・ A・パッラーディオの街 ヴィチェンツァ ・ 中心をほんのちょっぴり 

今日はアンドレーア・パッラーディオの街として有名なヴィチェンツァ・
Vicenzaの中心をちょっぴりご覧くださいね。

ヴィチェンツァの街は、1994年に世界遺産に指定されておりますが、
街の周辺、そしてヴェネト一帯に点在する彼の設計によるヴィッラも含まれていて、

街の中心には、かの有名なパッラーディオのバジリカ・Basilica Palladiana
と呼ばれる素晴らしく大きな公会堂建物があり、
位置する広場の向かい合わせに、パラッツォ・デル・カピターノ・行政長官邸・
Palazzo del Capitano、
そして有名なテアトロ・オリンピコ・Teatro Olimpicoが街の東にあり、
他にもパッラーディオ設計の邸宅・ヴィッラがいくつもあります。

2年前の2月に出かけた時はこの中心街と、ヴィチェンツァの北方にある、
彼の始めての建築として有名なヴィッラ・ゴーディ・Villa Godiを訪問し、
ここのご案内はさぼっており・・。

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テアトロ・オリンピコについては既にご案内済みで、
今回漸くに街の中心をほんのちょっぴり、ご覧頂く事に。



写真はパッラーディオ設計の(1550年と1680年)パラッツォ・キエリカーティ・
Pal.Chiericati. マッテオッティ広場・Piazza Matteottiに面し、
現在は市絵画館に。

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こちらは同広場東端の角の建物。 左奥にテアトロ・オリンピコの入り口が見えます。

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テアトロ・オリンピコ ・ ヴィチェンツァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467565180.html



街の地図をどうぞ。 右上に見えるキエリカーティ邸・Chiericatiを基点とすると、
そこから南西にコルソ・アンドレーア・パッラーディオを通り、
途中から南に行くとシニョーリ広場・Piazza dei Signori.

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ここが街の中心広場で、そこから北にパッラーディオ通りに出て戻った、
という行程で、地図上ではほんの少し。

ヴィチェンツァの鉄道駅は左下に囲った所で、そこからまっすぐ北に、緑の部分が
サルヴィ庭園・Giardino Salviで、ここにパッラーディオのロッジャ・サルヴィがあり、

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サルヴィ公園からシニョーリ広場に向かう途中に、正面壁が素敵なドゥオーモ。

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街の南の高台にモンテ・ベーリコ・Monte Bericoがあり、ここには奇跡で有名な
ロココ様式の教会もあありますが、教会前広場のテラスからは街の見晴らしが素晴らしく、
パッラーディオのバジリカの大きさも良く分かります。

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以前何度か出かけた時の街の写真が無くなり、例によってサイトからの拝借で、
ブログ・アドレス入りがshinkaiの写真です。



細長いシニョーリア広場の東側、商店街の並び。

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広場の東側には円柱が2本あり、右の上にはお馴染みヴェネツィア共和国のシンボルの
有翼のライオン君がいて、左の円柱上の人物は写しておらずですが、
・・パッラーディオ様なのだそうで、失礼をば!

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広場の南側を占めるのがパッラーディオのバジリカで、塔は12世紀建設の
トッレ・ビッザーラ・Torre Bissara.
82mで街で一番高い建物だそうですが、なかなか美しいでしょう?!

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ビッザーラの名の由来は、塔を建設したビッサーリ・Bissari家に因み、
隣に一族の屋敷があったのだそうですが、本来はずっと低かった様子。

13世紀の初めに町が、執政官邸にする為に屋敷と塔を買い取り、後1347年の
地震の後、現在の半分ほどの高さになり、15世紀になって現在の高さに。

バジリカとともにこの塔も、第2次大戦の空爆でやられたそうですが、
その後の何度もの修復、美化保存により、元の姿の様子です。

塔の鐘は、最終的に2005年の修復により、毎時と30分毎に時を告げるだけでなく、
12時と18時の前に、それぞれ7分間独特のメロディを鳴らすのだそうで!
       
ヴェネツィアのデッラ・サルーテ教会の鐘が、11月末のお祭りの日に
独特のメロディを奏でるのは聞いたことがありますが、
このビッザーリの塔のも、一度聞くチャンスを持たないといけませんね!



さて、ヴィチェンツァの街のシンボルとでも言う、パッラーディオのバジリカ。
一度昔上階に上がり、その内部の大きさ、天井の高さは朧に記憶しておりますが、
この時は上階に行きませんでしたので、細部の写真のみでどうぞ。

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白い大理石で覆われた、元々は2つの15世紀ゴシックの建物で、上階は
中に支えの柱が1本も無い大広間で、議会場として使われていたもので、
この形はパドヴァのラジョーネ宮(1306年建設)にも見られ、
屋根は船底の竜骨部分をひっくり返した形で青銅製。

バジリカという呼び名は、聖堂にも使われていますが、
この場合は古代に使われた公的集会場とか、裁判所、討論、商集会所
などの意味で使われ、宗教的意味合いはありません。

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15世紀の終わり、古い建物の修復が終わろうという時に南西部が崩壊し、
長い長い討論の末1546年、当時38歳の殆ど名の知られていなかった
アンドレーア・パッラーディオ(1508-1580)の案が採用され、

更に3年の論争の末、パッラーディオのパトロンで導きの師でもある
ジャンジョルジョ・トゥリッシーノ・Giangiorgio Trissinoと、後に彼に邸宅設計を
依頼する貴族たちの後押しで遂に本格的に決定したといいます。

中に通路のある2つの違う建物をつなぐパッラーディオ提出案のセルリーナ・
Serlinaと呼ばれる、違う間隔のアーチを使う弾性、自在さ、というのか、
・・この辺り、私には上手くご説明できませんで申し訳ないっす、
最初にブラマンテが使った古くからある方式だそうですが、それを用い、

周囲にロッジャをめぐらし、1階部分の円柱はドーリア式、2階部分はイオーニア式、
大理石の費用として当時としては莫大な6万ドゥカーティだったそうで、
これと同じ費用は約10年後のヴェネツィアのサン・ジョルジョ教会の建設費まで
でておりません。

ですが、パッラーディオの給料は月に5ドゥカートだったそうで!
彼は生涯大変に質素な生活を送ったというのですが・・。

工事はゆっくりと進行し、最終的に終了したのが1597年、
パッラーディオの没後17年の事になります。

所でこのバジリカですが、大きさをお伝えするのにどこかに寸法でもないかと
探し回りましたが見つかりませんで、ひょっとして日本の方のサイトならと、
ははは、探しましたが残念!

2007年から始まった大修理も2012年には済んでいるはずですので、
またチャンスを見て出かけてみないといけませんね。

n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html

n.3 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330356.html

     

こちらは間の通路で、1階部分には店舗があるのですが、まだこの時は修理中か
終了間際で、寂しいイメージでしたし、本来なら店の名が見える看板も消耗した儘で・・。

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そしてシニョーリア広場の北側を占める、長さがなんと72mもあるという
モンテ・デイ・ピエタ・Palazzo dei Monte di Pietà、つまり公営質店で、
真ん中にサン・ヴィンチェンツォ教会・San Vincenzoを含みます。

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このモンテ・デイ・ピエタは1486年にこの街からユダヤ人が追放された後、
彼らの住居区域跡に建設されたものなのだそう。



建物の角で、見える、というか半ば消えかかったフレスコ画は、モゼ・Mosèの生涯を
描いたもので、モンテ・デイ・ピエタの建設位置を考えると、選んだ主題が・・。

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同じくシニョーリア広場を挟み、バジリカの斜め前にのパラッツォ・デル・カピターノ・
Palazzo del Capitanoがあり、同じくパッラーディオ設計のロッジャ1565年。

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モンテ・デイ・ピエタとの間の道を北に進みます。

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こんな風にバジリカの青銅の屋根や、ロッジャの2階も見え、

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右に見える教会のファッチャータは、正式にはこちらが正面入り口なのかも・・!
道が狭く、見上げるようにしか撮れませんで。

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道の両脇には大きな建物が立ち並び、中庭がこんな風に見え、

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ヴィチェンツァの街は1404年からヴェネツィア共和国の元に入り、1797年の崩壊まで
他のヴェネトの町と同様400年の平和と繁栄を享受した訳で、
その繁栄の名残が各所に残っていて、

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現在も繊維業、金細工、そして各種中小工業が大変に盛んな土地だそうで、
人口が11万6千人程の、活気に満ち溢れた街です。



こちらはパッラーディオのパラッツォ・テイーネ・Palazzo Theine.
正面入り口の写真が無いのですが、この一見豪壮重厚な石組みも、

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実は中は煉瓦で、その上から大理石の粉を混ぜた漆喰を塗り、いかにも重厚そうに
見せる、という、工期が早く済み安くあがるというパッラーディオ建築が、
ヴェネトの貴族たちにもてはやされた一つの理由でもあります。

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パッラーディオ設計の ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html

ヴィッラ・エモ ・ ヴェネトのヴィッラ訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467639836.html

ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html



名前が分かりませんが、ヴェネツィア様式のshinkaiの好きな形で、

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コルソ・アンドレーア・パッラーディオ通りのカ・ドーロ邸・Palazzo Ca’ d’Oro.
同じ名のヴェネツィアの館とは比ぶべくもありませんが、
ゴシックの入り口が気に入り撮っておりましたので・・。

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コルソ・アンドレーア・パッラーディオにある建物位置と名前は、まずこのサイトに、
https://www.comune.vicenza.it/utilita/documento.php/188824



夕暮れ迫る中、ポルティチの下を辿って戻りますが、

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店に灯が入ると、なかなか良いでしょう?

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本日最初のマッテオッティ広場の横、キエリカーティ邸の空も夕暮れの色。

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少し長い散歩、お疲れ様でしたぁ!


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