天空の町、死にゆく町として有名な、陸の孤島にも似た
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ・Civita di Bagnoregioのn.2、
ごゆっくりどうぞ!
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ・Civita di Bagnoregioのn.2、
ごゆっくりどうぞ!
司教館広場。

先回の最後の写真、司祭館とドゥオーモの間のアーチを潜り抜けて行く時、
ここも修復の幕で覆われ気が付かなかったのですが、どうやら鐘楼と
ドゥオーモを繋ぐアーチ部分に、かっての牢獄があった様子。
で、この広々とした広場があり、現在は司教館の建物にも、何方かが
住んでいるのでしょう、 石臼がアクセントに置かれていました。
そう、この町はまたオリーヴ油の産地としても有名なのです。


先の中心広場から西に木陰の道を入りこむと、
左にテラスとなった小レストランがあり、お昼をそこで。
チェーチ・ひよこ豆のスープ。

パスタも入り、テーヴルにあったパンもちぎって入れ、熱くて美味しいスープ!
他に何を食べたかは、またのお楽しみに!!
他に何を食べたかは、またのお楽しみに!!
再び、町の探訪に。
町の現在は観光地として結構の繁盛をしている様で、あちこちで修復中。
町の現在は観光地として結構の繁盛をしている様で、あちこちで修復中。
離れていたかっての住人も、少し戻って来ているのかも。
この家は既にしっかり修復されていますね。
この家は既にしっかり修復されていますね。

いずれは崩壊して消える運命の町なのかもしれませんが、今はまだまだ
人の営みも続いているのです。
そう、2500年間なんとか継続して来た町なのですものね。
実際、生まれて間もない赤ちゃんをあやすお母さんも見かけ、
こちらの気持ちも引き立てられました。
ここは、以前何かの作業場だったのでしょう、家の1階部分。

町は細長い形で東西に延び、北南の路地に入ると、じきに崖っぷちに出ます。



同じ建物の上階の家は別の持ち主で、こんな外階段があちらにもこちらにも。
で、右の奥の階段の、

一番下の丸い形。 後でじっくり写真を見ていて、石臼利用ではないかと。

そして、こういう形もあるのですよ。 こういう高い階段は、中世の町によく見かけ、
一番上の小さい形が可愛いでしょう?
一番上の小さい形が可愛いでしょう?

こちらも素晴らしく修復されたお家。

町に来る橋の近くでは朝顔を見かけましたが、ここでは蔦の葉が赤くなりかけ。

奥左側に、以前は古いオリーヴ油の搾油所があったらしいのですが、
どうやら閉められたようで。
どうやら閉められたようで。

町の奥の小路を北に入って行くと、かっての洞窟住居跡が残され、
民具も並べ博物館風に設えられていました。
民具も並べ博物館風に設えられていました。
すぐ近くの家から年配のシニョーラが出て来て、
入り口の柵は開いているから入れるよ、と教えてくれ、そろそろと。
入り口の柵は開いているから入れるよ、と教えてくれ、そろそろと。

というのも中が本当に暗く、ちょっと怖い位で。
食器棚もあり、安い花柄の縁が欠けたお皿なども置かれ、何か少し切なく。


床も土間のままで、一体この洞窟でどんな生活だったのでしょうか、
そんな古い時代ではないと思うのですが。
そんな古い時代ではないと思うのですが。
石臼も置かれていましたが、何に使われた臼なのかな。

出て来た小路の端に先ほどのシニョーラが座っていて、施しを求める手を
差し出したので、彼女の様子を見て取り、少し多めに上げましたら
大変喜んでくれました。 こちらも嬉しかった。
洞窟住居の先はすぐに町の一番の東の先っちょで、こんなオリーヴの実も見かけ、

が、小さな畑の先に広がる眺めは、広々とした不毛の浸食された渓谷でした。
絵葉書を2葉。 霧の中に浮かぶ孤島の町と、

夜のライトアップ。

交通が少し不便ですが、近くに行かれるチャンスがあったら是非どうぞ!
ご覧になるだけの価値は十分に!
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