・ 花のサンタ・マリーア大聖堂 ・ フィレンツェ

何回かジェノヴァのご案内が続くうち、何となし帰りたくなり・・、どこへ?! 
ジェノヴァに対抗してヴェネツィアに? なんぞと考えつつ、
まだ見て頂いていない写真をひっくり返しながら
漸くに、気分にぴったり来たのがこの写真。
       
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そうで~す、ご存知、泣く子も黙るルネッサンスの花の都はフィレンツェの、
サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂・Cattedrale di S.M.del Fiore.
       
ジェノヴァの建物類の素晴らしさに見とれつつも、どこか豪奢過ぎる、
如何にも西洋風デコレーションに少しばかり馴染めなさを感じたのかも。

と言う事で本日は、豪華絢爛なれども豪壮ではない、
花のサンタ・マリーア大聖堂のファッチャータ(ファサード)を、
内部やクーポラはまたの機会にして、正面壁だけに絞り、ご覧下さいね。

この写真は4年前の秋にちょっと寄ったフィレンツェで、こちら手前に
修復の為の覆いが(洗礼堂の修復?)掛かっていて切れたのですが、
いつもと違った眺めになりました。



こちらも4年前ですが、朝7時前の聖堂。
いつもは建物の足元が見えない程の観光客ですが、
ほらね、こんなにすっきり見える時もあるのです。

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ドゥオーモの正面壁の話題の前に、ちょっと寄り道を。
聖堂の正面に向き合って洗礼堂があり、その脇の広場には
観光客用の馬車が客待ちをしていますが、

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広場南側のこんな古い建物の下にあるのが、
ロッジャ・デル・ビガッロ・Loggia del Bigallo.

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少しアップを。
ビガッロ博物館・Museo del Bigallo と読めますね。

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アーチの彫りの素晴らしさ、扉の上の聖母子像、フレスコ画もまだ鮮やか。



馬が見えますが、1445~8年にかけて描かれた「荒れ狂った馬の奇跡」
と言うのだそうで、成程なるほど、・・とはいえ、肝心の話がまるで・・!

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東側からの写真を撮っていないボケというか、残念。
と思っていましたら、1枚見つけましたので追加を! やれやれ。

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初めてのイタリア旅行でフィレンツェを訪れた時、この建物に大変魅かれ、
写真を撮りつつ眺めたものでしたが、
2年前の秋の再訪の後、興味深い事も分かりました。

古い歴史はさて置き、ロッジャは1352年今の場所にアルベルト・アルノルディ・
Alberto Arnoldiの設計により建設、彫りの部分も彼が担当したそうで、

元々がスペダーレ・Spedale、巡礼や旅人の宿、老人ホーム、孤児院、
病院、貧者への食物と衣類の供給の働きをする組織の運営で、
この新設のロッジャの1階には公開の祈祷所、
そして上階は捨て子の収容所に当てられたのだそう。

で15世紀当時、収容された捨て子がロッジャに3日間披露され、
その間に家族が名乗り出ない場合は、養子に出されたという様子。



で本題に戻りまして、花のサンタ・マリーア大聖堂の正面壁に。
      
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正面壁についても知らない事だらけで、ルネッサンスに聖堂が建設された時、
この正面壁の装飾も整えられたのだとばかり思い込んでおりました。
所が何と、最終的にこの正面壁が出来ましたのは19世紀!だったのですね。

聖堂の起工式が行われたのは、1296年9月8日。
その時にサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・花のサンタ・マリーアと命名を。
なんとも素晴らしい名前ですねぇ!
       
それ以前この場所にあったサンタ・レパラータ教会・S.Reparataの遺構は、
現在地下博物館として見学できますが、
その何倍もの大きさ、しかも2度に渡る計画変更で拡大され、
途中の中断も経ながら1380年に身廊が完成、1418年にはクーポラを
残すのみにまでに進行します。

で、この当時この大クーポラを如何に架けるかが問題だった訳ですが、
ブルネレスキ・Filippo Brunelleschiが解決、
1438年8月30日に頭頂部が閉じられます。

その後の頭頂部の上の明かり取り部分の完成は1461年、
そして天頂の球、金色ブロンズ製が取り付けられたのは1468年、
レオナルドの師ヴェロッキオ・Verrocchioに依ります。

つまり170年程の年月が掛かった訳ですが、建物はすべて完成、
外側の大理石壁のデコレーションも、鐘楼も全て整いながら、
正面壁だけ石と煉瓦壁のまま残されていた訳なのです。

サイトからの証拠写真をどうぞ。

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勿論聖堂建設と同時に正面の壁も最初の設計者である
アルノルフォ・ディ・カンビオ・Arnolfo di Cambioのデザインで
進められた訳ですが、堅固でないという報告があり、
1587年にトスカーナ大公フランチェスコ1世の命により撤去され、  
その後様々に討議されつつ、未完のまま19世紀まで!

絵が描かれたり、何かの大きな祭時には飾りつけられたりしつつ、
そのまま残っていたのが、遂に1864年のコンクールで
エミーリオ・デ・ファブリス・Emilio De Fabrisの案が採用、
19876年から建設が始まり1887年に完成、という訳。

白大理石を基に、緑とピンクの素晴らしいゴシック様式風装飾、
明るく晴れやかで、イタリアの青空に良く映えます。
と言う訳で、これよりごゆっくりじっくり細部を眺めて下さいませ、ませ。
       


まずは正面下部の銅製の巨大な扉、これは1903年に作られたものと。

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で、扉の前には、余りの見るべきものの多さに疲れた善男善女が
いつもへたり込んでおりまして・・、

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扉の一番下にある手近な、浮彫の聖人聖女像は、
ご覧の様に撫でられてピカピカ、という次第。

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こちらは扉の左側の聖女。 

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全ての聖人聖女がどなたか、何をされた方か分かるには・・!



正面扉上の部分は、こうなっておりまして、

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半円形のキリストと諸聖人の絵の上の、三角部分のアップ、

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そしてその上、身廊上部、中央の高い部分。

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玉座の聖母子像の左右に並ぶのは、どなたでしょうか、
確かめ得ませんでした、ご容赦を。

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なんとも素晴らしく美しい薔薇窓!

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アッシジの大聖堂の典雅な薔薇窓が大好きですが、
こちらにはまるで違った華麗さに魅かれます。 



そして最上部。 下に並ぶ方は左からどうやらペトラルカ、ダンテ、
その次はどなた? そしてレオナルドかな、

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青空をバックに、本当に美しい!



こちらは正面壁に3つ並ぶ扉の、左側の扉上部。 正面中央よりも小振り。

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南側側面壁の装飾。
たくさん写した様な記憶があったのに、1枚だけ!
到底かなわない思いで、尻尾を巻いて退散したのかも。       

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2年前の秋に行った時には南側面は既に洗われ、ご覧頂いた様に
明るさを取り戻していましたが、北側の壁はご覧の様子。

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周囲から集まって来るどの道の奥にもこんな風に聳えて視界を塞ぎ、
それがまたいかにもフィレンツェ、というイメージで・・。



では夜景で、クーポラと南側面の壁と、

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最後に、もう一度正面を。

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そうですね、次回再訪する時には、またもう少し落ち着いて
対面できることを期待して・・、
お付き合い有難うございました!


◆ おまけ ◆

昨日日曜の朝からかなりの雨降りで、午後半ばには少し小雨になり、
予定通り写真展示や舞台での仲間の発表を見に出かけ、
写真を褒めて貰ったり、うふうふ、仲間のベリーダンスに大笑いしたりで、
夕方戻って来ましたら、

なんと、北の山が白くなっているのに気がつき! 道脇に車を止め
2枚ほど撮りました。 ご覧下さい、5月15日に見る雪を!!

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今朝からは良いお天気で、プールの戻りに見る山は少しとけていましたが、
昨夕は曇って見えなかった奥の山の峰が、真っ白に覗いておりました。

ニュースでも、南は泳ぎ、北は積雪、と。
この夏は少し雨が多く涼しい、との予報ですが、さて、どうなりますか。


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