・ n.1 大聖堂の煌めきを ・ アマルフィ

ナポリの南、サレルノ半島の南西部に位置するアマルフィ・Amalfiの町。

イタリア4大海運国の内でも一番歴史が古く、11世紀に繁栄の最盛期を
迎えましたが、その後は次々と侵略され、領主が代わり衰退の道を。

海がこの町に繁栄を齎しましたが、同時に何度もの天災被害も蒙り、
とりわけ1343年の津波は、領土の三分の一を消し去り、
町は再度立ち上がれない程の打撃を受けたと言います。
       
1461年にナポリ王フェルディナンド1世が庶出の娘マリーアと、
フェルディナンド・ピッコローミニとの結婚に際し、婚資としてこの町を贈り、
そのまま16世紀後半まで。
近代になり観光業の陽の目を迎えるまでは単なる地方の町、
紙の生産と漁網、索具の製造の町として埋もれ続けた町。

町の繁栄の歴史についてはまたのチャンスに、という事で、今回は2度に分け
町が最高に栄え始めた時に建設された素晴らしい大聖堂をご覧頂こうと思います。

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先回も書きましたが、アマルフィの町滞在中は余りお天気に恵まれず、
青空の写真が少ないのですが、が、上の様に夕方近くに一瞬の青空のチャンスもあり、

黒と白の大理石で描かれた幾何学模様、そして如何にもアラブ風な空気を
漂わすアーチの中の組み飾り、上に聳える金色モザイクの煌めき。
と、イタリア中世の、数少ない生き残りの美しい大聖堂。

左端に聳えている鐘楼がこの写真では見えませんが、



四角い塔の鐘楼の上部はこんな風に、円筒形の周囲に小さな円筒形が4つ。
それぞれに屋根と塔の飾りは、緑と黄色のマヨリカ焼きタイル。
鐘楼は12世紀に既に建設された物で、18世紀に修復が行われたそう。
       
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陶器、マヨリカ焼の町 ・ デルタ
       


こちらが塔の上部のアップで、実は遠くからの写真で、上の屋根の半分だけが
緑に光るので、どんな形のタイルなのかと、好奇心で、はい。

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見えますか、上部だけ見ると円筒形に見えるのですが、下の小塔の屋根で、
現在も普通に見られる半円形の瓦が、互い違いに組まれていると分かります。
で上部は、風対策でしっかり埋められているのが見えました。



少し靄のかかったお天気で、右の建物修復中の覆いが邪魔ですが、
正面階段手前から。

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階段の形と左右の欄干の形、聖堂正面の扉の上の半円の金モザイクの
聖アンドレアの姿、そしてその上部のフレスコ画、
最上部の三角形のキリストの図のある部分の図柄にご注目を。



この古い図をどうぞ。 これはアマルフィの元の造船所を修復して公開されている
「羅針盤とアマルフィ海洋公国博物館」に展示があったもので、ガラスの反射ご容赦、
1871年に設計家エッリーコ・アルヴィーノ・Errico Alvinoによって描かれたもの。

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これに依ると階段も手前部分が無く、上り口両脇にライオン像があり、何よりも
階段下中央に大きな十字架が見えますね。
正面扉の上の聖アンドレアの像も違い、その上にもモザイク画が見え、
最上部の三角形の中の図柄も違います。
つまりこれらが、修復によるかってと違う部分ですが、



こちらもどうぞ。 古い絵葉書を見つけ買った物で、年代分からず、いずれにしても
1世紀前位でしょうか、現在と同じ形の階段、聖堂の姿、図柄になっています。

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で、この修復について読んでいて、面白い事が分かりました。
1861年12月24日、なんとクリスマス・イヴの日ですね。 強風の為にそれまでも
保存状態の悪かった上部が2度3度に渡り、下の突き出した廊下部に落下したそう。

聖堂の損害は大した事が無かったのだそうですが、これをチャンスに、聖堂建設以来、
次々と重ねられた継ぎ足し部分、ルネッサンス、バロック期の物を取り除き、
かっての姿に近い物に再建修復する事が決められたそう。

で、この時の設計士が上の図を描いたエッリーコ・アルヴィーノだそうで、
大変賢明な、勇気ある決定がなされたものと思います。
       
このアマルフィの聖堂建設は、もともとは二つあり、それもほぼ同時代の9世紀と
1000年頃に建設され、どちらも使われていたのが13世紀に一つに統一、
現在の形に拡張され再建されたのが16、18世紀と。



では各細部を。 まず階段上り口の欄干、

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正面扉上部の聖アンドレア。
キリストの12使徒の一人で、アマルフィの町の守護聖人。 背後に見えるX形の
十字で殉死したというので、このXが彼のシンボル。 魚は彼が漁師だった印。
その上部も修復の時にフレスコ画に。

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ではもう一度大聖堂の美しい正面と、各部のアップを。

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最上部の三角形、玉座のキリストと預言者たち。

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その下方はこんな様子で、撮った日のお天気に因る色違い、ご容赦願います!

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こちらが左上部。 白と黒の大理石の柄に、金色モザイクがはめ込まれ、
所々に円形の柄タイルが埋められていますね。

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この円形の色タイル装飾は、形は違う物の似たのをヴェネトに近い土地でも。

メーゾラの森、 そして、ポンポーザの修道院
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463258528.html



では、聖堂に上がって頂きましょうか、どうぞ!

白黒柄の半円アーチを埋める、アラブの組み格子。 支える円柱がとても細く。

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鐘楼の角と繋がっていますが、角の円柱はローマ期の物の再利用でしょうね。

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アーチの下部を埋める円形柄も近くで見ると、こんな風にモザイクで埋められ、

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階段上から見るドゥオーモ前広場。 かなり急傾斜の、長い石段、
そして細長い傾斜した広場。

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正面の青銅製扉は、なんとコスタンティノープル、現イスタンブルで鋳造された物と。

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なぜコスタンティノープルから、と思われますよね?
1000年当時、既に海洋国として最盛期を迎えていたアマルフィの国は、
中南部イタリアのみならず、海を越えコスタンティノープル、アレッサンドリア、
キプロス、ベイルート、トゥリポリなどにも商館を置き、
物資(香水、高級織物、絨毯、香辛料)の取引をしていたのだそう。

ラヴェンナに今も燦然と残る素晴らしいモザイク群、あれもコスタンティノープル、
つまりビザンティン帝国の首都からの職人の手になる物と思いますが、
まさに当時のコスタンティノープルは、通商の都であると同時に、
美術工芸の技術に於いても、職人たちは優秀だった様子。
       
ヴェネツィアの博物館で見た、1辺が1mm程もの細かい細かい片でキリストを描いた
モザイク画に驚嘆した事がありますが、ちょっと目にはテンペラ画かと思った作品が、
やはりコスタンティノープル作で、あのロレンツォ・イル・マニーフィコの
所有品だったと知り、彼の鑑識眼にも敬意を表したのを覚えています。
       
で、この扉は1066年に、パンタレオーネ・ディ・マウロ・Pantaleone di Mauro 
当時かの地のアマルフィの植民地の長が、どうやら艦隊長を務め武勇も詠われる
貴族だった様で、2つ製造させ、一つはここに、
も一つは現在は東隣の町になっているアトゥラーニ・Atraniの教会、
当時はアマルフィの領土だった、に贈ったものと。 この隣町の教会についてもいずれ。


ラヴェンナ ・ モザイク詣で n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938572.html
 
ラヴェンナ ・ ビザンチン・モザイクの輝き
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463253355.html



扉の中央部分をどうぞ。 素晴らしい24枚の図柄からなる扉ですが、ライオン君も
上の聖人も良き信仰の善男善女に撫でまわされ、金属も撫でてすり減るものと!

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この重い扉を支える周囲の石枠がまた素晴らしく、葉、ライオン、鳥等も彫り込まれ、
ここに見えるのはケンタウロスではないかと・・。

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聖堂前のロッジャ部で、下から見た左側。 奥左に見える扉が鐘楼部で、
右奥に回廊と教会。

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鐘楼への扉前から、中央部の様子と、

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ロッジャの円柱、柱頭部。 聖アンドレアのシンボル、Xも見えますね。

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こちらが天国の回廊・Chiostro del Paradisoと呼ばれる
周囲を柱廊が取り囲んだ中庭部分。

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なぜ天国の回廊という名なのかと疑問に思いましたら、1266~68年に造られた、
町の有力者の為の墓地、礼拝堂用だったそう。
       
細い2本の円柱に支えられたアラブ・ノルマン式アーチ組み格子が、如何にも南国風。
1600年代に放置された儘だったのを、1908年に修復公開されたのだそう。
  
という事で、回廊を取り巻く部分に展示されたモザイク装飾、この一帯のモザイクは
本当に素晴らしいのですが、と、聖堂内、クリプタのご案内は次回に致しますね。



最後は、港から見た鐘楼と聖堂の最上部の眺めをどうぞ。

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町が小さく、建物が狭い土地に建てこみ、まさに家並に埋まって見えます。

ではまた次回に。

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