にうずむや
惑わしのシレンは 君の手をとりて
いと甘き声に 君を誘うよ
あわれ君は行き われはただひとり
なつかしの地にぞ 君を待つのみ
かえれよ われを捨つるな
かえれソルレントへ かえれよ

以下延々と続きますが、どうやら捨てられた男が彼女に、帰ってきてぇ!
と哀願しているようですね。

Tou Tubeは3つご用意致しました、うひひ。
まずは格調高くルチャーノ・パヴァロッティ様、 懐かしいカラカラ浴場のライヴ。
https://www.youtube.com/watch?v=77z_J0JL6ps 
     
ナポリ訛りの甘いのがお好みの方は、
https://www.youtube.com/watch?v=ls7iNWTlAEs

懐かしいエルヴィス・プレスリーちゃんで、
https://www.youtube.com/watch?v=ImOm2SaY3eA

実は「帰れソレントへ」の日本語訳ですが、パヴァロッティやヴィッラの歌を聞き、
ナポリ訛りは分からぬもののこれはかなり違うぞ! と、
ちょうどイタリア語訳を見つけましたので、例によりその直接的な歌詞を、はは、
至らぬなりに訳してみました。 どうぞ!

見てご覧、なんと海の美しい事!
君みたいに、とても気持ちをかきたてる。
まるで君が見つめた者を夢見させるように。
見て、見てご覧、この庭を。
かいでご覧、このオレンジの花の香りを。
こんなにも繊細な香りが心の中に
そして行ってしまう。
君は言う、「私は行くの、さようなら!」
この心から君は遠くなり・・
愛の土地から・・
君には戻らない勇気があるのか?
でも僕を捨てないで、
この苦しみを与えないで!
ソッレントに帰って、
僕を生きさせて!

リフレイン最後2行の発音は、
Torna a Surriento,  トルナ ア スッリエント
Famme campà!   ファンメ カンパァ!



最後はヴェスヴィオ山のアップを。 ほら、噴火口がうっすらと見えるでしょう?!

45-745_GF.jpg

n.1 ポンペイ遺跡 ・ 劇場二つ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465222138.html
      

ソッレント観光の長~い一日、 お付き合い有難うございました!

*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

この記事へのコメント