・ n.1 ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると

今日のご案内は、ご覧の様にブルキエッロ・Burchielloと呼ぶ船に乗り、
ヴェネツィアからブレンタ川を溯り、水路の両脇に点在する
かってのヴェネツィア貴族のヴィッラ・別荘を見物するというもの。

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6月初旬友人が来た折にかねてよりの念願かない参加しましたので、
今日明日とブルキエッロでの遊覧をご覧下さいね。

途中の大変眺めの良いミーラ・Miraからドーロ・Dolo辺りは、道がすぐ水路脇を
通るので、居並ぶヴィッラも眺められますし、
5月にパオロが車であちこちの別荘を見に車で回ってくれた際に、
現在のブルキエッロの一応の終点ストゥラ・Straにある、
素晴らしい植木の迷路をもつヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisaniをゆっくりと観覧し、

こちらで既にご案内を。

イタリアで一番素晴らしい植木の迷路 ・ ラビリントを
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389643.html
      
美味しく食べる・・より良く生きるために 
       
ブレンタ川沿いに ・ お休みのご報告と予告を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389459.html 
       
今回大変残念だったのは、生憎のお天気で小雨がぱらついていたのが、
お昼を食べる頃から本格的な降りとなり、おまけにミーラだったと思うのですが、
水門が故障で通れず代替えのバス運行となり、
一番肝心の良い眺めを船から眺められなかった事。

とはいえ、ヴェネツィアから西、パドヴァ側の本土に船で渡り、かっての大通商路で
あった水路をゆるゆると、緑滴る水路の眺めは、大変に素晴らしかった!

という事で、ブルキエッロからの眺めをたっぷりと、
写真が絞り切れずに多くなりましたが、どうぞお楽しみ下さい!

この水路の観光船の運航をしているのはたくさんありますが、
今回利用したのはこちらのもの。 http://www.ilburchiello.it/
       

朝の9時にヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸、アントニオ・ヴィヴァルディに
所縁のあるデッラ・ピエタ教会前の船着き場で待っていますと、
こんな洒落た船が寄って来まして、 

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内部はこんな風で、余り客もおらず、20人足らずだったと、ゆったりと。

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上の席に上がると、こんな風にデッラ・ピエタ教会が見え、

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この時の我らの宿は、教会の右の小路を奥に入った所、ピエタ教会が運営の
宿でしたので、大変便利でした。
住んでいるのがヴェネツィアから1時間の町とはいえ、朝の9時にここに来るには
かなり早起きしませんとね。
そうそう、あの宿のご案内もまだだったと宿題を思い出しました。

男性ソプラノ歌手による、・ ピエタ教会のコンサート
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110611-1.html

ヴェネツィア ・ センサのお祭りの日
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741436.html



サン・マルコの鐘楼、そしてドゥカーレ宮はこういう角度。

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対岸サン・ジョルジョ・San Giorgioの教会と鐘楼。

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂・S.M della Salute.

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こちらはガイドのパオラ。 この時はイタリア語でのガイドしたが、
フランス人観光客とはフランス語で、アメリカ人とは英語で喋っておりました。
世の中には、こういう人が結構おられるのですよねぇ!

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さて、ゆっくりと船着き場を離れ、こうしてサン・マルコの前を通りぬけ、
       
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観光客も傘をさしているのが見えますが、

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デッラ・サルーテ・聖堂の先、ドガーナの前をジュウデッカ・Giudecca運河の
方に入り込み・・、

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この夏何度もCMを見たジェラートのメーカー、♪サン、サン、サン、モンターナ♪
の運搬船が行きます。



ドガーナ・Doganaの上の風見の女神の角度が、珍しくちょうどこちら向きで、
皆さんにも、アップでどうぞ!

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この辺りで振り返ると、サン・ジョルジョが真正面に。 お天気が残念。

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ヴェネツィア ・ サン・ジョルジョ・マッジョーレ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461429525.html
       


こうして、デッラ・サルーテ聖堂の後ろ側を通り、

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ジェズアーティ(イエズス)教会・Gesuatiが右に見え、

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デッラ・サルーテ聖堂のティツィアーノの祭壇画は有名ですが、
ジェズアーティ教会のティエポロ・G.Tiepoloの天井画と祭壇右にある
作品も素晴らしい物。



進行方向に向かい運河の左にはジュウデッカ島が続きますが、
既にこの位置からだと、夏のレデントーレのお祭りにデッラ・サルーテ聖堂裏から
架かる長い平橋で有名な、レデントーレ教会・Redentoreも通り過ぎ。

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レデントーレのお祭り ・ ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461640965.html
       


右手のザッテレ河岸・Zattere、サン・トゥロヴァーゾ教会・S.Trovasoと鐘楼。
そして橋に隠れ手前に見える古い平屋が、現在残る数少ないゴンドラ製造所・
Squeroの一つ。

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ザッテレ河岸は文字通りザッテレ・筏の意味で、かってはヴェネトの奥で刈った木を
筏に組み川を流し、ここまで運んできた事に由来しますが、
このゴンドラ製作、修理所についても興味深い事を知りましたので、
また改めてご案内致しますね。



ザッテレ河岸は長く1kほどもあり、幅広く、陽の光を浴びながらの冬から春、
そして秋の散歩が心地良い場所。

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今回はこのお天気で、色が少し寂しいですが、このピンクと水色の地に金文字の
ADRIATICA・船の運航会社かな、が光るのを見るのは、なかなか楽しい物。

すぐ近くに16世紀からの元病院インクラービレ・Incrabileがあり、
長い修復を経て現在はヴェネツィアの美術アッカデミーとして展示会場に
充てられているとの事ですが、
    
このインクラービレ・不治の病という言葉から、ずっと肺病患者の姿を思い浮かべて
いたのですが、今回なんとなしに調べ、
なんと17世紀当時に不治の病という言葉が指すのは、梅毒だった事を知りました。
ヴェネツィアの様に洋の東西が交流する港町では、幾ら外国人との接触を禁じても、
多かったのかも!ですねぇ。



左手の、ムリーノ・ストゥッキ改装の大ヒルトン・ホテル、

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その先は、ジュウデッカ島の最後の部分とを繋ぐ橋があり、
ええ、ジュウデッカ島と一口に言ってますが、8つの小さな島が繋がっているそうで。

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こうしてヴェネツィア本島から離れ、

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西に向かい、フジーナ運河・Canale di Fusinaと呼ばれる部分を進みます。

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右手に大型クルーズ船の発着場辺りも見え、左手に低く細く、本土への橋が
延びているのですが、写真で見えるかな?

ええ、運河というか、干潟の中の深い部分を辿ります。
見える杭がその航路を示し、本島を外れると、かなりジグザグの航行に。
      


杭の上から何かを狙うカモメ君がいたり、

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こんな風に、我々の船の後をたくさんのカモメたちが飛び交ったり、
・・漁船じゃないんだってばぁ!

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こんな近くまで飛んでくるのですよ。 陸で歩くのを見るとよちよちですが、
飛ぶ姿を見ると、きれいに脚を揃えていますねぇ!

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マルコ・ポーロ空港への着陸態勢に入った飛行機、
アリタリアの飛行機って、こんなに長かったっけ?!

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こうしてヴェネツィア本島から、西の本土側フジーナに到着。

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ここにはヴァポレットの船着き場があり、そうか、ここからもヴェネツィアに
渡って行くのよね、と当たり前の事ながら、ちょっと目から鱗の感。
職場に学校に、日常的に往き来の人々の利用が多い事でしょう。



ここからがブレンタ川の水路を行く航路の始まり。

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地図をどうぞ。
ヴェネツィア本土の赤点をつけた辺りから出発し、南に細長く続くジュウデッカ島
との間を抜け、南西のFusina・フジーナまで来た所。

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ここから水路を辿り、まずVilla Foscari - Malcontenta・
ヴィッラ・フォスカリ・マルコンテンタを見物、
その前に水路に印のあるのが水門の位置で、ヴィッラ・フォスカリに行く前に通過。

で、お昼を食べ、降り出した雨の中、次に見たのがVilla Widmann・
ヴィッラ・ウィッドマンだったと思うのですがぁ、
ここも写真を撮らせませんし、サイトでも上手く見つけられず・・。

お昼に少し飲んだワインのせいもあったのか、はたまた大嫌いな雨の日の行動
という事もあり、この日の私めの記憶はお昼ご飯で止まっております、はい。

この記事を書く為に、別のブレンタ運行船のサイトを見ていて、
普通はヴェネツィア~ストゥラ間の運行が、朝パドヴァの古い船着き場を出発、
見物しながら夕方ヴェネツィア着というコース、
又はヴィッラ・フォスカリ前で集合しパドヴァまで、というコースもあるのを発見。
http://www.burchiello.org/it/burchiellidelbrenta.htm#

元々パドヴァ・ヴェネツィア間の、人間と物流交流の為に開かれ利用されてきた
水路運河なのですから、パドヴァまで行くのが伝統に従ってという訳で・・、
よっしゃ、次は良い季節に、再度の長旅挑戦を!

例の如く変な結末の展開になり、すんまへん、フジーナからストゥラ迄は27,4k程、
ブレンタ川の自然の小さな枝分かれした流れで、大きな流れの方は、
何世紀間にも渡る治水工事で運河が造られ、キオッジャの南で直接に
アドリア海に注ぎこむ様に。

この治水工事の為に、ヴェネツィア共和国は何度かこの種の技師、専門家の
レオナルド・ダ・ヴィンチに意見を求めた、という記述に出会い、
ポー河の干拓地の水門で出会った「ヴィンチ式水門」という言葉も思い出し。

デルタ・デル・ポー ・ ポー河が海に出会う所
       


       
ゆっくりと水路の中を進み始め、船の修理工場があったりもし、

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じきにこんな長閑な水路となり、停泊するボートが並ぶ様に。

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これは青鷺? かなり大きく、

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そして、最初のモランザーニの水門・conca di Moranzaniが見えて来ます。

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という所で、また明日の続きに。 よろしくお願いいたしま~す!

昔むかし子供の頃紙芝居を見に行くと、続きはまた明日ね、という言葉が
お決まりでしたが、
あの紙芝居の小父ちゃんの売っていたお煎餅、何かを塗って、ぺチャッと2枚
ひっ付けてくれるお煎餅、一度食べたかったのに、うちのお母ちゃんはお金を・・、

・・何で、ブレンタの船遊びから、紙芝居の恨みのお煎餅に繋がるんだろ?!

◆*◆

先回、ウィキペディア・イタリア語版が消えた事を書きましたが、
幸い、昨夕からまた見れるようになりました、バンザ~イ!!
まだ正式に決まった訳ではないようですが、3日間消えた事で、改めて
その存在の大きさをアピールした結果となった様子。
       
いつも無料で使わせて貰っているので、次回のチャンスには、少しでも献金を、
と思った事でした。
お騒がせ致しましたが、ホッとしています、 有難うございました!
            
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