・ n.1 トゥスカーニア 古寺巡礼 ・ サンタ・マリーア・マッジョーレ教会

暑い日が続いております! TVニュースで連日イタリアの各都市で40度近く、
との報道があり、聞くだけで汗疹が出そうですが、

それでも漸くに「古寺巡礼 その3」として、ラツィオ州ヴィテルボ県は
トゥスカーニア・Tuscaniaの素晴らしく美しいロマネスク教会、
サンタ・マリーア・マッジョーレ・Santa Maria Maggioreを纏めましたので
ご覧下さいね。

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この春グループ旅行で出かけた際の訪問ですが、とても気に入り写真を撮りまくり、
数が多すぎどれを省いたら良いものか!
例により、まず何がどうなのかを読んで知り、分からない所をアンナリーザや
ジュリアーナに聞く、という手間がありますが、まぁこれもボケ防止の楽しみと、はい。

勿論ガイドさんがいて、詳細に説明してくれたのですが、説明をその場で聞くと、
自分で見て回れず、ガイドさんが説明したい場所のみを見る事になり・・。
という見極めがついた今頃は、勝手に動きまわって撮る事になり、

まぁ、似た様な勝手者がたくさんいますから、ははは、で、写真OKとなると、
いぇ、本当は禁止だった様ですが、大勢がパチパチと、存分に撮りまくった次第!

上の写真はバスの窓からで、ヴィテルボから緩やかに広がる平野を行き、
段差のある丘の上に教会が見えて来た所。



地図をどうぞ。 ヴィテルボ・Viterboから西に約30k、半時間程でしょうか。

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ローマ、そしてエトルスク文化で名高いタルクイニア・Tarquinia、
天空の町チヴィタのあるバーニョレージョ・Bagnoregio
オルヴィエート、スポレートの位置関係もどうぞ。

トゥスカーニア周辺に最初に人類が住み着いたのは、紀元前2500~3000年頃
と言う事で、エトルリア人の定植地となり、紀元前3世紀頃にローマの下に。

クラウディア街道が通り通商業の、また西のティレニア海岸から東のボルセーナ湖
への家畜の季節移住の交差点として、ローマ帝国以降の一時の衰退は
経験した物の、中世には自由都市となり大いに栄えた様子。

町にはエトルスクの博物館もあり、周辺にはネクロポリスなどもあちこちに
見る事が出来る様ですが、行っておりません。
が、タルクイニアで見た素晴らしい、というより凄い様子をまたご案内致しますね。



教会はこんな風に道の曲がり角に背を向け位置し、真ん中に飛び出している
部分が後陣部分。 多分最初はこの高さでの教会建設だったろうと。
       
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教会の前すぐに鐘楼があり、おまけに狭い所に皆が入りこみ足元が見えず、
全体の写真が無く、こちらはサイトから拝借。

真ん中に大きな薔薇窓、小円柱で区切られた小アーチのロッジャ、
その下に大理石の正面扉と周囲の飾り、

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両脇に脇の扉が其々に、向かって右が大きく左は小さい、があり、
全体にこの一帯の特徴である凝灰石が用いられ、茶色に白の大理石がアクセント。
       


正面真ん中部分をどうぞ。
上部に大きな薔薇窓、周囲に4福音者のシンボル、その下部が少し張り出して
あれこれ顔のついた庇があり、
その下、9本の小円柱で仕切られた小アーチ、中央入り口、という様子。

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薔薇窓と小アーチ部分。 そして薔薇窓のアップ。

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全体が茶色と白のツートンですが、薔薇窓とアーチには壁の茶色よりも
濃い色の石が使われ、はっきりくっきり、モダンなイメージさえします。

ご案内では中世特有の怪物彫像や、素朴な表現をたくさんご覧頂きますが、
土地の味わいがあると言われる一帯のロマネスク様式をどうぞお楽しみ下さいね。
       
このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会が最初に言及されるのは9世紀、
法皇レオーネ4世の勅書によるそうですが、
建設されたのは11世紀の末、12世紀の半ばと2度に渡り、
建設年代も歴史家により多少の違いがありますが、ほぼこの年代。

最初はまず身廊と翼廊、離れて鐘楼が建設され、次に翼廊に接続する形で
3廊式となり、それが全て長く増設され、鐘楼との間が狭くなる結果に。

建設時期が分断された事による様式の混合となり、度重なる地震被害の
修復からも複数様式になった物と。 教会の聖別式は1206年10月6日。

現在のトゥスカーニアの町は、このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会よりも
もっと小高い北に移り、城壁が町を囲む形になっているのですが、
建設された当時は、この一帯が町の中心だったと。
       
       
   
薔薇窓の周囲4か所に配置された4福音者を現わす
左側の有翼のライオン、聖マルコ像があり、

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上には鷲の姿の聖ジョヴァンニがいて、右側はこの、天使の姿の聖マッテオ。

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下には雄牛の姿の聖ルーカがいるのが、庇が少し飛び出しており、
後ろに下がれず見えません。

この鐘楼との間の狭さも、後の時代の増築による結果だろうと言うのですが、
教会のこの場所は丘の中腹という感じなので、土地確保の問題もあったのかも。



これは薔薇窓の下の、少し飛び出した庇の下、
・・庇部分を支える形の、さまざまな顔も3つ程見えますが、

白い短い9本の円柱と10の小アーチで装飾されたロッジャ部分で、
両脇にいるグリフォン・鷲の頭と翼、ライオンまたは蛇の胴を持つ伝説の怪獣が、
左側は牛を抑え込み、

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右側は人間の男を襲っている姿。

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正面中央の素晴らしい5層の入り口。 両脇外にライオンが支える太い円柱と、
中央に聖母子のいる半円の周囲の装飾を4本づつの円柱が支え、
扉の両脇には聖人。

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以下に追々とアップで見て頂きますね。

扉上の半円、素朴な聖母子のいる半円部分。
右に神の子羊、左側はイザクの犠牲と、ロバに跨る邪神の姿。

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本来だと聖母子像というのは中央にある筈ですよね。それが少しずれている事、
上の部分には濃い茶の石が1ブロックあり、 こういうのは多分2つの建設時代に
渡るのと、地震被害後の修復状況も示すのだろうとの事。

で、この稚拙とも言える聖母子がとても気に入りました。
素朴で稚拙な顔立ちも良いですが、衣類の流れる線の表現がゆったりと優雅。



これは入り口右の一番外の螺旋状の溝が刻まれた円柱上の、アルピア・
arpiaという女の顔と、欠けてますが、鳥の体を持つ飢えた怪物が
人間を襲っている様子と言い、

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左にはライオンがやはり人間を抑え込んでいるのが、欠けている部分が多く、
良く見えないので省略を。
      


扉脇の2聖人、左には聖パオロで、各円柱上にも旧約聖書のお話が
刻まれている様子ですが、

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こちらは右の聖ピエトロ。

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気が付かれましたか? どちらの聖人も顔の部分が後世の物で、
どちらも顔を盗まれ、追加したのだろうと・・!

この聖人像も上の聖母像に似たゆったりの衣類の表現で、肩と前幅に
単純な小穴で付けた柄が意外に効果を上げていますが、

こういうのを見るのが大好きで、中世の職人が「こんなんでどう?」と
ポチポチと穴を打ったのではないかと、想像して楽しみます、ははは。



右側の、脇入り口上部の様子。 大きさは大体中央入り口と同じで、
左側の脇入り口よりは大きく、半円を描く装飾も手が込み美しいのですが、
中の半円部の像は少し雰囲気が違い、稚拙なイメージで。

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鐘楼。 写真左側の陰になっている面が、教会に向かい合う部分で、
上部は地震で落ちたか、切り取られた様子ですね。

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こちら側が、教会正面から見る鐘楼の壁。

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では教会内部にどうぞ! 我々が行った時は修復の足場がいっぱいに組まれ、
見通しの効く写真がありませんので、こちらもサイトから拝借。

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最初の教会背後の写真2枚目で見て頂いた、後陣部分のアーチの高さ、
お分かりですね。 高くなった天井部は小屋式・capanna と呼ばれる物で、
内陣上部、後陣、そして身廊のアーチにも、円柱にもフレスコ画が描かれた
素晴らしい物!



こちらが正面中央部、

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そして14世紀のフレスコ画上部、キリストを挟み12使徒が並び、
その下左側には聖人や寄進者の姿、そして「最後の審判図」。

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後陣のアーチ左側には、とてもユーモラスに見える、
棺の蓋を開け、土の中からも出てくる、ははは、死者たちが描かれ、

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右側は大きな画面で、地獄の様子がしっかりと!

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この写真もshinkaiのより良く見えるサイトのを拝借で、
中世の善人達はこんな画面を毎度眺めさせられ、怖かったでしょうねぇ!!

保存状態がかなり良いこのフレスコ画はグレゴーリオとドナート・ダレッツォ・
Gregorio e Donato D'Arezzoの作と名が残っておりますが、
画家の記録は殆ど見つからず、1315年とサインしたのがブラッチャーノの教会に、
彼らの出身地であろうアレッツォにも作品があるそう。
       


こちらは数段高くなった内陣部にある祭壇。 天蓋風に設えられ、天蓋内部にも
フレスコ画が施されていますが、内側はまさに当時の色のまま、と思える鮮やかさ。 

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後陣の奥に玉座が見えますが、



こんな石作りの物。

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ヴェネツィアはトルチェッロ島にあるサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂、
素晴らしい黄金モザイクのある聖堂ですが、ここにも同じ様な位置、
形の玉座がありましたっけ。



こちらは身廊と左側廊との間にある、見事な彫りの施された説教壇。

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身廊側に突出している角にはこんな彫像も見え、
この柄はロンゴバルド様式と思いますが、着色されていますね。

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説教壇に上る素朴な石段。
転げ落ちたりしないのか、と心配と共に嬉しくなりますが、ははは。

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身廊と側廊の間の円柱は片側4本づつで、柱頭には其々装飾が施され、

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柱頭装飾は如何にも中世風で、大好きな物。

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サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html



円柱にもそれぞれにフレスコ画が施され、往時の素晴らしさ、美しさを想像させ、

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こちらは左側廊の一番奥の様子で、この部分の奥行きのアーチは、壁の厚みを
利用してくり抜いた形だそうで、見えるフレスコ画は後代の物。

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ここにも祭壇が見えますね。この祭壇の下部に隙間があり、塞がれた様子も
撮っていますが、この地下には殉教者たちが埋葬されていたのだそう。
右手前に、説教壇への螺旋階段が見えます。



こちらは右の側廊半ばにある洗礼用の泉で、丘の上のサン・ピエトロ聖堂が
ドゥオーモであっても、洗礼はここで行われたのだそう。
で現在のトゥスカーニアのドゥオーモは、町中にあるサン・ジャコモ聖堂。

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さて、こちらが丘の上に見えるサン・ピエトロ聖堂。 かっての要塞を
兼ねた塔も3本残り、こちらは次回にご案内を。

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町の地図で位置をどうぞ。 現在の町は北側の高所に、こんな風に城壁に囲まれ、
城壁外にある右2つの下に見えるのが、今日のサンタ・マリーア・マッジョーレ教会、
それよりももっと外れた上に見えるのが、サン・ピエトロ聖堂。

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かっての低い位置から町が北の高所に移ったのは、やはり中世の町の防御から、
と思われますが、となると、この大きな素晴らしい大聖堂も栄華を誇ったのは
比較的短い期間と言う事になりますね。
サン・ピエトロ聖堂のご案内前に、もうちょっとあれこれ読まないといけません。




最後にご覧頂くのは、現在の町の南端にある展望台状広場からの眺めで、
上の地図と重ねてどうぞ。
一番奥に見えるのがサン・ピエトロ聖堂、
その斜め右下に今日ご案内したサンタ・マリーア・マッジョーレ教会、

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サン・ピエトロ聖堂と同じ高さの延長に見えるのが、リヴェッリーノ城の廃墟で、
町の城壁がここから始まるのが見えます。


トゥスカーニアの町を訪問した時は、まさに春たけなわの良いお天気で、
長閑な平野が広がり、まだ中世のままのような感じがしたのを良く覚えています。
皆さん、最後までお付き合い頂き有難うございました!

ロマネスク教会をお好きな方はたくさんおいででしょうし、エトルスクに興味を
お持ちでトゥスカーニアに行かれた方も、町に関心をお持ちの方も多いと思うのですが、
紹介されておられる方が多くなく、イメージを掴んで頂こうと思うと、
つい写真も多く説明も長くなりましたが、退屈せずに見て頂けた様に願います。
       
次回はまたちょっと息抜きを兼ね、美味しい物でも。
その後、サン・ピエトロ聖堂に参りますね。
ここは映画撮影でも有名な聖堂ですので、お楽しみに!
     
 
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