・ ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ 

ヴェネツィアとパドヴァを結ぶ、ブレンタ川水路の両脇に点在する
かってのヴェネツィア貴族の別荘・ヴィッラは、70以上あるそうで、
初夏のブルキエッロでの周遊では3つ訪れましたが、

最初に訪問したヴィッラ・フォスカリ・Villa Foscari、
通称ラ・マルコンテンタ・La Malcontentaと呼ばれる美しい館が
大きく印象に残りました。

という事で、世界遺産に指定の、アントーニオ・パッラーディオ設計になる
洗練され美しいヴェネツィア貴族の館にご案内致しますね。

本当は内部写真禁止だったのですが、・・何枚か、はは、
そしてサイトで壁画も見つけましたので、それをどうぞ。

写真は先回最後にもご覧頂いた、ヴィッラの入り口部分。

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位置の確認に。

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入り口の写真に見えた標札。
5月1日から10月30日までの火曜と土曜に開館、 
9時から12時まで。 入場料10エウロと別の札に。

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水路からの入り口柵を抜けますと、広大な庭園が広がり、
大樹が庭を囲む様子が見え、

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右手にこんな風に四角い館が見え始め、

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大樹が続く馬車道、散歩道が、左手に広がる庭の奥に、

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入り口は建物脇を通って水路側の正面に。
下から眺める入り口前廊部分は、石段が続く高い場所にあり、
円柱の列を下から眺めると、かなり威圧的というか厳めしく。 

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正面全体はこんな様子で、両側に入り口に続く階段があります。

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つまり客人が到着した場合、迎える主人は上部入り口前で待ち、
訪問客は下から上がっていく訳で、これは客人と主人との力関係にも因り
異なる物と思われますが、この時点で、演出効果満点という感じですね。

このヴィッラは1559年、ヴェネツィア貴族の家系でも有数のフォスカリ家・
Foscariのアルヴィーゼ・Alviseとニコロ・Nicolò兄弟により、
パッラーディオ設計で建設。
      
当時大人気だったというアントーニオ・パッラーディオ・Antonio Palladioですが、
このブレンタ川流域に於けるヴィッラでは唯一彼の設計になる物だそうで、
しかもこの高い基盤を持つ前部、古代神殿をも想像させる荘厳さは、
彼の作品中でもやはり少し特異なものと。

ですがこの水路に面した、とりわけマルコンテンタと呼ばれる地名の由来、
上手く治められていない、でもある、何度ものブレンタ川の氾濫に遭っている
土地柄の、湿気を避けるためにも有用で、
自然の中に美しくとけこみつつも存在を主張する、とでも。

おまけにこの館の素材は、全館煉瓦作りというお手軽なお安い素材で、
その上に漆喰を塗り、色を付け石組みに見せかけているのだそうで、
前部に並ぶ円柱も煉瓦製、ただし柱頭などは細工がしやすい事から石を使用と。
       
パッラーディオの作品としてもひとつ有名なヴェネツィア貴族の館、
ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html

入り口階段が高い事の、客人へのちょっとした儀式感覚について上記しましたが、
この手の演出で、これは凄かったろう、と思ったお城の階段は
2000年の歴史 ・ カステル・ブランド・Castel Brando
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784366.html



という事で、我々は嬉々として階段を上がりますが、
なに、皆で上がれば気遅れもせず怖くない、というやつで、ははは。
       
こちらは入り口の扉を入った所からの内部の眺め。 写真はサイトから。

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写真での正面が裏の広大な庭に面し、1階からの3連の窓の上部が、
中央のこの部屋の天井のアーチに続きます。

全館の壁はこの様にフレスコ画で装飾されていて、モチーフは神話からで、
パリのフォンテンブローのお城のモチーフによく似ているのだそう。
というのも、フランス宮廷に長く出入りしていたフォスカリ家の友人がヒントをね。



こちらも同じくサイトからですが、脇にある部屋のどこかのフレスコ画と。
というのも、すみまへん、これは覚えていないので・・。

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館の平面図をどうぞ。
ヴェネツィアの館の伝統に従い、大運河側が正面玄関なのと同様、
このヴィッラ・フォスカリも、ブレンタの水路に向いてが正面で、

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上の写真で見て頂いた様に中央に大広間、両脇に部屋がある形で、
寝室は4つだったと。



中央大広間の奥の部分、裏庭に面して。特別に豪奢というのではないですが、
なんとも洒落た落ち着いた佇まいを醸しだし・・。

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この館も、ヴェネツィア共和国崩壊の歴史に伴い、1800年頃が一番の
衰退の憂き目にあい、一旦フォスカリ家の手を離れますが、
ブラジル人の所有者が壁画の修復をしたり、水路に面してあった壁を
除けたり等などの改修をし、つまり上手く保存してくれた様子。

1973年にふたたび現フォスカリ家の手に戻り、
1994年にユネスコの世界遺産登録という次第だそう。

ご覧の様に窓際に燭台が見えますが、現在も、一切の電気照明を使わずに
保持との事で、当時の、窓からと蝋燭による柔らかい光のみで、
かってのままの館の美しい姿を偲べる、という訳ですね。


ヴェネツィアのカ・ドーロの修復に情熱をかけたジョルジョ・フランケッティと
その成果については
n.1 カ・ドーロ ・ ヴェネツィアの館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html

n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ・ドーロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html



その東隣の小部屋。 小卓や収納箱など、虫食いや傷みも見えますが・・、

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窓から眺めおろす広い庭園。 奥の空間を邪魔する何物もないこの広い庭。
これだけで現在でも充分に心が休まりますが、

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ヴェネツィアの夏の狭い暑苦しさから逃れてきた者には、素晴らしい空間の
贈り物であった事でしょう。

ブレンタ川の流域に関わらず、ヴェネトの各地には様々なヴェネツィア貴族の
ヴィッラが点在している訳ですが、
元々はアドリア海から地中海を交易範囲とし、オリエントとヨーロッパを結ぶ
貿易収益から発展したヴェネツィア共和国、
       
1345年4月ヴェネツィア政府の大評議会委員が、ヴェネツィア市民が本土の
土地購入を禁止する法律を廃止し、これによって貴族が農地を買い
内陸に進入し始め、大きな利益を上げると共に、その管理、夏の避暑用にと
ブレンタ川流域、そしてヴェネト平野一帯にヴィッラの建設が行われるように。

このヴィッラ・フォスカリはまさにラグーナを越えた所、ブレンタ川を溯り始めた
すぐの場所で大変便利、という訳なのでした。

フォスカリ家は古くからのヴェネツィアの貴族の家系で、エーゲ海辺りの植民地と
優秀な交易商人として富をなし、
1423~1457年に第65代ヴェネツィア総督を務めたフランチェスコが大変有名ですが、
息子の失態とが重なった悲劇的な最後を迎え、

その後このフォスカリ家は政治的に一線に出る事はなく、このヴィッラの建設により
名前が挙がる、という様子です。
       
フォスカリ家の悲劇 n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html
     


もひとつ東の部屋に行くと、このフレスコ画装飾。

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天井部と、

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こちらの細部は、サイトから。

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続く部屋、つまり平面図の左側を辿っている事になりますが、
暖炉があり、壁の騙し絵の柱と空間がちょっと見えますが、

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こんな様子。 小卓に置かれたこれは芍薬? 
薄暗い部屋の中のピンクの生花というのは、萎れ加減ながら艶めかしく。

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寝室。 ベッドを見たのは、確かこの部屋だけだったと思うのですが、
刺繍布で覆われたヘッド・ボードというのは初めて見ましたが、素敵ですねぇ。

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ストゥラのヴィッラ・ピサーニは、部屋数が100を超え、ナポレオンの寝室なども
ありましたが、豪華ではあってもシックさは感じられず、
このこじんまりとしたヴィッラが如何にも粋な気配がし・・。

トリエステの手前のドゥイーノのお城も見て頂きましたが、
たくさんのコレクションもあり、装飾されてはいるものの、いかにもドイツ的な
気配が濃厚で、素朴でその癖少し重く、
それに引き換えこちらは如何にも洒落たシックさというか、違いを大いに感じました。

ドゥイーノのお城 ・ トリエステの海に臨み 



そしてこの女性の壁画が、様々な伝説的なと思える、かといってまったく嘘とも
言い切れない様な、ヴィッラの通称ラ・マルコンテンタ・不満足な女性、
の姿と言われる壁画。

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つまりこの女性はヴェネツィアで不義を働き、夫にこの屋敷に謹慎させられた、
という女性で、放埓な自由が欲しいのに屋敷に閉じ込められた不満足な女性、
という訳で、

当てはまる女性としては、この館を建設したフォスカリ家のニコロの妻である
エリザべッタ・ドルフィン・Elisabetta Dolfin、
ピサーニ家のXXの未亡人であり、1555年にニコロと結婚したという、
このエリザべッタの名はあちこちに見つかるのですが、

も一人、今どこかに紛れて見つかりませんが、アルヴィーゼの妻だったという
エリザべッタ・ロレダン(だったと)という、2人の妻の名が挙げられ・・!

伝説としては、だれも食物を運ばないのに何十年も生きたとか、
何度も逃げ出そうと試みたものの上手く行かず自殺も図るとか、様々な説があり、
が、もし本当であれば、こんな客人の部屋の壁に描かれる訳がなく、
たとえ不義を働き監禁されたとしても、短い期間だったのではないか、

たまたまの貴族女性像のだまし絵に、土地の名が上手く重なり、嬉しい伝説と
なったのではないかと、shinkaiは愚考致しますです。



という所で館の中はお終いで、入り口階段の上から見る水路の様子、

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庭に下り、許される時間内をあちこち見て回り、咲いていた時計草、

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屋敷から離れてある棟と、その前に咲く、フランチェスコの百合と呼んだと・・。

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庭を通るもう1本の馬車、散歩道。

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鉢植えのミカンの花だったと・・。

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館の煙突、

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窓辺に置かれた壺、ですが、

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建物は煉瓦作りで漆喰を塗り、大理石風に色を付けている、という説明の、
窓の下の、石の辺りを気を付けてご覧になると、煉瓦が重なっているのが見え。



という様子で見物を終え、ブルキエッロに戻ります。

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再びゆっくりと動き出す船。 水路に咲いていたコウホネが揺れ・・。

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ブルキエッロの2階の高さから見るヴィッラ・フォスカリ、
通称ラ・マルコンテンタが、木の間隠れに遠ざかって行きます。

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