
ヴェネト州に点在するヴェネツィア貴族の館・ヴィッラ・ヴェネタと呼ばれるのが
一体幾つあるか、ご存知ですか?
ヴェネト州の公表では4000以上という事になっていまして!!
一体幾つあるか、ご存知ですか?
ヴェネト州の公表では4000以上という事になっていまして!!
現在一般公開されている物、非公開、またホテルなどに改装されている、
それぞれ様々たくさんのヴィッラですが、
アントーニオ・パッラーディオ・Antonio Palladioが設計建築のヴィッラは、
ユネスコの世界遺産に指定されており、このヴィッラ・エモもその一つなのですね。
地図をどうぞ。 真ん中に見えるファンツォーロ・Fanzoloにヴィッラ・エモが。

ヴェネツィア貴族の館と書きましたが、ヴェネツィア以外に
なぜこんなにヴィッラが存在するか、という事ですが、
最初は地中海貿易から始まったヴェネツィアの繁栄が、15世紀半ばから始まる
大航海時代になると、東洋のみならず、アメリカ大陸にまで商業交易が広がり、
ヴェネツィアの独占は衰え、航海による繁栄は斜陽を迎えます。
なぜこんなにヴィッラが存在するか、という事ですが、
最初は地中海貿易から始まったヴェネツィアの繁栄が、15世紀半ばから始まる
大航海時代になると、東洋のみならず、アメリカ大陸にまで商業交易が広がり、
ヴェネツィアの独占は衰え、航海による繁栄は斜陽を迎えます。
で本土側に広い領土を持ち、農業収益を求めるようになり、この管理、作業所、
そして蒸し暑いヴェネツィアの夏を逃れる為にも、本土の領土に館を持つ様に
なったという訳ですね。
そして蒸し暑いヴェネツィアの夏を逃れる為にも、本土の領土に館を持つ様に
なったという訳ですね。
この日は地図の左下に見えるヴィッラ・コンタリーニ・Contariniを先に訪問、
お昼ご飯の後こちらにという事で、まだ早春の午後の半ば、
早くも陽がかげり加減という様子でしたが、
お昼ご飯の後こちらにという事で、まだ早春の午後の半ば、
早くも陽がかげり加減という様子でしたが、
かっては全てこの館の領土だったろうと思われる広い駐車場の向こう、
ポプラ並木の向こうに見える建物は駅舎で、トゥレヴィーゾからカステルフランコ、
ヴィチェンツァを結ぶ鉄道線の、ファンツォーロ駅なのですね。
ポプラ並木の向こうに見える建物は駅舎で、トゥレヴィーゾからカステルフランコ、
ヴィチェンツァを結ぶ鉄道線の、ファンツォーロ駅なのですね。

という訳で、こんな平野のど真ん中にあるヴィッラなのですが、鉄道が通っているので
ヴェネツィアからも割と楽に訪問できると。
ヴェネツィアからも割と楽に訪問できると。
ついでに開館時間などを。
4月~9月 月~金曜 10時~18時
土日曜祭日 10時~18時
4月~9月 月~金曜 10時~18時
土日曜祭日 10時~18時
10月~3月 月~金曜 10時~17時半
日曜祭日 10時~17時半
日曜祭日 10時~17時半
閉館 元旦 12月25日 12月31日
15名以上のグループは、上記以外の時間でも予約可能
fax 0423.487043 又は e-mail info@villaemo.tv.it
fax 0423.487043 又は e-mail info@villaemo.tv.it
以前とは開館時間の変更がありましたので、お出かけの時は事前にサイト
https://www.villaemo.org/visita でお確かめを。 2019.6.29
https://www.villaemo.org/visita でお確かめを。 2019.6.29
お屋敷の鉄柵の前からは、こんな感じで、

柵の中、こんな様子に石像のある前庭が広がります。

玄関前はこんな様子で、敷き石が敷き詰められ、パッラーディオ特有の高い本邸、
そして円柱の並ぶ前のテラスですが、あとは至って簡素な印象。
そして円柱の並ぶ前のテラスですが、あとは至って簡素な印象。

正面のテラスに至る緩やかな石段の横に見える生垣は藤だそうで、
花の時期には大変見事なのだそう!
花の時期には大変見事なのだそう!
この写真では向かって左側だけですが、本邸の両脇には細長いバルケッサ・
barchessaが翼の様に連なり、一番端に見える塔はコロンバイア・
colombaia・鳩小屋。
barchessaが翼の様に連なり、一番端に見える塔はコロンバイア・
colombaia・鳩小屋。
本邸左のバルケッサに見えた小さな鐘。
十字が付いているので、この下に礼拝堂でもあったのかも・・。

本邸建物上部の装飾。 真ん中の縞の紋章が、この館の持ち主エモ家の物。


エモ家というのはオリージネはギリシャで、そしてダルマチアに。
ヴェネツィアには10世紀に、そして貴族に1304年から、といういわば名門ですが、
このヴィッラの建設は1558年からで、建築設計のパッラーディオは既にこの様式の
ヴィッラを手掛けて20年もの事で、
建築史に取っては初めての、バルケッサが両翼に広がる形で、
ほぼ同時期に建設のアーゾロ近くのヴィッラ・バールバロ・Barbaroも翼を広げた形。
ヴィッラを手掛けて20年もの事で、
建築史に取っては初めての、バルケッサが両翼に広がる形で、
ほぼ同時期に建設のアーゾロ近くのヴィッラ・バールバロ・Barbaroも翼を広げた形。
ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html
現在の我々の見学には、勿論正面階段は使わせて頂けませんで、ははは、
階段脇の入り口から入り、向かって右のバルケッサに。

バルケッサというのは、元々はバルカ・小舟に由来すると思うのですが、
小舟の収容場所、ちょっとした倉庫的意味合いから、こうして農作業や事業が
主となってもそのまま使われた様子で、いわば作業場、倉庫ですね。
小舟の収容場所、ちょっとした倉庫的意味合いから、こうして農作業や事業が
主となってもそのまま使われた様子で、いわば作業場、倉庫ですね。
15世紀頃のヴィッラでは、周囲を建物が取り囲む内庭が所謂作業場だった訳ですが、
この時代、既にヴェネツィア共和国が安定していた事も大いに関係し、
広い土地のこの形、に移行したのではないでしょうか。
この時代、既にヴェネツィア共和国が安定していた事も大いに関係し、
広い土地のこの形、に移行したのではないでしょうか。
バルケッサにちょっとした展示物があり、館の上空からの写真をどうぞ。

こちらはウィキぺディアから拝借の平面図で、真ん中の本館はこの様に四角く、
上でご覧頂いたバルケッサと言いましたのは、角柱が並ぶ前部の廊下部分で、
後ろに各部屋があります。
上でご覧頂いたバルケッサと言いましたのは、角柱が並ぶ前部の廊下部分で、
後ろに各部屋があります。

我々が見学したのは、まず本館の狭い階段を上がり、赤い点をつけたテラスに出て、
そこから右に抜け、そして奥の部屋に。
そしてテラスの奥に当たる北側の大きな部屋から左側に。
そこから右に抜け、そして奥の部屋に。
そしてテラスの奥に当たる北側の大きな部屋から左側に。
では、前面のテラスの様子からどうぞ。
建物は装飾が殆ど無く、派手な装飾のヴィッラを見慣れた目には質素な感じさえ
するのですが、内部は大変細やかな素晴らしい装飾、フレスコ画で埋められており、
するのですが、内部は大変細やかな素晴らしい装飾、フレスコ画で埋められており、
上の天井も深い格天井で、

その下部分と床。
右奥にトウモロコシが見えますね。 これはエモ家がここの領土で、アメリカから
齎されたトウモロコシを、ヴェネトで始めて栽培し始めた由来に拠る物と。
齎されたトウモロコシを、ヴェネトで始めて栽培し始めた由来に拠る物と。

床には大理石のモザイク装飾が施されているのですが、真ん中にはクジャクが。

上部。 脇に見える花模様が可愛いでしょう?



この館のフレスコ画装飾を手掛けたのは、ヴィッラ・マルコンテンタの装飾と同一の
ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼロッティ・Giovanni Battista Zelottiという画家と。
ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html
多分本来の名士客人達は、このテラスから直接に奥の部屋に通ったのでしょうが、
今は硝子戸が閉じられておりまして・・、

テラスから見はらす前景。 現在は上記した様に鉄道線も横切り、
この前庭の柵の向こうは道路も通っておりまして・・。
この前庭の柵の向こうは道路も通っておりまして・・。

こちらはテラスの右脇の部屋で、暖炉もあり、

フレスコ画の装飾、ムラーノ製のランプもあり、小さな部屋ですが、
なかなか居心地の良さそうな可愛い雰囲気。
なかなか居心地の良さそうな可愛い雰囲気。

フレスコ画のモチーフは、扉上部のキリスト像は別とし、
ヴィッラ全体が神話に題材を取っている様子。
ヴィッラ全体が神話に題材を取っている様子。
こんな風に奥の部屋が見渡せ・・、

脇の窓からは、下のバルケッサも見えます。
かっては開いた廊下だったのでしょうが、現在は硝子戸で覆われた場所となり、
各種催しもここで行われているとか。
各種催しもここで行われているとか。

中央部分にはこんな風に上階への階段があり、我々は上れませんでしたが、
きっと寝室があるのでしょうね。

真ん中部分の通り抜ける小部屋。
ここはかなり暗い部分だったのですが、こんな風にグロテスク模様があり、
ここはかなり暗い部分だったのですが、こんな風にグロテスク模様があり、

天井の梁や板にも可愛らしい模様。

右側奥の部屋の壁。 壁の装飾はトウモロコシやキャベツといった野菜類で、

この素敵な小箪笥の上の黒い箱、これに何が入っていると思われます?
開けては見れなかったのですが、ナイフ入れなんだそう。
開けては見れなかったのですが、ナイフ入れなんだそう。

こちらが奥の大部屋の装飾。 テラスの円柱ともども、こちらも騙し絵になっていて、
テラスとをつなぐ間のアーチの下には、東屋風の植物の絡んだ格子と空。
テラスとをつなぐ間のアーチの下には、東屋風の植物の絡んだ格子と空。

そしてこの部屋から見渡す、北側のお庭! なんとも広大で・・。

左脇の部屋、ここの部屋の装飾がなんとも居心地が良さげなゆったりさで、

同屋の西向きの壁の暖炉。 渋い色と柄で素晴らしいでしょう?

所でヴェネト州にある無数のヴィッラですが、最初の建設所有者が現在も、は、
なんとこのヴィッラ・エモと、ヴィッラ・マルコンテンタのフォスカリ家だけと!!
蛇足ながらフォスカリ家の当代は、建築家だそう。
ですが残念な事に、ヴィッラ・エモは2004年までエモ家の所有だったのが、
現在は銀行が買い取り、お値段も聞きましたが・・! 法人名義に。
現在は銀行が買い取り、お値段も聞きましたが・・! 法人名義に。
寒い早春に訪れた我々は、暖房の効いた温かい空気に和み、
館内の装飾の、優しい居心地の良さ、細やかさが大変気に入りました。
館内の装飾の、優しい居心地の良さ、細やかさが大変気に入りました。
今の時代、ご先祖様からの大き過ぎる遺産は逆に大変なのかもしれず、
銀行の持ち物となっても、上手く残ってくれるのが有難いですね。
銀行の持ち物となっても、上手く残ってくれるのが有難いですね。
フォスカリ家の悲劇について n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html
さて館内の見学が済み、裏のお庭に出て、

建物の裏側も拝見。 ほらね、裏は北側という事もありますが、
修復が済んでおらず、印象がまるで違いますね。
そしてお気づきですか、表には一つも見えなかった煙突類が裏側にたくさん!

本館真ん中の下に入り口が見えますが、ここに台所があったのだそう。

表に回って来て、見学もお終いに。
もうかなりの薄暗さで、テラスに灯が灯っておりました。
もうかなりの薄暗さで、テラスに灯が灯っておりました。



という様子で、 ヴィッラ・エモの見学、ご苦労様でしたぁ!
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