・ テアトロ・オリンピコ ・ ヴィチェンツァ

2月29日うるう年記念に、冗談、関係ないで~す、ははは、
グループで出かけて来たヴィチェンツァ・Vicenza.

この街は16世紀の建築設計家アンドレーア・パッラーディオ・
Andrea Palladioの街として知られ、ユネスコの世界遺産にも指定され、
この日は午前中、パッラーディオが最初に手掛けたヴィッラとして知られる
ヴィッラ・ゴーディ・マリンヴェルニ・Villa Godi Malinverniを見学、

午後は街の中心に移り、パッラーディオが手掛けたテアトロ・オリンピコ・
Teatro Olimpicoを最初に見学した後、
バジリカ・Basilicaから始まる数々の邸宅の並ぶ通り、博物館と回った、
まさにパッラーディオ三昧とでも言う一日でしたが、

それぞれのご案内は、いつもの様にぼちぼちさせて頂く予定で、今日はまず
テアトロ・オリンピコをご覧下さいませ。

マッテオッティ広場に面した劇場の入り口と、

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門の下に見える、劇場の名。

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門の外からもこうして中の建物の様子が分かり、前庭にも入れるのですが、
実際に劇場の中を見たのは、今回が初めてで・・!

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但し、この右側の建物は現在は関係が無いようで、建物裏が借景というか・・。
そして肝心の劇場はどこにあるかと言うと、左側にほんのちょっと角が見える建物、
あの奥にあるのですね。

実は見学に入り口をはいった後、自分がどう歩いたかを考えてみると、
どうもこの見える建物では無かった、 ではどこにあったの?! 
と例により追跡調査! 左側だった筈、とグーグルの人工衛星からの眺めで、
確かにこの左奥にあるのを確かめました、です。
       


で、この前庭がまた、ああた、雰囲気のある素晴らしい前庭でして、
壁フェチshinkai は、涎の垂れる想いで眺め・・、

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それもその筈、パッラーディオの劇場として知られますが、彼の時代16世紀に
新しく建てられたのではなく、中世の城跡、どうやら監獄や弾薬庫に使われた後
放棄されていた、その内に残っていた劇場跡を使ったものなのですね。


こちらが入り口。 1580年となっておりますが、これはパッラーディオの設計により
建設が始まった年で、この同じ年の8月19日に彼は72歳の生涯を閉じており、
この劇場設計が彼の最後の作品となった訳です。

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こちらはガイドブックからで、いわゆる劇場ロビー、この右手に劇場入り口があり、
現在この部屋には売店があり、奥に見える部屋が、第一のロビーとでも。

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壁上部に騙し絵に囲まれた枠が見えますね。 この並びの、左に見える壁の
向い側の手前に、ややこしいですが!
天正の4少年がこの劇場を訪れた様子を描いたフレスコ画があり、最後にご覧を。



これが劇場に入った時、最初に見える舞台の様子。

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高校の美術教科書でお目にかかって驚嘆した以来の初のお目見え! 
やはり感激でしたぁ。



正面全部はレンズに入りきりませんので、こちらはガイドブックから。

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こちらが劇場の平面図で、下側が観客席、上が舞台側。

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赤の部分が既にあった壁で、黄色の部分がパッラーディオの設計した部分。
青が、パッラーディオ亡きあとを引き受けたヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
Vincenzo Scamozziの作。

スカモッツィはパッラーディオより40年後の生まれで、パッラーディオの没後、
当時一番の有名実力設計家で、その後を引き受けた訳ですが、

この劇場の一番の見所というか、圧倒的な迫力である中央と、左右斜めに
入り込む騙し絵的遠近感の道、
これはパッラーディオは単に騙し絵を利用する事を考えていた様で、
正面図が残っていただけだった様子。

それをスカモッツィが立体にし、後でご覧頂く照明具で照らし出したという事で、
パッラーディオの意図を明確に、一歩進んで表現した功労者と。

スカモッツィは、マントヴァに近いサッビオネータ・Sabbioneta、
ヴェスパジアーノ・Vespasiano Gonzaga Colonnaが自分の夢をかけて
理想の街づくりを目指した、サッビオネータの劇場をこれ以降に手がけており、

当時にあって常設の屋内劇場としては、このテアトロ・オリンピコと、
サッビオネータのテアトロ・アンティーコ、そしてパルマのファルネーゼ家の城内の劇場、
この3つが挙げられるそうですが、

テアトロ・オリンピコはそれ以前には存在しなかった、夢の、常設の屋内劇場の
初めての実現という事になります。

n.1 サッビオネータ  ルネッサンス期の理想の町、世界遺産登録
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464880831.html

n.2 サッビオネータ  ルネッサンス期の理想の町、世界遺産登録
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464881437.html

パルマ行き  総集、予告編      
http://www.italiashiho.site/archives/201809-1.html

パルマからご挨拶 ・ Saluti da Parma
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461919104.html



観客席はこんな木の椅子席で、これについては、後に少し詳しくご説明を。

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席につくと、劇場の雰囲気を味わう為にと、当時の音楽と、照明によるショウが
行われ、素晴らしかった!
音楽が無いのが残念ですが、皆さま方にもちょっぴり!!



スポットライトを使い、色も鮮やかで当時とは違うでしょうが、
それでもやはり、素晴らしい劇場で味わう至福の一時!

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灯りがつき、素晴らしく優秀なガイドさんが説明してくれる間、
shinkaiめは、シャッター音を落とし写真撮りに余念なく・・!
       
舞台正面左側、

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中央、

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右側、

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平土間席、ここは本来は無かったのかも、と、観客席と背後の様子。

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ここから2枚はガイドブックからで、舞台上の彫像写真をどうぞ。

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お分かりになり難いかと思うのですが、パッラーディオ設計のこの劇場は、
階段席に見えた様に、全て煉瓦と木材で、彫像なども石膏、
時に壁には石膏ボードも使われているという・・。

つまり大理石をまるで使っていないというその徹底した凄さに驚きますが、
有難い事に奇跡的に火事からも戦中の爆撃からも逃れ、現在まで生き残り、
元のままの姿にお目にかかれるわけです。



観客席背後の様子、

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彫像類、

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天井画、ほんのり薔薇色の雲の図、と彫像、

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右下に見える扉が劇場への入り口で、階段席一段ずつがかなり高いのですね。
これはローマ期の野外劇場でもいつも感じさせられる事で、
コンパスの長さをいつも実感させられますです、はい。 劇場の席数は約400席。

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アッカデーミア・オリンピカ・L’Accdademia Olimpicaという、
ヴィチェンツァの人文学者たちが集い、劇場開設が祝されたのは1585年3月。
この会には生前パッラーディオ自身も参加していたそうですが、
最初は暫定的な劇場のつもりだった様子。

材料に用いた煉瓦と木材と石膏などはそれで説明もつきますが、
それ以上に、加工が簡単、材料費が大幅に削減できる、というので、
パッラーディオ自身が施工主に勧め、使用、建設したのだそう。

またご案内をと思っておりますが、街中に残る彼設計の建物など、見た目は
如何にも重厚ですが、表面に塗った大理石粉を使った一種の石膏が剥げ、
中の煉瓦が覗いている部分もあったりで・・。
       
ヴェネト中に広がり残る彼の建築物の多さ、注文の多さも、案外建設費の安さも
一因だったか、と考えたりした事でした。

ヴィッラ・フォスカリ、または、マルコンテンタ


こちらは、サイトで見つけた写真で、劇場オープンの際に用いられ、舞台上の
遠近感溢れる町の通りを照らしたという、スカモッツィ考案のガラス製ランプ。

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これは左側の小路で、

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こちらが中央。 一番奥に見えるアーチの高さ、一体どの位と思われますか?
今、劇場の係の女性が実際に歩いて見せてくれる所で、
ほら、今はそれなりに高いでしょう?

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かなりの傾斜の上り坂で、力を込め、踏みしめて歩いて行き・・、

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ほら、ちょうど女性の背の高さ! この奥行きは12mあるそうですが、
目に感じる遠くは、まさに幻想なので・・!

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この女性にはロビーで、日本の4少年のフレスコはどこに?
とすぐにお聞きしたので、背の高さも覚えておりますが、
大体1m60cmちょっと+ブーツの踵で、ご想像下さい。

そうそう、この遠近の舞台に使われた背景は、ヴィチェンツァの街のテーベ、
7つの小路という設定で、
舞台上に3つ、脇に2つ、階段席上部に開口部が2つで7つ。
       
階段席上部の開口部が舞台の音響効果をも良くしているそうで、
ガイドさんのお話では、
かって仏の美男俳優ジェラール・フィリップが、懐かしい名!朗誦した事があり、
済んだ後、彼は舞台後部に向き直り、舞台に対し敬意を表したそう!
       


こちらが劇場入り口ロビー、上でガイドブックの写真を見て頂きましたが、
あの写真は修復前だったのか、今は上の段の白黒のフレスコ画が良く見え、
左手に続く列のこちら手前に、

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天正の4少年がこの劇場を訪れた様子が描かれています。
多分舞台上で話している一人、伊藤マンショ、であろうと、
前列右の2人目からの3人が彼らと思われますが、彼らの訪問は1585年の事。

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ちょうど春に劇場がオープンした年で、さぞや自慢の劇場で、各地で東洋の
貴公子並みの大歓迎を受けた彼らにも、是非どうぞ、とお見せしたいとの
お声がかかったのでしょう。

こうして今もこちらに残る、栄光溢れる彼らの姿に比し、
祖国日本で彼らを待っていた未来は、なんとも惨い物でした。

ヴァティカン訪問 ・ 天正4少年使節のご縁により
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462596727.html
 
n.2 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090033.html



という、ヴィチェンツァの街の宝の一つ、テアトロ・オリンピコのご案内でした。

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保存の為に冷房も暖房も入れず、席数も少ないので、春と秋に音楽会と
古典劇が行われるのみだそうですが、まだこうして劇場が使われております。

ヴェネツィアにお出かけの時は、ちょっと足を延ばしてヴィチェンツァにも、
パッラーディオの遺した街並みと劇場を、ご覧にどうぞ! 
    
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