今日は天空の町、または死にゆく町として有名なチヴィタ・ディ・バーニョレージョ・
Civita di Bagnoregioにご案内致します。
Civita di Bagnoregioにご案内致します。
この風景は、きっとどこかでご覧になった事がお有りでしょう、
天空の町として有名な、展望台からの景観です。
天空の町として有名な、展望台からの景観です。

記事を1回分として纏めたかったのですが、珍しい形がたくさんあり
写真を削りきれず、町のご説明はともかくも、
景色を楽しむおつもりで見て頂こうと2回に分けましたので、
退屈せずに見て頂けますように!
写真を削りきれず、町のご説明はともかくも、
景色を楽しむおつもりで見て頂こうと2回に分けましたので、
退屈せずに見て頂けますように!
地図をどうぞ。 チビタ・Civita というのがこの町の名で、
後ろに付くバーニョレージョはコムーネの名前。
後ろに付くバーニョレージョはコムーネの名前。

我々はピティリアーノ・Pitiglianoから車で行きましたが、ご覧の様に
オルヴィエート・Orvietoから近く、バス連絡も少ないとはいえありますから、
ローマから国鉄でオルヴィエート迄、そしてバスで行けますね。
オルヴィエート・Orvietoから近く、バス連絡も少ないとはいえありますから、
ローマから国鉄でオルヴィエート迄、そしてバスで行けますね。
チヴィタ・死ぬゆく村 と形容されますが、(写真は友人mkちゃん)

こちらをご覧下さい。

背景に見えるこの浸食された地質の渓谷は、所謂バッドランドと呼ばれる地。
このチヴィタの町、というより村ですが、太古の海底にあった凝灰岩の土地が、
何度かの地震と地崩れにより、すっかり剥き出しとなり、
孤島状態になっているのですね。
町がエトルスク人によって作られた紀元前500年前から既にこの兆候があり、
対策が取られた様ですが、現在の町の人口はほんの数家族、
資料によりあれこれ違うのですが、10人から30人程と。
このチヴィタの町、というより村ですが、太古の海底にあった凝灰岩の土地が、
何度かの地震と地崩れにより、すっかり剥き出しとなり、
孤島状態になっているのですね。
町がエトルスク人によって作られた紀元前500年前から既にこの兆候があり、
対策が取られた様ですが、現在の町の人口はほんの数家族、
資料によりあれこれ違うのですが、10人から30人程と。
町を訪れた10月の初旬、大変に暑い日でしたが、まだ朝顔の花が咲き。

バーニョレージョの町の入り口の大きな駐車場に止め、せっせと町を縦断、
町外れの展望台からの写真が最初の物。
町外れの展望台からの写真が最初の物。
そして階段を下り、チヴィタの町に至る橋の元まで行きますが、
この階段が分かり難く、行き会う人に訊ねて漸くに。
この階段が分かり難く、行き会う人に訊ねて漸くに。
で、行くと橋の下にも駐車場があり、チヴィタ訪問の方は皆さんここに止める様。
まぁ、バーニョレージョの町も見れたのですが、こちらは余り変哲のない町で。
バーニョレージョの町を縦断しつつ、友人が笑うので聞くと、
道の交差点で、必ず私が左右の道を見るのですって!
あはは、自分は無意識でしたが、どうやらパトロール犬並みに
写真OKかどうかを確かめているようで!
道の交差点で、必ず私が左右の道を見るのですって!
あはは、自分は無意識でしたが、どうやらパトロール犬並みに
写真OKかどうかを確かめているようで!
では橋を渡り、町に向かいましょうか。
この橋は長さが300m余りの鉄筋コンクリート製で、現在はここを渡る道が
唯一の町への入り口。
この橋は長さが300m余りの鉄筋コンクリート製で、現在はここを渡る道が
唯一の町への入り口。

渡りながら見渡す景観も凄いもの!
これはチヴィタに向かい左側の様子ですが、やはり隣町の端も、谷の浸食が。

こちらはチヴィタの奥に見える渓谷の様子。
美しくもあり、自然の恐ろしい威力をも見せつけます。
美しくもあり、自然の恐ろしい威力をも見せつけます。

橋を渡り始めると、向こうから4輪荷車が降りて来るのが見え、

こんな感じに、橋いっぱい、というか、狭い橋、というか。
そして、かなりの傾斜!
そして、かなりの傾斜!


実はこの橋が出来たのは1965年で、当初は人間だけが歩いて渡るように
定められていたそうです。
ですが、年間観光客がかなりの数に増えた事もあったのでしょうし、
町の住人達からの生活物資運搬の要望もあり、
数年前から許可を受けたバイクとオート4輪のみが渡れます。
町の入り口門辺りから、逆に橋を眺め。

これは絵葉書で、1965年と見えますが、
現在の鉄筋コンクリートの橋が造られる前の様子ですね。
現在の鉄筋コンクリートの橋が造られる前の様子ですね。

ロバや馬を使い生活物資を運んでいた様で、ガイドブックにあった橋の写真は、
石を敷き詰め、崩れた所を木の板で塞いだと思われる恐ろしい物。
石を敷き詰め、崩れた所を木の板で塞いだと思われる恐ろしい物。
漸くに橋を渡りきると、今度は上り坂の階段!

町の入り口サンタ・マリーア門が見えますが、上に3つのアーチのロッジャを持ち、
下に窓、そしてその下に門があるこの建物はかってのお城、領主の住まいで、
11世紀の建設だそう。
下に窓、そしてその下に門があるこの建物はかってのお城、領主の住まいで、
11世紀の建設だそう。
入り口アーチの両脇と上に何やら像が見えますが、
こちらがそれで、真ん中のは鷲がライオンの頭を爪の間に持ち、
両脇には伏せたライオンが両足の間に何かを持っていて、
両脇には伏せたライオンが両足の間に何かを持っていて、

左側のライオンを写していないのがとても残念。 というのも、こちら右のは崩れて
何かが分かりませんが、左側のライオンの足元には女性の顔があるのです。
ガイドブックの写真で確認し、ここでまた好奇心むくむく! 調べて分かったのは、
エトルスク人がこの町を造り、ローマ人が発展させ、はい、例の如く天水を貯める
井戸の設備とかを造り、ロンゴバルド族、カール大帝と次々と領有者が変わり、
自由都市も経験、最後はオルヴィエートの専制君主であった
モナルデスキ家・Monaldeschiの物となります。
エトルスク人がこの町を造り、ローマ人が発展させ、はい、例の如く天水を貯める
井戸の設備とかを造り、ロンゴバルド族、カール大帝と次々と領有者が変わり、
自由都市も経験、最後はオルヴィエートの専制君主であった
モナルデスキ家・Monaldeschiの物となります。
このモナルデスキ家というのは、あちこちに分枝もするのですが、
どうも大変に残忍な血を持つ一族で、血族間でも血生臭い争闘を。
そして遂に1494年、バーニョレージョとこのチヴィタの民衆が蜂起、自由を獲得、
その時の記念の石像なのだそう。
どうも大変に残忍な血を持つ一族で、血族間でも血生臭い争闘を。
そして遂に1494年、バーニョレージョとこのチヴィタの民衆が蜂起、自由を獲得、
その時の記念の石像なのだそう。
で、同年のフランス王シャルル8世の通過にも抵抗した程の町の住民の意思を
知らん顔で踏みにじり、逆にこの自由都市を教皇領に組み込んだのが、
教皇アレッサンドロ6世・ボルジャなのだそう。
政治の世界には、義理も人情も関係ないようで・・!
知らん顔で踏みにじり、逆にこの自由都市を教皇領に組み込んだのが、
教皇アレッサンドロ6世・ボルジャなのだそう。
政治の世界には、義理も人情も関係ないようで・・!
という事で、門をくぐり小さな町の中に。 小さな広場となっていて、

くぐってきた町の門は、振り返るとこんな風に。 左の建物が
門内に続くかっての城館ですね。
門内に続くかっての城館ですね。

門から真っ直ぐに続く道を行くと、町の中心広場に。

広場の南には大きな建物があり、現在は2,3軒の土地の物産店とバールに。

土地の物産は、やはりオリーヴ油とか蜂蜜とか、このポスターにもあるように
豆類ですね。 インゲン豆、レンズ豆、チェーチなどなど。
豆類ですね。 インゲン豆、レンズ豆、チェーチなどなど。

古くから栄えた町、と書きましたが、ローマからの主要街道にも近く
商業の要所として大いに栄え、かっては町への入り口の門も5つあり、
エトルスク人は深いトンネルを掘り、町中から楽に街道筋に行ける様にしていたと。
商業の要所として大いに栄え、かっては町への入り口の門も5つあり、
エトルスク人は深いトンネルを掘り、町中から楽に街道筋に行ける様にしていたと。
広場の東側と北側の様子。
東を占めるサン・ドナート教会・San Donatoはドゥオーモ・司教座の位を
持っているのが、秋には修復中で、正面部全部が覆われておりました。

町には中世とルネッサンス期の建物が混ざり合って残り、古い町にしては、
ドゥオーモ内は新しい様式。
とにかく暗くて暗くて、余り探検意欲も出ずこの写真だけ。

このドゥオーモ前の町の中心広場では、毎年6月第1日曜と、9月の第2日曜に、
パーリオ・デッラ・トンナ・Palio della Tonnaと呼ばれる
ロバの背に乗ってのパーリオが行われるのだそう!
パーリオ・デッラ・トンナ・Palio della Tonnaと呼ばれる
ロバの背に乗ってのパーリオが行われるのだそう!
広場の北にあるこの建物が大変面白く、司祭館・Canonicaだそうですが、
如何にも中世風で、かっての町の古き時代の繁栄を偲ばせます。

入り口二つに繋がる階段の形が違い、入り口の高さにも興味が湧きますね。

という所でn.1をお終いとし、 n.2にどうぞ!
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