・ ちょっぴり歴史に名が残る、 我が町コネリアーノの様子を

昨日土曜にこちらイタリアでの初個展が無事済み、今日日曜はごそごそと、
ブログ再開の下準備に取り掛かり、お洗濯をし、のんびりゆっくり始動開始を。
で、個展の総括は最後に書かせて頂くとして、

ブログ再開の第1回は、我が町コネリアーノ・Coneglianoの話題を。
ヴェネト平野の北、人口3万5千人程のまぁ穏やかな町ですが、

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以前からご紹介したかった2つの話題、ちょっぴり歴史に顔を出し名が残る、
という2つを纏めてで、
       
一つはフランス王アンリ3世に関するもの、もひとつはキプロス王ジョヴァンニ2世と、
その妃カテリーナ・コルナーロに関するものです。
事件があった訳ではないのですが、まぁ、以前から興味を引かれ
調べたりしたので、どうぞ見て、読んでやって下さいね。

上は、町の中心部の西端にあるカヴァッリーノの門・La porta del Cavallino
と呼ばれる場所のロータリーで、正面に見える建物の壁に描かれた絵が、
本日の第一話。

3年程前になるでしょうか、アクリルで描かれており、まぁ、絵そのものは・・ですが、
興味を引かれたのはその主人公と日付でした。



コネリアーノの町の地図をどうぞ。 地図はいわば町の中心にもあたり、
真ん中に見える電車の印に鉄道駅があり、赤い印1に上の写真の建物が。

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2の印がキプロス王の家のある位置で、その左にある丸い小さな印が
今回の個展会場の場所で、上向きの矢印がスコミーゴ村への道。

蛇足ながら、右下に打った小さな赤マルの位置にホテル・チッタ・ディ・コネリアーノが
あり、ここはお値段も50エウロ程で、場所もまぁ便利でお勧めです。



カヴァッリーノの門のある位置は数年前再開発され、この宣伝の様な大きな住居と
事務所に生まれ変わったのですが、向こうの丘の上にはコネリアーノのお城も見える、
という位置にあります。

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先程のアクリル画ですが、その主たる場面はこんな感じで、
左にフランス国王アンリ3世がコネリアーノを訪問した姿で、右に町の鍵を持った
代表がお迎えしている、という図。

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実はこのアクリル画が出来上がった時に除幕式があり、地図でご覧の様に
ロータリーを中心に道が5本交差する位置。
集った人々が道にはみ出し、車がかなり停滞をし、私も止められた記憶がありますが、
絵の主題は考えなかったのですね。

所がブレンタ川の船行きをブログに載せた時、あれこれ読んでいる内に
フランス王アンリ3世がヴェネツィアに行くのにブレンタを船で行った、
という記述を読み、へぇ~と思い、それを友人のエレオノーラに話した所、
あそこの壁画にアンリ3世がコネリアーノに来た場面を描いているよ、と。

早速見に行き、それをルチーアに話しましたら、あれはヴェネツィアに行く時に
通ったのよ、といとも明快に。

ヴェネツィアに行く時にコネリアーノを通ったのか、
それともブレンタを通りヴェネツィアに行き、そしてコネリアーノから戻ったのか、と
こうなるといささか執拗に、ははは、調べ始めたshinkaiです。



実はこの絵の下に字が描かれておりまして、少し見え難いですが、
IL RE ENRICO III ARRIVA A CONEGLIANO IL 14 LUGLIO 1574
LA CITTA` LO ACCOGLIE IN FESTA
アンリ3世王はコネリアーノに1574年7月14日に到着した
町は彼をお祭りでお迎えした と。
       
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所で、フランス国王アンリ3世(1551 - 1589)と言っておりますが、
実際まだこの時点ではフランス王ではなく、未来のフランス王アンリ3世で、
この時はまだポーランド王でありました。

と読み出したら、これがまた大変可笑しい、ひひひ、と笑えるほどの
お話が詰まっておりましたので、皆さんにもゴシップ並みの話題をね。

アンリ3世のお顔をどうぞ。

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彼は1551年9月にフランス国王アンリ2世の3男として出生、
母はイタリアからお輿入れのカテリーナ・デ・メディチ。
夫婦仲はあまり芳しくなく、夫には結婚前からの有名な愛人がいたそうで、
このアンリは母親から「私の目」と呼ばれ溺愛されて育ったのだそう。

父国王アンリ2世が馬上槍試合で右目を貫かれたのが原因で死亡、
長兄フランソワ2世が王位を継ぐものの16歳の若さで死亡。
次兄シャルル9世が継承しますが彼は病弱、兄弟仲は当然良くないですね。

ですがポーランド王が死亡後、議会が新国王を選挙で選ぶ事になり、
彼も立候補し、前国王の妹で次期の国王妃とみなされていたアンナが彼を支持、
こうして1573年5月にポーランド国王に被選出。

兄の病状が進むのを見てポーランドに行く事を躊躇いつつも、
迎えに来られ送られ、遂に10月574年2月に戴冠式を。
ポーランド貴族との関係も上手くいかず、28歳年上!のアンナとの結婚にも
踏み切れず、国王としては上手い滑り出しとはいえなかった様子ですが、

遂に5月30日に兄王逝去、の知らせが母親カトリーヌから6月17日に届き、
帰国を促します。 で、アンリは6月18日深夜に側近数人を伴い、
ポーランド国王冠のダイヤモンドを盗み出し、王宮から逃亡、ははは。

つまり国王が国を捨て逃げ出した、という驚愕的事件だった訳ですが、
オーストリアとの国境を越えると、これはもう未来のフランス王ですから、
ウィーンで皇帝の歓迎を受けた後、ヴェネツィア共和国に入り、
7月14日にコネリアーノに、という次第なのでした。

ヴェネツィアに到着は18日という事ですから、きっとトゥレヴィーゾでも
町を挙げての大歓迎だったに違いなく、ゆるゆると進んだ様子。

ヴェネツィア共和国当時のドージェは85代アルヴィーゼ・モチェニーゴ・
Alvise Mocenigoで、アンリは大歓迎を受けます。
同年5月11日にはドゥカーレ宮が火事になったり、それ以前にはトルコとの屈辱的な
協定もあった時期だったのですが、

10万スク―ディを利子なしで借り出したり、1125スク―ディを費やし香水を買い、
当時フランスではまだ使われていなかった4本に分かれたフォークを使ったり、
歌人で高級娼婦でもあるヴェローニカ・フランコ・Veronica Francoも
賓客のおもてなしに参上!

彼の魅力、洗練された上品な物腰は、彼の行く先々で大きな熱狂を
引き起こしたようですが、
       
ヴェネツィア共和国側のもてなし、ヴェローニカとの様子はpescecrudoさんが
こちらに詳細に書いておられますので是非!
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-176.html

長い間あれこれ興味を持って考えた彼の行程だったのですが、
pescecrudoさんがヴェネツィアでの日々を書いて下さっていて、
あっけなく解決したのでした、有難うございました!

アンリ3世はヴェネツィアからブレンタを船で行き、フランスに戻ったのですね。
実際ポーランドからの道を考えると、こちらの方が断然真っ当な行路ですよね。

王位についていた期間は、カトリックとプロテスタントの抗争で次々と問題が起こり、
彼も結局それで暗殺されたのですが、
こういうのをあれこれ読みだすと、本当に嵌りますです!

ブレンタ川の船行きについては 
ブルキエッロ ・ ブレンタ川を、船でゆるゆると その1と2 
       
ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ 
      


さて、2つめの話題はこれ、キプロス王の家・Casa del re di Cipro.

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マドンナ通りの北側を占める家並はこうなっておりますが、
この手前から2つ目の大きな3連のゴシック風アーチの家がそれなのです。

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実はこの通りは平日大変な交通量ですが、これは日曜に撮ったので良く見えます。

ここの空間は不思議な建物の並びで、つまり、このキプロス王の建物と呼ばれる
15世紀の建物の前すぐを現在は道が通っているのですが、
この一群の建物の東側は道だけが通り抜けれる広さで、かっては多分門があり、
中が内庭風に建物に囲まれ、また西側にも多分門があり、川に迫っていたのだろう、
と想像出来る場所なのですね。

長い年月の内に並んだ建物が併設され、門が無くなり道が突き抜けたのだろうと、
コネリアーノに住み始めた当初から、不思議な一郭とは思っていたのです。

この道をバスが通りますから、古い不思議な建物をいつも見つめ、壁に殆ど
消えかかったフレスコ画が残っているのを眺めては、摩訶不思議なイメージを
見つめていましたが、偶然に「キプロス王の家」と呼ばれる事を知り大いに驚きました。

なぜって、キプロス王というのは、ヴェネツィア共和国の養女として嫁いだ、
カテリーナ・コルナーロ・Caterina Cornaroの夫を指しますし、
なぜその家がコネリアーノに?!



3階には3連の美しいヴェネツィア風窓があり、

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1473年と刻まれた、天使が盾を持つ形の古い家紋があり、
この家紋はキプロス王家の家紋とは違うのですが、

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うっすらと、かっては全面にフレスコ画が施されていたことが窺えます。

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この動物の姿も何度もバスの窓から見つめ、虎かな、何かなと想像していましたが、
牛なんだそうで。

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現在は1階部分に店が入っておりますが、真ん中部分には大きな厳めしい扉があり、
私所有の建物だそう。
ご覧になれますか、アーチにも残るフレスコ画の名残を。

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15世紀の建物と言われ、建設は当時のキプロス王カテリーナの夫の
ジョヴァンニ2世とも、カテリーナの居住用に建てられたとも記述があり、
私の関心はずっと、なぜコネリアーノに、という事でした。

ここよりもっと北に行ったカステッロ・ローガンツゥオーロには、生地のカ・ドーロと
ヴェネツィアの中間になり気温が温暖である、という理由で、かのティツィアーノも
家を持っていた様ですが、イマイチ納得が行かなかったのですね。

なぜと友人の歴史研究者に訊ねた時に聞いた答えは、当時はヴェネツィア貴族が
本土に別荘を持つのが流行っていたからと。

が、たまたまこの辺りの中世からのユダヤ人研究をしている方の本の出版記念に
行った時にちらっと聞いたコネリアーノの金貸し、多分大きな影の力を持っていた筈で、
それとキプロス王家とが関係があった、と知り、
ああ、そういう事なのか、と漸くに腑に落ちた事でした。



建物の前のアーケードはこんな感じで建物ごとに整備され繋がりますが、

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このキプロス王の家のアーケードの支えの下には、こんなフレスコ画が残り、

手前側には飾り綱で、奥は、

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こんな様子の、受胎告知。 肝心の下側が無く残念ですが、
背景には、要塞化された町の壁も見えます。

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という、ちょっと中の様子、中庭を覗いてみたい思いにさせられる
キプロス王の家なのでした。

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キプロス王に嫁いだカテリーナ・コルナーロについては
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693935.html


***

先週1週間はこちらイタリアでの初の個展を開く事が出来、お陰様で漸く
無事終わる事が出来ました。
      
オープニングには大勢の友人知り合いが集まってくれ、賑やかに盛りたてて頂いた
様子は先回ご覧頂きましたが、

その後、日本よりお客様の数は少ないもののそれでもぼちぼちと来て頂き、
そして絵に対しては、本当に有難い嬉しい評価を受けました。
が、それに反し絵の売り上げは芳しくありませんでした。

今のイタリアのこの不況では、絵を買う気持ちにならない人々の様子も良く分かり、
また日本とは違いきちんとした画廊のない町、文化センターなどでの日頃の
趣味活動も少ない人々の様子も思い起こされ、
まぁ、嬉しい評価を受けた事を有難く受け止めよう、
来年の上諏訪での個展に向け、気持ちをしっかり、と考えています。

そうそう、会期の終了間際に来年の個展会期が決まりました。
2013年10月12日(土)から20日(日)まで、
長野県上諏訪のギャラリー橋田さんで開かせて頂きます。
年が明け春頃には、と思っていた会期も早々に決まり、
ぶつぶつ文句を言わずに、とにかく描け! 良い絵を描け!
と励まされた想いでおりますが、やはり得難い経験だったと思います。
       
はい、頑張りま~す!

そうそう、先回ご覧頂いた「カンシーリオの森」写真のジョヴァンニを通し、
面白い提案も出ました。彼の奥さん、そして義理の妹さんと一緒に見に来てくれ、
この義理の妹さんミケーラは何とスコミーゴ村の小学校の先生だそうで、
私に子供たちに絵を教えてやってくれ、というのです。 授業の一環として。
       
今の緊縮経済で子供が15人以下だと学校閉鎖になるのだそうで、
現在の所20人程! で、危機感を持ち、何か活性のある事をと、
先生はこの人、と貼りだして宣伝しても良いか、どうぞどうぞ!
貧乏なので報酬は払えません、問題無いですよ。
 
なんぞと話しておりましたら、ジョヴァンニが横から、
(その分、俺が)カンシーリオに連れて行くけん、と。
いえいえ、彼が広島弁で言った訳ではないのですが、ははは、
私にはしっかりそう聞こえ、奥さんと顔を見合せて笑った事でした。
       
あちこちから、日本に行きたいのだけど、という声も出始め、
日本の旅行社に様子を聞いてみようか、という動きもあります。

日頃はまるで日本人と出会わない生活なのですが、今回はお陰さまで、
コネリアーノ在住の君江さん、ヴェネツィアからはfumieveさん、
トレント方面からは「おお、信州人!」でご一緒した小平さんご夫妻、
そしてパイプオルガン奏者の愛さんご夫妻が来てくださり、
久し振りに日本語でのお喋りも!
    
そんなこんなの友人達の有難い支えを、しっかり感じたイタリアでの初個展でした。
有難うございました!!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!


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