・ n.1 サレルノの街、ちょっぴり旧市街とドゥオーモ

昨年春に行ったナポリ、ポンペイ、アマルフィ方面を遅ればせながら
少しづつご案内していますが、今日はサレルノの街・Salernoの旧市街と
ドゥオーモをご覧頂こうと思います。

タイトルに書いた様にほんのちょっぴりだけとはいえ、歴史ある古い街と聖堂で
写真が多くなり、2回に分ける事にしますので宜しくお願い致します。

ナポリ中央駅から電車を使うと、約40分程で到着ですが、私はアマルフィに
宿を取っていましたので、バスで往復。

上の写真は、サレルノ到着直前の海岸沿い。

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街の地図をどうぞ。
人口14万人程の大きな街で、全体はもっと広いのですが、ここは街の南部に当たる
海沿いの地域。

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赤線で囲んだ部分、東端がサレルノの駅で、駅前広場にインフォメーションがあり、
真っ直ぐ西に延びる大通り、ヴィットリオ・エマヌエレ大通り・Corso Vitt, Emanuele
これが素晴らしい事に歩行者天国!

この道の先に細くなって続くのが旧市街の道、メルカンティ通り・Via dei Mercanti、
かっての一番の商業通りだった様で、
少し見難いですが、Mercantiの文字の頭の位置に赤点を付けている位置にご留意を。

その先で交差の通りがドゥオーモ通り・Via Duomoで、北の赤線で囲った所がドゥオーモ。

私はこの日まさに海岸沿いに見えるバスの印、でバスを降り、駅前のインフォメーションで
地図を貰い、印をつけて貰った通りにヴィットリオ・エマヌエレ通りをつっ切り旧市街に、
       
中世のサレルノ医学校の博物館を見学、ドゥオーモを見て、近くの古書店で本を買い、
街中の素晴らしい本屋でもまた本を探して買い、
       
ちょうど良さそうなレストランを目で探しつつ、上手く見つけられず、トイレも探しつつ、
そうこうしながらまた駅まで戻ってしまい、
駅ではパニーノしか見つからず、shinkaiの頭には、パンは代用食という、ははは、
幼少時よりの拭いきれない固定観念がありますがぁ、空腹には耐えられず
サンドイッチを買ってまたバスに・・、
という、ほぼ一直線の往復で済んでしまったサレルノの街!

それでもまぁ、・・見てやっておくんなせえ!

ヴィットリオ・エマヌエレ大通りを行きます。 両側にはモダンなビルが立ち並び、
車が通らず、バールのテラス席もあり、なかなかモダンな通り。



途中、道脇の工事現場の覆いには、こんな写真が一枚づつ。

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余りにも素晴らしい装飾なので、どこの?と思いつつ全部写して歩き・・、
後にドゥオーモに行って、ああ、ここのだった、と。



歩道の敷石。

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ヴィットリオ・エマヌエレ大通りの最後に、このポルタノーヴァ広場・Piazza Portanova.
通りが細くなり、今見えている真ん中を奥にメルカンティ通りと名が変わり、旧市街に。

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逆の言い方をすると、この広場がかっての旧市街を取り囲んでいた市壁の門外、で、
ここで犯罪者の斬首刑が行われていたとか!



ヴィットリオ・エマヌエレ大通りもそうでしたが、道を進みつつ通りが交差する毎、
左側に海が見え、

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建物の感じも、なんとなしに年代物の雰囲気となり・・、

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ですが、古びてはいるもののどっしりとした建物が多く、かっての繁栄が偲べます。
様々な店が続きますが、受けた印象は、貴金属の店が多いなぁ、と。

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写真では如何にもすっきりの印象ですが、実際はかなりごちゃごちゃとした雰囲気で、
あちこちとカメラを向けるのが少し憚られる感じも受け・・、が、正直な感想で、
その意味でも、ナポリの感じと同じ。

メルカンティ通りのメルカンティは商人を指し、通りの名は実際に何商人に由来か、
何を主に扱っていたのか、そんな興味もわき調べましたが特別には何もでず。

が、メルカンティ通りと呼ばれる以前はドゥラッぺリーア通り・Via Drapperiaと
呼ばれていたそうで、この言葉は服地、織物、その製造、店も指す様なので、
手仕事職人の小さな店が未だに数多く残る一帯、という説明も納得です。



サレルノの土地に定住者が入ったのは紀元前6世紀頃から、紀元前2世紀に
ローマの下に、7世紀にはロンゴバルドの元に下りますが、

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この辺り一帯は当時からの影響を色濃く残し、細い迷路が入り組み、
また名のある邸宅も幾つかある様子。
       


中世が残る町によく見られる、建物同士の支えのアーチ、この写真では一つしか
見えませんが、幾つも続いている通りの写真もサイトで見かけました。

細い通りですが、日常生活に必要な店があちこちに、という様な、
なかなか素敵な通りに見えますね。
  
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サレルノは、中世の医学学校で大変有名なのですが、メルカンティ通りを行きながら、
思いがけずこんな博物館があるのを目にし、おお! と喜んだものの・・、

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場所は、地図のメルカンティ通りに赤点を打った場所で、ご覧の通り、千年頃に
建設されたというサン・グレゴーリオ教会の建物を修復して使用。

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で、Museo Virutualeと見える様に展示は全てヴァーチャル、つまりたくさんの
ディスプレイが壁に並んでいて、自分で好きなように選んで、見れる形式。

勿論古い図柄等もたくさん見れ、薬草なども分かり易いものの、立ったまま次々と
画面が変わるのを見るのは外国人にとっては、やはり書いた展示物が欲しい所で、
それならいつもしている様に写真を撮り、家でゆっくり読めるという物で。

カタログ等も揃っておらず、係のシニョーレに訊ねても何もなし、エマヌエレ通りに
大きな本屋がありますから、そこで、と言われ、帰りに寄りました。


中世のヨーロッパ各地にその名を馳せたサレルノの医学学校。
その始まりは9世紀頃、大嵐を避けて水道橋の下に偶然に集まったギリシャ人、
ローマ人、ユダヤ人、アラブ人の4人が、怪我人の世話をするお互いを見て、
学校の創立を、という伝説的な逸話が語られますが、

11~13世紀にかけ医学修得の人材が各地から集まり、名医に掛かりたい病人達も、
医薬の取引でもと、その最高の繁栄を誇りますが、
14世紀以降、ナポリに商業交易の覇権が移るようになると次第に衰退の道を辿り。

このサレルノの医学学校と、最初の有名な女医についてcucciolaさんがこちらに詳細に。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765086.html



メルカンティ通りから少し広いドゥオーモ通りに出て右折、緩やかな坂道の
すぐ右手に鐘楼が見え、この一帯のアラブ・ノルマン様式の飾りですぐ分かります。

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ドゥオーモ前の広場、普通はドゥオーモ広場と呼ばれますが、ここサレルノでは
アルファーノ広場・Piazza Alfanoで、かっての著名な司教様の名の様。



ご覧頂きたいのはこの周辺の建物の様子で、ナポリの感じによく似ているなぁ、と。

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窓飾りは豪華なのですが、少し寂れたというか、のんびり感があり、バールの席も
いたって簡素、というより、単に店の前にテーブルと椅子があるだけで、
バールではないのかも・・。

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こちらがドゥオーモ前の石段。 では、ご一緒に。

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扉の前、左右のライオン君はスペース省略の為か厚みを削られており、ははは。

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入り口扉の上部、豪華な彫り。

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上部右側アップ、

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そして左側。 ははは、でかいなぁ!

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で、入り口扉をくぐると、なんとそこは聖堂内部入り口ではなく、
美しい別世界の中庭回廊が広がっておりました!

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という所で、内部のご案内は次回のお楽しみに!


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